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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
2.― KOGA LIU ―
2.― KOGA LIU ―
 おっと、資材を運ぶドローンの風に身体を流される。五階建て二〇メートルのビルに五〇センチの踏板だ、中々スリルがあった。安全第一、会社の決まり事ではあるが、こう言う入り組んだ足場を見てると無性に駆け上がりたくなる。
 このビルには漁業組合と貿易管理局が入るそうだ。近場には市場も設け、港区を管理する拠点となる。人と企業の出入りをスムーズにして、犯罪組織が幅を利かせられない様にする狙いがあった。
 市にとって悩みの種だった海外の犯罪組織や、その傘下にあったギャングの類いも俺と言う荒療治のお陰で減りつつある。
 後に残っている大物は荒神会のみ、あと一息と言うところまで辿り着いたと言うのに、その荒神会のバックにいる黒幕の圧力によって、賛同する企業や組織が撤退してしまった。
 この拠点が出来たところで味方がいなければ効果は薄いが、この建設会社の先代と言うのが、市のお得意さんらしく、ここの建設作業だけは継続していた。まさに要である。
 噂では荒神会の息のかかった連中が因縁をつけてきて、幾つかトラブルを起こしているそうだ。それが俺には丁度良かった。
 九尾の黒狐に正体を掴まれ、役所には近づきたくなかった上に、しばらく港区の監視が中心になるので、ここは丁度いい隠れ蓑になっていた。
 割と気に入っている。力仕事だが、椅子に座ってパソコンをいじり、黙々と備品管理をして、呆けるよりは充実感があった。

『おい! ハラダ! 社長が呼んでるってよ。下行けるか?』

 レシーバーから鬱陶しい大声が舞い込んでくる。そう言えば、タイミングが合わず社長さんにはまだ会えてなかったな。
 “飯豊テック”の飯豊雄也。若干二十歳で会社を継いだやり手の二代目だった。
 俺の一個上で今は二十五歳だった。大したものだ、その若さで社長とは。大きな会社じゃないが、俺には到底真似できない。
 一気に下りてしまいたいところだが、安全第一、規則に従った手順で足場を下りていく。
 下に降りると、現場監督の菅原さんと、外車を背にした如何にもな風貌な男が立っていた。ネイビーのスーツをラフに着こなしていた。仕事柄もあり体格もガッシリしていた。
 少々、強面ではあるが、表情は明るく気さくな雰囲気で握手を差し出された。軍手を取り、気休め程度に手の汚れを落として握手に応える。

「ハラダ君だろ? 悪いね、入って早々現場入りしてもらって。履歴書見たけどあっちこっちで仕事してたみたいだね、即戦力はありがたいよ」

 たかが働き手一人に大袈裟な気もするが両手でしっかりと握手を交わした。
 当然、偽物の履歴書である。今時、確認を取る様な会社も企業もない。非効率な通過儀礼の様なものだ。
 高卒から、幾つかの建設会社や派遣会社を転々とした経歴を持つのが“ハラダ”の設定である。
 資格の類いはないので重機は使えない、力仕事なら経験もあるからお任せあれと言った、若い労働者だ。

「こちらこそ助かります。直ぐにでも働きたかったので、迷惑かけない様、一生懸命やりますんで、よろしくお願いします」

「堅い、堅い! もっと肩の力抜いてけよ。こちらこそよろしくな。俺も時々現場入りするから。社長だなんて言っても、俺もまだまだ勉強中だし、みんなに助けてもらいながらやってるんだ。この仕事は市長さんから期待されてるものだから、しっかりやってこう」

 さっぱりしていて、好感の持てる男だった。歳も近いせいなのか、俺もその好意を素直に受け入れられた。

「ありがとうございます! 飯豊社長」

「あ、それNG。社長って言うのはなしだ。名前で呼んでくれていいから。気が重くなるんだ、社長って響きがさ」

 すぐに伝わった。社長と言う言葉を聞いた瞬間に、右目がピクリと反応した。表情こそ抑えているが不快感を抱いている様だった。
 若くして上に立つ者の重圧と言ったところか。それなりにストレスは抱えているらしい。

「ああ、気を付けます。雄也、さん……」

「そうそう、そんな感じでよろしく頼む。にしても凄い筋肉だな、バッキバキじゃないか。なんかやってるの?」

 雄也が両手で肩や腕、大胸筋部分に触れ、マッサージする様に揉んできた。
 別にどうと言う訳ではないが、触りすぎじゃないか。程度には思った。まあ、役所でもおば様方に時々触られる事もあって、慣れているが。

