残酷な描写あり
R-15
3.― KOGA LIU ―
3.― KOGA LIU ―
昼飯を食った後に襲って来る強烈な眠気はどうにかならんだろうか。腕を組み、壁にもたれていると立て続けにあくびが込み上げきてくどい。
それを嚙み殺している俺を、鷹野は冷ややかに睨んでいた。横にいる氷野さんだってあくびしてるじゃないか。俺ばかり睨みやがってと、軽く睨み返す。
荒神会の拠点へ忍び込んでから五日ほど経った。多忙だった氷野市長にはメールでの報告程度に留まり、今日やっと会って話す事が出来た。
市長室に置かれた七十インチの大型モニターには、俺の装備品の一つ、アクションカムが捉えた戦闘の一部始終が流れている。画面一杯に迫りくる、謎のサイキック、九尾の黒狐。その九本の鉄塊と、俺の分銅鎖が手前に奥に激しく飛び交う。
こうしてあの時の戦闘を見直してみると、自分の技のキレの様なものが、この数年の中で抜群に研ぎ澄まされていた。かつてない程の手数の多さに改めて驚く。
これは褒められる事ではなく、むしろ、己の過信に気付かされる思いだった。
この動きに見合う程の相手と戦う機会もなかったが、随分な怠慢に思えた。反省しなくては。
とにかく、あの黒狐には圧倒されていた。得体の知れない戦い方に決め手を見出せず、焦りを感じていたのを鮮明に覚えている。
唯一、俺が黒狐に対抗できたものは体術のみだった。尾の異様な動きや物体を止める。それらを除いた場合の、黒狐本人の身のこなしは荒っぽく、隙が多かった。
そこを突くための手数の多さだった。
「鷹野、もういいよ。ありがとう」
氷野さんの言葉に鷹野が静止ボタンを押す。丁度、俺が黒狐を抑え込む辺りで映像は止まった。この後、まんまと黒狐に形勢逆転をくらう情けない所を見ずに済むのなら、それもいい。かれこれ三周ほど、この動画を見ていた。
氷野さんは革張りの椅子に深く腰を下ろし、足を組み、机に置いた手に顎を乗せた姿勢のまま、神妙な顔持ちで物思いにふけっていた。
さて、何を言われるのだろうか。嫌味か小言か、両方かもしれない。何にしても今回の潜入は、成功とはいえない。荒神会のPCを写し込んだSSDの中身は初期化したてと言わんばかりに空っぽだった。とんだ無駄骨である。
連中の会話から得た謎のハッカー。九尾の黒狐や俺達よりも先を行っている様な気がしていた。
「サイキックか、古い友人を思い出したよ。学生時分でね、サイコキネシスで小石を数分浮かすだけで息切れを起こしていたな。それとは比べ物にならないな……」
ようやく氷野さんが口を開いたかと思えば、笑みを浮かべて昔話とは。サイキックの知り合いがいたとは。
「のんきな事を……際どかったんだぞ」
こちらの指摘に対しても、氷野は笑みを浮かべていた。
年齢差のせいか、俺の言い分は子供の言い分程度に何時もあしらわれてしまう。まったく質が悪い。
「よく相手の限界を見極められたわね」
「それ自体は難しくなかった。俺の投げた苦無や分銅鎖を静止させた時、動かない尾が数本あった。九尾の狐を模した衣装もヒントになった」
これを機にサイキックについて調べてみたが、その能力にも、随分な個人差や種類があるらしい。
あの黒狐は所謂“サイコキネシス”と言うカテゴリーに該当する。物体を操る能力だが、それも人それぞれで違うそうだ。氷野さんの友人の様に微力な者、物体を一つしか操れない者もいる。その一方で、あの黒狐の様に九つと複数を操れる者もいる。能力によってランク分けもされている様だ。有効範囲の広さと持ち上げる物体の質量から、あのサイキックはA、B、Cで分類された“A級”のサイキックになるだろう。他にも空気を物体と捉えて、衝撃波や炎を作り出す者もいるそうだ。
未だ多くの事は解明されていない中、サイキックの数は世界中で年々増えているそうだ。奇天烈な世の中と思い知らされる。
