残酷な描写あり
R-15
9.― PORNO DEMON ―
9.― PORNO DEMON ―
いい景色だな、丁度、風も落ち着いてきて気が休まる。と、悠長に夜景を楽しむにはイカれた状況だ。今のところ下の方に騒がしさもない。ホテルのシステムは今でもコントロール下にある。
ホテルの全ての電子ロックは閉ざされ、すべてのシャッターが閉じ、通信もシャットアウトされている完全な孤立状態。警察が来たところで、入口で数時間はもたつく状態だ。
焦らない程度に程よく時間を使える。林組とのクソみたいな仕事の仕上げに取り掛かる事にしよう。
竹藤の死体をソファからどかして、うなだれる松田の前に運ぶ。松田の前に奪ったノートPCを見える様に置いた。PCには解いたブレスレッドのコネクターを接続してある。
腰に付けていた補助端末も起動して、下部からコネクターを引っ張り出す。
「松田さんもイジワルだよねぇ、こう言う時は他人行儀だなんて、俺の事、隅々まで知ってるくせにさ……」
ソファに腰を掛け松田を見下ろす。つれない態度は別にどうでもいい。どうしても理解できないのは、散々舐め回して何度も貪った相手に対して、平気で銃を向けるその感覚だった。
客とHOEの関係だとしても、無情過ぎる、これだからヤクザは嫌いなんだ。
「素直に二〇〇万払えば、こんな事せずに済んだのに……」
左腕の袖を捲り、PCと補助端末から伸ばしたケーブルのコネクターを前腕部の裏側に埋め込んであるポートへ差し込む。その瞬間、接続した端末の情報が頭に一気流れ込んでくる。頭痛の元でもあるが、この感覚が中々快感だったりもする。
松田を見下ろす視界に被る様に、PCの情報がモニタリングされた。先ずはオンラインの履歴と並行して、あらゆるログデータにも探りを入れる。
「そもそも、アンタ等が悪いんだぜ。CrackerImpに借りがあるみたいに言ってたけど、六年前にお前等は俺や友人を傷付けた。あの時、心に決めた。あのクソみたいな”地獄を乗っ取って”やろうってね……」
補助端末を床に置き、ソファに脚を組んで深く座る。安物ライターは珍しく、素直に煙草に火を着けてくれた。
ここからのタスクは膨大ながら、地味で暇だ。実際はフル稼働だが、それ故に過度な集中は負荷がかかる。
「そこに転がってるサイボーグ、あれと同じさ、俺もサイボーグなんだ。笑えるだろ? 輝紫桜町のポルノデーモンが、機械仕掛けになっていたなんてさ……。しかも、その辺のサイボーグなんかよりも、ずっと質が悪い」
煙草を一筋吹く。松田は虫に息だが、俺の話を聞いていた。気を紛らわすぐらいの無駄話をしていた方が負荷が和らぐし、タスクが捗る。
サイボーグと言う技術は元々、様々な理由で身体の一部を失った人達の為の技術だ。とは言え、技術なんてものは高まれば高まる程、本来の用途とは異なる、血生臭い事にも利用されるのが世に常だ。そこでスクラップになってるサイボーグがその一例。
そして俺が、そんなサイボーグよりも質が悪いのは、今の時代でも超えてはならない一線を越えてしまっているからだった。
「覚えてる? 七年前の”第三次紫桜抗争”を。街中が戦場になった……俺の飼い主“ナバン”が招いた戦争。街は封鎖されて誰彼構わず巻き込まれて死んでいった。俺もね、頭に弾丸を三発食らって、脳死したんだ。左目も派手にぶっ潰れたよ……数日後、目が覚めたら、損傷した大脳の一部が機械に挿げ替えられていた。強制的に蘇生させた大脳に直結させたのは、恐ろしく高性能な電子計算機と自律思考型のAIが二機。それが思考と記憶を復元させて、俺は生き返った」
