残酷な描写あり
R-15
~地獄へようこそ~
序章~地獄へようこそ~
気怠いってヤツには二種類ある。
一つは心身共に満たされて、尽き果てた心地良い感じのヤツと、嗚呼、やっと終わった、せいせいすると、身も心も磨り減らした感じのヤツだ。俺は今、後者の方だった。口には出さないけど、お互いに楽しまないと面白くない。安物のライターは火の着きが悪く、煙草を吸うのもモタつく始末で、ますますクソな気分だった。
「おい、煙草やめろ」
「え? ああ、ごめんね」
何時もベットの傍に煙草とライターは置いておく様にしてるが、よく灰皿を置くのを忘れてしまう。
こんな時は先輩直伝の技を使う。親指と人差し指の第二関節を唾液で湿らせてから、一気に煙草の先端を握り潰すんだ。多少の火傷はするが、慣れてしまえば大した事ない。消えた煙草はその辺に投げ捨てておく。
今夜のお客は味気なかった。IT関連の社長さんなんてのは、そんなもんだろうか。ベットで腕枕をしながら神妙な面持ちで天井を見つめている。
「それで? これからどうする? まだまだ時間はあるよ」
うつ伏せに横たわり、お客に顔を近づける。身体の火照りも冷めてきて、一応アピールをしてみた。――正直、ヤり足りない。
このお客は顔もそこそこ良いし、滅茶苦茶な事をする感じでもなかった。今夜は当りを引いたと思い、俺も楽しもうとしていたのに。始終、淡々したセックスな上に若干の早漏ときたもんだ。俺を相手に雑魚い客。
俺は自分の事を上等な“HOE”だと思っている。いや、確信している。
だから大抵の事は受け入れるし、所謂ご奉仕ってヤツだって妥協はしない。って言うか、ヤる事やって後、何を勝手に自分の世界に入り込んでるんだよ。そのくせ煙草とか小さい事を気にしてさ。この俺とヤっておきながら。――つまらない、旦那さんだね。
もっと、心に触れたいのに。
「この後、仕事があるんだ。今夜はもういいよ」
冷め切った言葉がボソリと放たれる。なるほど、とりあえず一発抜いてスッキリした後は金儲けに勤しむワケだ。確かに時間は大切だと思う。時は金なりとは、よく言う。
この街には俺の身体欲しさに数ヶ月かけて金を貯めてくるお客だっている。そう言うのがいる一方で、まるで使い捨てのオナホールみたいにサクッと俺を買う客もいる。持たざる者で溢れた街にいると、つい忘れがちだけど、持ってる奴はとことん持っている。そう言うものだ。
不意に思う。俺の価値とは、どれほどの物なのかと。やっぱり他人なんか当てにならない。それもまた多様性ってヤツさ。なら俺の価値もそれぞれになる。
本当の俺の価値はきっと俺だけが知っている。何て事はないさ、やはり俺はこの街の上等なHOEさ。
「そう、それじゃまた御贔屓にね」
社長さんの頬に軽くキスをしてベットから起きた。本当はシャワーでも浴びてから部屋を出たいとこだが、俺も用が済んだならさっさと部屋を出たい気分だ。大して汚れてもいないし。今夜は稼げそうな気分だ。
そそくさと服を着て、テーブルの上に置かれた札束を握り締めて、部屋を出た。
ケバくて安っぽいピンク色の照明が並ぶ廊下の先を進み、エレベーターで降りてロビーのフロントへ向かうと、深夜パートのシホちゃんが狭い受付口からひょっこりと顔を出す。毎度の事だけど、顔出すなよ。お客のプライバシーとかあるだろうに。天真爛漫な五十路ちゃんだよ。
「あら、蓮夢(レン)ちゃん。もう上がりなの?」
「つまんないお客だったよ、アニメティもらっとくから、客に払わしといてね」
ホテルを出て、高くそびえる壁は絶好の死角。薬ケースを取り出して景気付けをスニッフィングする。質、配分、分量も拘り抜いた俺のスペシャルドラッグ。何食わぬ顔で、この壁を抜けた先の、視界に溢れるこの街は最高に――地獄の様な輝きに満ちていた。
その一つ一つは、煌びやかな単色の赤や青、緑のネオンライト。爽やかなLEDの白とテカテカとチラつくオレンジ。気分をぶち壊すウザったいパトカーは貞操帯みたいな装甲を付けて、赤橙が混ぜ合わせる。この街はグロテスクな赤紫に光り輝いていた。