「荒神会に敵対している様だが、どこかの組織に属しているのだろうか?」
「見た目には十七か十八ぐらいの女の子なのに」
「サイキックなんて力があるなら、歳は関係ないだろう。敵に回すと脅威だ」
鷹野は不憫そうな調子で言うが、実際に戦ってみたこちらとしては、その思いはお門違いと言うものだ。
あの黒狐からは始終、苛立ちと焦り、怒りの様な感情を放っていた。そして何かは分からないが、是が非でも目的を果たさんとする、強い信念の様なものを感じた。
荒削りながら、恵まれた才能と強い意志を持っている。それはもう、立派な戦士と認識すべきだ。
「何にしても、ご苦労だったね、鵜飼」
先ほどから妙にマイペースな氷野さんから出た言葉は意外にも労いだった。
「あまり良い結果とは言えない。そもそもあの拠点に有力な情報はなかった。出来た事と言えば、せいぜい盗み聞ぎぐらいだ。空振りだ……」
あの夜から氷野さんに会う今日まで、失態に等しい結果をどう弁明するかを考えていたと言うのに、拍子抜けである。
「その会話の中に出てきた林組は、輝紫桜町を根城にする暴力団ですが、同日、二か所で襲撃に合い、ほぼ壊滅状態にあります」
鷹野が補足を入れた。おそらく氷野さんは総合的な結果に満足しているのだろう。港区の荒神会は今回の一件や組合の殺し屋、謎のハッカーの攻撃もあって、それなりのダメージを受けている状態だったのだ。今回の警察の介入も大きい。
そしてどれほどの繋がりを持っていたのかは分からないが、荒神会に関連する組織、林組の壊滅も何かしらかの痛手になっている筈だ。
この数日の間に、荒神会は幾つかの拠点を閉鎖したと言う情報も聞いている。
「港区から荒神会がいなくなった今の内に、再開発を強行するのも悪くないと思ってる。予定とは違うが、その点は悪くない状況と言える」
「そんな単純な話なのか? 荒神会の裏には確実に大きな組織がいるぞ。それに人身売買の件だって無視できない」
方々から攻撃を受けていたとは言え、これぐらいで壊滅する程、荒神会は小さな組織ではない。
鳴りを潜めたのではない。方々への反撃に転ずる機会を、荒神会が伺っているのは間違いなかった。
「勿論だよ、それを炙り出すのも目的の内だ」
穏やかなやり方とは思えなかった。氷野さんがやろうとしている事は、鬼のいぬ間に洗濯。と言ったところだ。行政も裏社会も在ったものじゃないが、それぐらいの思い切った強行手段にでないと、港区は何時までも外資系を装う犯罪組織の玄関口のままだ。
出来るだけ早く決着を着けないと、その縄張り争いに関わる人々が流血沙汰に巻き込まれる事態になる。これは思っていた以上に大仕事になりそうだ。
「裏が深そうだ。周辺、背後の関係も調べて、情報を固めていくしかないか」
「輝紫桜町にある林組の事務所の被害状況は高級クラブの襲撃と特徴がよく似ているそうよ」
「二発で仕留められている。ほとんどの遺体は頭を撃ち抜かれている。ってヤツだろ? “組合”の殺し屋。規模が大きいだけの烏合の衆とばかり思っていたが、中々の手練れがいるらしいな」
鷹野が警察の鑑識記録の資料を差し出す。幾つかの死体の写真は見事に頭を撃ち抜かれていた。
奇襲だった高級クラブと違い、これは明らかに弾丸飛び交う銃撃戦の中で行われている。余程、勤勉なのか、それとも染み付いた習慣か。いずれにしても、研ぎ澄まされた感覚と異常なまでの正確さだった。
「しばらくは林組の件を含めて、輝紫桜町での情報収集に徹してくれ。逐一報告するように」
「輝紫桜町か……変態の多い無法地帯。本来なら近寄りたくもない場所だ」
憂鬱な溜息が漏れる。この街に来て、真っ先に――最悪だ。と、思い知った場所が輝紫桜町だった。
東北エリアで最も巨大な歓楽街と貧民街を抱え持つ輝紫桜町は、IDも持たないワケ有りの人間達で溢れた貧民街から、犯罪者と売春婦、それどころか気色悪い男娼までもが際限なく湧いて出て来る、罪業の温床。