今でもハッキリ覚えている。目が覚めた時、自分の物じゃない目が見た違和感だらけ自分と、それを得体のしれない誰かが、俺だと認識させようとしている一連の処理を。その時の混乱が引き金になって右目の人口眼球に血液が漏れて変色した。
幸い見た目だけで、視界には何一つ支障はないが、それは、今までの蓮夢ではない――今の俺になった瞬間だった。
不意に思い出した記憶を閉じて、意識をPCへ戻す。オンラインの履歴から探し出し、お目当ては見つける。林組の使っている秘密口座だ。この手の連中は口座を作れないから、別物に上手く化けている。
幾つか口座を持っているのだろうが、流石に全てを漁る時間はない。履歴から見て利用頻度の多いものに目星をつけた。
「ある時、ふと思ったんだ……俺の頭の中には、こんなに優れたコンピューターが入っているのに、それをオフラインのまま、生かす為だけに使ってるなんて、宝の持ち腐れなんじゃなかってね。わかるだろ? 輝紫桜町で生きるなら何でも利用しなきゃ生きていけない。そう言う貧乏性がね、ちょっとしたアイディアを思い付いた」
生かされた事を、命拾いした事を呪いたくはないが、たかだか歓楽街のHOEの命を救うには高すぎる値のパーツの数々。何の価値もない、こんな俺なんかにと。
それでも、腐って塞ぎ込んでもいられない。何であれ、俺がこうなったのは、紛れもない現実だったからだ。
あの頃は焦っていた。今もそれは変わらないが、今の自分に相応しいだけの価値を作りたかった。
「改造したんだ、色々とね。自分の脳を外へ解き放つ為に、目や一部の骨に、外部機器と直結できるデバイスや送受信機を埋め込んだ。今の俺は、世の中の全てのデバイスに侵入できる。ほぼ無制限に、思いのまま……」
煙草から煙草へ火を移し、吸い殻を捨てる。仕上げの作業も順調に進んでいた。
光速にも思える様な、膨大な二進法の羅列を瞬時に理解できるなら、暗号化もプログラム言語も意味はない。並のハッカーが数週間は費やす地道な探りも、遠回りしながら見つけるの裏口も、俺は感覚的に〇と一をかき分けながら、必要な一と〇を拾い上げるだけで目的を果たせる。
漁っていたログデータからも、お目当ての情報も手に入れた。
「ドローンは手足の様に操れる。サイボーグは内側から破壊できる。そしてお前等の口座にアクセスして有り金を奪うのも訳もない」
松田は勝手に動き続けるPCに釘付けになっている。
林組のオンライン口座に正規ルートでアクセスした。探っていたのは林組の秘密口座とログインに必要なパスワードの類。落ち目のヤクザでも、金がないなんて事はないんだ。
とは言え、口座の総額は二〇〇〇万そこらだった。一部の資金だろうが、シケた額だな。
龍岡への残りの借金と、この補助端末の製作費、そして事前に作ってある、複数の海外の架空口座への振り込み巡回でかかる手数料を差し引いて、ギリギリと言う所か。
「金も払わない上に俺を殺そうとした、そのペナルティとして、この金は全部もらっとくよ」
そうさ、ペナルティだ。俺には権利がある。当然の対価だ。CrackerImpは言われた通りの仕事をキッチリやったし、その行為を踏み躙った上に不義理を働いたのは林組だ。
そして、このトラブルを俺は切り抜けたのだ。自分の命を守る為に。だからこの非道徳な行いには罪はないんだ。そう自分に言い聞かせた。
ここからは少し意識を集中させる。二〇〇〇万を細かく不均一に五等分して、各架空口座へ送金する。明日はそれぞれ、その口座から他の口座に送金して万が一の追跡に備える。金の洗浄ってヤツだ。
後は、数日かけて龍岡の口座に振り込めば、めでたく完済するだろう。
自分の口座にも少し入れたいと言う、欲もチラッと過ったが、それは堪えておく。それをやり始めたら、この能力を汚す様な気がするからだ。