嗚呼、この世は地獄だな。クソなライターは相変わらず着きが悪いが、俺は相も変わらずご機嫌だよ。
コンビニに屯ってる作業服を着た、厳つい連中一人が、安物の缶チューハイを片手に俺に向かって「ヤラせてくれぇ~」とナニをしごく仕草で叫んでくる。
「稼いでから出直しな、ビッチ!」
俺はそれを横目に罵倒を浴びせ立ち止まる事なく、中指をおっ立てて歩みを止めない。後ろから聞こえる下品な笑い声。まったく、ご機嫌だね。
行列になっているラーメン屋から漏れ出すホクホクとした香りが、すきっ腹を突き刺す様に刺激してくると、お隣のソープランドのキャッチのおっさんが看板片手に色っぽい目付きで俺に近づいてくる。
この街では新入りのおっさん。隠れゲイだ。――俺はすぐに見抜く。
「蓮夢さん蓮夢さん、たまにはウチの子達の相手してあげてやってよ」
「近い内にね」首から顎までを指なぞってやり、おっさんを軽くあしらって俺は何時もの場所へ向かう。
この街の奥の、そのまた奥へと俺は歩き続ける。多くの人間のほとんどは、この街の浅い所で留まって、後は本能が察して踵を返すものさ。
眩かった赤紫は徐々にドス黒くなっていく。此処じゃ軽口を叩く馬鹿も減っていく。
その辺に転がってる小汚い老いぼれ共の話では、この日本ってとこは、控える心だの、耐え忍ぶ精神なんてものを重んじる美徳ってのがあったとか。
でも、お生憎様。この街じゃそんな物は、或いはこの時代では何一つ満たしてくれないよ。クソみたいな人生を一時的に満たせる唯一の物は欲望だけ。
右の裏路地に目をやれば、レズビアンが唇を一心不乱に貪り合い、左では男だ女の喘ぎ声か叫び声が鳴り響いている。
そして俺は目の前で横たわり、よだれを垂らしてこっちを必死に見つめる男をひょいっと乗り越えて何時もの場所へ向かう。俺が言える立場じゃないがヤクのやり過ぎだぜ。ご愁傷様。
何時もの場所へ辿り着く。時刻は深夜一時を過ぎた辺り、もう一稼ぎ出来きそうな雰囲気をひしひし感じ取っていた。
「あれ? 蓮夢さん早くないっスか? 今夜はもう上がり?」
後輩の春斗が早速話しかけてきた。少し湿った茶髪に首筋についたキスマークを見る限り、今夜もそれなりに稼げてる様子だ。
「ん? まぁ上がってもいいけど、もう一稼ぎしてもいいかな“レディ”には黙っておけよ」
地獄の様な街とは言っても決まり事がない訳ではない。結局どんな所にも支配する者と、される者に分かれてるものだ。俺は幾らか自由な方だが。
今夜は春斗だけか、同じ釜の飯を食った仲間達も大分減ってしまった。俺達は前の飼い主が厄介者だったお陰で腫物扱いだった。みんなそれぞれ違う店やらに配属されて散り散りになっている。屯って話せるのは、こんな時ぐらいだった。
この地獄みたいな街と俺の約束事はとりあえず二つ。縄張りは街の入り口と此処の街頭のみ、そして一晩に客は一人だけ。
それと引き換えに俺はこの街で唯一、どこの組織にも属さない自由なHOEとなったのだ。
別に街に嫌われている訳ではない。むしろ放し飼いせざるを得ない程の存在に俺が成ったと言うだけだ。勿論――それなりの代償は払ってある。
そして、その約束事はこの通り、大概破ってる。知った事じゃない、稼ぐのが最優先さ。稼げないビッチはこの街じゃお呼びじゃないだろ。
「まぁ、いいですけど……仮にバレたって俺のせいじゃないっスからね」
「それはそれさ、なるようになるって」
煙草を取り出して春斗に火を着けさせる。立派なターボライターだな。俺が使うのは何時もホテルやバーのタダでもらえるヤツや、クラブに落ちてる様な安物ばかりだった。
「ホント、蓮夢さんはトラブルとか気にしないっスよね」
「何言ってんだよ、トラブルのない人生なんか唐辛子の入ってないプッタネスカみたいで退屈だろ?」
「辛いの苦手なくせに」
煙草の煙を一筋すうと吐きながら「苦手でも好きなの」と、春斗に反論して、二人して笑い合う。
