残酷な描写あり
R-15
5.― PORNO DEMON ―
5.― PORNO DEMON ―
またお前達か、相変わらず何を話す訳でもなく俺の前に立ってるだけ。会うのは随分久し振りに思える。一年以上は会っていないかも。
初めてコイツ等に会った時は、ぼんやりとした黒と灰色の丸い影だったが、今では立派な人影になっていた。それどころか、その人影も俺に似てきている。もう俺の影と言っていいだろう。
俺は夢を見ない。見れないと言うのが正確だ。今見ているこれも、夢じゃない。
何時も同じ状況と景色。俺の身体は動かず、目の前の黒い影と灰色の影と対面するだけ。景色は案外悪くない。
水面に立っている様な感覚。波打つ事もなく空を反射している。その空からは絶え間なく無数の一筋の光がゆっくりと流れていく。その光は水面へ沈み、更に地の底まで流れて行く。空を反射している地面の筈なのに、空から降ってきたものが空
へ登って行く様を見下ろしている。不思議な感じだ。
色彩はその時々で変わる。今回は夕暮れの様な赤とオレンジのグラデーションが緩やかに流れていて鮮やかだった。
不気味な二人の影と対面する奇妙な現象だが、悪い事ではないと思っている、これを見た後は心なしか、パフォーマンスが向上している様な気がするんだ。
過去にお前達が何者なのか、怒鳴る様に聞いた事もあるが、今もう俺も言葉を発する事はない。必要ないんだ。
今はハッキリと認識している。――俺達は二進数で繋がり合っていると。
目覚めた目のピントが次第に合っていく。ルビー色の布のしわは枕か。
この部屋で一番高価な家具はこのキングサイズのベットぐらいだ。ヘッドボードに置いてある、携帯端末へ手を伸ばす。時刻は十七時二十三分の表示。
服のまま寝ていないと言う事は、とりあえずシャワーぐらいは浴びてから寝たらしい。寝心地の良いベットだが、肝心の俺の目覚めは何時もクソな気分である。
昨日の記憶を呼び起こす。先ず印象深いのは、人の忠告を無視して、危うくレイプされかけた、優等生気取りのクソガキを助けた事。あのガキからずっと浴びせられていた、“普通”じゃないって雰囲気の視線に、始終苛付いていたっけ。
その後も苛付いてたからか、中々客が掴まらず閑古鳥だった。深夜二時ぐらいまで粘ってなんとか一人相手にして、朝の八時ぐらいにホテルをチェックアウトすると、同じく仕事上がりの春斗達に出くわして、結局、昼ぐらいまで安酒を浴びてし
まった。頭が痛いのはそれが原因か。
そう言えば、昨日は春斗と同じく後輩の、雅樹の妬みやっかみが何時も以上に酷かったな。
酒の席でも当たりがやたらキツかった。元々そう言う所がある奴だったが、HOEの妬みは本当に面倒だ。こっちの気も知らずに好き勝手言ってくれる。
うつ伏せから仰向けに寝返り、溜息をついた。最近は本当に嫌な事があると、長く引き摺るってしまう様になってしまった。
起きないと、今日は本職は休んで待望の二〇〇万をゲットする日だ。と言ってもそれも借金返済に消えるが。
キッチンにある冷蔵庫を開けるが、ビールとエナジードリンクぐらいしか入ってない。
戸棚を漁ると、即席スープと僅かに黒カビが生えかけた食パンが一枚。最近、忙しくて買い物もしてなかった。黒カビの部分をちぎって、無事な部分をトースターに放り込む。
粉末のコーンスープをマグカップに入れてお湯を注ぎ、焦げたトーストを突っ込んだ。
「働けども、働けども。か……」
輝紫桜町に住む人間のお決まりの言葉が“働けども、働けども”。
俺もこの街に流れて着いて、ボチボチ十四年。ガキの頃から貧乏には慣れてるが、大歓楽街の夜を華やかに着飾り、妖艶に漂うポルノデーモンも一皮剝けば所詮こんなものさ。
一分かかったかどうかも分からない食事を済まして、服を着る。黒のダメージジーンズと紫のVネックシャツを着て、自作した大き目のドレッサーに置いてあるパソコンを立ち上げる。
その間に鏡を見ながら手櫛で髪を整えた。今日はブルーのウィッグでも付けようかな。
立ち上がったパソコンのダイレクトメールを開き、傍らでブルーのウィッグを前髪の方へ付けて、櫛で馴染ませる。
『期限通り 約束のデータと相手先のデータも破壊済み サンプルデータを確認して報酬を送金してもらおうか 前金なしでやってやったんだ いい加減金で揉めるつもりはないぞ』
メールを送信する。後は連中が気付くのを待つだけだ。
『サンプルだけでは信用できない 現ナマで用意する 指定する場所まで来い』
意外と返信が早い。連中もパソコンに張り付いていたようだ。
林組から依頼が来た時は無視する筈だったが、ハッキングの対象が荒神会だった為に引き受けた。
数年前は賭博と地下闘技場の運営で派手に荒稼ぎしてた林組だったが、今ではすっかり落ちぶれている。――その原因は俺にあった。
その頃はCrackerImpの名前は大して知られていなかったので、林組は知らずに因縁深いCrackerImpを雇っている状態だ。正体が俺だとバレたら間違いなく殺されるだろうな。
こっちの条件も一切呑まずに要求ばかり、金払いの悪い貧乏ヤクザめ。
『ハッカーが姿を見せると思うか? お前等と荒神会のやる事なんかに興味なんかない 早く金を送金しろ』
荒神会、こちらは港町を牛耳る大物のヤクザ共。先客のクライアントから調査対象だ。林組経由から得られる情報に興味があったが為のリスキーな掛け持ちをしていた。
それにしても、先客のクライアントとのやり取りは楽しいが、クソヤクザとのやり取りは苛付くばかりだ。
鏡を見ながら化粧をしようか悩む。あれもこれもと盛るのは嫌いだが、アイシャドーぐらいは気に入ってる。色気が出ると評判がいい。
雅樹の様な、あからさまに女装は俺の好みじゃなかったけど。常々ニュートラルでセクシーな雰囲気は出したいと思っている。それが俺には一番似合っている。