俺をこうした龍岡や、輝紫桜町に生きる人達が、俺の死を望まなかった結果が今の俺であるならば、せめて最低限のモラルは保つべきだと思っている。
この能力はそんな薄汚い欲の為に、利己的な欲の為には使わない。そう決めていた。
何だって出来る筈さ、俺はこの世界のあらゆる中枢神経に、そして心臓部に入り込んで、思い通りに書き換え、思い通りに壊す事が出来る。
自分が成ってみて、つくづく思う。大脳の機械化によるネットワークへの意識介入。禁じられているのは正解だ。
俺の身体を貪る、汚い金持ち達の様に、際限ない欲望に身を委ねて、世界中を敵に回し、この世の王に成ってみるのも、やってみる価値はあるかもしれない。
でも、馬鹿みたいだけど、俺はそうはならない。ちっぽけで悪戯者なインプで上等さ。
どんなにこの身体を汚されても、この心だけは汚せない。時に揺らめく事があっても、そう信じて、今まで生きてきた自分の為にも、俺は俺で在り続けなくてはならないからだ。
送金作業が一通り終わった。ついでに役立つ情報でもないか、PCのあらゆるデータを漁り散らす。
林組と荒神会の関係は、単純な縄張り争いや、怨恨の類なんかじゃない。何かが裏で大きく物事が動きかけていると経験で感じている。――前後関係の把握をしておくべきだ。
今、CrackerImpが香港の子から請け負っている依頼は間違いなく、今までの依頼の中でも、一番大きなトラブルだ。
このぶっ壊れた日本じゃ、世界中の国が札束を見せびらかして、やりたい放題をしている。
政治に興味なんかない。俺にはどうでもいい事だけど、そのせいで世界中のきな臭い物が流れ込んでいるのは事実だった。勿論、そのおこぼれに、俺を含め大歓楽街の輝紫桜町が、しっかりと吸い取って潤わせてもらってる。救いようのない地獄さ。
とは言え今、俺の住むこの地で、この街が、世界規模のネットワークで構築された、人身売買の隠れ蓑と化している。
林組も荒神会も、それに比べれば、ただの下っ端に過ぎないのだろう。その先に何がいるのか、今はまだ想像もできない。
それでも、着実に情報を手には入れて続けている。――情報こそ最大の切り札。
問題なのは、その先をどうすべきかだが、そればかりは、どうにもならない様な気がしてならない。壊れた国の壊れた警察や軍で何ができると言うのだ。ましてクライアントの子に、そして輝紫桜町のHOEに。まだまだ考えないとならない事が山積みだった。
遠くの方からサイレンが聞こえてくる。ここに向かっているのだろうか。そろそろホテルの異変に気付かれても、不思議じゃないくらいだ。
念の為、今の内にドローンを外へ飛ばし退場させる。自動操縦で帰路へ着くようにプログラムしてある。
林組のPCの中にある情報も全て奪い取った。俺もまだ知らない、気になる情報も幾つか手に入った。後日、ゆっくり眺めさせてもらう。林組からは仕事の報酬以上の収穫を得る事になった。暴力に訴え、野蛮な手段を使う方が、何事も手っ取り早いと言うのは、本当に皮肉を感じる。理性よりも本能なんて、そんなのセックスだけで充分だよ。
煙草を捨てて、ソファから腰を上げる。補助端末を拾い、腕からコネクターを外す。ケーブルがシュルシュルと補助端末へ巻き戻った。
同じくPCからもコネクターを外す。腕からコネクターを外す時、僅かに骨の奥でビリっと電気が走る感じがある。不快な感覚だ。
松田は虫の息だが、この調子だと、しばらく死ななさそうだった。気が乗らないが――終いまで面倒見ないとな。
使い道はなさそうに思えたが、腰に手を回しジーンズに突っ込んでいた拳銃を取り出す。
「林組もこれで終わりだね。潰そうと思えば何時でもやれた……でも、やらせるなよ……」
