残酷な描写あり
R-15
6.― DOUBLE KILLER ―
6.― DOUBLE KILLER ―
“エリアF”か。此処へ来るのは、おそらく三年振りくらいだろうか。あの時は“組合”と対立関係にあったロシアの大物を暗殺する任務だった。現地で追い詰められ、日本に隠れていた所を俺が仕留めた。それなりにいた護衛を退いて、喉仏と右目に一発づつ。お零れにあやかる様な、他愛もない任務だった。
モノレールから見える太平洋と、それを遮る半球の石棺を眺めながら、その時の事を思い出していた。それぐらいしか思い出す事もないが、余計なのは殺した人間の顔まで鮮明に思い出してしまうところか。
まるで白昼夢だ。それも悪い夢なのかフラッシュバックなのかも分からない。そして、こんなイカれた状況も長年慢性的に続いていれば、平常を装える様になれるのだから益々イカれている。
最近になって医者の厄介になり薬を使う様になったが、大した効果もない。誰にも言えないが、年々酷くなっていく。
過去を思い出すのはこれで位にして、今日の事を考えよう。
今回の標的も当然、二発で仕留める予定だ。車両の端にある優先席を陣取っている老いぼれに目線をそれとなく移す。
荒神会の副会長、男神斗稀(オガミトウキ)。今年で七十になるそうだ。
数年前に荒神会を引退して、今は隠居生活を送っていた。ほぼ毎日、高級住宅街からこのモノレールを使い、隣町のパチンコ店で半日以上を浪費していると、ここまでが“組合”の情報だった。
その後、蓮夢が自主的に調べてくれた情報では、今の男神は家族もいない一人暮らし、荒神会からの定期的な仕送りが唯一の収入源で、隣町のパチンコ屋は荒神会の下請けヤクザの経営。波江野は優遇されているそうだ。わざわざ隣町まで行くのも納得できるが、荒神会ほどの大きな組織を仕切っていた者の老後のルーティンにしては、随分とシケた印象だ。
服装もブランド物だが、だらしないジャージとダウンジャケット。特にこれと言った理由はないが、苛付く男だった。
蓮夢の推理では荒神会に対して、何か弱みでも握っているのではないと言う。元副会長とは言え、結構な額の送金記録だった。それが本当なら、見た目に反して相当強かとも言えるが。
次の駅で降りる。パチンコ屋に入る前に捕らえて情報を聞き出そう。荒神会と海楼商事との繋がりの度合いや、具体的な組織図ぐらいは知っている筈だ。
アクアセンタービルを攻略する上では、直接役に立つものはなさそうだが、蓮夢が気にかけている事の中に、港区での密輸再開がある。その事についても何か情報が得られるかも知れないし、海楼商事が海外にどれだけのコネクションを持っているのか。それが少しでもわかれば、今後に役立つ。
海楼商事だけでも充分大物だが、奴等を倒して全て解決とはいかないだろう。
蓮夢が想定しないとも思えないが、海楼商事へのいかなる攻撃も、いずれは海の向こうにいる、もっと強大な悪意を日本へ招き入れる結果になるだろう。
それとも、先の事なんて知った事じゃないとでも思っているのだろうか。蓮夢の目的は人助けだ。
蓮夢は頑なにクライアントの事を話そうとしないが、間違いなくクライアントに関係する人物の救出が最終目標だ。各国で攫われた人々が何処にいるか、それを突き止めて、更にその先にまで行こうとしている。身の丈を遥かに超えていた。
そうなれば、血生臭い修羅場は避けられないだろうに、俺を当てにしている風でもなかった。元々、俺と組んでいる現状は蓮夢にとっても想定外なのもある。
攫われた人達がどんな状況で捕らえられているのかは分からないが、二、三人を監禁してるとは思えない。それなりに大きな施設だと思われる。
蓮夢が施設のシステムにハッキングしてコントロール下に置ければ、有利に事を進められるだろうか。
“組合”を抜きで――手伝ってやってもいい。今は、それぐらいの心情にはなっていた。
アイツの心の内なんて分かりはしないが、蓮夢みたいな人間は報われるべきだ。
そう思える様になったのは、同情も多少なり含まれいるが、仕事振りは小器用で頭も切れるのに、総合的に見て不器用な生き方。それでも直向きに良心と向き合う姿に俺は魅力を抱き始めていた。色眼鏡が少しづつ薄れてきたのかも知れない。