俺の人生その物がトラブルみたいなもんだが、数年前にでとんでもないトラブルってヤツを経験してしまって、すっかり免疫の様なものが出来てからは、ちょっとやそっとの刺激では物足りなくなってしまってる。
なんなら、自分からトラブルってヤツに首を突っ込みたいと、破滅的な考えすら芽生えているのだ。我ながらイカれてると思う。
そこそこ付き合いの長い後輩との会話を楽しんでいると、男が一人暗がりから現れ、こちらに近づいてくる。甘い香りによって来るのは蜂かそれとも蠅か。歳は四十後半辺り、幅広な高級スーツにワイシャツからは胸も腹も見事に突き出してた。
男と目が合って確信する。こいつは俺がお目当てなお客だなと。脂っこそうなお客だ。
春斗もそれを察したか、俺と距離をとって定位置の壁に背もたれ煙草に火を着けていた。
「君がポルノデーモンだろ?」
「よく御存じで」
「いくらだ?」
「俺は高いよ、お客さん」
ワンクッション入れてやるのは俺の優しさだ。この態度に逆上するのか動じないのか。それで客の程度が分かる。身の程を知った時にショックが和らぐだろ。
そして何よりも――俺は安くない。
「構わんよ」
「五十万。それで朝まで俺を玩具にできるぜ」
同業者の相場を遥かに超える、ふざけた額で時には同業者からも反感を買う時もある。しかし、この街でこんなマネができるのは俺だけ。十八の頃にこの街に流れ着いて、二十歳になる頃には――“ポルノデーモン”と呼ばれ、この地獄みたい街を虜にしていた。
ポルノスターなんか目じゃない、俺は色欲を統べるこの街の悪魔さ。
「それじゃ行こうか」
スーツの内ポケットから嫌味なぐらい分厚い財布が出てくる。街との約束事は破る事になるけど、目先の金と快楽に勝る物なんかない。
この客は結構な重量級だし、チラ付かせた財布を見せた瞬間に見せた小さな笑みで見抜く。
紳士くさい雰囲気を見せているが、コイツはホテルの部屋に入った途端に豹変するタイプだと。だけど、乗られる前に乗りこなしてやるさ。
安っぽい支配欲に塗れた心が見えるよ。
「地獄へようこそ」
豚みたいな客の顔に近づいて頬を撫でてやり、交渉成立。俺は再びどす黒い赤紫に光り輝く場所へ、この夜を貪りに繰り出す。
眼前に空高く聳える高層ビル群から差し込む白い光は、まさに天国に輝き。しかし、その光はここには届かない。分かるだろ。
此処は業と欲が渦巻く大歓楽街、輝紫桜町。
この街に流れ着いた時の俺は自分が何者かも分からないウブな野良犬だったよ。
アンタのポケットの中にある、糸屑みたいにつまらない存在さ。
俺を満たしていたのは、自分自身への失望と嫌悪感だけ。汚い奴等の欲望に満たされたズタ袋。それでも正気を保ってるから、そもそも汚れていたのかもね。
だから仕方なかったのさ、此処しか行き場がない。でも必要な事だったと、今ならそう思えるよ。
この街に群がる欲深い奴等の唾液と精液が、自分のそれと混じり合って、おまけに安物のドラッグまで混ぜちまって、何時しか俺は人間ですらなくなっていたんだ。
堕ちるとこまで堕ちてった。
それでも、俺はこの街で見つけたんだ。――自分が何者なのかを。
だからもう、何も恐れる事はない、むしろ誇らしくあれ。くたばる最後の瞬間まで粋がってな。
今夜も、そして明日もその先も、俺は相も変わらず、この街で薄汚い奴等の欲の捌け口になって汚させる。でも、何て事ないよ。
何故なら、俺はそれぐらいの事では揺るがない。俺と言う確かな存在が、このクソみたいな街で最も光り輝いて、デジタル化された膨大な欲望とトラブルをマトリクス越しに見透かして認識しているからだ。
そのシナプスを“心”で感じている限り、俺はきっと、大丈夫。
性自認とか性的指向とか、イカれた性癖だってお構いなしさ。俺が全部、面倒見てやるよ。時に襲い掛かる虚しさを酒で流し込んでクスリで誤魔化してさ。今夜もお構いなしに何処までも堕ちてこうじゃないか。
此処は欲と業が渦巻く大歓楽街、輝紫桜町。