松田の目に、そして心にも、もはや恐怖や抵抗はなかった。諦めか、思考力の低下か。それを感じた俺にも迷いが消えていた。引き金を引き、弾ける音が三回、松田の息の根を止めた。長い事、輝紫桜町の賭博事業を牛耳り、一時期は“ナバン”に匹敵する程の大きな勢力だった林組の最後だ。生き残った連中は半端な奴等ばかり、立て直しは不可能だろう。しばらく輝紫桜町は混乱するだろうな、面倒臭さいな。
粉々に割れた窓から入り込む、強めの風に反響するサイレンの音が、少し近づいている様に思えた。
前髪を掻き上げながら天井を眺める。深い溜息なのか、深呼吸なのかも分からないものを吐き出して、乗っ取っているホテルのシステムへアクセスする。
この部屋と非常階段までの間の防火シャッターのみを解除した。床に落ちている誰かのオイルライターを拾い、火を着けてカーテンへ投げ込む。
数分後には火災報知器が反応するだろう。これでホテルのシステム異常の原因は火災によるものと解釈される。
部屋を出て、非常階段を下る。十五階から黙々と階段を使うのは億劫だが、地下の駐車場まで直通だった。
非常階段越しにも、客室からのざわつきが聞こえてくる。ドアのロックがかかって開かないのだから当然か。蹴破ろうとしているか、乱暴な音も聞こえてくる。
大昔のウイルスパンデミック以降、ホテルの隔離性を高める為に電子ロックの開閉をホテル側でコントロールできる様に義務化されているそうだ。俺にとっては都合が良かった。
申し訳ないが、もう少し俺の都合に合わせてもらうよ。七階まで下りた辺りでホテルのシステムから火災報知器の反応が現れた。今は俺が抑え込んでいる。もう少し俺が階層を降りた辺りで全てを開放するつもりだ。
階段を下りるペースを上げていき、三階まで下りた辺りで、ホテルの全てのシステムを解き放つ。その数秒後に火災警報が鳴り響いた。
そこら中から宿泊客の罵声に怒声、悲鳴が飛び交っていた。地獄絵図だな。唯一開放していないのは、非常階段の扉のロックだけだ。
やっと地下駐車場まで辿り着いた。呼吸を整えて、安堵に浸りながら愛車のバイクまで向かう。
そそくさとバイクのサイドバックに拳銃や補助端末を放り、ジャケットのジッパーを首元まで上げて、ヘルメットを被る。
エンジンから容赦ない爆音が鳴り響いたタイミングで、駐車場のシャッターも上げる。
そして、ホテルの全てのシステムを放棄した。勿論、ハッキングプログラムの痕跡も全て消し去って。
バイクのタイヤが力強く、地面を切り付けて飛び出す。スロープを上がり切って地上へ登り出た。
広がる視界の中で、ホテルの正面には既に野次馬とそれを抑える警察がいた。
向かいから迫る、パトカーと消防車を何食わぬ雰囲気でかわす。
脳の機能を通常へ戻し、無線シグナルも閉ざした。妙な解放感と共に疲労感が押し寄せてくる。可能なら、直接脳に指を当てて、揉み解したい様な、そんな気分だった。何時もの頭痛がやって来るのも時間の問題だろう。
大金も手に入った。仕事も一つ終わり、もう一つの仕事だって前進した。にも拘らず、俺の気分は沈んで行く一方だった。一体何時から、こんなにも弱くなってしまったのか。この数年で明らかに心の擦り減り方が違う。
これは時間が解決してくれるものなのだろうか、それとも何かで紛らわすか。何がいい。
何時もより高い酒でも浴びるか、分量なんか無視して、手当たり次第にドラッグをキメるか、それとも、その全てをやった後で、その辺の安っぽい心に――身体を委ねようか。
夜もぼちぼち深まってきた。輝紫桜町はこれからがお楽しみの時間だ。あそこなら何でも揃ってる。より取り見取りの業と欲に塗れてしまいたかった。