それなのに、一体何が気に入らなかったのか、久し振りに怒らせてしまった。
処構わず私情が入り込むのはアイツの悪いところだ。ハッキリと線引きをしてもらいたいものだ。
そんな“複雑な相棒”の事を考えているとモノレールが停車した。男神もそそくさと降りていく、老いぼれの足取りだ、こちらものんびり尾行させてもらおう。
モールと連結され、テナントが犇めく大きな駅だった。予想以上の人混みに眩暈どころか、吐き気すら込み上げてきた。
全て気のせいだと自分に言い聞かせていた。誰も俺の事は見ていない、在りもしない敵意や殺気を探るなと。胸ポケットから真っ黒なサングラスを取り出して、視界を覆う。こうすると気が楽になった。自分の周囲へ飛び回る視線は相手に悟られる事はない。隠れている様な気分になれた。
目的地は分かっている、波江野を視界から外してパチンコ屋方面の出入り口へ向かった。パチンコ屋の周辺も、駅内も大通りも頭に叩き込んでいた。一先ず呼吸と吐き気を落ち着かせないと。
大丈夫だ、何時もの事だ。身体も頭も思う様に噛み合わない事があっても、土壇場ではしっかり働いてくれるし、集中力も昔と変わっていない。
駅の外へ出たが、やはり外も人で賑わっている。大通りを避けて人気の少ない路地を選び、足早に移動した。徐々に落ち着いてくる。まったく、何時何がキッカケでおかしくなるのか。厄介でストレスな発作だ。
今とは違う生き方と言う、選択肢があったなら、少しはマシになれるのかもしれないが、“組合”に限ってそれは不可能な事だ。なら、どうすれば乗り越えられるのか。それを考える事すら面倒に思える。
戦場にいた頃は、絶対に死んでたまるかと、必死に戦い、ひたすら突っ走れたのに。日本に戻ってからは面倒事を避け、ひたすら空虚な時間を浪費していくだけの日々になった。生き残った事に何の意味があったのだろうか。
まるで本能や習性の様に、生き残る事を実行し続けているが、苦痛を長引かせているだけの様に思えた。それとも、これが報いだとでも言うのだろうか。
いっそ自分の無意味な人生に、ケリを着けてしまいたいと、愚かな考えが過る時だって頻繁だ。
そうは思っても、今は相棒を抱える身だ。勝手をする訳にもいかない。今はまだ決断を保留するしかなかった。
男神のが入り浸るパチンコ屋が見えて来た。敢えてそうしているのか、店の外装は古臭く、品性に欠けて俗っぽい。蓮夢の話ではレートも良く、評判の良い店だと言う。
男神を店の中には入れさせない。入店と同時に拳銃を突き付けて店の横の裏路地へ連れ込もう。そろそろやって来る頃だ。
店の中へ入って、手前にある自販機の辺りで波江野を待つ。店は割と繁盛していた。入り口前はマシな方だが、耳障りな騒音に包まれている。
入り口前でわざとぶつかって、拳銃を突き付ける。引退した腑抜けだ、言う通りに動くだろう。
待ち構えて数分。波江野の姿がガラス越しに見えた。タイミングを合わせて自動ドアが開き、男神が店へ一歩踏み出したところで正面に立ちはだかる。
「すみません、前を見てませんでした……」
拳銃をダウンジャケットに食い込ませた。男神は慌てる雰囲気もなく、老いぼれにしては中々に鋭い目で俺を睨み付けてきた。
「大人しくしろ、長生きしたいだろ?」
行けと促し、裏路地へ誘導する。波江野の足取りはしっかりしていた。尾行していた時までの腑抜けた老いぼれのそれではなくなっていた。
この状況で裏社会で生きていた頃の感覚でも呼び起こしたのだろうか。本質は変えられない。不意にそんな事を思った。
「テメェ、どこのモンだ?」
「お前等みたいな連中のお得意様だよ」
「まさか“組合”か?」
雑踏も小さく聞こえるぐらいの奥まった所で波江野は俺の正体を見破った。日本の裏社会でも、随分知れた名になったな“組合”も。まだ日本では三十年未満の歴史しかないのに。
波江野を壁際のガスタンクへ追い込み、銃口を眉間に向ける。飲食店から来るものだろうか、周囲が少し油臭かった。
「察しが良いな。ついでに色々と気前良く話してくれると、弾代も浮いて助かるんだがな」
「何が知りたい?」