「まぁ……筋トレを日課にしたり、たまにジムでボルダリングとか」

 勿論、それだけじゃなく、甲賀の秘薬も一役買っている。子供の頃からその為の身体作りも徹底してた。国の混乱と共に、忍者に求められるものも膨れ上がってきて、もう俺達ぐらいの世代は特に鍛え上げられていた。
 現代科学との融合、合理化と効率化によって、現代の忍者はおそらくどの時代よりも高い身体能力を獲得している事は間違いないだろう。

「ボルダリングか! 俺もやってるんだ、今度勝負しようか?」

「是非、お願いします」

 社交辞令であってもらいたいものだ。雄也はいい人である事は間違いなさそうだが、あまりガヤガヤとした人付き合いは苦手だ。
 もし、勝負するなら、さり気なく負けたりするのが筋なのだろうか。やはり面倒だな。

「随分、ご機嫌じゃないですか雄也さん。なんかいい事でも?」

「最近、シザクラでお目当てのを捕まえる事が出来る様になってな、お陰でリフレッシュしてるワケ!」

 新入りと社長の挨拶が一通り終わると、菅原さんが雄也と話し始めた。菅原さんまで雄也の事を社長と呼ばないのなら、本当に社長と言う呼び方はNGらしい。
 それにしても気になるのは“シザクラ”と言う言葉だった。――輝紫桜町を意味する隠語だ。紫桜。

「かぁ! 若いねぇ! でも程々にしてくださいよ」
 
 どうやら下衆な会話になりそうだった。モテそうな容姿だし、羽振りも良いのだろう。プライベートな話だし興味もないが、入れ込んでる女でもいるだろう。

「ハラダ、お前昼まだだろ? 言って来いよ」

「すみません、休憩頂きます。失礼します」

 助け船だな、雄也に一礼してその場を後にする。氷野さんが信頼してるだけあって、雄也の人柄も含めて悪くない所の様だ。だからこそ、守らなくてはならない。
 一先ず、ここを拠点に港区を監視していく。今後、氷野さんがどう動くかに関わらず、この建物は無事に完成させてもらわないと。人の出入りを増やし、正規品の流通を増やせば、密輸を追いやる事が出来る。その最初の要だ。
 プレハブには同じく休憩している連中がいるが、今日は一人で食べたい気分だった。プレハブには近寄らず、歩いて数分のコンビニへ向かう。
 入って間もない事もあって、出来るだけコミュニケーションを取る様に努めているが、肉体労働よりも遥かに疲れた。どうしても独りになりたい時がやってくる。
 こう言う潜入の際には、円滑なコミュニケーションを取り、紛れ込む為の術は学んではいるが、どうにも苦手だった。
 人嫌いと言う訳ではないにせよ、俺の人間不信は相当根深いらしい。子供の頃に受けた傷は一生物だ。
 風除け室が付いたコンビニの二重扉を開き、昼時の店内へ入ると、同じ様な格好の連中が多く利用していた。
 取り敢えず、腹持ちの良さそうな弁当を適当に選んで早々に会計を済ませた。コンビニの商品をゆっくり眺めていると、あれもこれもと目移りしてしまうし、余計に腹が減る。
 出入口を出て、建物の横にある駐輪スペースに腰掛ける。さっさと食べてしまって仕事を片付けてしまおう。
 割り箸を割ろうとしたタイミングで、お茶を買い忘れてしまった事に気付く。もう面倒だった。

「お疲れ様」

「おう……」

 買い忘れたペットボトルお茶を差し出され、受け取った。ホットなのがありがたい。と、差し出した相手の顔を認識していながら、当たり前の様に受け取ってしまった。
 欲しい物が手に入って満たされる気分と、奇襲に身構え強張る筋肉、状況を把握しようと回り始める思考。それらが凄まじい速さで混ざり合い、全身を駆け巡って展開されていく。結果として身体を大きくのけ反らせ、お茶を放ってしまう。弁当
は蓋のお陰でどうにかぶち撒けずに済んだが、中身は修羅の庭と化していた。
 何故、コイツが此処にいるんだ。――九尾の黒狐。
 間抜けな俺の様を見て、堪らず噴き出して大笑いをしていた。