疲れた、もう戻ろう――根城の地獄へ。
いい景色だな、丁度、風も落ち着いてきて気が休まる。と、悠長に夜景を楽しむにはイカれた状況だ。今のところ下の方に騒がしさもない。ホテルのシステムは今でもコントロール下にある。
ホテルの全ての電子ロックは閉ざされ、すべてのシャッターが閉じ、通信もシャットアウトされている完全な孤立状態。警察が来たところで、入口で数時間はもたつく状態だ。
焦らない程度に程よく時間を使える。林組とのクソみたいな仕事の仕上げに取り掛かる事にしよう。
竹藤の死体をソファからどかして、うなだれる松田の前に運ぶ。松田の前に奪ったノートPCを見える様に置いた。PCには解いたブレスレッドのコネクターを接続してある。
腰に付けていた補助端末も起動して、下部からコネクターを引っ張り出す。
「松田さんもイジワルだよねぇ、こう言う時は他人行儀だなんて、俺の事、隅々まで知ってるくせにさ……」
ソファに腰を掛け松田を見下ろす。つれない態度は別にどうでもいい。どうしても理解できないのは、散々舐め回して何度も貪った相手に対して、平気で銃を向けるその感覚だった。
客とHOEの関係だとしても、無情過ぎる、これだからヤクザは嫌いなんだ。
「素直に二〇〇万払えば、こんな事せずに済んだのに……」
左腕の袖を捲り、PCと補助端末から伸ばしたケーブルのコネクターを前腕部の裏側に埋め込んであるポートへ差し込む。その瞬間、接続した端末の情報が頭に一気流れ込んでくる。頭痛の元でもあるが、この感覚が中々快感だったりもする。
松田を見下ろす視界に被る様に、PCの情報がモニタリングされた。先ずはオンラインの履歴と並行して、あらゆるログデータにも探りを入れる。
「そもそも、アンタ等が悪いんだぜ。CrackerImpに借りがあるみたいに言ってたけど、六年前にお前等は俺や友人を傷付けた。あの時、心に決めた。あのクソみたいな”地獄を乗っ取って”やろうってね……」
補助端末を床に置き、ソファに脚を組んで深く座る。安物ライターは珍しく、素直に煙草に火を着けてくれた。
ここからのタスクは膨大ながら、地味で暇だ。実際はフル稼働だが、それ故に過度な集中は負荷がかかる。
「そこに転がってるサイボーグ、あれと同じさ、俺もサイボーグなんだ。笑えるだろ? 輝紫桜町のポルノデーモンが、機械仕掛けになっていたなんてさ……。しかも、その辺のサイボーグなんかよりも、ずっと質が悪い」
煙草を一筋吹く。松田は虫に息だが、俺の話を聞いていた。気を紛らわすぐらいの無駄話をしていた方が負荷が和らぐし、タスクが捗る。
サイボーグと言う技術は元々、様々な理由で身体の一部を失った人達の為の技術だ。とは言え、技術なんてものは高まれば高まる程、本来の用途とは異なる、血生臭い事にも利用されるのが世に常だ。そこでスクラップになってるサイボーグがその一例。
そして俺が、そんなサイボーグよりも質が悪いのは、今の時代でも超えてはならない一線を越えてしまっているからだった。
「覚えてる? 七年前の”第三次紫桜抗争”を。街中が戦場になった……俺の飼い主“ナバン”が招いた戦争。街は封鎖されて誰彼構わず巻き込まれて死んでいった。俺もね、頭に弾丸を三発食らって、脳死したんだ。左目も派手にぶっ潰れたよ……数日後、目が覚めたら、損傷した大脳の一部が機械に挿げ替えられていた。強制的に蘇生させた大脳に直結させたのは、恐ろしく高性能な電子計算機と自律思考型のAIが二機。それが思考と記憶を復元させて、俺は生き返った」
今でもハッキリ覚えている。目が覚めた時、自分の物じゃない目が見た違和感だらけ自分と、それを得体のしれない誰かが、俺だと認識させようとしている一連の処理を。その時の混乱が引き金になって右目の人口眼球に血液が漏れて変色した。