肝が据わっている。組織のトップに立っていただけの事はあるとでも言っておこうか。この落ち着き様は、年相応の観念なのか。それとも安全が約束されている余裕からだろうか。周囲を警戒し男神の動向に集中力が高まる。
「海楼商事との繋がり、人身売買のシンジケートについて、その手の事で知ってる事全てだ」
海楼商事の名を聞いた男神の顔が一気に不快感を示した。思った通り、男神は荒神会を締め出される形で引退したらしい。
荒神会が密輸稼業で急成長したのは、男神がいなくなってからだ。その後の組織の動きをどこまで知っているか。
「悪いが何も知らん……」
男神のあっさりした回答に、沈黙で構えた。しらばっくれているのか、本当に何も知らないのか。そんな言葉で満足する訳ないだろと、態度で示した。
「荒神会は何時の間にか変わってしまった、全くの別物に……。昔はアニキと二人三脚で、それなりに港を仕切っていた。ベトナムにタイ、フィリピン。非正規品と多少の麻薬。堅気と大して変わらないぐらいの貿易事業でな。アニキが交通事故で死んで、俺が継いで間もない頃だ、海楼商事が近づいてきたのは」
知りたい事は知らずとも話す意思はあるらしい。老人の昔話と言ったところか。
亜細亜圏、四ヵ国もの密輸ルートを持っていたとは意外だった。荒神会は元々大きな組織であった事は間違いなさそうだ。
「海楼商事は自分達の密輸ルートを拡張する為に、荒神会の密輸ルートも吸収しようとした。亜細亜圏に強い荒神会は魅力的だった訳か」
「アイツ等は欧州方面に強かった。手を組めば、あらゆるルートからブツの売り買いできた。その為に港区全域を俺達のシマにした。その為に必要な金もコネも全て海楼商事がバックアップした。当時の俺は焦っていた。アニキの為にも、組織をデカくしようと必死だったのさ」
繋がった。蓮夢がここまで調べ上げて来た一連の情報との位置関係が。
しかし、迂闊な選択をしたものだ。どう考えても、組む相手が自分より大きければ大きい程、対等には程遠くなるのに。男神の今のザマは、軽率さ故の当然な結果だ。
「海楼商事のバックには何がいる? 何故攫われた人達が日本に留まっている?」
これ以上、当時の話なんかを聞いていても、得られるものはなさそうだ。男神の方は、まだ何か言いたげだったが、遮って問い詰めた。
「知るかよ! 俺は人身売買には反対したんだ! そうしたら奴等、若い衆を次々に買収しやがって挙句、他所者を組織に入れて、俺を締め出しんだ! ふざけやがって、俺とアニキの荒神会を……」
予想のつくお粗末なオチだった。男神にとって荒神会は大事な組織だったようだし、それ以上の思い入れの様なものも察した。しかしそれならば、なおの事、慎重になるべきじゃないかと言うのが俺の見解だった。
本当に大事なら、身の丈を理解してリスクを避け、持続する道を模索する。上に立つ人間ならば、冒険するべきじゃない。
“俺達の荒神会”その言葉で部下や仲間よりも、自分を優先したと言うのが見え透いている。同情の余地なんてない。
男神と視線が合う。卑屈な薄ら笑みを浮かべていた。
「お前等“組合”が興味を持っているとはな。攫った奴等は上等な“捨て駒”にでもするのか? 調教されて、お前みたいな捨て駒に……」
反射的に右の瞼がピクリと反応した。正直、感心したよ。どういう経緯でコイツが知っているかは分からないが“組合”に属する人間を、この俺を捨て駒と調教と言う適切な表現で表したのだから。
「何とでも言え。その捨て駒に頭を吹き飛ばされる老いぼれよりはマシだ」
銃口を男神の頭蓋骨に穴を開けるぐらいの強さで押し当てる。
逆上なんかしない。ここで怒るのもお門違いと言うものだ。男神の言っている事は何も間違っていない。だとしても――コイツは殺す。
「さっと殺せよ……。この国が歯止めなく壊れていく様を、ガキの頃から散々見て来た。野良犬だった俺の唯一の居場所が荒神会だ。人生賭けて積み上げたものも全て失った。今更命乞いする理由もねぇよ!」
「お前が生かされてるのは、強請りのネタがあるからだ! それをよこせ!」
「ふざけるな! 俺はなっ!」
引き金を引いてやろうかと思った次の瞬間、ベキッと言う不快な音と共に男神の首がへし折れた。白目を剥き、舌が飛び出し痙攣していた。