「なにそれ、漫画みたいな反応! ちょっと、おもしろ過ぎる!」

 腹を抱える様に大笑いをしている。自分の無様さを取り繕う余裕もなく、動悸の乱れを整える事に集中していた。全く、格好がつかない。
 ブルーのハーフコートを羽織り、背中まである髪は根元と先の二か所を髪留めでまとめている。年相応の屈託のない笑顔を見せていた。あの重々しい漆黒の化物には程多い、普通の少女の雰囲気。そのギャップのせいか、笑われている事への怒りを抱く気も失せていた。

「黒狐……」

「今は、只のユーチェンよ。今日は丸腰。ま、やろうと思えば……」

 ユーチェンは当たり前の様に隣に座り込むと、放り投げて転がっているペットボトルの方に右手をかざす。ペットボトルがスクッと立ち上り、ふわりゆらりと浮かび上がって目の前にやって来た。
 こうして改めて念動力をまじかに見ると、実に摩訶不思議な力に感じた。

「やれなくはないけどね」

 ペットボトルのキャップが素早く回転して外れた。横目に見るユーチェンは早く受け取れと言う顔をしていた。
 ペットボトルのお茶を受け取り、一先ず頂く事にした。
 今日は本当に戦う気はないらしい。前回は口じゃ穏やかな話をしていても、薄っすらと張り詰めた殺気を常に感じたものだ。この状況と、これぐらいの気配ならば会話もし易い。

「どうして此処が?」

「あの建設現場、市長さんが特に力を入れている施設なんでしょ? 漁業組合と貿易管理局。それに自警団の駐屯地にもするなんて噂もある。犯罪組織への抑止力になる大事な施設で数日前に起きた、派手なボヤ騒ぎ……公僕の忍者であるアンタが警戒してるんじゃないかと踏んだのよ。大当たりだった様だ」

 前回、ユーチェンが俺の忍び装束に仕掛けた発信機は、外さずに敢えて付けたままにしている。俺の動きを見せてやれば、黒狐の行動パターンは限られてこちらとしても読み易い。それが吉と出るか凶と出るか。
 次にまた会うとすれば、今まで通り闇夜の中でお互いに本来の姿でとばかり思っていたが、予想外の再会になった。
 大した推理力だ。こちらの立場と、港区の状況と情報を照らし合わせて割り出した言う訳か。

「私、諦めないから。刃に切り裂かれ、猛毒を流されても絶対に……」

 緩んでいた口元をキュッと結び、真っ直ぐこちらを見ていた。先程の年相応さは失せ、とても強い目をしていた。
 容易の想像できた。あの黒と赤の狐の面の中で、この目が殺気を放っているのだろうと。

「攫われた人達の中にお前の身内がいるのか?」

 ユーチェンの視線が僅かに泳いだ。やはりそう言う事か。

「生きてると言う確証は……」

「生きてる……でなきゃ、私はこんな生き方してない」

 漠然としていて説得力がないが、ユーチェンの言葉からはおびただしい程の、悔恨と執着、或いは信念か。そんな感情が情念の如く燃え上っている様な気がした。
 普通の少女なんかじゃない。理由や動機は何であれ、ユーチェンは修羅道を行く者だ。今日に至るまでの道のりが、壮絶なものであったと物語っている。

「俺の主君は、信念の人だ。アウトローを容認する様な人じゃない、この街がお前に牙を剥くぞ。そして、その牙は俺だけじゃない」

「お前はどうなんだ? 鵜飼……」

 目の前に立つユーチェンの目は真っ直ぐでいて、隙がない。俺が敵か味方か、或いは中立か。その推移を見定め様としていた。

「俺の認識か、お前はアウトローだ。でも悪人じゃない……」

 今は俺の責任の下、黒狐の一味を泳がせる体になっているが、先の見えない綱渡りの様な状況だ。
 港区の監視をしながら諜報活動の中で大きな一手を繰り出せる時、間違いなく黒狐と俺は接触する事になるだろう。

「この街の全てが敵になるとしても、私は突き進むしかない。アウトローの道を……」

 あれだけ俺にこっぴどくやられたにも拘らず、ユーチェンは挑発にも思える様な薄ら笑みを浮かべてみせた。俺が良く使うアウトローと言う言葉を引用して。
 それにしても、今までの黒狐とはまるで別人の様な余裕の見せ様だ。それまでは焦燥感や警戒心を、感情を剥き出しにして荒ぶる事で覆い隠していたと言うのに。
 この短期間で一皮剝けて成長したとでも言うのだろうか。益々、油断ならない存在になりそうだ。