幸い見た目だけで、視界には何一つ支障はないが、それは、今までの蓮夢ではない――今の俺になった瞬間だった。
不意に思い出した記憶を閉じて、意識をPCへ戻す。オンラインの履歴から探し出し、お目当ては見つける。林組の使っている秘密口座だ。この手の連中は口座を作れないから、別物に上手く化けている。
幾つか口座を持っているのだろうが、流石に全てを漁る時間はない。履歴から見て利用頻度の多いものに目星をつけた。
「ある時、ふと思ったんだ……俺の頭の中には、こんなに優れたコンピューターが入っているのに、それをオフラインのまま、生かす為だけに使ってるなんて、宝の持ち腐れなんじゃなかってね。わかるだろ? 輝紫桜町で生きるなら何でも利用しなきゃ生きていけない。そう言う貧乏性がね、ちょっとしたアイディアを思い付いた」
生かされた事を、命拾いした事を呪いたくはないが、たかだか歓楽街のHOEの命を救うには高すぎる値のパーツの数々。何の価値もない、こんな俺なんかにと。
それでも、腐って塞ぎ込んでもいられない。何であれ、俺がこうなったのは、紛れもない現実だったからだ。
あの頃は焦っていた。今もそれは変わらないが、今の自分に相応しいだけの価値を作りたかった。
「改造したんだ、色々とね。自分の脳を外へ解き放つ為に、目や一部の骨に、外部機器と直結できるデバイスや送受信機を埋め込んだ。今の俺は、世の中の全てのデバイスに侵入できる。ほぼ無制限に、思いのまま……」
煙草から煙草へ火を移し、吸い殻を捨てる。仕上げの作業も順調に進んでいた。
光速にも思える様な、膨大な二進法の羅列を瞬時に理解できるなら、暗号化もプログラム言語も意味はない。並のハッカーが数週間は費やす地道な探りも、遠回りしながら見つけるの裏口も、俺は感覚的に〇と一をかき分けながら、必要な一と〇を拾い上げるだけで目的を果たせる。
漁っていたログデータからも、お目当ての情報も手に入れた。
「ドローンは手足の様に操れる。サイボーグは内側から破壊できる。そしてお前等の口座にアクセスして有り金を奪うのも訳もない」
松田は勝手に動き続けるPCに釘付けになっている。
林組のオンライン口座に正規ルートでアクセスした。探っていたのは林組の秘密口座とログインに必要なパスワードの類。落ち目のヤクザでも、金がないなんて事はないんだ。
とは言え、口座の総額は二〇〇〇万そこらだった。一部の資金だろうが、シケた額だな。
龍岡への残りの借金と、この補助端末の製作費、そして事前に作ってある、複数の海外の架空口座への振り込み巡回でかかる手数料を差し引いて、ギリギリと言う所か。
「金も払わない上に俺を殺そうとした、そのペナルティとして、この金は全部もらっとくよ」
そうさ、ペナルティだ。俺には権利がある。当然の対価だ。CrackerImpは言われた通りの仕事をキッチリやったし、その行為を踏み躙った上に不義理を働いたのは林組だ。
そして、このトラブルを俺は切り抜けたのだ。自分の命を守る為に。だからこの非道徳な行いには罪はないんだ。そう自分に言い聞かせた。
ここからは少し意識を集中させる。二〇〇〇万を細かく不均一に五等分して、各架空口座へ送金する。明日はそれぞれ、その口座から他の口座に送金して万が一の追跡に備える。金の洗浄ってヤツだ。
後は、数日かけて龍岡の口座に振り込めば、めでたく完済するだろう。
自分の口座にも少し入れたいと言う、欲もチラッと過ったが、それは堪えておく。それをやり始めたら、この能力を汚す様な気がするからだ。
