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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
7.― PORNO DEMON ―
7.― PORNO DEMON ―
 胃液から何から全て出し切ったが、収まる気配がない。このまま胃袋が裏返って口から飛び出してきそうだ。喉まで突っ込んで、ポルノ男優みたいなサプリ漬けのキツくて濃いヤツを、遠慮なく流し込みやがってクソが。
 積み上げたビールケースにへたり込んで息を整える。胸の辺りを抑えて、落ち着くの静かに待った。
 煙草で気を紛らわそう。この街に来て好きなった銘柄“マンガク”のライムフレーバーを一本取り出して、火を着ける。相変わらず、着きの悪い安物ライター。
 “マンガク”は香りが強くて、口だけじゃなく、その奥まで香りが染み付いて行く様な感じがして。良いリセットになった。強烈な臭いも誤魔化せるので。広くセックスワーカーに好まれている煙草らしい。韓国の言葉で、“忘却”を意味する。確かに悪くない。
 気持ちは落ち着いて来てるに、相変わらずウザいのが頬を伝っている。化粧が崩れてるんだろうな、間抜けなパンダ目に仕上がってだろうよ。
 何故、こんなにもも心が弱ってしまったのか、クソな客の一人や二人で塞ぎ込んで。ずっと輝紫桜町でやってきた人間らしくないだろ。
 人殺しの罪悪感、解放されてHOEをする理由が宙ぶらりんになっている今。だからと言って止められない。金がないと先には進めないんだ。
 現実に向き合えよ、俺には止まってる暇なんかないんだ。
 見えない空を見上げ、目一杯吸い込んだ煙を一筋吐き出すと、表通りの光から誰かが飛び込んできた。

「ちょっと、やだぁ! 蓮夢さんどうしたのぉ!」

 甲高く、少しわざとらしい声。誰の声なのか、すぐに分かった。雅樹だ。こんなザマを一番見られたくない奴に見られてしまった。

「別に、“飲み”過ぎただけだよ……」

「吐いたの?」

 見りゃわかるだろ。そう言いたかったし、やはり先日の春斗の話が気になった。俺の気落ち具合を、嬉しそうな雰囲気で話していたと言うヤツだ。雅樹の方は最近、思う様に客を捕まえられなくなっていると、春斗から聞いていた。
 多少なりその鬱憤が、俺に向いているのだろうと、軽く考えていたが、今、雅樹からは相当、根深い物も感じ取っていた。

「ポルノデーモンも大変ね……。売れ過ぎるのも考え物よ。潮時なんじゃない?」

 呆れ返ってる。そんな雰囲気が感じられた。何が潮時だ、勝手に決めるな、舐めやがって。
 でも、春斗や雅樹、ウリ専の後輩達との縁は簡単には捨てられなかった。こんな奴でも昔、同じ組織で苦労を共にした仲間だったからだ。
 煙草を吸い続けて、平常を装う。俺は輝紫桜町のポルノデーモンだ。後輩のつまらない妬みやっかみに、一々目くじらを立てるほど、ケツの穴は小さくないよ。

「なぁ雅樹、やめようぜ。俺達、仲間だろ? 同じ“ナバン”の……」

「もう“ナバン”はないわ、アンタのせいでその“ナバン”が潰れたって噂もあるの知ってるくせに……」

 雅樹の言葉に身体が凍り付く。確かに、そんな噂があるのは、何年も前から知っている。しかし、その噂を口にする者は滅多のいない。ましてや、俺の前で言うヤツなんて論外だ。雅樹、お前。――そう言う事か。
 確かに“ナバン”と言う圧倒的な権力の庇護にいた俺達は、今よりは輝いていただろう。嫌味な装飾に彩られた玩具の様に。
 飾りがなくなってしまった事で、俺達は何時の間にか、差が出始めたのかもしれないな。それを俺のせいだって、言いたいのか、雅樹。

「アンタさぁ、もう引退した方が良いんじゃない? 見るからに辛そうよ。もう充分稼いだじゃない? 男ばかり相手してないで、両刀持ちなんだし、ジゴロとか“遊び人”してた方がいいじゃないの?」

