第1話 少年とタマゴ 4 ―アイツは来るの?―
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「準備? 時計の事? それならOKだよ」
「そうか。なら問題ない。」
「どうかした?」
「いや、どうやら桃井は今日は別の事で頭がいっぱいみたいだからな、肝心な物を忘れてないか? と心配になっただけだ」
「なにそれ」
「それとさっきのメッセージの件、何か進展があったら俺の方から返信するから、もう何度も聞いてくるな」
「あ、ごめん」
愛は青木にそう返信すると、最後にもう一文付け足した。
「お昼休みちょっと話さない?」
―――――
愛は昼休みに入ると弁当箱を手に校庭へと向かった。
校舎から校庭へと出ると"彼"はすぐに見付かった。
校舎から見て左斜め向こうの校庭の一番奥に置かれたベンチ、いつものように"彼"はそこに居た。
三人掛けのベンチの真ん中に、長い足を大きく開いた格好で座る"彼"は、背もたれに体重をかけ左手はジャケットのポケットに突っ込み、ほんの少し顔を上げて空を見上げていた。
傍らには購買で買ったのだろう、パンが三つにストローがささったパックの牛乳が一つ。
いつもの"彼"だ。
これが"彼"のいつものスタイル。
その姿を見て、愛は思った。
― いつもと何も変わらない……
と。
愛は両手で持った弁当箱を見下ろした。
― 私もだ……私もいつもと一緒……いつもと変わらない一日を過ごしてる。学校に来て、授業を受けて、お昼休みにはお母さんの作った弁当を食べようとしてる。お腹だって空いている。いつもと一緒、昨日と変わらない……
愛は弁当箱を右手だけに持ち変えると制服のポケットからスマホを取り出した。真っ黒な画面。着信やメールを伝えるランプも光ってはいない。
― こっちも一緒……いつもと一緒……忘れちゃったの? 覚えてるのは私たちだけなの?約束したじゃない、あの日に"今日"だって……
「連絡ぐらい寄越しなさいよ。バカヤロ……」
愛は心の声をいつの間にか口にしていた。そして、左手につけた腕時計を睨む。
「こっちだって、うんともすんともいわないし……このままじゃ、ただの"明日"になっちゃうよ! あ、でもその方が良いのか……」
「何一人でブツブツ喋ってるんだ?」
「え?!」
愛が顔を上げると、目の前にはいつの間にか"彼"がいた。
"彼"は愛に微笑んだ。
優しくて、慈愛に満ち溢れていそうな微笑み。
そんな微笑みをたたえながら、"彼"は愛が一語一句聞き逃さぬ様に、ゆっくりとした口調でこう言った。
「気持ち悪いぞ」
「うぇっ!!」
愛は思わぬ一言に、一歩後ろに退いた。
"彼"はそんな愛を見ると慈愛溢れた笑顔を一瞬で消し去り、また笑った。
この世に本当に天使と悪魔が存在するのであれば、それは"彼"の事を言うのではなかろうか、さっきまでの慈愛に溢れた天使の笑顔はもうそこにはない、"彼"の顔に浮かぶのは人を小馬鹿にするように左の口角だけをクイッと上げたニヒルな笑顔。
"彼"は一瞬にして天使から悪魔へと変わった。
「どうした? 一人でブツブツブツブツ呟いて、気でも変になったか……桃井?」
"彼"は愛にそんな辛辣な言葉を投げた。
いや、"彼"自身は辛辣とは思ってはいない、愛を馬鹿にするつもりもない。
ほんの少しの冗談だ、だが愛の心には"彼"の言葉がブサリと突き刺さった。
「ちょっと……!! ヒ、ヒドイよ!!」
そんな"彼"の名は、
「勇気くん!!」
『青木勇気』
そう、瑠璃が愛との関係を気にしているあの男だ。
長い手足にすらりと伸びた長身、色白でモデルのように美しい顔、美少年とは正に彼の事を言うのだろう。
いや、その大人びた顔つきはもう既に少年というよりも青年の域に達している。
長身も相まって制服を着ていなければ、きっと高校生とは誰も思わないだろう。
