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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
1.― DOUBLE KILLER ―
第四章
1.― DOUBLE KILLER ―
「はぁ、腹減ったなぁ……」

 “複雑な相棒”蓮夢は頬杖をつきながら、この場において、最も似つかわしくない言葉をボソリと呟く。
 アクアセンタービルの吹き抜け三階にあるレストラン。もうじき十五時を過ぎようと言うのに、利用客が絶えなかった。蓮夢はそれを眺めている。
 俺は視線をその反対、ビルの左右にあるエレベーターを眺めた。蓮夢の話では三つ並んでいるエレベーターが、二十二階まで自由に利用できるエレベーター。その反対側の二つ並びのエレベーターが、海楼商事専用のエレベーター。一階から二十
三階以降へ昇れる。関係者以外は利用できない海楼商事のテリトリー。
 あそこをこじ開けて上へ昇らない事には、目的は果たせない。蓮夢は詳細を話そうとはしないが、その為の“鍵”を手に入れようとしているらしい。地道な作業で俺に手伝える事は特にないそうだ。

「別に俺に合わせなくてもいいのに、鉄志さんは食いたい物食えばいいじゃん」

 お互いサラダとトニックウォーター。腹は膨れない。店に入って蓮夢はメニューも見ずに注文したのを俺も付き合っただけだ。
 夜に仕事がある日の蓮夢は、ほとんど食事をとらない。逆に仕事がない日だと積極的に飯に誘ってくる上によく食べる。分かり易い。

「思っていた以上に一般人の出入りが激しいな……」

「一階はロビー、二階はセレクトショップにスポーツジム。三階はレストランが数店舗。中央区のビジネス街でも、特に解放的で洗練された施設がアクアセンタービルって訳さ。そのビルを所有する大企業が裏で人身売買とはね……」

 残った野菜を口へ放り込んでワイングラスに入ったトニックウォーターで流し込んだ。

「一般人の出入りがなくなるのは、ここの店全てが閉店するまでか。昼間は何も出来ないな」

「全ての店は十九時で閉店、従業員は二十時までに全員施設を出る事。契約で徹底されてる項目だよ」

 流石と言うべきか、蓮夢はこのビルの事は海楼商事の領域以外は、しっかり把握していた。打開策を探りつつ、それ以外の部分をしっかりリサーチして備えていた様だ。
 一般人、テナント、貸しオフィス、そして会社で働く日本人ですら、迷彩の一部として機能させているらしい。確かに手強い。

「海楼商事のオフィスやビルの管理システムがあるのは二十五階から屋上まで。唯一の出入り口はあのエレベーターだけか“鍵”ってのは何なんだ?」

「会社で支給してる携帯端末に、専用コードを発信できるアプリが入ってる。それがないと、あのエレベーターは開かないし、エレベーター内も常にスキャンしてるから押し入っても即アウト。盗もうなんて考えないでよ。数分おきにランダムでコードが変わるし、端末は指紋と網膜スキャンでないと開けない。不審な事が起きれば即二十三階から警備会社が動いて対処する」

 蓮夢は専用エレベーターを見つめている。こうして一点を見つめている時の蓮夢の頭の中では、どの様な高速処理が行われているのか。
 地獄と比喩される大歓楽街に染まった男娼、そして常に思考し続ける探求者。様々な一面を合わせ持つ混沌とした男。今この瞬間にも、何かを考えている。それが何かは分からないが、確かに何かを考えているのだ。生身の脳しかない俺には図りかねるものがある――故に“複雑な相棒”と俺は認識する事にした。

「鉄壁だな……」

「呆れるぐらいにね……そろそろ出ようよ“餌撒き”したいし」

 蓮夢はポケットからくしゃくしゃに折れ曲がった紙幣を一枚テーブルに放り、リュックを背負って、そそくさとレストランを出ていった。通路の手摺に腕を置いて専用エレベーターを見下ろしている。
 会計を済ませて店を出る。下を見下ろす蓮夢を尻目に階段へ向かうと、後ろから付いて来た。大回りの螺旋階段を下って行く中でも、施設内の感じを出来る限り目に焼き付けておく。
 下調べを重ねるのは重要だが、このビルに仕掛ける者が頻繁に出入りする事は得策じゃない。