何が起きたかなんて理解は出来ないが、これは――攻撃を受けている。
全方向に警戒する拳銃を握る手が汗ばむ。どんな手段を使えば、こんなマネが出来ると言うのか。
高まる緊張が、飛んでいる蠅だって撃ち落とせる程の集中力を高めていくが、今はそれ以外に、不可解な状況を理解しようとする雑念が混じっていた。
敵は必ず何処かにいるんだ。それも近くだ。相手も俺の隙を伺っている筈だ。わざと隙を見せて誘き出す手もあるが、敵の攻撃方法が分からない現状ではリスクが高いが、硬直状態を抜ける為に行動した。この場を逃げる。
必ず敵は追って来る。その気配を逃すな。路地裏の更に奥の方へ速足で進んでいく。同業者だろうか、俺と同じ単独行動の殺し屋か。
背後から追って来る僅かな気配。遮蔽物のない狭い路地。こちらにもリスクがあるが、ここで仕掛ける。妙な手を使われる前に先手を打たなくては、男神の二の舞いになる。
タイミングを計り、相手の身体の位置をイメージして一気に振り向く。
そのまま一発撃ち込んで動きを止めれば、二発目を狙って終わりだ。何時もならそう思った時点で二発目を放っているが――今回は在り得ない事態に陥った。
身体が壁に貼り付いて二メートル程、浮かび上がった。
何なんだこれは。胴体を何かに掴まれている様な圧迫感がある。銃を持つ右手首に関しては、捻られて今にも折れそうな勢いだ。痛みに負けて、不覚にも拳銃を手放してしまう。
既に脳内はパニックに陥っていた。呼吸も動悸も乱れに乱れ、首から上が破裂しそうだった。それでも、長年の経験か癖か、今の状況を把握しろと促し、視線を周囲へ移動させた――正面に男が一人立っている。
ガスマスクの様なマスクで口を大きく覆っているが東南アジア系の顔。その目は覇気のない死んだ目をしていたが、その奥には眼力とも言える凄まじい集中力を放っていた。
しかし、正気かどうかも分からない雰囲気もある。話し合いが通じる余地はなさそうだった。
徐々に首の辺りに圧迫感が襲って来る。これは絞められているのだろうか、息ができない。ここに来てようやく、死を予感した。この状況はかなり不味い。
息が出来ない苦しい。今、俺が置かれている状況は何なんだ、まるで目に見えない空気に胴体と首筋を握られている様な、このクソみたいな状況は。
この原因は間違いなく目の前の男の仕業だ。この男をどうにかしなくては。
その男は俺に向けて手をかざしていた。何の為に、そう思った瞬時に、その両腕の位置に合点がいった。
仕組みは分からないが、奴は今、俺を掴んでいる――見えない何かで。
あの手付き、左手で俺の胴体を掴んでいるんだ。そして右手で首を絞めている。
馬鹿らしいが、そうとしか思えなかった。そうだとして、どうすればいい。
苦しさに負けて、在りもしない手に抗った。両手とも虚しく空を切るが、そこで気付けた――今は両腕を動かせると。
おそらくこの男は、最初は左手で俺の胴体を掴み上げ、右手で銃を持つ右手を封じたのだろう。
今の男の仕草、左手は変わらずそのままで、右手はまるで俺の首筋を掴んでいるかの様なポーズをしている。手を触れなくても、奴のイメージがそのまま俺に反映されている。
俺が今、封じられているのは胴体と首だ。――それ以外は動かせる。
両腕、両脚は自由が利く。それを認識た瞬間に、左足首のアンクルホルスターを右手に寄せて“G型二六式拳銃”を取り出す。
男がその動きにハッとした次の瞬間には、二発で仕留めた。
その二発は鼻先と眉間を貫いた。ワンテンポ遅れて拘束から解放された。こっちも膝から崩れて咽返る。それでも必死に酸素を全身へ取り込んだ。
まだ頭は混乱していた。前のめりに倒れている死体の頭から溢れ出る、どす黒い血が地面に付く左手にまで流れて来た。身動きの取れない今は、その耐え難い嫌悪感に触れざるを得なかった。生温かさに吐き気を覚える。
一体、何だったんだ。その疑問が渦巻いては押し寄せて、身体を満たしていく様な感覚に陥る。
いや違う、今この身体を満たしいるのは疑問じゃない。――恐怖だった。
時に死を望んでいる筈なのに、俺はそれを拒んだ。死にたくても死ねない、その性に俺は戦慄していた。この苦痛に終わりはない。