見るに堪えない欲望と堕落に満ちた、この世の地獄の様な街だった。
その規模に、行政も警察も対応しきれず、放置が続くていく内に、その地獄は肥大化し、特殊なコミュニティを形成して今に至る。
己の道は乱破の道と受け入れていながらも“里”で味わってきた忌々しい記憶もあって、近寄りたくない場所だ。
陰鬱な気分に陥っていると、その場に流れる沈黙に気付く。二人の方に目をやると、氷野も鷹野も怪訝そうに俺の方を見ていた。
「今の私の立場で言うべき事じゃないが。輝紫桜町は気を付けるとこさえ気を付けていれば楽しい場所だぞ。鵜飼も若いんだ、羽目を外してきたって多少の事は目を瞑っておくぞ。自慢じゃないが俺は、輝紫桜町の界隈じゃ男女にもモテてた。万年金欠だったけど、バイセクシュアルには得の多い街だったよ……」
氷野さんが満足げに当時を振り返る。ここへ来て間もない頃に、個人的に雇い主の身辺調査をした事があった。それをしたところで、俺に雇い主を選ぶ権利もなかったが、最低限の事を知っておきたかったからだ。
すっかり忘れていたが、氷野さんは若い頃、ホストクラブで働いていた過去があったそうだ。相当な人気があったらしく、最終的には数店舗の経営まで行っていた。当然、輝紫桜町である。
過去の自慢話には大した興味はない。好きに語ればいい。
しかし今、俺の胸の内は、強烈な胸焼けを起こしているかの様に、不快で気持ち悪いものが込み上げていた。
「そうだったんですか」
鷹野の声は今までとは明らかに違う、いやに弾んだ声。嫌な空気に包まれて行くのが分かる。
どこかでこの会話を断ち切らねば。でないと聞きたくもない話を聞かされる事になりそうだ。
両刀持ち、男のクセに男と寝る人種。
「あの街では色んな事を教わった。その経験は今の私にも活かせていると思っている。かけがえのない財産だよ」
「アンタ……男とも寝るのか? ホモなのか?」
話せるタイミングが訪れたので、すかさず氷野さんに尋ねる。俺の放った言葉で場の空気が凍り付いた。予想通りだな。
ホモと言う単語が、差別に当たると言う事は知っている。だから敢えて使わせてもらった。これでハッキリわかるだろう。俺が何一つ望んでいない事を。
「昔の話だよ、それにゲイでなくバイセクシュアルだ。今は可愛いカミさん一筋だがね。鵜飼は“そう言うの”ダメな方だったか……」
駄目や苦手を通り越して、嫌悪しかなかった。全く理解できない感覚である。普通に男女の関係だけで充分な筈なのに、わざわざこじらせてトラブルにする。
その挙句、そんな俺の感情は常に悪者扱いだ。本当に面倒臭い。
「氷野さん、俺は貴方への忠義は貫く、それは変わらない。でも軽蔑するよ」
「鵜飼、失礼よ。少し考えが古いんじゃないの」
鷹野がすかさず俺の言動を諫める。古い考え方。これもよく言われる台詞だ。
何が失礼だと言うのだ。同性どころか、節操なしな両刀持ちなど、不誠実極まりないじゃないか。
全く、どうしてこの世はこんなにも――混沌としているのだ。
「悪いが、古いんじゃない。何かと言えば多様性と押しつけがましく……俺は受け入れられないね。その手の話はこれきりだ。失礼するよ、仕事はキッチリやるから心配するな」
身体を起こし、ドアを開いて市長室を出た。控え目にするつもりの力加減を誤ったドアが荒っぽい音を立てた。
それにしても、まさかこんな身近に“そう言う”者がいたとは。
分かっていれば、こちらから近づく事もないが。完全な不可抗力である。これから氷野さんと話す時、どんな顔をすればいいんだ。いや、もうどうしようもない、割り切る為の努力をするしない。
「鵜飼、待って!」
ハイヒールのカツカツとした音が廊下に響く。鷹野の音だが、何時もより速く乱れたテンポだった。
軽く振り向く程度にした。こっちも気持ちの整理はついてなかった。少し、気不味い。
