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作者: ビーグル
第3話 空が割れた日 4 ―亀裂……そして、震える心―
 4

 勇気と愛の姿は校庭にあった。

 彼らは校舎から出ると校門へ向かって走り出した。そして、走りながら空を見上げる。

「勇気くん……」

「桃井……」

 二人が見上げる空は、一見すると朝から続く雲ひとつない気持ちの良い青空で、さっきまでの轟音が嘘のように思えた。

 だが、

「あれか……」

「うん…」

 青空にはほんの少し、ただ一点だけ………変化があった。

 勇気と愛はその変化を見逃しはしない。

「『2月15日の夕方17時、空が割れ、世界に破滅をもたらす王が現れる』……あの日、私達が約束を交わした日に、みんなで聞いたこの話……私、本当は今までずっと嘘であってほしいって祈り続けてた……」

「俺もだ……"今日"の為の準備を進めながらも、俺は、結局何事も起きず、無駄な心配をさせた奴に怒りを覚えながら、明日を迎えたいと思っていた。でも……本当だったみたいだな」

 そう言いながら、勇気は拳を強く握った。空に生まれた"変化"を見詰める勇気の目付きも、鋭く変わる。

 勇気が睨む先、

 コバルトブルーの空には不可思議な現象が起こっていた。
 それは、空の一部に浮かぶ、蜘蛛の巣状の不思議な模様……

 微かに、極々微かに、他の場所よりも色が薄いだけ、よく目を凝らさなければ分からないその模様が何を示しているのか、勇気と愛にはハッキリと分かっていた。


『空が割れる……』


 愛はそう言った。
 この言葉を思い浮かべれば、この模様が何なのかすぐに分かる。


 亀裂だ……


 "今日"という日に何が起ころうとしているのか何も知らぬ住民達は『そんな事は有り得ない……』と言うだろう。

 だが、本当なのだ。


 空が、割れようとしているのだ………


「急がなければ……急がなければ間に合わなくなる! 行くぞ、桃井!」

「うん!」

 校庭を走り抜け、校門の前に立った勇気は、長い手足を使って2m近い校門を勢い良く登った。

「桃井、さぁ!」

 校門を乗り越えると、勇気は透かさず後ろを振り向く。
 背の低い愛は勇気の様に簡単に校門を乗り越える事は出来ない。勇気はその事を分かっていた。だから勇気は後ろを振り向くと、校門の格子の間から手を差し入れ、よじ登ろうとする愛の体を下から押し上げてやった。

「勇気くん、ありがと!!」

 愛は勇気のサポートを受けて校門を乗り越えられた。

「いや、気にするな……それよりも桃井、ここから輝ヶ丘の大木まではどんなに急いでも10分以上はかかる。休んでいる暇はない、"今日"までちゃんと鍛えてきたか?」

「うん! モチロン!!」

「そうか、心強いな!」

「ふふっ! そっちこそ!!」

 愛は勇気に向かってニコリと微笑んだ。そして、二人は再び走り出す。

 この時、愛はもう忘れていた。二回目の轟音が鳴り響いた時の勇気の事を。
 瞼を瞑っていた愛には、勇気に何が起きたのか分からなかった。だが、声だけでも彼が動転していた事は明らかだった。しかし、今の勇気からは精悍さと頼もしさしか感じられない。だから愛はその時の勇気を、過去のものとして記憶の片隅に置いてきた。
 そして、それは勇気も同じだ。

「さぁ、喋っている暇はない! 行くぞ、輝ヶ丘の大木に!!」

 いや、まだ勇気は忘れてはいない。でも、忘れようとしていた。自分自身に安心出来ていたから。

ー 俺は大丈夫だ……

 と。

ー さっきの俺はどうかしていたんだ。大丈夫だ。いつもの自分でいれば良い……ただそれだけだ。俺は"今日"何が起こっても良いように、この数年ずっと準備を進めてきたじゃないか。俺は英雄に選ばれたんだ。何も恐れる事はない。いや、俺が恐れを抱く事はない! 自分自身でいろ! やるべき事があるのだから! 幸いまだ時間はあるようだ。急いで大木に向かえば"空が割れる"その時までに間に合う。きっと今頃、黄島や緑川、"アイツ"だって大木に向かって走っている筈だ! 遅れる訳にはいかない、五人揃えば……俺達が五人揃いさえすれば、"今日"は何も起きずに終われる。また明日を迎えられる。そしたらまた、皆で下らない話をしよう……なぁ、せい…………

「ん……なんだ?」

 勇気の黙考は強制的に遮断された。

 ドドドドド………

 大地が大きく揺れ始めたんだ。

「地震?」

 愛は呟いた。だが、勇気は首を振る。

「いや……それだけではない! 桃井、よく耳をこらせ」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ………


 何かが唸るような音が微かに聞こえた。
 その音は段々と強くなっていく。耳をこらせと言われた愛が、音に対して意識を向け始めた時にはもうハッキリと聞こえていた。

「ヤバい……来る!! 桃井、来るぞ!!」

 勇気は目をカッと開いて蜘蛛の巣状の亀裂を見た。

 その時、まるで脈打つように亀裂の奥で光がまたたき始めた。その光のまたたきは、ドクン……ドクン……と脈を打つ度に速くなっていく。

 その光を見る勇気の目は、自分自身を励まし今から起ろうとしている事態に懸命に立ち向かおうとする気持ちとは反対に、泳ぎ出した。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 呼吸が乱れ始めた。そしてまた、勇気の心臓の鼓動は光のまたたきと合わせるように速くなっていく……

ー またかよ……どうしたんだ……どうなってしまったんだ俺は……

「ヤ……ヤバいぞ、桃井!! 行くぞ、さ……さぁ急ぐんだ!!」

 愛を急かす勇気の言葉は震えていた。その震えは体にも現れてきて、手の震えは愛の目にも分かる程だった。

「ゆ……勇気くん? だいじょ……」

「何をしているんだ!!! は……早く!! 走るんだよ!!」

 勇気はもう我を忘れていた。さっきまでの自分を思い出す事も出来ない。愛の声も勇気の耳には届かない。勇気は震える手で、愛の手首を強引に掴んだ。

「う……うん!! あ、ちょっと勇気くん、ま……待ってっ!」

 愛の手首を握った力は自分勝手に強く、勇気の走りは愛のペースも考えずに速い。そのせいで愛は、足がもつれ転びそうになってしまった。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 だが、勇気はそれに気付かない。愛を強引に引っ張る勇気の額には大粒の汗が吹き出ていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……………何ッ!!」

 乱れた呼吸で走る勇気の視界の隅に、"奴"は再び現れた……

「嘘だ……またか……またなのか……」

 それは、"恐怖"……煙の様に浮遊する闇の塊………

「何で……何でだよ……」

 "恐怖"が現れた事を知ると、勇気は、一粒の、たった一粒の涙を流した。


 その涙が頬へと落ちた時………


 再び町を、光が包み、轟音が轟いた。
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