「電子マネーで払った」蓮夢に紙幣を返す。

「あんなすぐに足が付くもの、よく使えるね。俺なら数十分で追跡できるぜ」

 蓮夢が言うと、やたらと説得力があるな。
 螺旋階段で一階まで行けるが、一通り二階も見て回った。ガラス張りのスポーツジム、小さな雑貨店や専門店を横目に流す。

「このブランドのアイシャドーよく使ってる。あと高いけど、化粧水が凄く良いんだ」

 ショーウィンドウ前に立ち止まって、色鮮やかな化粧品を蓮夢は眺めていた。一応立ち止まって、横目に見る。そう言えば、薄っすらとだが今日の蓮夢はアイシャドーを入れていた。
 イタリアのブランドらしい、直輸入とある。男なのにと癖で脳裏を過るが、それは一先ず留めておく。その辺の男と違って似合ってるんだ、問題ない。

「行くぞ」

「ええ、ちょっと待ってよぉ」

 広々としたコの字階段を下り、一階のロビーに出る。蓮夢はパーカーのフードを被り、レザージャケットのポケットに両手を突っ込んだ。
 ビル正面の出入り口は、全面ガラス張りで陽の光を程よく抑えながら、大理石の床を輝かせていた。その広さに見合わない大きさの六角形の受付には十人程のスタッフがいる。蓮夢のリサーチでは二十一時以降は警備員一人での管理だそうだ。
 専用エレベーターに乗ろうとしている海楼商事の社員数人を見る。皆一様に携帯端末を取り出しアプリを起動していた。あの時点で、既に網膜スキャンと指紋認証が済まされている様だ。

「あまりジロジロ見てると怪しまれるぜ。此処の監視カメラは、出入りする奴等の顔をしっかり読み取ってる。当分、俺達は近づかない方がいいかもよ……」

 小声で言うと、そそくさと出入口へ向かうが、俺はもう一度だけ、全体を見回す事にした。俺は俺の分野から、このアクアセンタービルを見て――想定していた。
 この出入口でも裏口であっても、あのロビーの制圧は必須だろうな。警備員の装備は、セミオートの拳銃ぐらいだが、緊急の際はサブマシンガンやショットガンぐらいは想定しておかないと。
 エレベーターは高速仕様。これに乗れたとして、二十九階のサーバールームまで二十秒以上三十秒未満。
 ロビーから二十九階、サーバールームまで非戦闘ならば、経験から計算するに大体八分で到達。
 そうした場合、蓮夢の作業に何分必要か。おそらく、この時点でもう戦闘は避けられない。一室を陣取っての攻防戦。その後の脱出。外部干渉、つまり警察への対処。色々と潰し込んでおかないとならない項目が多いな。
 そもそも、この選択肢を選んだとして、蓮夢はどこまでやれるか。流石に素人よりはやれる奴だと見込んではいるが。
 あれこれと思考を巡らせ、アクアセンタービルを出た先の広場で、正面に立ちはだかる蓮夢に足を止められた。
 上目遣いに、薄く口角が上がっていた。一体、何を言い出すのやら。

「なんだ?」

「真剣な顔して、考え事をしてる鉄志さんがカッコイイなぁ。って見惚れていただけだよ」

 蓮夢は踵を返して、森林公園へ飄々と向かっていく。本当にコイツで大丈夫だろうかと不安になる。
 蓮夢は本当に表情が豊かな男だった。予測不能な言動や表情には、何時も不意を突かれる。
 “組合”に入る以前から俺の身の回りには絶えず人がいた。そう言う環境で生きてる内に、自然と相手の具合を見定める事が上手くなっていった。
 そんな自分の中にあるパターン化された人の種類に、全く該当しないのが蓮夢だった。
 初めて会った時の様な挑発的な色目や、遜り失望した様な冷やかな視線は減っていき、会うと何時も機嫌が良かった。何故こうも懐かれてしまったのかは未だに分からないが。
 森林公園の方も、人で賑わっていた。昼から今ぐらいの時間帯は特にアクアセンタービルで働く連中が多かった。
 蓮夢は俺と組む以前から、ほぼ毎日、この公園でアクアセンタービルをリサーチしている。そして“餌撒き”と称した何らかのハッキング行為を行っているそうだ。
 公園内の小さな広場には、珈琲屋と軽食屋の移動販売のバンが止まっていて何時も賑わっていた。