“エリアF”か。此処へ来るのは、おそらく三年振りくらいだろうか。あの時は“組合”と対立関係にあったロシアの大物を暗殺する任務だった。現地で追い詰められ、日本に隠れていた所を俺が仕留めた。それなりにいた護衛を退いて、喉仏と右目に一発づつ。お零れにあやかる様な、他愛もない任務だった。
モノレールから見える太平洋と、それを遮る半球の石棺を眺めながら、その時の事を思い出していた。それぐらいしか思い出す事もないが、余計なのは殺した人間の顔まで鮮明に思い出してしまうところか。
まるで白昼夢だ。それも悪い夢なのかフラッシュバックなのかも分からない。そして、こんなイカれた状況も長年慢性的に続いていれば、平常を装える様になれるのだから益々イカれている。
最近になって医者の厄介になり薬を使う様になったが、大した効果もない。誰にも言えないが、年々酷くなっていく。
過去を思い出すのはこれで位にして、今日の事を考えよう。
今回の標的も当然、二発で仕留める予定だ。車両の端にある優先席を陣取っている老いぼれに目線をそれとなく移す。
荒神会の副会長、男神斗稀(オガミトウキ)。今年で七十になるそうだ。
数年前に荒神会を引退して、今は隠居生活を送っていた。ほぼ毎日、高級住宅街からこのモノレールを使い、隣町のパチンコ店で半日以上を浪費していると、ここまでが“組合”の情報だった。
その後、蓮夢が自主的に調べてくれた情報では、今の男神は家族もいない一人暮らし、荒神会からの定期的な仕送りが唯一の収入源で、隣町のパチンコ屋は荒神会の下請けヤクザの経営。波江野は優遇されているそうだ。わざわざ隣町まで行くのも納得できるが、荒神会ほどの大きな組織を仕切っていた者の老後のルーティンにしては、随分とシケた印象だ。
服装もブランド物だが、だらしないジャージとダウンジャケット。特にこれと言った理由はないが、苛付く男だった。
蓮夢の推理では荒神会に対して、何か弱みでも握っているのではないと言う。元副会長とは言え、結構な額の送金記録だった。それが本当なら、見た目に反して相当強かとも言えるが。
次の駅で降りる。パチンコ屋に入る前に捕らえて情報を聞き出そう。荒神会と海楼商事との繋がりの度合いや、具体的な組織図ぐらいは知っている筈だ。
アクアセンタービルを攻略する上では、直接役に立つものはなさそうだが、蓮夢が気にかけている事の中に、港区での密輸再開がある。その事についても何か情報が得られるかも知れないし、海楼商事が海外にどれだけのコネクションを持っているのか。それが少しでもわかれば、今後に役立つ。
海楼商事だけでも充分大物だが、奴等を倒して全て解決とはいかないだろう。
蓮夢が想定しないとも思えないが、海楼商事へのいかなる攻撃も、いずれは海の向こうにいる、もっと強大な悪意を日本へ招き入れる結果になるだろう。
それとも、先の事なんて知った事じゃないとでも思っているのだろうか。蓮夢の目的は人助けだ。
蓮夢は頑なにクライアントの事を話そうとしないが、間違いなくクライアントに関係する人物の救出が最終目標だ。各国で攫われた人々が何処にいるか、それを突き止めて、更にその先にまで行こうとしている。身の丈を遥かに超えていた。
そうなれば、血生臭い修羅場は避けられないだろうに、俺を当てにしている風でもなかった。元々、俺と組んでいる現状は蓮夢にとっても想定外なのもある。
攫われた人達がどんな状況で捕らえられているのかは分からないが、二、三人を監禁してるとは思えない。それなりに大きな施設だと思われる。
蓮夢が施設のシステムにハッキングしてコントロール下に置ければ、有利に事を進められるだろうか。
“組合”を抜きで――手伝ってやってもいい。今は、それぐらいの心情にはなっていた。
アイツの心の内なんて分かりはしないが、蓮夢みたいな人間は報われるべきだ。
そう思える様になったのは、同情も多少なり含まれいるが、仕事振りは小器用で頭も切れるのに、総合的に見て不器用な生き方。それでも直向きに良心と向き合う姿に俺は魅力を抱き始めていた。色眼鏡が少しづつ薄れてきたのかも知れない。