『金が欲しいなら直接だ それが出来ないならこの話は無しだ 代わりは幾らでもいる』
舐めた事をほざく、苛立ちに視界にノイズが入る。ミラーリングしたパソコンの画面も乱れた。それほど腸が煮えくり返っていた。小さく深呼吸する。このままじゃメールの文章まで乱暴になる。
下らない脅しだ、奴等は荒神会のデータを欲しがっている事は間違いないし、このデータは奪うと同時に、相手先のは壊してる。バックアップされてる可能性もあるが、今から他のハッカーにやらせても、一ヶ月は確実にかかる。
『データの代わりはないぞ そして俺の代わりもな』
『これから指定する場所に来い 0時までに来なければ全て終わりだ』
林組の返信は、相変わらず一歩も譲る気配がない。堂々巡りだな。
元々、前金を払わないケチり具合だ。始めからハッカーなんてパソコンオタクなんかに払う金なんかない。何かあれば脅すなり殴るなりで、奪ってしまえとでも思っているのだろう。
薄々感じていたが――林組は裏切るつもりだ。
林組が指定してきた場所は、中央区にある大きなビジネスホテルだった。部屋の番号を見る限り、最上階のスイートルーム。
大方、林組が取引事や何らかの処理をする時に利用してる所なのだろう。バスルームが広いと死体の処理もし易い。そう言う連中だ。
俺は既に次に手を考えていた。その為に必要と思われる情報、ホテルのホームページ、部屋の間取り、窓の方角。道筋、道路が混みあう時間帯、全てを検索し把握する。
鏡に映っているのは、自分の顔と不毛な程に膨大でありふれた、インターネットの情報が雪崩れ込んでくる。目で見るのでない――脳裏に映る情報は速くても理解し易い。
くしゃくしゃになった煙草の箱から、残り二本の内の一本取り出し、引き出しに溜め込んでいる安物のライターで火を着ける。
『わかった 今使ってる端末を持って来い データはメモリに入れて渡してやる』
ダイレクトメールを打ち切る。足を組み直して、煙草の煙を天井へ放った。
さて、この気乗りしないトラブルをどうするか。これは血生臭くなりそうだ。
それでも、ここまで来たら引き返せない。ここで踏ん張らなきゃ今の俺の全てが無意味になる。
あの時、死んだ筈の俺が今、何の為に生きてる。こう言う敵わない物に、どうしようもなく不利で勝ち目のない物を引っ繰り返す為だろ。
必要な物を調達しないと、携帯端末を手にした。
「安田? 急ぎで悪いけど、預けてるヤツを一つ飛ばせるようにしといて……なんでそんなのに三時間もかかるんだよ、一時間あればできるだろ?……とにかく外に置いておいてくれよ。一時間したら飛ばすからな、よろしくね」
言い訳がましい話なんか聞いてられない。要件を話し一方的に電話を切る。凶暴なる“助っ人”が、すっ飛んで来てくれなければ話にならない。それに安田は適当で、だらしのない奴だから多少、強引な方がいい事を知っていた。何だかんだでやってくれるだろう。
煙草を灰皿へ放り、お気に入りのチョーカーを首へはめる。七色に輝くクラブを模したチタンプレートを親指で摩る。クラブは労働と春の象徴、セックスワーカーの俺にぴったりなシンボル。
窓の外は輝紫桜町の妖しい光に溢れ返っていた。今宵も輝紫桜町は様々なネオンの色が交わり合う地獄模様。
その混沌とした光達がこの部屋に差し込んで照らす、その雰囲気が好きだった。
でも今夜はその光には染まらず、背を向ける。今日の仕事は輝紫桜町の外だ。
二十二時三十分を過ぎる辺りで中央区へ到着した。林組の指定するビジネスホテルの看板が見えてきた。渋滞もなく落ち着いてる車道を、久し振りに乗るドゥカティの黒いストリートファイターは快調だった。
数年前に、踊り子達に売春を強要していた、ナイトクラブのオーナーをとっちめてやったついでに頂戴した高級バイク。そんなトラブルでもない限り、手の届かない代物だ。
ホテルの前で一時停止し、十五階建てのホテルを見上げる。“助っ人”は既に屋上で待機してる。出来れば使う事なく済ませたい所だが、どうなる事か。
ホテルの地下駐車場へ降りていく。適当な所で止めてヘルメットを外し、ライダースジャケットのジッパーを降ろした。そう言えば、この革ジャケットを買った時は少しきついぐらいだったのに、今は割と余裕を感じる。
また瘦せたかもしれない。飯よりドラッグの毎日。我ながら荒れてるな。
確認と準備を進める。サイドバックにしまってある補助端末を取り出して、起ち上げて同期する。本当は有線で同期していたいが、人目もあるかもしれないので無線接続でいく。ベルトに付けたアタッチメントに補助端末を装着する。
左手に巻くブレスレッドもチェーンで飾り付けているが、あらゆる端末に接続できる特注品のコネクターケーブルである。左腕をまくり、埋め込まれたコネクトポートの調子も探る。鳥の黒い羽が無数に舞い散るデザインのタトゥーをカモフラージュにあしらってる。手首から前腕の柔らかい部分と固い部分を揉み解す。特に問題はなさそうだ。
最後にサイドバックから拳銃を取り出し、ジーンズに突っ込んでおく。詳しい人間に言わせれば、相当な骨董品らしい“M93R”。引き金を一度引くだけで、弾が三発出る。これも使わずに済ましたい。
「それじゃあ、始めますか……」
髪を掻きあげてタスクを開始する。視界が一瞬で単色に染まる。その方が視界の妨げにならない上に余計な処理が減る。
先ずは“糸”見つける。今、手繰り寄せたい“糸”はこのホテルのシステムだ。
世の万物はネットワークに無線接続されている。その一つ一つは糸の様にか細くて、そこら中に垂れ下がっている。その中の一つを手繰り寄せるのだ。経験と勘で虱潰しにやるしかないが、その程度の高速処理は楽勝でこなせる。――見つけた。
ホテルの“糸”を傍受して接続する。肩甲骨と頸椎の温度が上がっていくのを感じる。膨大な羅列が流れ込んで来ると同時に、こちらもそれを流し込む。ただし、こちらの羅列の中にはマルウェアが仕込まれている。この程度のシステムを乗っ取る程度は楽勝だ。