「自分のセクシュアルを他人に話す事には、ちゃんと意味があるの。今の貴方の態度も覚悟で氷野市長は言った筈よ、時間かけてもいいから、軽蔑の一言だけで終わらせないで、その意味を考えて」
何時も冷徹で、刺々しさがある鷹野にしては、懇切な物言いだった。確かに勢い任せで無礼を言ったのは自覚している。
しかし、こればかりは、どうしても苦手なんだ。冷静ではいられなくなる。
この手の話や言い合いになると、やはり俺は――悪者になる。
「分かってる……」
大きく一呼吸して、その場を後にする。俺にも言い分はあるが、それは堪えておく、今は仕事に集中したい。相変わらず気乗りはしないが、しばらくの間は、あの悪名名高い大歓楽街、輝紫桜町での密偵任務になる。
こちらの状況は、明らかに後手に回り過ぎた状態だった。裏で一体、何が蠢いているのだろうか。
荒神会を裏で操る勢力。その荒神会に干渉する殺し屋とハッカー。そして荒神会に敵対する謎のサイキック、九尾の黒狐。
それらは、それぞれの目的をって行動している。協力関係にない。
俺が黒狐と遭遇した時、殺し合いになった。尚もこの一件に関わるなら、そのどれかと遭遇した時、おそらく同じ事が起きるだろう。それで潰し合いになるなら、それもいいだろう。俺は潰す側に立つだけだ。
今後の事をより詳細に考えなくてならないと言うのに、頭の中が“里”での日々が甦る。思い出さない様に壁に頭を擦り付けた――アイツの姿がチラ付いて来る。
何時も、何時も、俺の前を行き、常に先を見通して全てを見極める。動きも業も、全て見極めて自分の戦略の中に取り込む。躱せたとしても、鋭く光る打刀の切っ先を喉元に突き付けて来る鼻持ちならない――甲賀の神童。
全部アイツのせいだ、今の俺も、今の家族も、男でありながら男しか愛せない歪んだアイツのせいだ。勝手に抜けて俺達の顔に泥を塗ったアイツの。
目の前のくすんだ壁に鼻持ちならないその顔が浮かび上がる前に拳を叩き付けた。
「クソ兄貴め……」
昼飯を食った後に襲って来る強烈な眠気はどうにかならんだろうか。腕を組み、壁にもたれていると立て続けにあくびが込み上げきてくどい。
それを嚙み殺している俺を、鷹野は冷ややかに睨んでいた。横にいる氷野さんだってあくびしてるじゃないか。俺ばかり睨みやがってと、軽く睨み返す。
荒神会の拠点へ忍び込んでから五日ほど経った。多忙だった氷野市長にはメールでの報告程度に留まり、今日やっと会って話す事が出来た。
市長室に置かれた七十インチの大型モニターには、俺の装備品の一つ、アクションカムが捉えた戦闘の一部始終が流れている。画面一杯に迫りくる、謎のサイキック、九尾の黒狐。その九本の鉄塊と、俺の分銅鎖が手前に奥に激しく飛び交う。
こうしてあの時の戦闘を見直してみると、自分の技のキレの様なものが、この数年の中で抜群に研ぎ澄まされていた。かつてない程の手数の多さに改めて驚く。
これは褒められる事ではなく、むしろ、己の過信に気付かされる思いだった。
この動きに見合う程の相手と戦う機会もなかったが、随分な怠慢に思えた。反省しなくては。
とにかく、あの黒狐には圧倒されていた。得体の知れない戦い方に決め手を見出せず、焦りを感じていたのを鮮明に覚えている。
唯一、俺が黒狐に対抗できたものは体術のみだった。尾の異様な動きや物体を止める。それらを除いた場合の、黒狐本人の身のこなしは荒っぽく、隙が多かった。
そこを突くための手数の多さだった。
「鷹野、もういいよ。ありがとう」
氷野さんの言葉に鷹野が静止ボタンを押す。丁度、俺が黒狐を抑え込む辺りで映像は止まった。この後、まんまと黒狐に形勢逆転をくらう情けない所を見ずに済むのなら、それもいい。かれこれ三周ほど、この動画を見ていた。
氷野さんは革張りの椅子に深く腰を下ろし、足を組み、机に置いた手に顎を乗せた姿勢のまま、神妙な顔持ちで物思いにふけっていた。