 上目遣いに雅樹を睨んでいたが、雅樹の毒は留まる事を知らず、俺の心を抉っていった。俺の心なんて一ミリだって解かってないくせに、適当な事ばかり。
 知ってて言っているんだろうけど、一番、堪える。――異性愛者だけでなく、同性愛者にも偏見を持たれているんだなって感じる時が切なくて悔しい。
 でも、気にする事はない。俺達HOEなんて、相手を罵ろうと思えば、幾らでも毒を吐ける生物さ。気にしなくていい。
 腰を上げて立ち上がる。立ち眩みと、血の気が引く感覚に襲われるが、咥えたままの煙草を吸って吐いて、雅樹の足元に捨てた。
 雅樹は身構えていた。俺も大分、殺気立ってるのは自分でもよく分かっていた。
 雅樹を睨み続ける。雅樹は迫る俺からあっさり目を逸らすが、絶対に逃がしてやらない。両手と壁で雅樹を囲み、目を合わすまで待つ。
 七年前に俺の変色した左目を“気持ち悪い”ってハッキリ言った事は忘れてないんだ。見ろよ俺を、俺の目をな。雅樹が観念して、俺と目を合わせる。

「俺が邪魔かい? 雅樹……悪いけど、俺はまだ十年はポルノデーモンやれる自信あるぜ。この街の人間共は誰もが俺の身体を求めている。オスだのメスだの、どうでもいいし、まだまだ稼ぎ足りないよ……ねぇ雅樹、俺の客を全部、横取りして
よ。稼げなくなったら、消えてやるよ。お前が成ってみろよ、ポルノデーモンに……」

 キスしてやれるぐらいの距離まで顔を近づけて、俺は雅樹に宣戦布告した。雅樹が生唾を飲み込む音もよく聞こえた。目も泳いでいる。舐めた口利いておいて、結局こんなもんか。
 そう言う薄っぺらさが見え透いてるから客が付かないって何時になったら気付けるのか。その程度で、俺を潰そうなんて永久に無理なんだよ。
 何だか、大した事ない雅樹の顔を見ていたら、吐き気の代わりに嘲笑が込み上げてきて、堪らず噴き出してしまった。

「お前、本当ブスだな……」

 どうでもよくなってきたな。雅樹を尻目にして表通りに出た。賑やかで華やかな人通りは少し歩くだけで酔ってきた。
 ポルノデーモンが一段落すると、思考がCrackerImpにすぐ切り替わる。それもしんどい。
 要塞の様な大企業の高層ビルにどうやってハッキングする。色々と手を考えているが、正直、一人で出来る事の限界を感じていた――敵の規模が大き過ぎる。
 考え事に気を取られていると、人混みの流れにぶつりかりかけて、よろめいてしまった。よろめいた先にある、雑貨のショーウィンドウを眺める体で、自分の顔の様子を見る。
 髪も乱れてるし、やっぱりアイシャドーも崩れてパンダ目になってる。酷くやさぐれている。化粧を直すか、落とすかしたい。
 手櫛で髪を整え、軽い溜息をつき終えると同時に、脳内から控え目な警告音がこだました。AIにタスクを一任させている警戒アプリからの知らせ。
 視界から得た情報の中で、一定の距離と一定の時間の中で、同じ顔の人物、その視線の分析によって――尾行の可能性を警告する物だった。
 林組の一件以降、外にいる時は起動させていた。自分の作ったソフトが有効に動いているのは、嬉しい事だが、これは喜べる状況ではない。
 さりげなく、周囲を見渡して、また歩きだす。視界をグリーンの単色に変え、警戒ソフトの情報を確認した。
 尾行の根拠を示す画像、目は意識していない為、対象にフォーカスが合っていない、ボヤケ気味の映像だ。ホテルから出た時、裏路地でうなだれてた時、裏路地を出た時。そして、今。
 黒髪、長めのツーブロックをかき上げた髪型、身体のラインにマッチした清潔感のある黒スーツに白のワイシャツ、黒のネクタイ。
 一見、ありきたりな容姿に思えるが、整っていて様になってるのは、オーダーメイドのスーツだからだろう。仕事上がりの人間の着こなしではない。
 間違いなく尾行されている。何処の誰か。それを考えるよりも、この尾行を早めに巻く事を優先すべきだ。なんとなく分かる、こいつは――かなり危険だと。
 とりあえず当てもないが、歩いてく。ジャケットのポケットに入れてある。煙草の箱より一回り小さな黒いドローンを取り出す。自作ドローンの“インセクト”は小柄で、対象に張り付ける様に虫の様な四本の足が付いた、偵察と追尾に特化したドローン。この場で飛ばすと目立つので、裏路地の方へ、さり気なく投げ捨ててから飛ばした。
 上空十メートルの辺りでインセクトをキープさせて、映像を視界へ送らせる。
 次の角を曲がってみよう。必ずヤツも曲がるだろう。その先は飲み屋も風俗店もなく、二十四時間営業の生活用品店が多い。遊びに来た外の人間には、大した魅力はないエリアだ。
 やっぱり曲がって来た。絶妙な距離を保っている。俺に動きに不自然なものがあれば、すぐにでも近づける距離だ。インセクトが補足していても、つい振り向きたく衝動を抑え込むので精一杯だった。
 もう少し行った先に、小さなドラッグストアがある。この街一番のドラッグディールギャング“サクラ・トラップ”の連中が経営してる店の一つだ。何時も世話になっている。
 昔は客とディーラーの関係だったが、ボスのやらかしをCrackerImpが何度かフォローしてやったお陰で、今ではそれなりにウィンウィンな関係を保っている。格安でどんなドラッグでも買えた。よく言う、持ちつ持たれつの関係と言うヤツだ。
 店が見えてきた。外観は古い雑居ビルで黒ずんでいるが、店内は明るく、清潔感が漂っている。