セキュリティーを突破して、全てがぴったりと合致する瞬間は快感だ。今、俺とホテルは直結してる。
これで準備万端だが、それでもクソヤクザと会うのは憂鬱だ。同じ輝紫桜町だ、下手したら客として相手したヤツも紛れてるかもしれない。
左手の甲に一列整列したコカインを鼻から脳天へ向けて一気に吸い上げる。深く深呼吸、手の甲に残る粉を舐め取り、重い脚をエレベーターへ向けて一階のロビーへ、ビジネスホテルと言っても外資系の立派なホテルだ。ロビーの装飾は、大理石柄と白とグレーで統一されたモダンな雰囲気。
受付に話し、林組の下っ端を読んでもらうと、ソファに座る厳つい角刈りにスタックが話しかける、如何にもって感じだ。やたら睨んで来ると言う事は、俺の事は知らない様だ。
「どうも、林組の人でしょ? CrackerImpと言えば伝わるって聞いてるけど……」
ジャケットの内ポケットに入れた封筒を取り出し、角刈りに見せると、乱暴に封筒を奪い取り、携帯で連絡する。ここから間抜けな猿芝居が始まるな。
「ついてこい」
角刈りの後ろについてエレベーターに乗る。良い身体してるな、結構好みである。顔と角刈りは対象外だが。
そんな事を何となく考えていると、あっいう間に十五階に着いた。やはり部屋はスイートルームか、この階層自体、部屋が一つしかない。確かに良からぬ事も都合よく行えるいい場所だな。
角刈りはドアをノックしてドアが開き入れと促される。ドアを開けた奴と目が合う。その姿に釘付けになる。タンクトップから覗かせる、両腕と大胸筋が真っ黒な剥き出しの筋肉――サイボーグだ。
最新鋭の戦闘型デバイス、カーボンユニットシステムを両腕に移植しているようだ。用心棒として雇っているのか。
軽量で柔軟、そして強固な特殊繊維で編み上げたユニットを組み合わせ、人体の外側のパーツなら、ほぼ全てに対応可能な技術だと言う。骨格や筋肉と言う疑似パーツもいらない。ユニット自体がその役割を全て果たせる。
性能もコストパフォーマンスも抜群のサイボーグ技術だが、人間本来のパーツとは逸脱している為、機能制御には相変わらず小脳と人工神経網を直結したデバイスを積む必要がある。コイツのデバイスはうなじの部分から露出していた。体内に収められるサイズは高価だ。そういうところはケチってるな。とは言え、年々サイボーグ技術の発展には驚かされる。
建物の右端の部屋、広いリビングは北から東にかけて、大きなコーナー窓で、鮮やかな夜景が一望できた。
ガラの悪そうなのが揃っている。しかも全員が手に銃を持っていた。思ってたよりヤバいかも。
「なんだぁ? お前、輝紫桜町の蓮夢じゃねぇか?」
やっぱり俺を知ってる奴がいた。幹部の松田だ。何度か客として相手した事がある。始終、髪は引っ張るわ、尻は遠慮ない力で叩きまくるわで、くどくて鬱陶しい奴だったのをよく覚えてる。
とりあえず「どうも」と愛想笑いだけはしておく。角刈りに渡してた封筒を受け取った松田が封筒の中身からメモリーを取り出すと、机に置かれたノートPCを睨む、眼鏡をしたヤクザっぽくない奴に渡した。メモリーにはプロテクトをかけてある。簡単には破れない。
あのノートPCにアクセスしてCrackerImpを演じた音声を流す。金を送金すればプロテクトを解除してやるって段取りだ。
「お前、どういうつもりだ?」
「どうって、マッチングアプリで話してたお客からの。金ももらったし。お金さえもらえれば、なんでもしちゃうのが輝紫桜町のHOEだって御存知でしょ?」
今になって思えば、少し化粧しててもよかったかな。仕事してますよ、って体を演出してもよかったかもしれない。
松田がメモリーをテーブルに置く。一人用のソファに座る如何にも偉そうな雰囲気の中老がメモリーを手にした。
サイボーグが乱暴に肩を押して行けと促す。中老は俺を睨んでいる。と言うよりも、この部屋にいる全員が場違いな俺を睨んでいた。
おそらく、この中老は林組の現組長の竹藤だと思われる。年齢的にも周りの連中の雰囲気からも間違いないだろう。まさか、こんな一取引の場に現れるとは。確かに俺が手に入れた荒神会の情報は、落ちぶれた林組にとって起死回生の切り札なのかも知れない。
「その、何なんですか? CrackerImpって」
「そいつは過去に何度か、俺達の情報を盗んだり破壊したりと、随分やりたい放題してきたハッカー野郎だ。サイバーディテクティブにも調べさせて、CrackerImpって名前に辿り着いた。おそらく近くに潜んでやがると踏んで、雇ってやるついでに今までの落とし前を着けてやろうって訳だ」
動悸が胸を打つ。コイツ等、俺が思ってた以上に調べ上げている。
メールのやり取りにおいて、何度かCrackerImpが自分達の近くにいる前提の話し方が、妙に引っかかっていたのだ。実際、今日も金を取りに来いと言うのだってナンセンスだ。CrackerImpが指定した場所に来れる距離にいるとも限らないのに。
こいつ等なりに犯人捜しをしていた訳か。サイバーディテクティブ“サイディ”を雇うとは、相当本気らしい。
ネット犯罪に詳しい元警察や、同じ穴のムジナのハッカー崩れが、その知識やスキルでハッカーを追跡、特定して報酬を得ると言う新しい商売スタイルのウザい奴等。厄介なのを雇ってくれたな。
やっぱり罠だったか、駆け出しハッカーだった頃に上手く丸め込めた林組なんて、ちょろい奴等だと甘く見ていたのは迂闊だったか。
「プロテクトが施されてますが、中身は本物です」
「そうか……」
突然、いや必然か。サイボークに両手を掴まれ背中に回され、腰に突っ込んでた拳銃も奪われる。不味い状況だ、的確なタスクと選択を行わないと、あっという間に御陀仏だ。捻られた腕を痛む余裕もない。