それなのに、一体何が気に入らなかったのか、久し振りに怒らせてしまった。
処構わず私情が入り込むのはアイツの悪いところだ。ハッキリと線引きをしてもらいたいものだ。
そんな“複雑な相棒”の事を考えているとモノレールが停車した。男神もそそくさと降りていく、老いぼれの足取りだ、こちらものんびり尾行させてもらおう。
モールと連結され、テナントが犇めく大きな駅だった。予想以上の人混みに眩暈どころか、吐き気すら込み上げてきた。
全て気のせいだと自分に言い聞かせていた。誰も俺の事は見ていない、在りもしない敵意や殺気を探るなと。胸ポケットから真っ黒なサングラスを取り出して、視界を覆う。こうすると気が楽になった。自分の周囲へ飛び回る視線は相手に悟られる事はない。隠れている様な気分になれた。
目的地は分かっている、波江野を視界から外してパチンコ屋方面の出入り口へ向かった。パチンコ屋の周辺も、駅内も大通りも頭に叩き込んでいた。一先ず呼吸と吐き気を落ち着かせないと。
大丈夫だ、何時もの事だ。身体も頭も思う様に噛み合わない事があっても、土壇場ではしっかり働いてくれるし、集中力も昔と変わっていない。
駅の外へ出たが、やはり外も人で賑わっている。大通りを避けて人気の少ない路地を選び、足早に移動した。徐々に落ち着いてくる。まったく、何時何がキッカケでおかしくなるのか。厄介でストレスな発作だ。
今とは違う生き方と言う、選択肢があったなら、少しはマシになれるのかもしれないが、“組合”に限ってそれは不可能な事だ。なら、どうすれば乗り越えられるのか。それを考える事すら面倒に思える。
戦場にいた頃は、絶対に死んでたまるかと、必死に戦い、ひたすら突っ走れたのに。日本に戻ってからは面倒事を避け、ひたすら空虚な時間を浪費していくだけの日々になった。生き残った事に何の意味があったのだろうか。
まるで本能や習性の様に、生き残る事を実行し続けているが、苦痛を長引かせているだけの様に思えた。それとも、これが報いだとでも言うのだろうか。
いっそ自分の無意味な人生に、ケリを着けてしまいたいと、愚かな考えが過る時だって頻繁だ。
そうは思っても、今は相棒を抱える身だ。勝手をする訳にもいかない。今はまだ決断を保留するしかなかった。
男神のが入り浸るパチンコ屋が見えて来た。敢えてそうしているのか、店の外装は古臭く、品性に欠けて俗っぽい。蓮夢の話ではレートも良く、評判の良い店だと言う。
男神を店の中には入れさせない。入店と同時に拳銃を突き付けて店の横の裏路地へ連れ込もう。そろそろやって来る頃だ。
店の中へ入って、手前にある自販機の辺りで波江野を待つ。店は割と繁盛していた。入り口前はマシな方だが、耳障りな騒音に包まれている。
入り口前でわざとぶつかって、拳銃を突き付ける。引退した腑抜けだ、言う通りに動くだろう。
待ち構えて数分。波江野の姿がガラス越しに見えた。タイミングを合わせて自動ドアが開き、男神が店へ一歩踏み出したところで正面に立ちはだかる。
「すみません、前を見てませんでした……」
拳銃をダウンジャケットに食い込ませた。男神は慌てる雰囲気もなく、老いぼれにしては中々に鋭い目で俺を睨み付けてきた。
「大人しくしろ、長生きしたいだろ?」
行けと促し、裏路地へ誘導する。波江野の足取りはしっかりしていた。尾行していた時までの腑抜けた老いぼれのそれではなくなっていた。
この状況で裏社会で生きていた頃の感覚でも呼び起こしたのだろうか。本質は変えられない。不意にそんな事を思った。
「テメェ、どこのモンだ?」
「お前等みたいな連中のお得意様だよ」
「まさか“組合”か?」
雑踏も小さく聞こえるぐらいの奥まった所で波江野は俺の正体を見破った。日本の裏社会でも、随分知れた名になったな“組合”も。まだ日本では三十年未満の歴史しかないのに。
波江野を壁際のガスタンクへ追い込み、銃口を眉間に向ける。飲食店から来るものだろうか、周囲が少し油臭かった。
「察しが良いな。ついでに色々と気前良く話してくれると、弾代も浮いて助かるんだがな」
「何が知りたい?」