「蓮夢さんっスかぁ? なんか、久し振りっスね……」

 店の中へ入ると、フードを深々と被った、舌足らずなズーハンが、カウンター越しに話しかけて来た。
 偽造の薬剤師免許を持ってるヤク中で、組織の2番手だった。

「輸入物の良いネタ仕入れてますよ」

「うん、今日はやめとくよ……」

 化粧品の売り場から、クレンジングシートを取って、カウンターで会計を済ませた。
 インセクトからの映像では、道路を挟んだ店の反対側でストーカーは立ち止まっていた。
 
「お手洗い使わせてもらうよ。あと窓から出てく」

「なんかトラブルですか?」

「何時もの事だよ」

 外から見られる分には、客と店員のちょっとした会話程度のものに、見えているだろうか。真上から見る映像でも、こちらの様子を伺っている様に思えた。
 このまま店に居座っても、あのストーカーは店に入ってくるだろう。トイレに入って上着を脱ぐ。
 シートで化粧を落とし、顔を洗う。ホッとして、気分はスッキリするが、緊張感は依然高いままで、疲労が押し寄せて来る。
 物置にある、モップバケツを取り出して、それを足場にして窓から外へ出た。ジャケットを腰に巻く。
 この先の裏路地は、改築を重ねた雑居ビルが入り組んでいて、分かれ道も多い。
 最終的には居住エリアに辿り着くが、それまでには完全に巻いてみせる。十八の頃からこの街で生きている。移り変わりの忙しない街だが、その歪な形は基本的には変わらない。色んな奴等と、散々追いかけっこしてきたよ。警察にチンピラ、ヤ
クザにHOE。行き止まりに思える壁や金網にも抜け道や抜け穴もある。
 とうとう、裏路地を抜けてしまった。インセクトは依然、俺を追跡するストーカーを補足していた。距離は離したがすぐにでも追い付かれる距離だ。中々まけないな。
 壊された街灯は役目を果たさず、寂れたマンションと雑居ビルからの灯りも微々たるものだった。向こうには警察のオートマタ“首無し”がうろついている。
 インセクトからの映像では、ストーカーもそろそろ裏路地を抜ける。ここから少し離れた先に出るが、充分、追い付ける距離。急いだ方が良さそうだ。
 まったく、よりにもよってこんなクソな夜に――とんだトラブルだよ。
 後ろから車の近づく音がした。いやにのろい車だな。こっちの歩幅に合わせて、徐行してる様に感じた。そう思って反射的に車の方を向くと、助手席に座っている奴と目が合った。と、言うよりもはっきりと俺を見ていた。
 あ。そう思った時には、車は歩道を塞ぎ、更もう一台の車が後ろからも迫り、後方も塞がれてしまった。
 車から厳つい連中が降りて来る。見るからにヤクザと言う雰囲気だが、妙に整った身なりをしている。林組の連中とは少し違う。察するに――荒神会。
 車から降りて来た連中は八人。壁際まで追い詰めれる。鼓動が浅く速くなっていく。
 息苦しい、どうする。僅か数秒の沈黙がとてつもなく、息苦しい。

