第1話 少年とタマゴ 1 ―少年とタマゴ―
1
6年後――
2月15日――午前9時。
どこまでもどこまでも飛んでいけそうな、雲一つない青空。連日快晴が続いていたが、今日ほどの日はなかった。路地裏に隠れた野良猫たちも今日だけは表に出てきてうたた寝をしたくなる……そんな日だ。
河川敷の、青い草の匂いがツーンと鼻に抜けるそんな原っぱに少年は寝ていた。
まるで澄んだ青空を抱き締めようとするかの様に大きく手足を広げて。
少し茶色かかった髪が風になびき、横に流した前髪がサラサラと少年の瞑った瞼に触れる。その寝顔はどこか微笑んでいるように見える。色白であるが健康的な透明感のある顔だ。
「う……うぅ~ん」
痒かったのか少年の瞼が少し動く。
少年が着た赤色のダウンジャケットにも風でなびいた草がサラサラと触れる。
季節はまだ二月、少年の着たダウンの下は白いTシャツに着古したジーンズ。他人からすれば少し寒々しく思うかもしれない。
「いつまで寝てるんだ……起きるんだボズぅ」
イライラした様子で甲高い声が少年に囁いた。
少年は「う~」と唸ると、
「分かってるよ……時間には間に合うって」
と眠そうな目で答えた。
「信用出来ないね! いつもそうやって遅刻だボッズー! 約束の時間は17時なんだぞボズぅ!」
寝起きの頭に甲高い声が響く……
「へへっ! 大丈夫、今のところ一分一秒計算通りだよ!」
少年はニカッと口を大きく開けて愛嬌たっぶりに笑った。
話す勢いと共に起き上がろうとする少年にむかって、甲高い声の主は言った。
「計算出来る頭があればだけどねボッズー!」
「へいへい」
と少年はその声を手で払うと、ふかふかに繁る原っぱにあぐらをかいて、自分に話しかける相手にもう一度ニカッとした笑顔を見せた。
「やれやれ……前途多難だボッズー」
甲高い声の主は、少年の能天気とも思える笑顔に呆れたのか頭をポリポリと掻いた。
小さな手で。
少年に話し掛けるその友人の手は、それはそれはとても小さい、小さくて、小さくて、そして白い、真っ白な手をしている。
そして小さいのは手だけではない、その体もまた小さい。胡座をかく少年は自分の肩より少し下の辺りを見下ろしている。高さで言えば30センチを少し飛び出るくらい。
その小さな友人は少年の膝を叩いた。
「今、何時だボッズー」
「う~んと」
少年はジーンズのポケットからスマホを取り出した。
「まだまだ9時になったばっかり、大丈夫! 大丈夫!」
「本当かボッズー?」
「へへ、そうだって言ってんだろぅ!」
少年の膝の上に置かれたその小さな手は不思議な形をしている。まるで翼の様な形だ。
いや……"様な"ではない。
確かに翼なのだ。
翼そのままの形で、普通の鳥が翼を広げた時に一番先端にくる場所にオマケみたいに小さな小さな手がついている。
その翼自体も小さいから本来の翼としての用は成しえないと思われる。
ならば、この翼はもう"手"なのだろう。
それにしても不思議だ。
とても不思議な生き物だ。
少年の目の前にいるその相手は翼を生やしているどころか"人の形"をしていなかった。
不思議な形、まるでタマゴの様な形。
いや、形どころか、殻もある。
見れば見る程不思議な生き物……
その生き物は全身が真っ白で、タマゴの殻はちょうど真ん中くらいで真横にパックリと割れていて、その中から丸々と黄色く光る瞳と、同じく黄色くて横に広がる大きな嘴が見える。
その嘴は尖っているのではなく、全体的に角がない丸いフォルムで楕円形に近い。
嘴や目の周りを覆う真っ白な羽根が風にそよがれてヒラヒラとなびき、殻の中に見える背中には、"手"とは違うもう一つの小さな翼がちょこんっと付いている。
きっとこれが本物の翼なのだろう。
本物だとしても本当に小さな翼だから飛べるかどうかは怪しいが。
そしてその翼の下にある下半身を覆った殻の下からは、殻を割って飛び出たこれまた小さくて黄色い"アヒルの足に似た足"が少年に向かって『早くしろよ』と言いたげに足踏みをしていた。
「へへっ! 俺を信じろって! 17時には絶対間に合うから!」
少年はスマホをポケットにしまうと
「んじゃ、行こうか!」
勢いよく立ち上がった。
そして、タマゴの様な鳥の様なその不思議な生き物の丸々としたタマゴの天辺を鷲掴みにすると、自分の真横に置いていたほぼほぼ空のリュックに詰め込んだ。
少年はそのリュックの口を閉めることなく 「よいしょ!」と一声あげて背負うと、近くに止めてある真っ赤な自転車に飛び乗った。
「痛いボッズー! 乱暴にしたら壊れるぞボッズー! こう見えても精密機械だボッズーよ!!」
「へへっ、ごめんごめん! んじゃ、行くぜ! 約束の場所、輝ヶ丘に!」
そして、少年は青空の下を自転車で颯爽と駆け出した。