肝が据わっている。組織のトップに立っていただけの事はあるとでも言っておこうか。この落ち着き様は、年相応の観念なのか。それとも安全が約束されている余裕からだろうか。周囲を警戒し男神の動向に集中力が高まる。
「海楼商事との繋がり、人身売買のシンジケートについて、その手の事で知ってる事全てだ」
海楼商事の名を聞いた男神の顔が一気に不快感を示した。思った通り、男神は荒神会を締め出される形で引退したらしい。
荒神会が密輸稼業で急成長したのは、男神がいなくなってからだ。その後の組織の動きをどこまで知っているか。
「悪いが何も知らん……」
男神のあっさりした回答に、沈黙で構えた。しらばっくれているのか、本当に何も知らないのか。そんな言葉で満足する訳ないだろと、態度で示した。
「荒神会は何時の間にか変わってしまった、全くの別物に……。昔はアニキと二人三脚で、それなりに港を仕切っていた。ベトナムにタイ、フィリピン。非正規品と多少の麻薬。堅気と大して変わらないぐらいの貿易事業でな。アニキが交通事故で死んで、俺が継いで間もない頃だ、海楼商事が近づいてきたのは」
知りたい事は知らずとも話す意思はあるらしい。老人の昔話と言ったところか。
亜細亜圏、四ヵ国もの密輸ルートを持っていたとは意外だった。荒神会は元々大きな組織であった事は間違いなさそうだ。
「海楼商事は自分達の密輸ルートを拡張する為に、荒神会の密輸ルートも吸収しようとした。亜細亜圏に強い荒神会は魅力的だった訳か」
「アイツ等は欧州方面に強かった。手を組めば、あらゆるルートからブツの売り買いできた。その為に港区全域を俺達のシマにした。その為に必要な金もコネも全て海楼商事がバックアップした。当時の俺は焦っていた。アニキの為にも、組織をデカくしようと必死だったのさ」
繋がった。蓮夢がここまで調べ上げて来た一連の情報との位置関係が。
しかし、迂闊な選択をしたものだ。どう考えても、組む相手が自分より大きければ大きい程、対等には程遠くなるのに。男神の今のザマは、軽率さ故の当然な結果だ。
「海楼商事のバックには何がいる? 何故攫われた人達が日本に留まっている?」
これ以上、当時の話なんかを聞いていても、得られるものはなさそうだ。男神の方は、まだ何か言いたげだったが、遮って問い詰めた。
「知るかよ! 俺は人身売買には反対したんだ! そうしたら奴等、若い衆を次々に買収しやがって挙句、他所者を組織に入れて、俺を締め出しんだ! ふざけやがって、俺とアニキの荒神会を……」
予想のつくお粗末なオチだった。男神にとって荒神会は大事な組織だったようだし、それ以上の思い入れの様なものも察した。しかしそれならば、なおの事、慎重になるべきじゃないかと言うのが俺の見解だった。
本当に大事なら、身の丈を理解してリスクを避け、持続する道を模索する。上に立つ人間ならば、冒険するべきじゃない。
“俺達の荒神会”その言葉で部下や仲間よりも、自分を優先したと言うのが見え透いている。同情の余地なんてない。
男神と視線が合う。卑屈な薄ら笑みを浮かべていた。
「お前等“組合”が興味を持っているとはな。攫った奴等は上等な“捨て駒”にでもするのか? 調教されて、お前みたいな捨て駒に……」
反射的に右の瞼がピクリと反応した。正直、感心したよ。どういう経緯でコイツが知っているかは分からないが“組合”に属する人間を、この俺を捨て駒と調教と言う適切な表現で表したのだから。
「何とでも言え。その捨て駒に頭を吹き飛ばされる老いぼれよりはマシだ」
銃口を男神の頭蓋骨に穴を開けるぐらいの強さで押し当てる。
逆上なんかしない。ここで怒るのもお門違いと言うものだ。男神の言っている事は何も間違っていない。だとしても――コイツは殺す。
「さっと殺せよ……。この国が歯止めなく壊れていく様を、ガキの頃から散々見て来た。野良犬だった俺の唯一の居場所が荒神会だ。人生賭けて積み上げたものも全て失った。今更命乞いする理由もねぇよ!」
「お前が生かされてるのは、強請りのネタがあるからだ! それをよこせ!」
「ふざけるな! 俺はなっ!」
引き金を引いてやろうかと思った次の瞬間、ベキッと言う不快な音と共に男神の首がへし折れた。白目を剥き、舌が飛び出し痙攣していた。
