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R-15
文学少女と天才ピアニスト その十三
 13

 翌朝、目が覚めると目の前に沙音の顔があった。一瞬パニックになったけどすぐに思い出すことができた。

 そうだ、昨日から沙音は泊まりに来ているんだったっけ。

 そこまでは思い出せた。しかし、この状況になった経緯が分からない。

 そもそもなんで沙音がぼくのベッドに入ってきているのかも分からないのだ。

「どうしてこんなことに……」

 ぼくが困惑していることを露知らず、沙音は気持ちよさそうに寝息を立てている。

 そういえば寝顔を見るのは初めてかもしれないな……と思いながらしばらく見つめてみる。

 やはり綺麗な顔をしていると思う。普段の明るく活発な印象とは違い、どこか儚げな美しさがあるように見えるのだ。

 普段から意識しているけれど、改めて見ると本当に美人さんだなぁと思う。

 ぼくは手を伸ばして彼女の頰に触れてみた。ぷにっとした感触が手に伝わってくると同時に、くすぐったかったのか沙音が小さく身動ぎをした。しかし、起きる気配はないようだ。

 ぼくはそのまま人差し指を動かして頰をツンツンと突いてみる。柔らかいなぁ……なんだか癖になりそうだ。

 沙音は起きないのをいいことに、しばらく彼女の身体に触れ続ける。肌は白く透き通っていてきめ細かいし、唇もぷるんとして柔らかそうだ。正直言ってすごく魅力的だと思う。

「う……ん……」

 不意に沙音が寝返りを打つように動いたので、慌てて手を離す。危ないところだった……もう少しで起こしてしまうところだったかもしれないな。ぼくはドキドキしながら胸を撫で下ろした。

 沙音はまだすやすやと眠っている。なんだか起こすのがかわいそうになってきたな……今日くらいはゆっくり寝かせてあげることにしようか。

 どうせ今日は土曜日だ。学校は休みだし、このままゆっくり寝かせてあげよう。

 ぼくはそう決めると沙音を起こさないようにそっとベッドから出る。そして洗面所で顔を洗って歯磨きをしてからキッチンへ向かった。

 朝ごはんでも作っておこうかな……パンがあったはずだしトーストにサラダと目玉焼きでも作ろうかな……などと考えながら冷蔵庫を開ける。すると、後ろから声を掛けられた。

「おはよ~サヨサヨ~」

 振り返ると眠そうな顔をした沙音が立っていた。彼女は大きな欠伸をしながら目を擦っている。

「おはよう、沙音」

 寝ぼけ眼のまま挨拶をしてくる彼女に対して、ぼくは笑い掛けた。

「よく眠れた?」

「うん……ぐっすり眠れたよ~」

 沙音はそう言いながら大きく伸びをする。そして目をパチパチさせた後に不思議そうに首を傾げた。

「……あれ? サヨサヨのお父さんとお母さんは?」

「まだ寝ている、うちは休日はいつもこんな感じだから」

「へぇ……なんかいいね……」

 沙音は羨ましそうな表情をすると、ぼくの後ろに回り込んでくる。そして後ろから抱き着いてきた。

「サヨサヨ成分を補充しないと~」

 そう言いながら身体を擦り付けてくる沙音。

「ちょっと沙音、いきなり何を……」

「えへへ……いいじゃん別に……」

 彼女は悪戯っぽく笑うとさらに強く抱きついてくる。柔らかい感触が背中に伝わってくる。ぼくはドキドキしながらも平静を装って朝食の準備に取り掛かったのだった……。

 ***

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 二人で手を合わせると、食器を流し台まで持っていく。そして洗い物を始めた。