「ちょっ、ちょっと! 何なんですか! 松田さん!」
「ヴィオ・カミーリア、黒澤一家、サクラトラップ、ディエゴファミリーも……輝柴桜町でも特に大きな組織の連中は、お前に貸しがあるそうじゃないか、蓮夢。街に溢れ返った“監視アプリ”もお前が作ったんだろ? 道端のHOEの分際で凄腕のハッカーだぁ? 笑わせんじゃねぇ!」
松田の平手打ちを食らう。唇が切れた。俺のプロテクトは簡単には解除できないが“抜け道”がない訳じゃない。時間はかかるだろうが俺抜きでも解除できる。俺を生かしておかないと、なんて安い脅しはプロのサイディがいるこの場では無意味だ。――この場で殺される。
落ち行け、やるべき事は決まっているんだ、段取りを決めて実行するしかない。こんな事はしたくなかったけど――もう、やるしかないんだ。
「街中の情報を搔き集めて、姑息に立ち回っていた訳か。街を乗っ取ったつもりか! “ナバン”の毒蛾め!」
聞きたくもない嫌な言葉だった。そう、俺は輝柴桜町の毒蛾だ。甘い毒を全身に流し込まれた“ナバン”の玩具。――でも、それだけじゃない筈だ。
「そうか、バレちゃったか……なら俺も、一つだけ言っておくよ松田さん」
あと少し、時間稼ぎが必要だ。事前にハッキングしていたホテルのシステムに再度アクセスする。此処に泊まっている連中には悪いが、少し騒がせてもらうよ。
屋上から飛び立った“助っ人”を操作する。少し風が強いようだ、グラグラと煽られ思う様にいかないが、この部屋が最上階でよかった。“助っ人”は既に駆け付け、その目は俺とクソヤクザ共を捉えている。俺の目に映る光景と、その反対側にいる“助っ人”の見る映像を重ねて、より精度の高い位置情報を構築する。
俺とあのPCに当たらない様に。特にあのPCがオシャカになったら、全て徒労に終わる。事が起きた瞬間に奪い取らねば。
「俺の親父もアンタ等みたいなヤクザの下っ端でね、酒とシャブに溺れたクズ野郎だったよ。母親はそれに嫌気がさして、妹を連れて蒸発した……」
本当に、働けども、働けども、何一つ良くならないな。こんな血生臭くて、悪い事をしないとお金って稼げないのかな。
「残された俺は毎日殴られて、それでは飽き足らずに犯されるようになって、その挙句、他の男に俺を売るようになった。高校になる頃には立派なHOEになってたよ……」
別に並以下の生活でも大して気にしない。ちょいと羽振りのいい奴とセックスして小遣い稼ぎして、ただ自由奔放に生きたいだけなのに。
そんな単純さすら許されぬまま、次から次へ複雑になってくばかり。
「お陰でこの様さ、だから俺はね、ヤクザって生き物が、殺したいほど大嫌いなんだよ……」
本当、俺の人生ってヤツはままならない。そして――どうしてこんなにも複雑なんだ。
「おい、手を放せよポンコツ……」
用心棒のサイボーグを睨むと、サイボーグも睨み返してきた。無線経由でサイボーグのメンテナンスログデータ領域に侵入する。大体のサイボーグはインプラントデバイスを容易にメンテナンス出来る様に無線アクセスが可能になっている。
「聞こえてんだろ? 離せよ!」
サイボーグの腕がギチギチと音を立てて、俺の拘束を解き、剥き出しのデバイスから火花が散って全ての関節が反対方向へ派手にへし折れた。叫ぶ間もなくサイボーグは即死する。制御システムをクラッキングすると、機械化した部位とデバイスに大きな負荷がかかり、文字通りクラッシュする。
たじろぐヤクザ共に目もくれず実行する。部屋の照明と言う照明が一斉に消える。今、このホテルの全ての電力がダウンした。ホテルの窓ガラスに映るのは――真っ赤に光る俺の両目だけ。
鮮やかな夜景をかき消す、閃光が外から部屋を貫いた。全員がその光に釘付けになった瞬間、暗闇の中でPCに向かい、眼鏡のサイバーディテクティブを押し退けてノートPCを奪ってその場でうつ伏せになる。
分厚いガラス越しでも僅かに聞こえるプロペラ音。このドローンは大物だ、運送会社が使う数十キロの重量にも耐えられるドローン。これも俺がハッキングして盗んだものだ。武器屋の安田お手製の機銃を積んだ改造ドローン“レインメーカー”から凄まじい勢いで乾いた発砲音と、窓ガラスが砕け散る音がほぼ同時に響き渡った。
PCを抱えたまま、床にべったりと伏せていてもドローンの映像は、しっかり目に映っている。ドローンを水平に移動させて更に撃ち続ける。怒声と銃声が飛び交う中、着実にドローンはヤクザ共に弾丸を浴びせていく。
竹藤はソファから立ち上がる間もなく頭部を撃ち抜いた。組長なんて御大層な肩書でも、こうなってしまっては、あっけないものだ。眼鏡のサイディが、俺に覆い被さる様に倒れた。どかしたいが、先ずは残りを仕留めていこう。
物陰に隠れても回り込んで一人一人確実に撃ち抜いていく。悪いけど、ここまで来たら容赦できない。
レインメーカーが大きくよろめく。一発被弾した。ブレード周りはケブラー素材をコーティングしたパネルがあるので、簡単には墜とされる事ない。発砲された方を向くと、仕留め損ねた松田がいた。拳銃の弾は撃ち尽くした様だ。ドローンに向かって待て、と手を出すが、出来ない相談だった。数発撃ち込んで、松田はその場に崩れた。
非常灯のスポットライトが点灯した。僅かに明るくなる。そこら中に転がる薬莢、飛び散ったガラスの破片、血塗れの死体が鮮明に映る。不本意だが終わったな。
サイディの死体をどかして立ち上がる。久し振りに俺の脳はフル稼働していた。相変わらず両目が悪魔の様に真っ赤に光っている。
壁際からガタンと音がする。口と鼻から血を吹き出し虫の息の松田がいた。近付いて松田を見下ろす。砕けたサイボーグと同じ、訳が分からないって顔を曝していた。話せる余裕はなさそうだ。
松田の前にかがみ、中指を突き立ててやった。
「リサーチが甘かったなビッチ。HOEとかハッカーとか大した情報じゃないよ。俺はね“違法サイボーグ”なんだ」