俺をこうした龍岡や、輝紫桜町に生きる人達が、俺の死を望まなかった結果が今の俺であるならば、せめて最低限のモラルは保つべきだと思っている。
この能力はそんな薄汚い欲の為に、利己的な欲の為には使わない。そう決めていた。
何だって出来る筈さ、俺はこの世界のあらゆる中枢神経に、そして心臓部に入り込んで、思い通りに書き換え、思い通りに壊す事が出来る。
自分が成ってみて、つくづく思う。大脳の機械化によるネットワークへの意識介入。禁じられているのは正解だ。
俺の身体を貪る、汚い金持ち達の様に、際限ない欲望に身を委ねて、世界中を敵に回し、この世の王に成ってみるのも、やってみる価値はあるかもしれない。
でも、馬鹿みたいだけど、俺はそうはならない。ちっぽけで悪戯者なインプで上等さ。
どんなにこの身体を汚されても、この心だけは汚せない。時に揺らめく事があっても、そう信じて、今まで生きてきた自分の為にも、俺は俺で在り続けなくてはならないからだ。
送金作業が一通り終わった。ついでに役立つ情報でもないか、PCのあらゆるデータを漁り散らす。
林組と荒神会の関係は、単純な縄張り争いや、怨恨の類なんかじゃない。何かが裏で大きく物事が動きかけていると経験で感じている。――前後関係の把握をしておくべきだ。
今、CrackerImpが香港の子から請け負っている依頼は間違いなく、今までの依頼の中でも、一番大きなトラブルだ。
このぶっ壊れた日本じゃ、世界中の国が札束を見せびらかして、やりたい放題をしている。
政治に興味なんかない。俺にはどうでもいい事だけど、そのせいで世界中のきな臭い物が流れ込んでいるのは事実だった。勿論、そのおこぼれに、俺を含め大歓楽街の輝紫桜町が、しっかりと吸い取って潤わせてもらってる。救いようのない地獄さ。
とは言え今、俺の住むこの地で、この街が、世界規模のネットワークで構築された、人身売買の隠れ蓑と化している。
林組も荒神会も、それに比べれば、ただの下っ端に過ぎないのだろう。その先に何がいるのか、今はまだ想像もできない。
それでも、着実に情報を手には入れて続けている。――情報こそ最大の切り札。
問題なのは、その先をどうすべきかだが、そればかりは、どうにもならない様な気がしてならない。壊れた国の壊れた警察や軍で何ができると言うのだ。ましてクライアントの子に、そして輝紫桜町のHOEに。まだまだ考えないとならない事が山積みだった。
遠くの方からサイレンが聞こえてくる。ここに向かっているのだろうか。そろそろホテルの異変に気付かれても、不思議じゃないくらいだ。
念の為、今の内にドローンを外へ飛ばし退場させる。自動操縦で帰路へ着くようにプログラムしてある。
林組のPCの中にある情報も全て奪い取った。俺もまだ知らない、気になる情報も幾つか手に入った。後日、ゆっくり眺めさせてもらう。林組からは仕事の報酬以上の収穫を得る事になった。暴力に訴え、野蛮な手段を使う方が、何事も手っ取り早いと言うのは、本当に皮肉を感じる。理性よりも本能なんて、そんなのセックスだけで充分だよ。
煙草を捨てて、ソファから腰を上げる。補助端末を拾い、腕からコネクターを外す。ケーブルがシュルシュルと補助端末へ巻き戻った。
同じくPCからもコネクターを外す。腕からコネクターを外す時、僅かに骨の奥でビリっと電気が走る感じがある。不快な感覚だ。
松田は虫の息だが、この調子だと、しばらく死ななさそうだった。気が乗らないが――終いまで面倒見ないとな。
使い道はなさそうに思えたが、腰に手を回しジーンズに突っ込んでいた拳銃を取り出す。
「林組もこれで終わりだね。潰そうと思えば何時でもやれた……でも、やらせるなよ……」