そして俺は、この地獄に舞い降りたポルノデーモンさ。
気怠いってヤツには二種類ある。
一つは心身共に満たされて、尽き果てた心地良い感じのヤツと、嗚呼、やっと終わった、せいせいすると、身も心も磨り減らした感じのヤツだ。俺は今、後者の方だった。口には出さないけど、お互いに楽しまないと面白くない。安物のライターは火の着きが悪く、煙草を吸うのもモタつく始末で、ますますクソな気分だった。
「おい、煙草やめろ」
「え? ああ、ごめんね」
何時もベットの傍に煙草とライターは置いておく様にしてるが、よく灰皿を置くのを忘れてしまう。
こんな時は先輩直伝の技を使う。親指と人差し指の第二関節を唾液で湿らせてから、一気に煙草の先端を握り潰すんだ。多少の火傷はするが、慣れてしまえば大した事ない。消えた煙草はその辺に投げ捨てておく。
今夜のお客は味気なかった。IT関連の社長さんなんてのは、そんなもんだろうか。ベットで腕枕をしながら神妙な面持ちで天井を見つめている。
「それで? これからどうする? まだまだ時間はあるよ」
うつ伏せに横たわり、お客に顔を近づける。身体の火照りも冷めてきて、一応アピールをしてみた。――正直、ヤり足りない。
このお客は顔もそこそこ良いし、滅茶苦茶な事をする感じでもなかった。今夜は当りを引いたと思い、俺も楽しもうとしていたのに。始終、淡々したセックスな上に若干の早漏ときたもんだ。俺を相手に雑魚い客。
俺は自分の事を上等な“HOE”だと思っている。いや、確信している。
だから大抵の事は受け入れるし、所謂ご奉仕ってヤツだって妥協はしない。って言うか、ヤる事やって後、何を勝手に自分の世界に入り込んでるんだよ。そのくせ煙草とか小さい事を気にしてさ。この俺とヤっておきながら。――つまらない、旦那さんだね。
もっと、心に触れたいのに。
「この後、仕事があるんだ。今夜はもういいよ」
冷め切った言葉がボソリと放たれる。なるほど、とりあえず一発抜いてスッキリした後は金儲けに勤しむワケだ。確かに時間は大切だと思う。時は金なりとは、よく言う。
この街には俺の身体欲しさに数ヶ月かけて金を貯めてくるお客だっている。そう言うのがいる一方で、まるで使い捨てのオナホールみたいにサクッと俺を買う客もいる。持たざる者で溢れた街にいると、つい忘れがちだけど、持ってる奴はとことん持っている。そう言うものだ。
不意に思う。俺の価値とは、どれほどの物なのかと。やっぱり他人なんか当てにならない。それもまた多様性ってヤツさ。なら俺の価値もそれぞれになる。
本当の俺の価値はきっと俺だけが知っている。何て事はないさ、やはり俺はこの街の上等なHOEさ。
「そう、それじゃまた御贔屓にね」
社長さんの頬に軽くキスをしてベットから起きた。本当はシャワーでも浴びてから部屋を出たいとこだが、俺も用が済んだならさっさと部屋を出たい気分だ。大して汚れてもいないし。今夜は稼げそうな気分だ。
そそくさと服を着て、テーブルの上に置かれた札束を握り締めて、部屋を出た。
ケバくて安っぽいピンク色の照明が並ぶ廊下の先を進み、エレベーターで降りてロビーのフロントへ向かうと、深夜パートのシホちゃんが狭い受付口からひょっこりと顔を出す。毎度の事だけど、顔出すなよ。お客のプライバシーとかあるだろうに。天真爛漫な五十路ちゃんだよ。
「あら、蓮夢(レン)ちゃん。もう上がりなの?」
「つまんないお客だったよ、アニメティもらっとくから、客に払わしといてね」
ホテルを出て、高くそびえる壁は絶好の死角。薬ケースを取り出して景気付けをスニッフィングする。質、配分、分量も拘り抜いた俺のスペシャルドラッグ。何食わぬ顔で、この壁を抜けた先の、視界に溢れるこの街は最高に――地獄の様な輝きに満ちていた。
その一つ一つは、煌びやかな単色の赤や青、緑のネオンライト。爽やかなLEDの白とテカテカとチラつくオレンジ。気分をぶち壊すウザったいパトカーは貞操帯みたいな装甲を付けて、赤橙が混ぜ合わせる。この街はグロテスクな赤紫に光り輝いていた。