「あのさ……。乱交プレイがお望みなら、同時に四人までだよ、二回に分けてくれないと……」

 心とは裏腹の軽口な虚勢が漏れる。HOEの性とでも言うべきか、不安を感じる時ほど、こうなるんだ。見栄張って粋がって、色目使って。ホント、自分が嫌になるな。
 この数日、荒神会の動きが分からなかったが、やはり方々で動きはしていたらしい。輝紫桜町の監視アプリ“ヘルアイズ”にも引っ掛かった気配もない辺りは流石と言うべきか。林組よりも数枚上手だ。
 何処からどうやって、情報が漏れたのか。一体――どこまで知っているのか。

「輝紫桜町のポルノデーモン、いや、クラッカーインプ」

 ワインレッドのスーツを着込んだ奴が言った。完全にバレてる。一人の人間の口から、この二つの名を聞いて、こんなに血の気が引くのは初めてだった。さて、どうしたものか。

「車の中で話そうじゃないか」

 両腕を掴まれると反射的に抵抗してしまうが、ここまで来てしまってはどうしようもない。何処へ連れていかれるのか。
 そう言えば、あのスーツが似合うストーカーはコイツ等の仲間なのだろうか。何処かで落ち合うのか。
 そんな事を考えていた矢先、腹部に強烈な衝撃が走る。痛みよりも先に、全身の酸素が抜け出した様に酸欠に襲われ、呼吸が止まった。空気を吸おうとしても、激痛でままならない。
 何も出来ないまま、車の後部座席に詰め込まれた。真ん中へ押し込まれ、左右に一人づつ乗り込み挟まれてしまう。車はまだ停まったままだ。
 咽返りながら、少しづつ、呼吸を整える。やっと収まりかけてた吐き気も戻ってきたが、もう胃袋に戻す物は何もなかった。口元に溢れた唾液を拭う。

「悪いな、無駄口を叩きそうな感じだったのでな……」

 右隣に座る、俺を殴ったワインレッドのスーツが冷徹な瞳で言った。確かに、無駄口でも会話でも、ありったけ喋ってやろうと思っていた。
 HOEになって、最初に覚えた事は――会話する事だ。
 客の為なんかじゃない、自分の不安を拭い去るためだった。少しでも相手の事が分かれば、そして自分の事を少し知ってもらえれば、僅ばかりでも情が生まれる事を知っている。それに付け込むんだ。このワインレッドのスーツには出鼻を挫かれたが、まだチャンスはある筈だ。

「お前が中央区のホテルで林組と会っていたのは分かっている。俺達のデータを持っていたのもな」

「何故、俺がCrackerImpだと分かった?」

 聞いたところで答えるとも思えないが、間を持たせたかった。何処から情報が漏れたのか。
 完璧ではないにせよ、ハッカーの活動は慎重にしていたつもりだった。
 でも思ってみれば、一介のサイバーディテクティブにだって、活動エリアを絞り込まれていたのを考えると、穴は幾つか空いているのかもしれない。個人活動のハッカーなど、今時、大して目立つものでもないと、高を括っていたのが、仇になっ
たらしい。
 CrackerImpと名乗ってハッカーをやって約七年、それなりに穴が開いているのかも知れない。
 林組がやろうとしてた事は、荒神会にとって不利益なものなる。流石にやられっぱなしと言う訳にはいかないか。不利益の元凶である、俺を探し出すのに、躍起になるのは当然だ。