「なら、もう少し隙を減らす事だ。大振りな技ばかりで守りも疎か……その手足は飾りじゃないだろ? もっとコンパクトに動くんだ。ナイフの一本でも持ってたらどうだ?」

 餞別代りのアドバイスを送ってやった。九つの念動力に頼り過ぎず、心技一体を心がければ、ユーチェンには常人には到達できない領域の強さを獲得できる筈だ。そうなった時は、流石の俺でも戦いたくない脅威となるだろう。
 今はお互い距離を保ち合って、動いておいた方がいい。俺も余計な報告をせずに済む。そうなると――鷹野の動向も気になる所だが。
 鷹野も独自の情報網を持っている。あいつはあいつで黒狐を監視するだろう。その時、俺の立ち位置はどうなるか。敵か味方か、中立は許されない。

「考えておく……」

 ユーチェンは静かに答えると、立ち上がって数歩前に出る。潮風が彼女の黒い後ろ髪が靡かせていた。

「一つ忠告。今後、荒神会にちょっかいを出さない方が良い。今度連中を警戒させたら、何もかも闇に消える。今は泳がせておいて方が吉よ」

「するとどうなる?」

「私のコネクションが有意義な情報を手に入れられる。約束してくれるなら、その情報を提供してあげてもいい」

 お互い釘の刺し合いだな。余計な事をするなと言ったところか。
 荒神会が唯一の糸口と言うのも厄介だ。とは言え、荒神会からはこれ以上、情報は得られない様な気もする。幹部や会長クラスを締め上げない限りは。
 それをやれば、またトカゲの尻尾切りだ。リスクが大きい。
 港区に点在する大小様々な密輸業者共の動きに目を向けておくしかない。その手の連中のバックには大陸の大手マフィアが親玉だったりする。その辺の繋がりを洗ってみよう考えていた。

「なら俺からも忠告してやる。港区の倉庫街方面は幾つもの密輸業者が点在している。そいつ等の中には、お前の標的と繋がっている連中もいるかもしれない。下手に刺激せず、やるなら慎重にやれよ」

 これもリスキーな選択だ。港区倉庫街、密輸業者の巣窟だが、対立関係の組織も多い上に、強盗団が常に密輸品を狙っている無法地帯だ。多少の混乱は大して目立たないかも知れないが、荒神会同様に黒幕の警戒心を高める可能性は否定できない。
 しかし、俺は期待している。黒狐が引っ掻き回す事で――逆に炙り出せるのではないかと。
 停滞気味だ。氷野さん達には提案は出来ないが、イチかバチかって賭けでもしないと、身動きが取れないのが現状だ。

「倉庫街か……今後、私とアンタが遭遇した事はどうする? 私はこれ以上、お前との戦闘は避けたいってのが本音なんだけど」

 妥協案だ。協力し合わないにしても、互いの存在を識別して干渉を避け合うと言う妥協案。
 初動の過ちは不可抗力なところもあるが、それが原因で敵に体勢を整える猶予を与えてしまった事は事実だ。俺と黒狐には、もう無駄な事をする余裕はない。

「そうだな、戦闘は避けるべきだ……互いに時間の浪費になる。だが俺は、主君の命とあれば何時でも、何度でもお前と戦う。それは忘れるな」

 この言葉は誰に向けて放った言葉だろうか。奪われた家族を取り戻す為に、蛇蝎のごとくアウトローの道を行く黒狐のユーチェンへか。それとも、良心を押し殺して主君の正義を貫かんとする己に向けてか。今回の任務はかつてなかった程に俺を葛藤させている。忠義と信念だけで片付けるには複雑な人間の感情が交差している気がしてならない。
 全く面倒な話だ。乱破な忍者で在ればいいものを。心が乱れれば乱れる程――非情がが薄れていく。 

「でしょうね。でも、そんな事にはならない……」

「何故、言い切れる?」

 睨む俺の目を屈んで見据えるユーチェンの目は冷静その物で、見透かす様な雰囲気は鼻持ちならなかった。

「アンタは公僕のクソ野郎だ。でも悪人じゃない……」

 ユーチェンは静かにその場を後にした。悪人ではない、か。かと言ってお互い善人と呼べるかどうかも怪しいものだが。
 ふとユーチェンが手にぶら下げていた買い物袋に目が行った。遠目に見ても弁当類の容器が重なっているのが分かる。――黒狐にはどれだけの仲間がいるのか。
 俺も黒狐も迂闊に動けないもどかしい状況が続く中で、静かに行動して監視し合う事になりそうだ。
 まさに狐憑きだな。吉と出るか凶と出るか、秩序では通用しない敵を前に――毒が回り始めてる。
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