6年後――
2月15日――午前9時。
どこまでもどこまでも飛んでいけそうな、雲一つない青空。連日快晴が続いていたが、今日ほどの日はなかった。路地裏に隠れた野良猫たちも今日だけは表に出てきてうたた寝をしたくなる……そんな日だ。
河川敷の、青い草の匂いがツーンと鼻に抜けるそんな原っぱに少年は寝ていた。
まるで澄んだ青空を抱き締めようとするかの様に大きく手足を広げて。
少し茶色かかった髪が風になびき、横に流した前髪がサラサラと少年の瞑った瞼に触れる。その寝顔はどこか微笑んでいるように見える。色白であるが健康的な透明感のある顔だ。
「う……うぅ~ん」
痒かったのか少年の瞼が少し動く。
少年が着た赤色のダウンジャケットにも風でなびいた草がサラサラと触れる。
季節はまだ二月、少年の着たダウンの下は白いTシャツに着古したジーンズ。他人からすれば少し寒々しく思うかもしれない。
「いつまで寝てるんだ……起きるんだボズぅ」
イライラした様子で甲高い声が少年に囁いた。
少年は「う~」と唸ると、
「分かってるよ……時間には間に合うって」
と眠そうな目で答えた。
「信用出来ないね! いつもそうやって遅刻だボッズー! 約束の時間は17時なんだぞボズぅ!」
寝起きの頭に甲高い声が響く……
「へへっ! 大丈夫、今のところ一分一秒計算通りだよ!」
少年はニカッと口を大きく開けて愛嬌たっぶりに笑った。
話す勢いと共に起き上がろうとする少年にむかって、甲高い声の主は言った。
「計算出来る頭があればだけどねボッズー!」
「へいへい」
と少年はその声を手で払うと、ふかふかに繁る原っぱにあぐらをかいて、自分に話しかける相手にもう一度ニカッとした笑顔を見せた。
「やれやれ……前途多難だボッズー」
甲高い声の主は、少年の能天気とも思える笑顔に呆れたのか頭をポリポリと掻いた。
小さな手で。
少年に話し掛けるその友人の手は、それはそれはとても小さい、小さくて、小さくて、そして白い、真っ白な手をしている。
そして小さいのは手だけではない、その体もまた小さい。胡座をかく少年は自分の肩より少し下の辺りを見下ろしている。高さで言えば30センチを少し飛び出るくらい。
その小さな友人は少年の膝を叩いた。
「今、何時だボッズー」
「う~んと」
少年はジーンズのポケットからスマホを取り出した。
「まだまだ9時になったばっかり、大丈夫! 大丈夫!」
「本当かボッズー?」
「へへ、そうだって言ってんだろぅ!」
少年の膝の上に置かれたその小さな手は不思議な形をしている。まるで翼の様な形だ。
いや……"様な"ではない。
確かに翼なのだ。
翼そのままの形で、普通の鳥が翼を広げた時に一番先端にくる場所にオマケみたいに小さな小さな手がついている。
その翼自体も小さいから本来の翼としての用は成しえないと思われる。
ならば、この翼はもう"手"なのだろう。
それにしても不思議だ。
とても不思議な生き物だ。
少年の目の前にいるその相手は翼を生やしているどころか"人の形"をしていなかった。
不思議な形、まるでタマゴの様な形。
いや、形どころか、殻もある。
見れば見る程不思議な生き物……
その生き物は全身が真っ白で、タマゴの殻はちょうど真ん中くらいで真横にパックリと割れていて、その中から丸々と黄色く光る瞳と、同じく黄色くて横に広がる大きな嘴が見える。
その嘴は尖っているのではなく、全体的に角がない丸いフォルムで楕円形に近い。
嘴や目の周りを覆う真っ白な羽根が風にそよがれてヒラヒラとなびき、殻の中に見える背中には、"手"とは違うもう一つの小さな翼がちょこんっと付いている。
きっとこれが本物の翼なのだろう。
本物だとしても本当に小さな翼だから飛べるかどうかは怪しいが。
そしてその翼の下にある下半身を覆った殻の下からは、殻を割って飛び出たこれまた小さくて黄色い"アヒルの足に似た足"が少年に向かって『早くしろよ』と言いたげに足踏みをしていた。
「へへっ! 俺を信じろって! 17時には絶対間に合うから!」
少年はスマホをポケットにしまうと
「んじゃ、行こうか!」
勢いよく立ち上がった。
そして、タマゴの様な鳥の様なその不思議な生き物の丸々としたタマゴの天辺を鷲掴みにすると、自分の真横に置いていたほぼほぼ空のリュックに詰め込んだ。
少年はそのリュックの口を閉めることなく 「よいしょ!」と一声あげて背負うと、近くに止めてある真っ赤な自転車に飛び乗った。
「痛いボッズー! 乱暴にしたら壊れるぞボッズー! こう見えても精密機械だボッズーよ!!」
「へへっ、ごめんごめん! んじゃ、行くぜ! 約束の場所、輝ヶ丘に!」
そして、少年は青空の下を自転車で颯爽と駆け出した。