「お前は林組に雇われて仕事をしただけだ、データを返してもらおうか。その腕も買ってやろうじゃないか。荒神会のクラッカーになるなら、勘弁してやってもいいんだぞ」

 えらく待遇が良いなと、拍子抜けしてしまう。それとも合理的と言うべきか。それどころか、荒神会の懐に入れるのなら、黒幕に近づける機会が生まれるかもしれない。答えを手に入れる機会。
 悪くない。そう、思いたいところだが、そうやって浅はかな考えと、大きな力に寄りかかって、委ねてしまった結果はどうだ。この機械仕掛けの脳みそだろ。
 こんな連中に、俺が非合法なサイボーグである事までバレたら、それこそ一巻の終わりと言うものだ。一生囚われの身となる。
 とは言え、今はどうする事も出来ない。肌身離さず持っていたメモリーを渡そう。このデータの内容の一部が荒神会に戻ると、再び人身売買の密輸が再開されてしまう事は間違いないだろう。更には近年なかった積み荷の入庫だけでなく、出庫に関するデータや手順の類いや暗号も含まれている。
 攫われた人々が日本の外に出たら、追跡できない可能性が高かった。それだけは避けなくてならない。このデータは破棄する。
 どうせ罠を解除しないままPCに接続すれば、メモリーに仕掛けたプロテクトでPCごと破壊できる。黙ってメモリー渡してやればいい。
 少し、考えて様な素振りをしてみてから、ズボンからメモリーを取り出し、ワインレッドのスーツに手渡した。必ずこの場で確認する筈だ。
 助手席のヤクザがタブレット端末をワインレッドのスーツに渡した。無線接続でメモリーにアクセスするみたいだが、関係なく仕掛けは作動する。
 しかし、その仕掛けが一向に作動しなかった。メモリーに視線を移すが、間違いなくプロテクトはかけてある。こんな時にトラブルかよ。
 不味い、データがコピーされてしまう。急いでタブレットの“糸”を掴み、ハッキングを試みた。タブレットのシステムごと破壊するしかないと仕掛け始めた瞬間、デジタルブレインのハッキングツールがフリーズしてしまう。
 デジタルブレインのシステムに何らかの干渉を感じる。これは、在り得ない。この俺が既に――ハッキングされているのか。
 タブレットに手が出せない。デジタルブレインのファイヤーウォールを潜り抜けて押さえ付けられている気分だ。