またお前達か、相変わらず何を話す訳でもなく俺の前に立ってるだけ。会うのは随分久し振りに思える。一年以上は会っていないかも。
初めてコイツ等に会った時は、ぼんやりとした黒と灰色の丸い影だったが、今では立派な人影になっていた。それどころか、その人影も俺に似てきている。もう俺の影と言っていいだろう。
俺は夢を見ない。見れないと言うのが正確だ。今見ているこれも、夢じゃない。
何時も同じ状況と景色。俺の身体は動かず、目の前の黒い影と灰色の影と対面するだけ。景色は案外悪くない。
水面に立っている様な感覚。波打つ事もなく空を反射している。その空からは絶え間なく無数の一筋の光がゆっくりと流れていく。その光は水面へ沈み、更に地の底まで流れて行く。空を反射している地面の筈なのに、空から降ってきたものが空
へ登って行く様を見下ろしている。不思議な感じだ。
色彩はその時々で変わる。今回は夕暮れの様な赤とオレンジのグラデーションが緩やかに流れていて鮮やかだった。
不気味な二人の影と対面する奇妙な現象だが、悪い事ではないと思っている、これを見た後は心なしか、パフォーマンスが向上している様な気がするんだ。
過去にお前達が何者なのか、怒鳴る様に聞いた事もあるが、今もう俺も言葉を発する事はない。必要ないんだ。
今はハッキリと認識している。――俺達は二進数で繋がり合っていると。
目覚めた目のピントが次第に合っていく。ルビー色の布のしわは枕か。
この部屋で一番高価な家具はこのキングサイズのベットぐらいだ。ヘッドボードに置いてある、携帯端末へ手を伸ばす。時刻は十七時二十三分の表示。
服のまま寝ていないと言う事は、とりあえずシャワーぐらいは浴びてから寝たらしい。寝心地の良いベットだが、肝心の俺の目覚めは何時もクソな気分である。
昨日の記憶を呼び起こす。先ず印象深いのは、人の忠告を無視して、危うくレイプされかけた、優等生気取りのクソガキを助けた事。あのガキからずっと浴びせられていた、“普通”じゃないって雰囲気の視線に、始終苛付いていたっけ。
その後も苛付いてたからか、中々客が掴まらず閑古鳥だった。深夜二時ぐらいまで粘ってなんとか一人相手にして、朝の八時ぐらいにホテルをチェックアウトすると、同じく仕事上がりの春斗達に出くわして、結局、昼ぐらいまで安酒を浴びてし
まった。頭が痛いのはそれが原因か。
そう言えば、昨日は春斗と同じく後輩の、雅樹の妬みやっかみが何時も以上に酷かったな。
酒の席でも当たりがやたらキツかった。元々そう言う所がある奴だったが、HOEの妬みは本当に面倒だ。こっちの気も知らずに好き勝手言ってくれる。
うつ伏せから仰向けに寝返り、溜息をついた。最近は本当に嫌な事があると、長く引き摺るってしまう様になってしまった。
起きないと、今日は本職は休んで待望の二〇〇万をゲットする日だ。と言ってもそれも借金返済に消えるが。
キッチンにある冷蔵庫を開けるが、ビールとエナジードリンクぐらいしか入ってない。
戸棚を漁ると、即席スープと僅かに黒カビが生えかけた食パンが一枚。最近、忙しくて買い物もしてなかった。黒カビの部分をちぎって、無事な部分をトースターに放り込む。
粉末のコーンスープをマグカップに入れてお湯を注ぎ、焦げたトーストを突っ込んだ。
「働けども、働けども。か……」
輝紫桜町に住む人間のお決まりの言葉が“働けども、働けども”。
俺もこの街に流れて着いて、ボチボチ十四年。ガキの頃から貧乏には慣れてるが、大歓楽街の夜を華やかに着飾り、妖艶に漂うポルノデーモンも一皮剝けば所詮こんなものさ。
一分かかったかどうかも分からない食事を済まして、服を着る。黒のダメージジーンズと紫のVネックシャツを着て、自作した大き目のドレッサーに置いてあるパソコンを立ち上げる。
その間に鏡を見ながら手櫛で髪を整えた。今日はブルーのウィッグでも付けようかな。
立ち上がったパソコンのダイレクトメールを開き、傍らでブルーのウィッグを前髪の方へ付けて、櫛で馴染ませる。
『期限通り 約束のデータと相手先のデータも破壊済み サンプルデータを確認して報酬を送金してもらおうか 前金なしでやってやったんだ いい加減金で揉めるつもりはないぞ』
メールを送信する。後は連中が気付くのを待つだけだ。
『サンプルだけでは信用できない 現ナマで用意する 指定する場所まで来い』
意外と返信が早い。連中もパソコンに張り付いていたようだ。
林組から依頼が来た時は無視する筈だったが、ハッキングの対象が荒神会だった為に引き受けた。
数年前は賭博と地下闘技場の運営で派手に荒稼ぎしてた林組だったが、今ではすっかり落ちぶれている。――その原因は俺にあった。
その頃はCrackerImpの名前は大して知られていなかったので、林組は知らずに因縁深いCrackerImpを雇っている状態だ。正体が俺だとバレたら間違いなく殺されるだろうな。
こっちの条件も一切呑まずに要求ばかり、金払いの悪い貧乏ヤクザめ。
『ハッカーが姿を見せると思うか? お前等と荒神会のやる事なんかに興味なんかない 早く金を送金しろ』
荒神会、こちらは港町を牛耳る大物のヤクザ共。先客のクライアントから調査対象だ。林組経由から得られる情報に興味があったが為のリスキーな掛け持ちをしていた。
それにしても、先客のクライアントとのやり取りは楽しいが、クソヤクザとのやり取りは苛付くばかりだ。
鏡を見ながら化粧をしようか悩む。あれもこれもと盛るのは嫌いだが、アイシャドーぐらいは気に入ってる。色気が出ると評判がいい。
雅樹の様な、あからさまに女装は俺の好みじゃなかったけど。常々ニュートラルでセクシーな雰囲気は出したいと思っている。それが俺には一番似合っている。
『金が欲しいなら直接だ それが出来ないならこの話は無しだ 代わりは幾らでもいる』