さて、何を言われるのだろうか。嫌味か小言か、両方かもしれない。何にしても今回の潜入は、成功とはいえない。荒神会のPCを写し込んだSSDの中身は初期化したてと言わんばかりに空っぽだった。とんだ無駄骨である。
連中の会話から得た謎のハッカー。九尾の黒狐や俺達よりも先を行っている様な気がしていた。
「サイキックか、古い友人を思い出したよ。学生時分でね、サイコキネシスで小石を数分浮かすだけで息切れを起こしていたな。それとは比べ物にならないな……」
ようやく氷野さんが口を開いたかと思えば、笑みを浮かべて昔話とは。サイキックの知り合いがいたとは。
「のんきな事を……際どかったんだぞ」
こちらの指摘に対しても、氷野は笑みを浮かべていた。
年齢差のせいか、俺の言い分は子供の言い分程度に何時もあしらわれてしまう。まったく質が悪い。
「よく相手の限界を見極められたわね」
「それ自体は難しくなかった。俺の投げた苦無や分銅鎖を静止させた時、動かない尾が数本あった。九尾の狐を模した衣装もヒントになった」
これを機にサイキックについて調べてみたが、その能力にも、随分な個人差や種類があるらしい。
あの黒狐は所謂“サイコキネシス”と言うカテゴリーに該当する。物体を操る能力だが、それも人それぞれで違うそうだ。氷野さんの友人の様に微力な者、物体を一つしか操れない者もいる。その一方で、あの黒狐の様に九つと複数を操れる者もいる。能力によってランク分けもされている様だ。有効範囲の広さと持ち上げる物体の質量から、あのサイキックはA、B、Cで分類された“A級”のサイキックになるだろう。他にも空気を物体と捉えて、衝撃波や炎を作り出す者もいるそうだ。
未だ多くの事は解明されていない中、サイキックの数は世界中で年々増えているそうだ。奇天烈な世の中と思い知らされる。
「荒神会に敵対している様だが、どこかの組織に属しているのだろうか?」
「見た目には十七か十八ぐらいの女の子なのに」
「サイキックなんて力があるなら、歳は関係ないだろう。敵に回すと脅威だ」
鷹野は不憫そうな調子で言うが、実際に戦ってみたこちらとしては、その思いはお門違いと言うものだ。
あの黒狐からは始終、苛立ちと焦り、怒りの様な感情を放っていた。そして何かは分からないが、是が非でも目的を果たさんとする、強い信念の様なものを感じた。
荒削りながら、恵まれた才能と強い意志を持っている。それはもう、立派な戦士と認識すべきだ。
「何にしても、ご苦労だったね、鵜飼」
先ほどから妙にマイペースな氷野さんから出た言葉は意外にも労いだった。
「あまり良い結果とは言えない。そもそもあの拠点に有力な情報はなかった。出来た事と言えば、せいぜい盗み聞ぎぐらいだ。空振りだ……」
あの夜から氷野さんに会う今日まで、失態に等しい結果をどう弁明するかを考えていたと言うのに、拍子抜けである。
「その会話の中に出てきた林組は、輝紫桜町を根城にする暴力団ですが、同日、二か所で襲撃に合い、ほぼ壊滅状態にあります」
鷹野が補足を入れた。おそらく氷野さんは総合的な結果に満足しているのだろう。港区の荒神会は今回の一件や組合の殺し屋、謎のハッカーの攻撃もあって、それなりのダメージを受けている状態だったのだ。今回の警察の介入も大きい。
そしてどれほどの繋がりを持っていたのかは分からないが、荒神会に関連する組織、林組の壊滅も何かしらかの痛手になっている筈だ。
この数日の間に、荒神会は幾つかの拠点を閉鎖したと言う情報も聞いている。
「港区から荒神会がいなくなった今の内に、再開発を強行するのも悪くないと思ってる。予定とは違うが、その点は悪くない状況と言える」
「そんな単純な話なのか? 荒神会の裏には確実に大きな組織がいるぞ。それに人身売買の件だって無視できない」
方々から攻撃を受けていたとは言え、これぐらいで壊滅する程、荒神会は小さな組織ではない。