「いい加減“餌撒き”って作業が何なんのか、教えてくれもいいんじゃないか?」

「悪いけど、まだ秘密だよ。この作戦は上手くいくかどうか、まだ分からないからね。イイ線行ってるけど……鉄志さんを信用してない訳じゃないんだよ、結果が出たら、ちゃんと説明するから。それまでは勘弁してよ」

 フードを下ろし、髪型を整えると、広場の手前にある何時もベンチに座って、リュックから取り出した補助端末を開いた。

「“餌撒き”の間、俺はやる事がなんいんだよな……」

「なら、話でもしようよ。俺のメモリはそれぐらいする余力は残してるよ」

 人間の脳の働きをコンピューターに例える事は、誰にでも経験のある事だが、蓮夢の場合はその物ズバリだった。
 たまに、幾ら呼び掛けても反応せずに一点を見つめている時がある。そしてハッとしてこちらに気付くと、何故か顔を紅潮させる。

「“潜入作戦”の段取りはどうなの?」

 蓮夢と手を組み、最初に取り組んだ事は、アクアセンタービル攻略の向けた、幾つかのプランを共有し、効率良く同時進行させる事だった。
 俺に関しては、ほとんど蓮夢にお任せ状態だったが、この“潜入作戦”は俺が主体で任させている作戦だった。

「個人経営の輸入販売業者。お前が考えた肩書きとお膳立てのお陰で、海楼商事との交渉は良好だよ。それに“組合”の中には潜入を専門にした連中もいる。貸しのある連中に手伝ってもらってるよ」

「商談で入り込めれば、ドローンを仕掛けて隙を作れる。あわよくば、そのままハッキングも……」

 用意してあるプランの中では一番ベターな手段である。ビジネスマンを装い正式に入り込む。
 殺し屋とハッカーが、スパイ紛いな事をするのが適任かどうかは別として“組合”のスパイ役である“役者”連中のアドバイスもあって概ね順調と言える状況である。

「“飛び込み作戦”は近い内に決行可能だよ、あと数人集めて、必要機材を調達するだけ。決行する場所も確保中」

「前に言ってた、外部ネットワークから侵入できる唯一の抜け道。ってヤツか。罠なんだろ?」

「そうだね、やれば確実に逆探知されてバレる。それを覚悟でやるんだ。あのビルの守りも大概だけど、ネットワーク内のシステムも手強い。相当、優秀なセキュリティAIが潜んでいる」

 こちらの作戦は蓮夢主体のものだった。独りで行うには危険があり、実行を躊躇っていたと言うが、今は俺と言う用心棒がいて、実行可能である。
 あまり詳細を聞かされてない作戦だったが、聞かされたところで、俺に理解できるかも微妙である。こればかりは蓮夢に従うしかなかった。

「データを奪い返された時のか?」

「あんなAIは初めてだよ。数手先を予測する、と言うよりは、その時々に正確な対応をする。まるで人間と早指しのチェスをしてる様で、面食らった。ソイツの具合も知っておかないと、どのみち海楼商事のシステムは奪えない。運が良ければ、その日に手に入るかもしれないし」

 蓮夢と初めて会った夜の事だ。荒神会の連中に囚われた蓮夢は車中で、ハッキングで盗んだデータを奪われ、タブレット経由でデータをどこかへ転送されるのを阻止しようとタブレットにハッキングを仕掛けたが、悉く弾かれてしまい、成す術がなかったそうだ。
 蓮夢の懸念するところは二つ。データが戻った事で密輸が再開される可能性。そしてもう一つが、この手強いセキュリティに勝てるかだ。
 規格外の違法サイボーグである蓮夢でさえ脅威に感じている事だ。これは相当な不安材料と言える。