舐めた事をほざく、苛立ちに視界にノイズが入る。ミラーリングしたパソコンの画面も乱れた。それほど腸が煮えくり返っていた。小さく深呼吸する。このままじゃメールの文章まで乱暴になる。
下らない脅しだ、奴等は荒神会のデータを欲しがっている事は間違いないし、このデータは奪うと同時に、相手先のは壊してる。バックアップされてる可能性もあるが、今から他のハッカーにやらせても、一ヶ月は確実にかかる。
『データの代わりはないぞ そして俺の代わりもな』
『これから指定する場所に来い 0時までに来なければ全て終わりだ』
林組の返信は、相変わらず一歩も譲る気配がない。堂々巡りだな。
元々、前金を払わないケチり具合だ。始めからハッカーなんてパソコンオタクなんかに払う金なんかない。何かあれば脅すなり殴るなりで、奪ってしまえとでも思っているのだろう。
薄々感じていたが――林組は裏切るつもりだ。
林組が指定してきた場所は、中央区にある大きなビジネスホテルだった。部屋の番号を見る限り、最上階のスイートルーム。
大方、林組が取引事や何らかの処理をする時に利用してる所なのだろう。バスルームが広いと死体の処理もし易い。そう言う連中だ。
俺は既に次に手を考えていた。その為に必要と思われる情報、ホテルのホームページ、部屋の間取り、窓の方角。道筋、道路が混みあう時間帯、全てを検索し把握する。
鏡に映っているのは、自分の顔と不毛な程に膨大でありふれた、インターネットの情報が雪崩れ込んでくる。目で見るのでない――脳裏に映る情報は速くても理解し易い。
くしゃくしゃになった煙草の箱から、残り二本の内の一本取り出し、引き出しに溜め込んでいる安物のライターで火を着ける。
『わかった 今使ってる端末を持って来い データはメモリに入れて渡してやる』
ダイレクトメールを打ち切る。足を組み直して、煙草の煙を天井へ放った。
さて、この気乗りしないトラブルをどうするか。これは血生臭くなりそうだ。
それでも、ここまで来たら引き返せない。ここで踏ん張らなきゃ今の俺の全てが無意味になる。
あの時、死んだ筈の俺が今、何の為に生きてる。こう言う敵わない物に、どうしようもなく不利で勝ち目のない物を引っ繰り返す為だろ。
必要な物を調達しないと、携帯端末を手にした。
「安田? 急ぎで悪いけど、預けてるヤツを一つ飛ばせるようにしといて……なんでそんなのに三時間もかかるんだよ、一時間あればできるだろ?……とにかく外に置いておいてくれよ。一時間したら飛ばすからな、よろしくね」
言い訳がましい話なんか聞いてられない。要件を話し一方的に電話を切る。凶暴なる“助っ人”が、すっ飛んで来てくれなければ話にならない。それに安田は適当で、だらしのない奴だから多少、強引な方がいい事を知っていた。何だかんだでやってくれるだろう。
煙草を灰皿へ放り、お気に入りのチョーカーを首へはめる。七色に輝くクラブを模したチタンプレートを親指で摩る。クラブは労働と春の象徴、セックスワーカーの俺にぴったりなシンボル。
窓の外は輝紫桜町の妖しい光に溢れ返っていた。今宵も輝紫桜町は様々なネオンの色が交わり合う地獄模様。
その混沌とした光達がこの部屋に差し込んで照らす、その雰囲気が好きだった。
でも今夜はその光には染まらず、背を向ける。今日の仕事は輝紫桜町の外だ。
二十二時三十分を過ぎる辺りで中央区へ到着した。林組の指定するビジネスホテルの看板が見えてきた。渋滞もなく落ち着いてる車道を、久し振りに乗るドゥカティの黒いストリートファイターは快調だった。
数年前に、踊り子達に売春を強要していた、ナイトクラブのオーナーをとっちめてやったついでに頂戴した高級バイク。そんなトラブルでもない限り、手の届かない代物だ。
ホテルの前で一時停止し、十五階建てのホテルを見上げる。“助っ人”は既に屋上で待機してる。出来れば使う事なく済ませたい所だが、どうなる事か。
ホテルの地下駐車場へ降りていく。適当な所で止めてヘルメットを外し、ライダースジャケットのジッパーを降ろした。そう言えば、この革ジャケットを買った時は少しきついぐらいだったのに、今は割と余裕を感じる。
また瘦せたかもしれない。飯よりドラッグの毎日。我ながら荒れてるな。
確認と準備を進める。サイドバックにしまってある補助端末を取り出して、起ち上げて同期する。本当は有線で同期していたいが、人目もあるかもしれないので無線接続でいく。ベルトに付けたアタッチメントに補助端末を装着する。
左手に巻くブレスレッドもチェーンで飾り付けているが、あらゆる端末に接続できる特注品のコネクターケーブルである。左腕をまくり、埋め込まれたコネクトポートの調子も探る。鳥の黒い羽が無数に舞い散るデザインのタトゥーをカモフラージュにあしらってる。手首から前腕の柔らかい部分と固い部分を揉み解す。特に問題はなさそうだ。
最後にサイドバックから拳銃を取り出し、ジーンズに突っ込んでおく。詳しい人間に言わせれば、相当な骨董品らしい“M93R”。引き金を一度引くだけで、弾が三発出る。これも使わずに済ましたい。
「それじゃあ、始めますか……」
髪を掻きあげてタスクを開始する。視界が一瞬で単色に染まる。その方が視界の妨げにならない上に余計な処理が減る。
先ずは“糸”見つける。今、手繰り寄せたい“糸”はこのホテルのシステムだ。
世の万物はネットワークに無線接続されている。その一つ一つは糸の様にか細くて、そこら中に垂れ下がっている。その中の一つを手繰り寄せるのだ。経験と勘で虱潰しにやるしかないが、その程度の高速処理は楽勝でこなせる。――見つけた。
ホテルの“糸”を傍受して接続する。肩甲骨と頸椎の温度が上がっていくのを感じる。膨大な羅列が流れ込んで来ると同時に、こちらもそれを流し込む。ただし、こちらの羅列の中にはマルウェアが仕込まれている。この程度のシステムを乗っ取る程度は楽勝だ。