何が起きたかなんて理解は出来ないが、これは――攻撃を受けている。
全方向に警戒する拳銃を握る手が汗ばむ。どんな手段を使えば、こんなマネが出来ると言うのか。
高まる緊張が、飛んでいる蠅だって撃ち落とせる程の集中力を高めていくが、今はそれ以外に、不可解な状況を理解しようとする雑念が混じっていた。
敵は必ず何処かにいるんだ。それも近くだ。相手も俺の隙を伺っている筈だ。わざと隙を見せて誘き出す手もあるが、敵の攻撃方法が分からない現状ではリスクが高いが、硬直状態を抜ける為に行動した。この場を逃げる。
必ず敵は追って来る。その気配を逃すな。路地裏の更に奥の方へ速足で進んでいく。同業者だろうか、俺と同じ単独行動の殺し屋か。
背後から追って来る僅かな気配。遮蔽物のない狭い路地。こちらにもリスクがあるが、ここで仕掛ける。妙な手を使われる前に先手を打たなくては、男神の二の舞いになる。
タイミングを計り、相手の身体の位置をイメージして一気に振り向く。
そのまま一発撃ち込んで動きを止めれば、二発目を狙って終わりだ。何時もならそう思った時点で二発目を放っているが――今回は在り得ない事態に陥った。
身体が壁に貼り付いて二メートル程、浮かび上がった。
何なんだこれは。胴体を何かに掴まれている様な圧迫感がある。銃を持つ右手首に関しては、捻られて今にも折れそうな勢いだ。痛みに負けて、不覚にも拳銃を手放してしまう。
既に脳内はパニックに陥っていた。呼吸も動悸も乱れに乱れ、首から上が破裂しそうだった。それでも、長年の経験か癖か、今の状況を把握しろと促し、視線を周囲へ移動させた――正面に男が一人立っている。
ガスマスクの様なマスクで口を大きく覆っているが東南アジア系の顔。その目は覇気のない死んだ目をしていたが、その奥には眼力とも言える凄まじい集中力を放っていた。
しかし、正気かどうかも分からない雰囲気もある。話し合いが通じる余地はなさそうだった。
徐々に首の辺りに圧迫感が襲って来る。これは絞められているのだろうか、息ができない。ここに来てようやく、死を予感した。この状況はかなり不味い。
息が出来ない苦しい。今、俺が置かれている状況は何なんだ、まるで目に見えない空気に胴体と首筋を握られている様な、このクソみたいな状況は。
この原因は間違いなく目の前の男の仕業だ。この男をどうにかしなくては。
その男は俺に向けて手をかざしていた。何の為に、そう思った瞬時に、その両腕の位置に合点がいった。
仕組みは分からないが、奴は今、俺を掴んでいる――見えない何かで。
あの手付き、左手で俺の胴体を掴んでいるんだ。そして右手で首を絞めている。
馬鹿らしいが、そうとしか思えなかった。そうだとして、どうすればいい。
苦しさに負けて、在りもしない手に抗った。両手とも虚しく空を切るが、そこで気付けた――今は両腕を動かせると。
おそらくこの男は、最初は左手で俺の胴体を掴み上げ、右手で銃を持つ右手を封じたのだろう。
今の男の仕草、左手は変わらずそのままで、右手はまるで俺の首筋を掴んでいるかの様なポーズをしている。手を触れなくても、奴のイメージがそのまま俺に反映されている。
俺が今、封じられているのは胴体と首だ。――それ以外は動かせる。
両腕、両脚は自由が利く。それを認識た瞬間に、左足首のアンクルホルスターを右手に寄せて“G型二六式拳銃”を取り出す。
男がその動きにハッとした次の瞬間には、二発で仕留めた。
その二発は鼻先と眉間を貫いた。ワンテンポ遅れて拘束から解放された。こっちも膝から崩れて咽返る。それでも必死に酸素を全身へ取り込んだ。
まだ頭は混乱していた。前のめりに倒れている死体の頭から溢れ出る、どす黒い血が地面に付く左手にまで流れて来た。身動きの取れない今は、その耐え難い嫌悪感に触れざるを得なかった。生温かさに吐き気を覚える。
一体、何だったんだ。その疑問が渦巻いては押し寄せて、身体を満たしていく様な感覚に陥る。
いや違う、今この身体を満たしいるのは疑問じゃない。――恐怖だった。
時に死を望んでいる筈なのに、俺はそれを拒んだ。死にたくても死ねない、その性に俺は戦慄していた。この苦痛に終わりはない。