「サヨサヨは座ってていいよ、あーしが全部やるから」

「いや、流石にそれは悪いよ……」

「いいって、泊めてもらってるんだし」

 沙音はそう言って笑う。しかし、何もしないのは申し訳ない気がしたので、せめて食器を拭くくらいはやらせてもらおうと思う。

 ぼくはタオルを持って沙音が洗った皿を拭き始める。

「あ、ちょっと! サヨサヨがやんなくていいのに」

「沙音だけにやらせると申し訳ないし……」

 ぼくはそう言いながら皿を手に取り拭いていく。

 そんな感じで二人並んでキッチンに立つ。なんだかこうしてると姉妹みたいだな……なんて考えが頭を過る。

「なんかこうしてると新婚さんみたいだね、サヨサヨ」

 沙音が笑いながらそんなことを言ってきたので、あえてそのノリに乗ってみる。

「そうだね、ちなみにどっちが旦那さんになるのかな?」

「そりゃもちろんサヨサヨだよ」

「いやいや、ここは沙音の方が旦那さんかな」

 お互いに冗談を言い合いながら笑い合う。こんな何気ないやりとりが楽しいと思う。

 そうして二人で食器洗いを終えると、朝ご飯の片付けが終わった。

 時計を見るとまだ九時過ぎだ。休日にしては早起きだなと思いながらリビングに戻ってきたぼくは、ソファに座り込むと大きく伸びをした。

「ふわぁ……なんだかまだ眠たい……」

 あくびをしながら呟くぼく。そんなぼくの隣に沙音が腰掛けてきた。そしてそのまま身体を預けてくるようにもたれ掛かってくる。

「サヨサヨって休日はいつもなにしてる?」

「ん~……基本的には本を読むか、小説を書くか……かな」

「アハハ、サヨサヨらしいね」

 沙音は楽しそうに笑う。どうやら彼女的にはぼくの休日の過ごし方は予想通りだったようだ。

「そういう沙音はどうなのかな?」

「えっ……あーし? あーしは……その……」

 沙音は頰を赤くしながら視線を逸らす。なんだか歯切れが悪いな……普段はもっとハキハキとしている子なのに。そんなことを考えていると、彼女は小さな声で呟いた。

「外でブラブラしている……感じ……かな」

 とても曖昧な回答だったので、ぼくは首を傾げた。すると沙音は慌てた様子で弁明するように言った。

「い、いや……休日は部活とかやってないからさ!! だからその……時間が余るっていうか、暇になっちゃうんだよね!!」

「なるほどね……じゃあ今日は一緒に何かするかい?」

 ぼくが提案すると、沙音は腕を組んで露骨に悩み始めた。

「う~ん……でもこの前、あーしに付き合ってもらったし……今日はサヨサヨのおすすめの小説とか読んでみたいな」

「ああ、そういえば沙音はあんまり小説読まないって言ってたね」

 確かにそういうことならぼくのおすすめの本を読んでみる方が楽しめるかもしれないな。

「どんな本がいいかな?」

「えっと……恋愛ものとか? あんま難しめのやつはやめてほしいけど……」

 沙音は苦笑いをしながら答える。ぼくはそれに頷きながら沙音と一緒に書庫に向かった。

 書庫に入ると、沙音は目を輝かせながらキョロキョロと周囲を見渡している。どうやら感動しているようだ。

「マジで……圧巻の光景じゃん……」

「まあね、ぼくとお父さんが集めた名作たちだ、好きなように読んでいいよ」

 ぼくはそう言うと本棚を指差す。そこにはずらりと小説や漫画が並べられていた。沙音は興味津々といった様子で近寄っていく。

 そして背表紙を指先で撫で始めた。まるで宝物を見つけた子供のようだ。

「あっ、これこの前映画化したやつじゃん!!」

 沙音が手に取った本には見覚えがあった。確か……数年前に大ヒットした恋愛小説だったはずだ。映画化もされていたので、ぼくも観に行った記憶がある。

「興味あるかい?」

「興味はあるけど、今日はサヨサヨのオススメがいいかな」

「そうか……じゃあちょっと探してみるよ……」

 ぼくは本のタイトルを一つずつ確認しながら、沙音が好きそうな作品を探してみる。そして五冊ほどピックアップして机の上に並べてみた。どれも面白いはずだけど……どうだろうか? 