セキュリティーを突破して、全てがぴったりと合致する瞬間は快感だ。今、俺とホテルは直結してる。
これで準備万端だが、それでもクソヤクザと会うのは憂鬱だ。同じ輝紫桜町だ、下手したら客として相手したヤツも紛れてるかもしれない。
左手の甲に一列整列したコカインを鼻から脳天へ向けて一気に吸い上げる。深く深呼吸、手の甲に残る粉を舐め取り、重い脚をエレベーターへ向けて一階のロビーへ、ビジネスホテルと言っても外資系の立派なホテルだ。ロビーの装飾は、大理石柄と白とグレーで統一されたモダンな雰囲気。
受付に話し、林組の下っ端を読んでもらうと、ソファに座る厳つい角刈りにスタックが話しかける、如何にもって感じだ。やたら睨んで来ると言う事は、俺の事は知らない様だ。
「どうも、林組の人でしょ? CrackerImpと言えば伝わるって聞いてるけど……」
ジャケットの内ポケットに入れた封筒を取り出し、角刈りに見せると、乱暴に封筒を奪い取り、携帯で連絡する。ここから間抜けな猿芝居が始まるな。
「ついてこい」
角刈りの後ろについてエレベーターに乗る。良い身体してるな、結構好みである。顔と角刈りは対象外だが。
そんな事を何となく考えていると、あっいう間に十五階に着いた。やはり部屋はスイートルームか、この階層自体、部屋が一つしかない。確かに良からぬ事も都合よく行えるいい場所だな。
角刈りはドアをノックしてドアが開き入れと促される。ドアを開けた奴と目が合う。その姿に釘付けになる。タンクトップから覗かせる、両腕と大胸筋が真っ黒な剥き出しの筋肉――サイボーグだ。
最新鋭の戦闘型デバイス、カーボンユニットシステムを両腕に移植しているようだ。用心棒として雇っているのか。
軽量で柔軟、そして強固な特殊繊維で編み上げたユニットを組み合わせ、人体の外側のパーツなら、ほぼ全てに対応可能な技術だと言う。骨格や筋肉と言う疑似パーツもいらない。ユニット自体がその役割を全て果たせる。
性能もコストパフォーマンスも抜群のサイボーグ技術だが、人間本来のパーツとは逸脱している為、機能制御には相変わらず小脳と人工神経網を直結したデバイスを積む必要がある。コイツのデバイスはうなじの部分から露出していた。体内に収められるサイズは高価だ。そういうところはケチってるな。とは言え、年々サイボーグ技術の発展には驚かされる。
建物の右端の部屋、広いリビングは北から東にかけて、大きなコーナー窓で、鮮やかな夜景が一望できた。
ガラの悪そうなのが揃っている。しかも全員が手に銃を持っていた。思ってたよりヤバいかも。
「なんだぁ? お前、輝紫桜町の蓮夢じゃねぇか?」
やっぱり俺を知ってる奴がいた。幹部の松田だ。何度か客として相手した事がある。始終、髪は引っ張るわ、尻は遠慮ない力で叩きまくるわで、くどくて鬱陶しい奴だったのをよく覚えてる。
とりあえず「どうも」と愛想笑いだけはしておく。角刈りに渡してた封筒を受け取った松田が封筒の中身からメモリーを取り出すと、机に置かれたノートPCを睨む、眼鏡をしたヤクザっぽくない奴に渡した。メモリーにはプロテクトをかけてある。簡単には破れない。
あのノートPCにアクセスしてCrackerImpを演じた音声を流す。金を送金すればプロテクトを解除してやるって段取りだ。
「お前、どういうつもりだ?」
「どうって、マッチングアプリで話してたお客からの。金ももらったし。お金さえもらえれば、なんでもしちゃうのが輝紫桜町のHOEだって御存知でしょ?」
今になって思えば、少し化粧しててもよかったかな。仕事してますよ、って体を演出してもよかったかもしれない。
松田がメモリーをテーブルに置く。一人用のソファに座る如何にも偉そうな雰囲気の中老がメモリーを手にした。
サイボーグが乱暴に肩を押して行けと促す。中老は俺を睨んでいる。と言うよりも、この部屋にいる全員が場違いな俺を睨んでいた。
おそらく、この中老は林組の現組長の竹藤だと思われる。年齢的にも周りの連中の雰囲気からも間違いないだろう。まさか、こんな一取引の場に現れるとは。確かに俺が手に入れた荒神会の情報は、落ちぶれた林組にとって起死回生の切り札なのかも知れない。
「その、何なんですか? CrackerImpって」
「そいつは過去に何度か、俺達の情報を盗んだり破壊したりと、随分やりたい放題してきたハッカー野郎だ。サイバーディテクティブにも調べさせて、CrackerImpって名前に辿り着いた。おそらく近くに潜んでやがると踏んで、雇ってやるついでに今までの落とし前を着けてやろうって訳だ」
動悸が胸を打つ。コイツ等、俺が思ってた以上に調べ上げている。
メールのやり取りにおいて、何度かCrackerImpが自分達の近くにいる前提の話し方が、妙に引っかかっていたのだ。実際、今日も金を取りに来いと言うのだってナンセンスだ。CrackerImpが指定した場所に来れる距離にいるとも限らないのに。
こいつ等なりに犯人捜しをしていた訳か。サイバーディテクティブ“サイディ”を雇うとは、相当本気らしい。
ネット犯罪に詳しい元警察や、同じ穴のムジナのハッカー崩れが、その知識やスキルでハッカーを追跡、特定して報酬を得ると言う新しい商売スタイルのウザい奴等。厄介なのを雇ってくれたな。
やっぱり罠だったか、駆け出しハッカーだった頃に上手く丸め込めた林組なんて、ちょろい奴等だと甘く見ていたのは迂闊だったか。
「プロテクトが施されてますが、中身は本物です」
「そうか……」
突然、いや必然か。サイボークに両手を掴まれ背中に回され、腰に突っ込んでた拳銃も奪われる。不味い状況だ、的確なタスクと選択を行わないと、あっという間に御陀仏だ。捻られた腕を痛む余裕もない。
「ちょっ、ちょっと! 何なんですか! 松田さん!」