「決め手に欠けるな……」

 上手くいけば、運が良ければ、不確定要素ばかり。可能性を信じて行動するしかやり様がないのが現状だった。

「他に良い案があれば、是非聞きたいね、その為に鉄志さんと組んだんだぜ」

 蓮夢が上目遣いに見つめて来る。笑みを浮かべ、ほら、言ってごらんよ。と言わんばかりに煽って来る。
 少し腹も立つが、今のところ蓮夢のプランに任せっきりなのも事実だ。煙草を手にして蓮夢の隣へ座った。

「お前、銃の腕はどんな感じだ?」

「急にどうしたの?」

「チンピラがひけらかすレベルか? CQBのしの字ぐらいは心得てるのか?」

 珍しく蓮夢の目は泳いていた。戦闘能力について、俺が聞いてくるなんて事は想定外だったらしい。
 元々の取り決めでは、俺は蓮夢を守るポジション。蓮夢は情報を手に入れるポジション。互いの得意分野を出し合う関係だ。
 それでも俺は知りたい。共に行動する相棒なら、どこまでやれるのか。蓮夢にとって相棒と言う存在はどの程度の存在なのか。

「冗談でしょ……こんなにか弱いネコちゃんの俺がクローズ・クォーターズ・バトルって……」

「俺とお前の二人だけ、追い詰められて生き残らなきゃならないって状況に陥った時に、お前は俺の背中を守れるか?」

 茶化そうとする蓮夢を無視して問う。こればかりはうやむやには出来ない。早い段階で確認して、割り切るところを見極めないと。
 俺達は既に――相棒だ。

「なんか……ドキッとする言い方。告られた気分」

 これでも俺は、俺なりに蓮夢に期待をしているんだ。それなのに、まだ茶化すか。眉間にしわが寄る。
 俺が不快感を示したのを素早く察してか、蓮夢は薄ら笑いした。

「冗談だよ。ハッキリ言うけど、まともに銃を使った経験なんて一ケタさ。射撃用と狙撃用のアプリケーションをデジタルブレインに入れてある。ターゲットの補足と射角の算出は二秒以上三秒以下の速さ。狙撃に関しては八〇〇メートル以内の的なら命中率は九十六パーセントを維持してる。鉄志さんの様に身体や感覚に染み付いている人には及ばないけど、素人よりはやれるよ……」

 抜け目がないな。と言うよりも、脳を機械化するとそんな事も出来るのか。補助ツールが身体と一体化しているイメージだろうか。
 蓮夢の雰囲気だと、生身の人間以上の事は出来る。或いはそうでなければならないとでも思っているのだろうな。
 ならば、この提案は充分に在りだな

「お前の提案する案はスマートだが、全て受け身だ。“バレずにコッソリ”って手段ばかり。ま、ハッカーならそれが正解かも知れないが。その前提を変えたアプローチと言うのも、一つの手だ」

 煙草に火を着けて煙を吐く。それにつられる様に蓮夢もズボンのポケットからクシャクシャになった煙草を取り出し、一本火を着けた。

「その話振りだと、武器でも担いでカチ込めって聞こえるんだけど……」

「目的地へ向かう。目的を果たす。離脱する。三フェーズのシンプルな作戦。悪くないじゃないか」

「武装した警備員はどんな時間帯でも五十人以上はいる。サイボーグ化された連中も混ざってるって話だよ。二人じゃどうにもならないよ」

 蓮夢に限らず、誰もがそう言うだろう、不可能と言う雰囲気を醸し出す。そんな泣き言を言ったところで、命令が無効になる事なく、敵の数が減る訳でもない。
 何時だって敵の数の方が多い。そう言う物だ。だから俺は――二発で仕留めてきた。

「俺は基本的に二発で一人仕留める。五十人なら百発必要。グロックの弾倉は十九発入っている。予備弾倉六本で全然足りる。それにプライマリーとセカンダリーを用意すれば、更に余裕が生まれる。サイボーグにも対抗できる。そもそも、五十人全員を倒すのが目的じゃない。障害の排除のみだ。俺はその一点に全力を注ぎ、お前はその仮定における、効率化に努めればいいだろ?」