鳴りを潜めたのではない。方々への反撃に転ずる機会を、荒神会が伺っているのは間違いなかった。
「勿論だよ、それを炙り出すのも目的の内だ」
穏やかなやり方とは思えなかった。氷野さんがやろうとしている事は、鬼のいぬ間に洗濯。と言ったところだ。行政も裏社会も在ったものじゃないが、それぐらいの思い切った強行手段にでないと、港区は何時までも外資系を装う犯罪組織の玄関口のままだ。
出来るだけ早く決着を着けないと、その縄張り争いに関わる人々が流血沙汰に巻き込まれる事態になる。これは思っていた以上に大仕事になりそうだ。
「裏が深そうだ。周辺、背後の関係も調べて、情報を固めていくしかないか」
「輝紫桜町にある林組の事務所の被害状況は高級クラブの襲撃と特徴がよく似ているそうよ」
「二発で仕留められている。ほとんどの遺体は頭を撃ち抜かれている。ってヤツだろ? “組合”の殺し屋。規模が大きいだけの烏合の衆とばかり思っていたが、中々の手練れがいるらしいな」
鷹野が警察の鑑識記録の資料を差し出す。幾つかの死体の写真は見事に頭を撃ち抜かれていた。
奇襲だった高級クラブと違い、これは明らかに弾丸飛び交う銃撃戦の中で行われている。余程、勤勉なのか、それとも染み付いた習慣か。いずれにしても、研ぎ澄まされた感覚と異常なまでの正確さだった。
「しばらくは林組の件を含めて、輝紫桜町での情報収集に徹してくれ。逐一報告するように」
「輝紫桜町か……変態の多い無法地帯。本来なら近寄りたくもない場所だ」
憂鬱な溜息が漏れる。この街に来て、真っ先に――最悪だ。と、思い知った場所が輝紫桜町だった。
東北エリアで最も巨大な歓楽街と貧民街を抱え持つ輝紫桜町は、IDも持たないワケ有りの人間達で溢れた貧民街から、犯罪者と売春婦、それどころか気色悪い男娼までもが際限なく湧いて出て来る、罪業の温床。
見るに堪えない欲望と堕落に満ちた、この世の地獄の様な街だった。
その規模に、行政も警察も対応しきれず、放置が続くていく内に、その地獄は肥大化し、特殊なコミュニティを形成して今に至る。
己の道は乱破の道と受け入れていながらも“里”で味わってきた忌々しい記憶もあって、近寄りたくない場所だ。
陰鬱な気分に陥っていると、その場に流れる沈黙に気付く。二人の方に目をやると、氷野も鷹野も怪訝そうに俺の方を見ていた。
「今の私の立場で言うべき事じゃないが。輝紫桜町は気を付けるとこさえ気を付けていれば楽しい場所だぞ。鵜飼も若いんだ、羽目を外してきたって多少の事は目を瞑っておくぞ。自慢じゃないが俺は、輝紫桜町の界隈じゃ男女にもモテてた。万年金欠だったけど、バイセクシュアルには得の多い街だったよ……」
氷野さんが満足げに当時を振り返る。ここへ来て間もない頃に、個人的に雇い主の身辺調査をした事があった。それをしたところで、俺に雇い主を選ぶ権利もなかったが、最低限の事を知っておきたかったからだ。
すっかり忘れていたが、氷野さんは若い頃、ホストクラブで働いていた過去があったそうだ。相当な人気があったらしく、最終的には数店舗の経営まで行っていた。当然、輝紫桜町である。
過去の自慢話には大した興味はない。好きに語ればいい。
しかし今、俺の胸の内は、強烈な胸焼けを起こしているかの様に、不快で気持ち悪いものが込み上げていた。
「そうだったんですか」
鷹野の声は今までとは明らかに違う、いやに弾んだ声。嫌な空気に包まれて行くのが分かる。
どこかでこの会話を断ち切らねば。でないと聞きたくもない話を聞かされる事になりそうだ。
両刀持ち、男のクセに男と寝る人種。
「あの街では色んな事を教わった。その経験は今の私にも活かせていると思っている。かけがえのない財産だよ」
「アンタ……男とも寝るのか? ホモなのか?」