「気でも……ってどういう意味!」
愛がそう言い返すと、青木勇気は海外のスタンダップコメディアンの様に天に向かって両手を広げた。
「だってそうだろ……」
勇気はいつものベンチのいつもの定位置に戻り、長い足を組んで座った。牛乳パックを拾い上げパックを持った方の手の中指で愛を指差し、
「桃井、キミは今日何回俺に質問を送ってきた? そんなに心配か?」
浮かべたのは天使の笑顔。
言い方も優しい。
どちらが本当の勇気なのだろう。愛は勇気のコロコロと変わる雰囲気に慣れているのか特に驚くことはない。
「だって……だってさぁ……」
「何をそんなに心配する事がある?」
「心配……というか」
愛はその言葉に納得いかない様子を勇気に表した。
だが、愛自身分かっていた。その言葉が一番的確な事を。
「心配……ではないと?」
「う……うん」
愛はやはり嘘が下手だ。
嘘だとしても自信を持って返事をすれば良いものを、彼女はそわそわと挙動不審に明後日の方向を向いて返事をした。
それも、物凄く小さな声で。
「ははは!」
勇気は笑った。
「なんで笑うのよ!」
それは笑うだろう。愛の挙動を見ていたら誰だって笑う。
「では……桃井、今日キミが俺に送ってきたメッセージを読み上げようか?」
勇気はジャケットのポケットからスマホを取り出した。
「え?!」
愛の反応に一目もやらず、勇気はちょっとだけ愛の声色を真似て、本日彼女から送られてきたメールを読み上げ始めた。
「『ねぇねぇ、勇気くん本当に今日だよね? 間違いなんて事無いよね?』
『ねぇ、勇気くん私達みんな揃うよね? 大丈夫だよね?』
『ねぇ、勇気くん連絡は来た?』……はぁ」
勇気はため息を吐くと足を組み直し、
「まだあるぞ……」
スイッチを入れるように、左膝の上に乗せた右膝を平手でポンっと叩いた。
「ちょ……ちょっと! もう良いよ!! 分かったから、止めてっ!!」
もうこれ以上続けられては困る、愛は必死に止めた。その時のテンションや気持ちで送っているモノを、時間差で、しかも読み上げられるなんて恥ずかしくて仕方がない。
「はぁ……」
勇気は再び両手を天に向かって広げ、やれやれ…といった感じで言った。
「ねぇ勇気くん…ねぇ勇気くん……って、俺はムーミンか?」
愛はこの時一瞬思った、『何故今のタイミングでムーミンを出すんだ……』と。
「そ……そっか、ごめん」
愛が謝ると、勇気は『いやいや』と首を横に振った。
「いや、謝らなくても良いんだ、だがな……黄島からは、こっちに向かう手筈を整えてると連絡があったと俺は君に伝えただろ? 間違いなく彼女は、"今日"この町に来る。緑川の方は君が連絡を取って、了解の旨のメールが返ってきたと、そう俺に話していたじゃないか」
「うん……それはそう……それはそうだよ……」
「ならば何を気にしている?」
「何……って、ううん……」
愛は次の言葉が出てこなかった。これは嘘ではない、本当に出せなかった。
でも答えは分かってる、自分が一番分かってる。けれど、自分の心の中にある言葉を表に出した時、もし勇気から自分の理想と違う答えが返ってきたら……そう思うと言葉にする事が出来なかったんだ。
でも、勇気は分かっていた。
「やはり"アイツ"の事だな……?」
愛はその言葉を聞くと、ギクリとして口をへの字に曲げた。
「え……」
「やっぱりな……」
勇気はニヤリと笑った。
「だって……だって……一人だけまだ何も!」
「連絡が無い……」
コクリ、愛は頷いた。
もう認めざるを得なかった。
「ははっ」
勇気は笑った。少し馬鹿にする感のある笑い声で。
「なんで笑うの?」
「そりゃ笑うさ!」
勇気はもう一度、声を出して笑った。
「桃井、君が"アイツ"の事を一番理解している筈だろ? だったら何を心配する必要がある? 確かに"アイツ"は6年前に引っ越して、この町を離れた。しかし、"アイツ"は来る。そうだろ? ……必ず来る! "アイツ"はそういうヤツだ!」