嗚呼、この世は地獄だな。クソなライターは相変わらず着きが悪いが、俺は相も変わらずご機嫌だよ。
コンビニに屯ってる作業服を着た、厳つい連中一人が、安物の缶チューハイを片手に俺に向かって「ヤラせてくれぇ~」とナニをしごく仕草で叫んでくる。
「稼いでから出直しな、ビッチ!」
俺はそれを横目に罵倒を浴びせ立ち止まる事なく、中指をおっ立てて歩みを止めない。後ろから聞こえる下品な笑い声。まったく、ご機嫌だね。
行列になっているラーメン屋から漏れ出すホクホクとした香りが、すきっ腹を突き刺す様に刺激してくると、お隣のソープランドのキャッチのおっさんが看板片手に色っぽい目付きで俺に近づいてくる。
この街では新入りのおっさん。隠れゲイだ。――俺はすぐに見抜く。
「蓮夢さん蓮夢さん、たまにはウチの子達の相手してあげてやってよ」
「近い内にね」首から顎までを指なぞってやり、おっさんを軽くあしらって俺は何時もの場所へ向かう。
この街の奥の、そのまた奥へと俺は歩き続ける。多くの人間のほとんどは、この街の浅い所で留まって、後は本能が察して踵を返すものさ。
眩かった赤紫は徐々にドス黒くなっていく。此処じゃ軽口を叩く馬鹿も減っていく。
その辺に転がってる小汚い老いぼれ共の話では、この日本ってとこは、控える心だの、耐え忍ぶ精神なんてものを重んじる美徳ってのがあったとか。
でも、お生憎様。この街じゃそんな物は、或いはこの時代では何一つ満たしてくれないよ。クソみたいな人生を一時的に満たせる唯一の物は欲望だけ。
右の裏路地に目をやれば、レズビアンが唇を一心不乱に貪り合い、左では男だ女の喘ぎ声か叫び声が鳴り響いている。
そして俺は目の前で横たわり、よだれを垂らしてこっちを必死に見つめる男をひょいっと乗り越えて何時もの場所へ向かう。俺が言える立場じゃないがヤクのやり過ぎだぜ。ご愁傷様。
何時もの場所へ辿り着く。時刻は深夜一時を過ぎた辺り、もう一稼ぎ出来きそうな雰囲気をひしひし感じ取っていた。
「あれ? 蓮夢さん早くないっスか? 今夜はもう上がり?」
後輩の春斗が早速話しかけてきた。少し湿った茶髪に首筋についたキスマークを見る限り、今夜もそれなりに稼げてる様子だ。
「ん? まぁ上がってもいいけど、もう一稼ぎしてもいいかな“レディ”には黙っておけよ」
地獄の様な街とは言っても決まり事がない訳ではない。結局どんな所にも支配する者と、される者に分かれてるものだ。俺は幾らか自由な方だが。
今夜は春斗だけか、同じ釜の飯を食った仲間達も大分減ってしまった。俺達は前の飼い主が厄介者だったお陰で腫物扱いだった。みんなそれぞれ違う店やらに配属されて散り散りになっている。屯って話せるのは、こんな時ぐらいだった。
この地獄みたいな街と俺の約束事はとりあえず二つ。縄張りは街の入り口と此処の街頭のみ、そして一晩に客は一人だけ。
それと引き換えに俺はこの街で唯一、どこの組織にも属さない自由なHOEとなったのだ。
別に街に嫌われている訳ではない。むしろ放し飼いせざるを得ない程の存在に俺が成ったと言うだけだ。勿論――それなりの代償は払ってある。
そして、その約束事はこの通り、大概破ってる。知った事じゃない、稼ぐのが最優先さ。稼げないビッチはこの街じゃお呼びじゃないだろ。
「まぁ、いいですけど……仮にバレたって俺のせいじゃないっスからね」
「それはそれさ、なるようになるって」
煙草を取り出して春斗に火を着けさせる。立派なターボライターだな。俺が使うのは何時もホテルやバーのタダでもらえるヤツや、クラブに落ちてる様な安物ばかりだった。
「ホント、蓮夢さんはトラブルとか気にしないっスよね」
「何言ってんだよ、トラブルのない人生なんか唐辛子の入ってないプッタネスカみたいで退屈だろ?」
「辛いの苦手なくせに」
煙草の煙を一筋すうと吐きながら「苦手でも好きなの」と、春斗に反論して、二人して笑い合う。