話せるタイミングが訪れたので、すかさず氷野さんに尋ねる。俺の放った言葉で場の空気が凍り付いた。予想通りだな。
ホモと言う単語が、差別に当たると言う事は知っている。だから敢えて使わせてもらった。これでハッキリわかるだろう。俺が何一つ望んでいない事を。
「昔の話だよ、それにゲイでなくバイセクシュアルだ。今は可愛いカミさん一筋だがね。鵜飼は“そう言うの”ダメな方だったか……」
駄目や苦手を通り越して、嫌悪しかなかった。全く理解できない感覚である。普通に男女の関係だけで充分な筈なのに、わざわざこじらせてトラブルにする。
その挙句、そんな俺の感情は常に悪者扱いだ。本当に面倒臭い。
「氷野さん、俺は貴方への忠義は貫く、それは変わらない。でも軽蔑するよ」
「鵜飼、失礼よ。少し考えが古いんじゃないの」
鷹野がすかさず俺の言動を諫める。古い考え方。これもよく言われる台詞だ。
何が失礼だと言うのだ。同性どころか、節操なしな両刀持ちなど、不誠実極まりないじゃないか。
全く、どうしてこの世はこんなにも――混沌としているのだ。
「悪いが、古いんじゃない。何かと言えば多様性と押しつけがましく……俺は受け入れられないね。その手の話はこれきりだ。失礼するよ、仕事はキッチリやるから心配するな」
身体を起こし、ドアを開いて市長室を出た。控え目にするつもりの力加減を誤ったドアが荒っぽい音を立てた。
それにしても、まさかこんな身近に“そう言う”者がいたとは。
分かっていれば、こちらから近づく事もないが。完全な不可抗力である。これから氷野さんと話す時、どんな顔をすればいいんだ。いや、もうどうしようもない、割り切る為の努力をするしない。
「鵜飼、待って!」
ハイヒールのカツカツとした音が廊下に響く。鷹野の音だが、何時もより速く乱れたテンポだった。
軽く振り向く程度にした。こっちも気持ちの整理はついてなかった。少し、気不味い。
「自分のセクシュアルを他人に話す事には、ちゃんと意味があるの。今の貴方の態度も覚悟で氷野市長は言った筈よ、時間かけてもいいから、軽蔑の一言だけで終わらせないで、その意味を考えて」
何時も冷徹で、刺々しさがある鷹野にしては、懇切な物言いだった。確かに勢い任せで無礼を言ったのは自覚している。
しかし、こればかりは、どうしても苦手なんだ。冷静ではいられなくなる。
この手の話や言い合いになると、やはり俺は――悪者になる。
「分かってる……」
大きく一呼吸して、その場を後にする。俺にも言い分はあるが、それは堪えておく、今は仕事に集中したい。相変わらず気乗りはしないが、しばらくの間は、あの悪名名高い大歓楽街、輝紫桜町での密偵任務になる。
こちらの状況は、明らかに後手に回り過ぎた状態だった。裏で一体、何が蠢いているのだろうか。
荒神会を裏で操る勢力。その荒神会に干渉する殺し屋とハッカー。そして荒神会に敵対する謎のサイキック、九尾の黒狐。
それらは、それぞれの目的をって行動している。協力関係にない。
俺が黒狐と遭遇した時、殺し合いになった。尚もこの一件に関わるなら、そのどれかと遭遇した時、おそらく同じ事が起きるだろう。それで潰し合いになるなら、それもいいだろう。俺は潰す側に立つだけだ。
今後の事をより詳細に考えなくてならないと言うのに、頭の中が“里”での日々が甦る。思い出さない様に壁に頭を擦り付けた――アイツの姿がチラ付いて来る。
何時も、何時も、俺の前を行き、常に先を見通して全てを見極める。動きも業も、全て見極めて自分の戦略の中に取り込む。躱せたとしても、鋭く光る打刀の切っ先を喉元に突き付けて来る鼻持ちならない――甲賀の神童。
全部アイツのせいだ、今の俺も、今の家族も、男でありながら男しか愛せない歪んだアイツのせいだ。勝手に抜けて俺達の顔に泥を塗ったアイツの。
目の前のくすんだ壁に鼻持ちならないその顔が浮かび上がる前に拳を叩き付けた。
「クソ兄貴め……」