 理想的なのは、蓮夢とツーマンセルで行動出来る事。しかし、それを今から蓮夢に仕込むのは時間的に不可能だし効率が悪い。
 とは言え、蓮夢にも多少、銃の心得はあるらしい。何時も腰に拳銃を突っ込んでいる事は知っている。
 なら、何時もと変わらない。一つの目的に目がけて、常に全方向を補足して絵図を描いて、段取りを決めて実行する。そこに人一人分をバックアップする余裕はまだ残っている。
 それに期待していた。蓮夢なら素早く、その場の状況や情報を処理できると。

「単純化し過ぎじゃない?」

「リスクは常に付き物だ。それは大した事じゃない。似たような修羅場は何度も経験済みだ、やってやれなくはない筈だ。野蛮で泥臭いか? 大いに結構。生き残った奴の勝ちだ。そして俺は勝てる」

 こう言う時はハッキリと断言して見せるのが肝心である。説得力は二の次だ。
 何をするにしても、出始めなんて全部手探りだし、正解なんてない。大切なのはこの単純な骨組みに現実味のある肉付けをしっかり出来るかだ。
 それでどんなに複雑になって行っても、その頃には大半の事は把握して共有出来てる。そう言うものだ。
 とは言え、緻密なタスクを正確にこなす蓮夢にとって、俺の理屈は散漫極まりないものに思えるだろう。
 呆れられた冷ややかな視線を受け止めてやろうと視線を蓮夢に移したが、その表情を見て、逆にこっちが呆気にとられた。
 何を言い出すのか、嫌な予感がする。

「はぁ……凄い、キュンと来ちゃった……やっぱり鉄志さんって素敵過ぎる……」

 冗談やウケを狙っている様な雰囲気ではなかった。咥え煙草のまま、両手で胸を押さえている。その仕草はわざとらしいものがあるが、恍惚とした表情に本気が感じられた。本当、えらく懐かれてしまったものだ。
 正直なところ、蓮夢のそう言うところに関して、嫌悪感はそれほどなかった。勿論、ゼロではないが。
 異性に向ける様な感情を、同性にも向けられるその感覚は、まだまだ俺の理解を超えている。
 それでも、慕われているのなら、一先ずは良しとしておこう。最近はそう留めていた。下手な事は口走らず、一度飲み込んで消化してから、自分なりに落とし所を見つける様にしていた。
 秋澄のカミングアウト以降、その手の事に常に緊張感を持つ様にしている。あいつもノルウェーの看護士に、またはその看護士が、こんな表情して見つめ合っていたのだろうか。男同士で。
 不意に考えが過った。仮に蓮夢が女だったとして、今のこの表情や言葉を、俺はどう受け取るのだろうかと――分からない。
 俺は大した反応もしないだろう、そもそも男や女どころか、人間自体に大した興味もない。俺はそう言う人間だ。唯一、親しみや情を感じられるのは、時間と共に積み重ねていく関係性のみだ。戦友や幼馴染の類いである。
 俺と蓮夢には、そんな蓄積はない。

「そりゃ、どうも……」

 そうは思っても、慕われている事は間違いないので、素直に言葉を受け取っておく事にした。それでお互い悪い気にはならないだろうし。

「なんかさ、鉄志さんを見てると……シオンを思い出すんだ“ナバン”のボスをね。揺るぎない自信に満ち溢れてて、堂々と見せ付ける強い意思と圧倒的な力」

 意外な方向に話が進んだな。蓮夢の口から直接“ナバン”の話が聞けるとは。あのレストランで俺が“ナバン”と口にした瞬間の表情の強張り、明らかに思い出したくもない忌々しさを滲ませていたから。
 数十年前、アジア圏を席巻していた韓国発祥の強大なマフィア系犯罪組織。正式な組織名よりも、各国の歓楽街を中心に性産業と人身売買を中心に活動していた事から、夜に舞う毒虫、蛾(ナバン)の名称が有名だった。
 無法状態の日本にある大歓楽街は、連中にとっては理想的な環境だったろう。
 その組織のボスの愛人と呼ばれ、輝紫桜町に祭り上げられたのがポルノデーモンだった。