「準備? 時計の事? それならOKだよ」
「そうか。なら問題ない。」
「どうかした?」
「いや、どうやら桃井は今日は別の事で頭がいっぱいみたいだからな、肝心な物を忘れてないか? と心配になっただけだ」
「なにそれ」
「それとさっきのメッセージの件、何か進展があったら俺の方から返信するから、もう何度も聞いてくるな」
「あ、ごめん」
愛は青木にそう返信すると、最後にもう一文付け足した。
「お昼休みちょっと話さない?」
―――――
愛は昼休みに入ると弁当箱を手に校庭へと向かった。
校舎から校庭へと出ると"彼"はすぐに見付かった。
校舎から見て左斜め向こうの校庭の一番奥に置かれたベンチ、いつものように"彼"はそこに居た。
三人掛けのベンチの真ん中に、長い足を大きく開いた格好で座る"彼"は、背もたれに体重をかけ左手はジャケットのポケットに突っ込み、ほんの少し顔を上げて空を見上げていた。
傍らには購買で買ったのだろう、パンが三つにストローがささったパックの牛乳が一つ。
いつもの"彼"だ。
これが"彼"のいつものスタイル。
その姿を見て、愛は思った。
― いつもと何も変わらない……
と。
愛は両手で持った弁当箱を見下ろした。
― 私もだ……私もいつもと一緒……いつもと変わらない一日を過ごしてる。学校に来て、授業を受けて、お昼休みにはお母さんの作った弁当を食べようとしてる。お腹だって空いている。いつもと一緒、昨日と変わらない……
愛は弁当箱を右手だけに持ち変えると制服のポケットからスマホを取り出した。真っ黒な画面。着信やメールを伝えるランプも光ってはいない。
― こっちも一緒……いつもと一緒……忘れちゃったの? 覚えてるのは私たちだけなの?約束したじゃない、あの日に"今日"だって……
「連絡ぐらい寄越しなさいよ。バカヤロ……」
愛は心の声をいつの間にか口にしていた。そして、左手につけた腕時計を睨む。
「こっちだって、うんともすんともいわないし……このままじゃ、ただの"明日"になっちゃうよ! あ、でもその方が良いのか……」
「何一人でブツブツ喋ってるんだ?」
「え?!」
愛が顔を上げると、目の前にはいつの間にか"彼"がいた。
"彼"は愛に微笑んだ。
優しくて、慈愛に満ち溢れていそうな微笑み。
そんな微笑みをたたえながら、"彼"は愛が一語一句聞き逃さぬ様に、ゆっくりとした口調でこう言った。
「気持ち悪いぞ」
「うぇっ!!」
愛は思わぬ一言に、一歩後ろに退いた。
"彼"はそんな愛を見ると慈愛溢れた笑顔を一瞬で消し去り、また笑った。
この世に本当に天使と悪魔が存在するのであれば、それは"彼"の事を言うのではなかろうか、さっきまでの慈愛に溢れた天使の笑顔はもうそこにはない、"彼"の顔に浮かぶのは人を小馬鹿にするように左の口角だけをクイッと上げたニヒルな笑顔。
"彼"は一瞬にして天使から悪魔へと変わった。
「どうした? 一人でブツブツブツブツ呟いて、気でも変になったか……桃井?」
"彼"は愛にそんな辛辣な言葉を投げた。
いや、"彼"自身は辛辣とは思ってはいない、愛を馬鹿にするつもりもない。
ほんの少しの冗談だ、だが愛の心には"彼"の言葉がブサリと突き刺さった。
「ちょっと……!! ヒ、ヒドイよ!!」
そんな"彼"の名は、
「勇気くん!!」
『青木勇気』
そう、瑠璃が愛との関係を気にしているあの男だ。
長い手足にすらりと伸びた長身、色白でモデルのように美しい顔、美少年とは正に彼の事を言うのだろう。
いや、その大人びた顔つきはもう既に少年というよりも青年の域に達している。
長身も相まって制服を着ていなければ、きっと高校生とは誰も思わないだろう。
「気でも……ってどういう意味!」