「なにか気になるものはあるかな?」

 ぼくが尋ねると、沙音は目を輝かせながら一冊ずつ手に取っていく。そして真剣な表情であらすじを確認始めた。

「全部面白そうだけど……特にこれが気になるかな」

 沙音は一冊の小説を手に持ってそう言った。それは純愛系の作品だった。確かにこれは名作だし、ぼくも好きな作品だ。

「それはいいね、じゃあそれを貸すよ」

 ぼくがそう言うと、沙音は大きく頷いてお礼を言った。

 それからぼくの部屋に戻り、沙音はベッドの上でうつ伏せになりながら本を読み始めた。

 ぼくはそんな彼女の姿を横目で見ながら、自分の小説の執筆作業を進めることにする。

 静かな時間が流れる中、沙音がページをめくる音とキーボードを叩く音だけが耳に入ってくる。

 なんだか心地よい気分だな……と思いながらも、ぼくはコーヒーを飲みながら黙々とキーボードで文字を紡ぎ続けた。

 それから二時間ほど経った頃だろうか、ぼくは一区切りついたので軽く伸びをする。

 隣を見ると、沙音がじーっとこちらを見つめていた。

「うわ!? びっくりした……どうしたんだい?」

「いや……サヨサヨって小説書いているときって、こんな顔なんだなぁって思って」

「どういう意味かな?」

 ぼくは苦笑いをしながら聞き返す。沙音は少し照れ臭そうにしながらも言葉を続けた。

「サヨサヨっていつも冷静というか、落ち着いている感じだけど……小説書いてるときだけは別人みたいな顔してるからさ」

「そ、そうなのかな……?」

 自分ではよく分からないけど……そんなに顔に出ているのかな? 気恥ずかしくなってきた。

「そう、何かとっても真剣で……でも楽しそうで、ちょっとカッコよかった」

「そ、そうかい? なんだか照れるな……」

 ぼくは少し照れくさくなって頰をかく。沙音はそんなぼくを見て嬉しそうに微笑んだ。

「サヨサヨの家に泊まってよかった……こんなサヨサヨが見られちゃったんだもん」

 沙音は悪戯っぽい笑みを浮かべると、ぼくは思わずドキッとする。なんだかすごく恥ずかしい気分だ。

「この小説を書いてるとき、サヨサヨは何を考えて書いていたの?」

「そうだね……書きたいことを頭の中で整理しながら形にしていく感じかな……もちろんストーリーや登場人物の設定なんかも大切だけどね」

 ぼくはそう答えながら、執筆中の小説を保存してパソコンを閉じる。そして沙音の隣に腰掛けた。

「まあでも今は完全に趣味だよ、好きなだけ書いてるだけさ」

「そっか……サヨサヨはプロになんの?」

「今のところはその予定はないかな、自分が書きたいものを書きたい時に書いているだけだよ」

 ネットで公開している小説は、あくまで趣味の一環として書いているだけだ。

 それでも嬉しいことを評価はされて、書籍化の打診なんかもあるけど、今のところは全て断っている。

 お父さんもプロになるならうちの出版社で……と言ってくれてはいるが、今のところは気ままに書きたいと思っている。

 ただ、やたらとぼくがプロになることを急かしてくる人物が一人いるのだが……。

「そっかぁ……なんだか勿体ない気もするけど、でもそれもサヨサヨらしいなって思うよ」

 沙音はそう言いながら笑う。ぼくも釣られて笑った。

 ふと、沙音に貸した本を見ると、本には栞が挟まれていることに気づいた。

「その栞……この前の」

 それはこの前、ぼくが沙音と一緒にお揃いで買った栞だった。

 紅葉の葉と音符の描かれた可愛らしいデザインの栞だ。

「うん、せっかく買ったんだし、使わないと勿体ないと思ってさ」

 沙音は栞を手に取ると、愛おしそうに眺める。

「あーしの宝物じゃん、ずっと大切にするね」

 そう言って微笑む彼女の姿はとても美しくて……ぼくは思わず見惚れてしまうのだった。
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