松田の目に、そして心にも、もはや恐怖や抵抗はなかった。諦めか、思考力の低下か。それを感じた俺にも迷いが消えていた。引き金を引き、弾ける音が三回、松田の息の根を止めた。長い事、輝紫桜町の賭博事業を牛耳り、一時期は“ナバン”に匹敵する程の大きな勢力だった林組の最後だ。生き残った連中は半端な奴等ばかり、立て直しは不可能だろう。しばらく輝紫桜町は混乱するだろうな、面倒臭さいな。
粉々に割れた窓から入り込む、強めの風に反響するサイレンの音が、少し近づいている様に思えた。
前髪を掻き上げながら天井を眺める。深い溜息なのか、深呼吸なのかも分からないものを吐き出して、乗っ取っているホテルのシステムへアクセスする。
この部屋と非常階段までの間の防火シャッターのみを解除した。床に落ちている誰かのオイルライターを拾い、火を着けてカーテンへ投げ込む。
数分後には火災報知器が反応するだろう。これでホテルのシステム異常の原因は火災によるものと解釈される。
部屋を出て、非常階段を下る。十五階から黙々と階段を使うのは億劫だが、地下の駐車場まで直通だった。
非常階段越しにも、客室からのざわつきが聞こえてくる。ドアのロックがかかって開かないのだから当然か。蹴破ろうとしているか、乱暴な音も聞こえてくる。
大昔のウイルスパンデミック以降、ホテルの隔離性を高める為に電子ロックの開閉をホテル側でコントロールできる様に義務化されているそうだ。俺にとっては都合が良かった。
申し訳ないが、もう少し俺の都合に合わせてもらうよ。七階まで下りた辺りでホテルのシステムから火災報知器の反応が現れた。今は俺が抑え込んでいる。もう少し俺が階層を降りた辺りで全てを開放するつもりだ。
階段を下りるペースを上げていき、三階まで下りた辺りで、ホテルの全てのシステムを解き放つ。その数秒後に火災警報が鳴り響いた。
そこら中から宿泊客の罵声に怒声、悲鳴が飛び交っていた。地獄絵図だな。唯一開放していないのは、非常階段の扉のロックだけだ。
やっと地下駐車場まで辿り着いた。呼吸を整えて、安堵に浸りながら愛車のバイクまで向かう。
そそくさとバイクのサイドバックに拳銃や補助端末を放り、ジャケットのジッパーを首元まで上げて、ヘルメットを被る。
エンジンから容赦ない爆音が鳴り響いたタイミングで、駐車場のシャッターも上げる。
そして、ホテルの全てのシステムを放棄した。勿論、ハッキングプログラムの痕跡も全て消し去って。
バイクのタイヤが力強く、地面を切り付けて飛び出す。スロープを上がり切って地上へ登り出た。
広がる視界の中で、ホテルの正面には既に野次馬とそれを抑える警察がいた。
向かいから迫る、パトカーと消防車を何食わぬ雰囲気でかわす。
脳の機能を通常へ戻し、無線シグナルも閉ざした。妙な解放感と共に疲労感が押し寄せてくる。可能なら、直接脳に指を当てて、揉み解したい様な、そんな気分だった。何時もの頭痛がやって来るのも時間の問題だろう。
大金も手に入った。仕事も一つ終わり、もう一つの仕事だって前進した。にも拘らず、俺の気分は沈んで行く一方だった。一体何時から、こんなにも弱くなってしまったのか。この数年で明らかに心の擦り減り方が違う。
これは時間が解決してくれるものなのだろうか、それとも何かで紛らわすか。何がいい。
何時もより高い酒でも浴びるか、分量なんか無視して、手当たり次第にドラッグをキメるか、それとも、その全てをやった後で、その辺の安っぽい心に――身体を委ねようか。
夜もぼちぼち深まってきた。輝紫桜町はこれからがお楽しみの時間だ。あそこなら何でも揃ってる。より取り見取りの業と欲に塗れてしまいたかった。
疲れた、もう戻ろう――根城の地獄へ。