愛がそう言い返すと、青木勇気は海外のスタンダップコメディアンの様に天に向かって両手を広げた。
「だってそうだろ……」
勇気はいつものベンチのいつもの定位置に戻り、長い足を組んで座った。牛乳パックを拾い上げパックを持った方の手の中指で愛を指差し、
「桃井、キミは今日何回俺に質問を送ってきた? そんなに心配か?」
浮かべたのは天使の笑顔。
言い方も優しい。
どちらが本当の勇気なのだろう。愛は勇気のコロコロと変わる雰囲気に慣れているのか特に驚くことはない。
「だって……だってさぁ……」
「何をそんなに心配する事がある?」
「心配……というか」
愛はその言葉に納得いかない様子を勇気に表した。
だが、愛自身分かっていた。その言葉が一番的確な事を。
「心配……ではないと?」
「う……うん」
愛はやはり嘘が下手だ。
嘘だとしても自信を持って返事をすれば良いものを、彼女はそわそわと挙動不審に明後日の方向を向いて返事をした。
それも、物凄く小さな声で。
「ははは!」
勇気は笑った。
「なんで笑うのよ!」
それは笑うだろう。愛の挙動を見ていたら誰だって笑う。
「では……桃井、今日キミが俺に送ってきたメッセージを読み上げようか?」
勇気はジャケットのポケットからスマホを取り出した。
「え?!」
愛の反応に一目もやらず、勇気はちょっとだけ愛の声色を真似て、本日彼女から送られてきたメールを読み上げ始めた。
「『ねぇねぇ、勇気くん本当に今日だよね? 間違いなんて事無いよね?』
『ねぇ、勇気くん私達みんな揃うよね? 大丈夫だよね?』
『ねぇ、勇気くん連絡は来た?』……はぁ」
勇気はため息を吐くと足を組み直し、
「まだあるぞ……」
スイッチを入れるように、左膝の上に乗せた右膝を平手でポンっと叩いた。
「ちょ……ちょっと! もう良いよ!! 分かったから、止めてっ!!」
もうこれ以上続けられては困る、愛は必死に止めた。その時のテンションや気持ちで送っているモノを、時間差で、しかも読み上げられるなんて恥ずかしくて仕方がない。
「はぁ……」
勇気は再び両手を天に向かって広げ、やれやれ…といった感じで言った。
「ねぇ勇気くん…ねぇ勇気くん……って、俺はムーミンか?」
愛はこの時一瞬思った、『何故今のタイミングでムーミンを出すんだ……』と。
「そ……そっか、ごめん」
愛が謝ると、勇気は『いやいや』と首を横に振った。
「いや、謝らなくても良いんだ、だがな……黄島からは、こっちに向かう手筈を整えてると連絡があったと俺は君に伝えただろ? 間違いなく彼女は、"今日"この町に来る。緑川の方は君が連絡を取って、了解の旨のメールが返ってきたと、そう俺に話していたじゃないか」
「うん……それはそう……それはそうだよ……」
「ならば何を気にしている?」
「何……って、ううん……」
愛は次の言葉が出てこなかった。これは嘘ではない、本当に出せなかった。
でも答えは分かってる、自分が一番分かってる。けれど、自分の心の中にある言葉を表に出した時、もし勇気から自分の理想と違う答えが返ってきたら……そう思うと言葉にする事が出来なかったんだ。
でも、勇気は分かっていた。
「やはり"アイツ"の事だな……?」
愛はその言葉を聞くと、ギクリとして口をへの字に曲げた。
「え……」
「やっぱりな……」
勇気はニヤリと笑った。
「だって……だって……一人だけまだ何も!」
「連絡が無い……」
コクリ、愛は頷いた。
もう認めざるを得なかった。
「ははっ」
勇気は笑った。少し馬鹿にする感のある笑い声で。
「なんで笑うの?」
「そりゃ笑うさ!」
勇気はもう一度、声を出して笑った。
「桃井、君が"アイツ"の事を一番理解している筈だろ? だったら何を心配する必要がある? 確かに"アイツ"は6年前に引っ越して、この町を離れた。しかし、"アイツ"は来る。そうだろ? ……必ず来る! "アイツ"はそういうヤツだ!」