「ヴィオ・カミーリア、黒澤一家、サクラトラップ、ディエゴファミリーも……輝柴桜町でも特に大きな組織の連中は、お前に貸しがあるそうじゃないか、蓮夢。街に溢れ返った“監視アプリ”もお前が作ったんだろ? 道端のHOEの分際で凄腕のハッカーだぁ? 笑わせんじゃねぇ!」
松田の平手打ちを食らう。唇が切れた。俺のプロテクトは簡単には解除できないが“抜け道”がない訳じゃない。時間はかかるだろうが俺抜きでも解除できる。俺を生かしておかないと、なんて安い脅しはプロのサイディがいるこの場では無意味だ。――この場で殺される。
落ち行け、やるべき事は決まっているんだ、段取りを決めて実行するしかない。こんな事はしたくなかったけど――もう、やるしかないんだ。
「街中の情報を搔き集めて、姑息に立ち回っていた訳か。街を乗っ取ったつもりか! “ナバン”の毒蛾め!」
聞きたくもない嫌な言葉だった。そう、俺は輝柴桜町の毒蛾だ。甘い毒を全身に流し込まれた“ナバン”の玩具。――でも、それだけじゃない筈だ。
「そうか、バレちゃったか……なら俺も、一つだけ言っておくよ松田さん」
あと少し、時間稼ぎが必要だ。事前にハッキングしていたホテルのシステムに再度アクセスする。此処に泊まっている連中には悪いが、少し騒がせてもらうよ。
屋上から飛び立った“助っ人”を操作する。少し風が強いようだ、グラグラと煽られ思う様にいかないが、この部屋が最上階でよかった。“助っ人”は既に駆け付け、その目は俺とクソヤクザ共を捉えている。俺の目に映る光景と、その反対側にいる“助っ人”の見る映像を重ねて、より精度の高い位置情報を構築する。
俺とあのPCに当たらない様に。特にあのPCがオシャカになったら、全て徒労に終わる。事が起きた瞬間に奪い取らねば。
「俺の親父もアンタ等みたいなヤクザの下っ端でね、酒とシャブに溺れたクズ野郎だったよ。母親はそれに嫌気がさして、妹を連れて蒸発した……」
本当に、働けども、働けども、何一つ良くならないな。こんな血生臭くて、悪い事をしないとお金って稼げないのかな。
「残された俺は毎日殴られて、それでは飽き足らずに犯されるようになって、その挙句、他の男に俺を売るようになった。高校になる頃には立派なHOEになってたよ……」
別に並以下の生活でも大して気にしない。ちょいと羽振りのいい奴とセックスして小遣い稼ぎして、ただ自由奔放に生きたいだけなのに。
そんな単純さすら許されぬまま、次から次へ複雑になってくばかり。
「お陰でこの様さ、だから俺はね、ヤクザって生き物が、殺したいほど大嫌いなんだよ……」
本当、俺の人生ってヤツはままならない。そして――どうしてこんなにも複雑なんだ。
「おい、手を放せよポンコツ……」
用心棒のサイボーグを睨むと、サイボーグも睨み返してきた。無線経由でサイボーグのメンテナンスログデータ領域に侵入する。大体のサイボーグはインプラントデバイスを容易にメンテナンス出来る様に無線アクセスが可能になっている。
「聞こえてんだろ? 離せよ!」
サイボーグの腕がギチギチと音を立てて、俺の拘束を解き、剥き出しのデバイスから火花が散って全ての関節が反対方向へ派手にへし折れた。叫ぶ間もなくサイボーグは即死する。制御システムをクラッキングすると、機械化した部位とデバイスに大きな負荷がかかり、文字通りクラッシュする。
たじろぐヤクザ共に目もくれず実行する。部屋の照明と言う照明が一斉に消える。今、このホテルの全ての電力がダウンした。ホテルの窓ガラスに映るのは――真っ赤に光る俺の両目だけ。
鮮やかな夜景をかき消す、閃光が外から部屋を貫いた。全員がその光に釘付けになった瞬間、暗闇の中でPCに向かい、眼鏡のサイバーディテクティブを押し退けてノートPCを奪ってその場でうつ伏せになる。
分厚いガラス越しでも僅かに聞こえるプロペラ音。このドローンは大物だ、運送会社が使う数十キロの重量にも耐えられるドローン。これも俺がハッキングして盗んだものだ。武器屋の安田お手製の機銃を積んだ改造ドローン“レインメーカー”から凄まじい勢いで乾いた発砲音と、窓ガラスが砕け散る音がほぼ同時に響き渡った。
PCを抱えたまま、床にべったりと伏せていてもドローンの映像は、しっかり目に映っている。ドローンを水平に移動させて更に撃ち続ける。怒声と銃声が飛び交う中、着実にドローンはヤクザ共に弾丸を浴びせていく。
竹藤はソファから立ち上がる間もなく頭部を撃ち抜いた。組長なんて御大層な肩書でも、こうなってしまっては、あっけないものだ。眼鏡のサイディが、俺に覆い被さる様に倒れた。どかしたいが、先ずは残りを仕留めていこう。
物陰に隠れても回り込んで一人一人確実に撃ち抜いていく。悪いけど、ここまで来たら容赦できない。
レインメーカーが大きくよろめく。一発被弾した。ブレード周りはケブラー素材をコーティングしたパネルがあるので、簡単には墜とされる事ない。発砲された方を向くと、仕留め損ねた松田がいた。拳銃の弾は撃ち尽くした様だ。ドローンに向かって待て、と手を出すが、出来ない相談だった。数発撃ち込んで、松田はその場に崩れた。
非常灯のスポットライトが点灯した。僅かに明るくなる。そこら中に転がる薬莢、飛び散ったガラスの破片、血塗れの死体が鮮明に映る。不本意だが終わったな。
サイディの死体をどかして立ち上がる。久し振りに俺の脳はフル稼働していた。相変わらず両目が悪魔の様に真っ赤に光っている。
壁際からガタンと音がする。口と鼻から血を吹き出し虫の息の松田がいた。近付いて松田を見下ろす。砕けたサイボーグと同じ、訳が分からないって顔を曝していた。話せる余裕はなさそうだ。
松田の前にかがみ、中指を突き立ててやった。
「リサーチが甘かったなビッチ。HOEとかハッカーとか大した情報じゃないよ。俺はね“違法サイボーグ”なんだ」