俺の人生その物がトラブルみたいなもんだが、数年前にでとんでもないトラブルってヤツを経験してしまって、すっかり免疫の様なものが出来てからは、ちょっとやそっとの刺激では物足りなくなってしまってる。
なんなら、自分からトラブルってヤツに首を突っ込みたいと、破滅的な考えすら芽生えているのだ。我ながらイカれてると思う。
そこそこ付き合いの長い後輩との会話を楽しんでいると、男が一人暗がりから現れ、こちらに近づいてくる。甘い香りによって来るのは蜂かそれとも蠅か。歳は四十後半辺り、幅広な高級スーツにワイシャツからは胸も腹も見事に突き出してた。
男と目が合って確信する。こいつは俺がお目当てなお客だなと。脂っこそうなお客だ。
春斗もそれを察したか、俺と距離をとって定位置の壁に背もたれ煙草に火を着けていた。
「君がポルノデーモンだろ?」
「よく御存じで」
「いくらだ?」
「俺は高いよ、お客さん」
ワンクッション入れてやるのは俺の優しさだ。この態度に逆上するのか動じないのか。それで客の程度が分かる。身の程を知った時にショックが和らぐだろ。
そして何よりも――俺は安くない。
「構わんよ」
「五十万。それで朝まで俺を玩具にできるぜ」
同業者の相場を遥かに超える、ふざけた額で時には同業者からも反感を買う時もある。しかし、この街でこんなマネができるのは俺だけ。十八の頃にこの街に流れ着いて、二十歳になる頃には――“ポルノデーモン”と呼ばれ、この地獄みたい街を虜にしていた。
ポルノスターなんか目じゃない、俺は色欲を統べるこの街の悪魔さ。
「それじゃ行こうか」
スーツの内ポケットから嫌味なぐらい分厚い財布が出てくる。街との約束事は破る事になるけど、目先の金と快楽に勝る物なんかない。
この客は結構な重量級だし、チラ付かせた財布を見せた瞬間に見せた小さな笑みで見抜く。
紳士くさい雰囲気を見せているが、コイツはホテルの部屋に入った途端に豹変するタイプだと。だけど、乗られる前に乗りこなしてやるさ。
安っぽい支配欲に塗れた心が見えるよ。
「地獄へようこそ」
豚みたいな客の顔に近づいて頬を撫でてやり、交渉成立。俺は再びどす黒い赤紫に光り輝く場所へ、この夜を貪りに繰り出す。
眼前に空高く聳える高層ビル群から差し込む白い光は、まさに天国に輝き。しかし、その光はここには届かない。分かるだろ。
此処は業と欲が渦巻く大歓楽街、輝紫桜町。
この街に流れ着いた時の俺は自分が何者かも分からないウブな野良犬だったよ。
アンタのポケットの中にある、糸屑みたいにつまらない存在さ。
俺を満たしていたのは、自分自身への失望と嫌悪感だけ。汚い奴等の欲望に満たされたズタ袋。それでも正気を保ってるから、そもそも汚れていたのかもね。
だから仕方なかったのさ、此処しか行き場がない。でも必要な事だったと、今ならそう思えるよ。
この街に群がる欲深い奴等の唾液と精液が、自分のそれと混じり合って、おまけに安物のドラッグまで混ぜちまって、何時しか俺は人間ですらなくなっていたんだ。
堕ちるとこまで堕ちてった。
それでも、俺はこの街で見つけたんだ。――自分が何者なのかを。
だからもう、何も恐れる事はない、むしろ誇らしくあれ。くたばる最後の瞬間まで粋がってな。
今夜も、そして明日もその先も、俺は相も変わらず、この街で薄汚い奴等の欲の捌け口になって汚させる。でも、何て事ないよ。
何故なら、俺はそれぐらいの事では揺るがない。俺と言う確かな存在が、このクソみたいな街で最も光り輝いて、デジタル化された膨大な欲望とトラブルをマトリクス越しに見透かして認識しているからだ。
そのシナプスを“心”で感じている限り、俺はきっと、大丈夫。
性自認とか性的指向とか、イカれた性癖だってお構いなしさ。俺が全部、面倒見てやるよ。時に襲い掛かる虚しさを酒で流し込んでクスリで誤魔化してさ。今夜もお構いなしに何処までも堕ちてこうじゃないか。
此処は欲と業が渦巻く大歓楽街、輝紫桜町。
そして俺は、この地獄に舞い降りたポルノデーモンさ。