「まぁ、ボスの方がエロくてセクシーだけどね、でも鉄志さんも中々イケてるよ」

 憂い目とは裏腹に、蓮夢の表情は複雑に歪んでいる。それは、思い出し懐かしむ様でもあり、トラウマの様に襲い掛かる記憶を噛み締める様でもあった。
 そんなゴチャゴチャとした感情を、湧き上がらせる原因である、ボスとやらに俺が重なるものがあると言うのは、少々微妙な気分になる。

「その言い振りだと、慕っていた様だな」

「愛してたよ、でも愛される事はなかった。俺は組織の中の稼ぎ頭で、都合の良い玩具に過ぎなかったから……それでも、初めて俺の事を肯定してくれた人だったから、すっかり依存しちゃってね。こう言うの、愛憎って言うのかな? それとも洗脳?」

 煙草の煙を綺麗に一筋吐いて、蓮夢はどこか遠くを見据えていた。愛していたなんて、恥ずかし気もなくよく言えるな。
 この歳まで生きてきて、狭い世界、同じタイプの人間とばかり接してきた俺にとって、この蓮夢と言う男の何もかもが、新鮮な存在である事は間違いなさそうだ。

「今も、いて欲しいって思うのか?」

「今はいいかな……何だかんだ、自由がいい」

 蓮夢はうーんと間を置いてから、今の状態の方が良いと答えた。

「なら、洗脳だ」

「かもね……」

 俺はどういう訳か、妙な苛立ちを感じていた。煙草を携帯灰皿へ放る。
 自由である今がいいと言いながらも、蓮夢は今でも心の何処かでシオンを慕っている。肯定された。たったそれだけの事にしがみ付いているか様に。
 赤の他人である俺がどうこう言う事ではないが、不健康な考え方に思えた。何よりも、蓮夢自身がそれを分かった上で、それでも想いを断ち切らないと言うのであれば尚更だ。
 会話が途切れると、すぐにキーボードのタイプ音だけになる。横目に蓮夢を見るが、モニターに集中していた。
 いやに続く沈黙。間が持たない雰囲気。しかし、蓮夢からは話を振られるのを待っていると言う気配を見せていた。何故か俺が話を切り出す前提だった。

「俺はまだ、お前の事を本当に理解できていないかも知れない、それでも努力はしている。受け入れたいって思ってるんだ」

 タイプの音が消えたのに気付く頃には、すぐ横で少し身を乗り出した蓮夢の顔があった。挑発的で妖艶な笑みを浮かべながら。

「俺を“どこまで”受け入れてくれるの?」

 どこまで。蓮夢の言葉に思考が止った。
 蓮夢は俺にどこまで求めるだろうか、下らない事を含めて、様々な事が脳内を巡っていた――どう答える事がベストなのか。
 直視し難い蓮夢の顔に目のやり場を探していると、蓮夢はクスクスと笑って姿勢を戻した。

「別に努力なんてしなくたっていいさ……そうやって特殊な物みたいに扱われたくないし……」

 蓮夢の言葉で、またしくじったと痛感する。
 寄り添ってるつもりが腫物扱い。俺とお前は違うと言う前提の物言いになっていた。

「気楽に行こうよ鉄志さん。簡単に分かってもらえない事ぐらい慣れっこさ。もし悪いって思ったなら、お詫びに甘めな珈琲買ってきて欲しいな」

 どこまでが本気で冗談なのか、掴み所のない奴だ。殺し屋を手玉に取って使いパシリにするハッカーなんて――あり得ないだろ。
 いや、駄目だ。蓮夢とは相棒だ、立場を忘れてフラットにならないと。つまらない事でこれ以上躓く訳にはいかないんだ。軽い舌打ちで勘弁してやって珈琲を買い行く。
 賑わう広場の連中を避けながら珈琲屋のワゴンに向かう。行列になっていた。面倒だな。
 秋澄の助言をもらいながらも、やはり難しい。もう少し時間が欲しいがそうもいかなかった。俺は俺で、蓮夢抜きで――別行動もしなくてならない。
 複雑な相棒と上手くやっていくには、俺もまだまだ認識を改めていかないと。本当に厄介な任務だ、日本に戻って来て間違いなく、最も難解な任務だろうな。
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