「確かに返してもらったぞ。聞き分けが良いじゃないか。良い事だ」

 不味い、このままだとやられ損だ。メモリーのデータをコピーしたり、送信した様な気配はないが時間の問題だ。何とかしないと。
 
「おい、どうなんだ?」

 ワインレッドのスーツが何かを言っていたらしいが、今はそれどころじゃない。

「お生憎様、そこまで落ちぶれちゃいないよ……。下請けのポン引きなんかに、従う程、俺は安くないんだよ。欲しいなら、買えよ……」

 重苦しい沈黙が続く。でも、虚勢を張り通した。出来る事なら今、酒かドラッグを煽りたかった。
 ワインレッドのスーツは不敵に笑うだけだった。本当にコイツはヤクザなのだろうかと疑いたくなる程、冷静で辛抱強く、器のデカさを見せつけて来る。
 向こうの車がバックで切り返して走り出した。先頭の車を追う様に、こっちの車も動き出す。
 軽口を叩く間もなかったな、林組の連中と違って、荒神会の人間には隙がなかった。清々しいまでにスマートに事を進めている。確かに、歓楽街のHOEが相手するには、荷が重いのかも知れない。
 ワインレッドのスーツが持っている、タブレットとメモリーに視線が行く。何としても取り返さないと、でもどうやって、狭い車内で暴れてたってどうにもならない。
 車が曲がり角に差し掛かったその時、戦慄が脳内を駆けてノイズになった。
 曲がり角から、先の道が見えると同時に、視界に入り込んできた、スーツのストーカーが拳銃を構えていた。その銃口は既に火を噴いていた。――噓だろ。
 助手席に身体を押し付けられる。その後も右左に振り回された。何が起きてるかなんて考える暇もないが、おそらく前の車も、この車も被弾した。
 意識が飛んでいたのか、次の瞬間には車は止まっていた。周りの怒鳴り声がうるさい。あちこち打ち付けたのか、ズキズキ痛むが、それ以上に頭痛が酷かった。
 それでも、思考を止める事は出来ない。どうする、まず何から始めたらいい。焦るな、よく考えろ。
 視界を単色オレンジに変えてタスクを復旧する。先ずは周囲の情報をインセクトから搔き集めないと。周辺を巡回している警察のオートマタが一部こちらに向かっている――チャンスだ。
 “首無し”をハッキングして嗾けれる。俺以外は全員攻撃対象にしてやる。インセクトを中継器に此処に近い“首無し”共にマルウェアを流し込み、プログラムを書き換える。システムへの干渉は消えている。最高速度で“首無し”を乗っ取った。
 タブレットとメモリーは何処だ、右側のドアが開いている。拳銃を手にしたワインレッドのスーツを見上げていると、乾いた銃声が間髪入れず二発。ワインレッドのスーツの頭を、スパンと撃ち抜いた――なんて呆気ない。
 銃声が何重にも重なり鳴り響いていた。早いところタブレットとメモリーを見つけないと、姿勢を低くしたまま車の下を探っていく。
 これ以上、パニックにならない様に必死で堪えながら、タブレットとメモリーを見つ出した。後はここから逃げるだけだ。
 インセクトが車の外の様子を見下ろしている。八人いたヤクザが既に五人やられて、アスファルトに倒れ込んでいる。残った三人がどうにか車を盾に応戦している。早く逃げないと。
 ハッキングした“首無し”が駆け付けてくれた。警察のウザったいオートマタにここまでありがたさを感じる事になるとは。“首無し”はゴツいヤクザを掴み上げ、建物の壁に叩き付けた。これで外に出れる。
 インセクトからの映像を見ながら外に出るタイミングを伺うが。あのストーカー、とんでもない化物だ。
 “首無し”が放ったワイヤースタンガンを死体を盾にかわして、“首無し”に掴みかかり、腕の関節部からボディ内部に向かって弾丸を撃ち込んだ。あれじゃ動力部や可動システムも、無傷じゃいられない。一台シグナルが消失した。
 その間にも、その“首無し”で身を隠し、残りのヤクザ共の攻撃を避け、並行しながら一人、また一人と二発で確実に仕留めていった。全くと言っていい程、無駄がなく、その身のこなしは俺の様な素人でも分かる程の百戦錬磨の強者。常人離れした集中力と空間把握能力の持ち主だった。
 鋭い眼光でありながら、どこか淀んでいる。それでも正確無比に標的を仕留める圧倒的な集中力と絶対的な実力。場違いな感情が湧き上げる――敵い様のない強者に惹かれていく。
 タブレットにマルウェアを流し込み、システムを完全に殺す。持って行く余裕はない。裏路地に駆け込んで一心不乱に走った。この路地の行き着く先なんて、分かりはしないが、輝紫桜町の裏路地は何処も迷路だ。撒いてみせる。
 狭い路地に身体を打ち付けながらも、走り続けた。マンションの裏口の安い鍵を蹴り壊してマンションを突き抜けて、また狭い裏路地に入り込んで。いよいよ息が切れてきた。
 この路地は無計画な増築と改築の隙間に生じた、歪な広場の様になっていた。早歩きに、複雑そうな裏路地を探し、暗く狭そうな路地へ向かおうとし、そこへ身体を向けた瞬間、甲高い金属音と衝撃を受けて、その場へ倒れ込んでしまった。全身に響き渡る振動に悶える。――撃たれた。
 肩だ、撃たれたのは左肩だ。左の骨は上腕のコネクターデバイスの情報伝達を高める為に、全てチタン製の骨格に替えてある。拳銃の弾丸では、砕ける様なダメージは与えられないが、受け流せない衝撃は痛みとして、モロに響き渡った。
 口から漏れ出すうめき声と荒い呼吸の中、姿勢をうつ伏せて、膝をつき起き上がると、コツッと硬い物が後頭部に当たる。――もう、逃げられない。

「悪あがきもここまでだ、CrackerImp……」

 考えても考えても、追い付かないトラブルの連発。冗談じゃない、ここで終わる訳にはいかないんだ。考えろ、死にたくないなら考えろ。
 落ち着け、この街で散々トラブルを躱してきてじゃないか。落ち着け、向き合え、相手を受け入れろ。ガキの頃からやってきた事だろ――心に入り込め。
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