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作者: 桐谷 碧
18
私たちは、昨日までとは全く違う関係性で、同じ部屋にいた。海斗くんが私を見る目は、美波を見つめた優しい瞳ではなく、美波と呼んだその声には棘が含まれている。それでも、海斗くんが凪沙と呼ぶたびに、私は涙が出るほど嬉しかった。やっと私を見てくれた、海斗くんが星野凪沙を見てくれた。その事実だけで幸福な気持ちになれる。
 海斗くんはあっという間に浅間の住所を突き止めると、家に向かおうと準備を始めた。流石に殺したりはしないと思ったけれど、念の為に私はついて行く事にする。いや、本当は一緒にいたかっただけだ。美波に買ってくれたワンピースを渡された時、凪沙を認めてくれた気がして嬉しかった。単純に制服姿の女が横にいたら、迷惑なだけだと分かっていても、それでも嬉しかった。
 デート気分で気軽に外出したのに、浅間を見つけた瞬間、海斗くんは女に飛びかかって行った。馬乗りになり、泣きながら浅間の顔面を握り潰そうとしている。怖さよりも切なさで心が揺さぶられた。そんなにも美波を愛しているのだと伝わってきて涙が溢れた。こんな女は死んでも構わないと思ったけれど、海斗くんを殺人犯にはしたくない。私は海斗くんの腕を取って彼を止めた。
 家についても泣きじゃくる私に海斗くんは礼を言った。
「凪沙のおかげで美波に出会えた、感謝してる」と。
 ごちゃ混ぜになった感情に海斗くんは追い討ちをかけてくる。
「たまには、遊びに来いよ」
 私は涙を拭いて苦笑した。
「あ、浮気。お姉ちゃんにバラしちゃお」
 そう言いながらも、また遊びに来ようと私は思った。海斗くんに会えるなら、君の声を聞けるなら。それだけで良いと思っていたのに。なのに、凪沙が海斗くんの家を訪れる事は、もう二度となかった。私の体内で息を潜めていた病魔は宿主が希望を持ったとたん、それを栄養にして肥大化するように突如現れ、私の体を蝕んでいった。
 
『急性骨髄性膵臓疾患』と言う名の病は、三年生存率が十%以下の絶望的な病気だったけれど、私は心のどこかで安らかな気持ちを禁じ得なかった。私が死ねばもう、誰かを演じたり嘘を重ねる必要はなくなる。そんな安堵が脳内を満たし、死の恐怖を少しだけ和らげてくれた。
 それでも夜、ベッドに入ると死神がヒタヒタと枕元にやってきて私の脳内を支配する。死ぬのが怖いのか、私が死んだ後も世界が当たり前のように進んでいくのが怖いのか。そもそも死んでしまえば思考する事もないのだからそんな心配は無用なのだけれど、自分がいない世界を想像すると恐怖で全身が震えた。
 眠れないのは私だけじゃなかった。夜な夜なパパとママがリビングで啜り泣く声を聞いているうちに、一番不幸なのはこの二人なんだと思い、申し訳なくなる。ひと通り嘆き、悲しみ、恨み言を心の中にぶつけ終えると、最後にやってきたのは責任感だった。
 私に残された役目は、十八歳の夏を海斗くんと過ごして、美波として別れを告げる事。お姉ちゃんが生きられなかった十八歳の夏を私は大好きな人と過ごすチャンスがある。それは本当に奇跡的で、意地悪な神様にさえ感謝したい気持ちだった。そして、たとえ僅かな寿命が残されていたとしても、最後の夏が終わった時に、役目を終えた私は自らの人生を終わらせよう。そう決めていた。
 パパとママはあらゆる可能性を模索して、海外での移植手術を勝手に決意してきた。脆弱な蜘蛛の糸を手繰り寄せたような僅かな希望を熱弁されても、私の心には響かない。それどころか自分以外の誰か、赤の他人の臓器を使ってまで生き延びることに、凄まじい嫌悪感と拒絶感を覚えた。そして、そこまでしても生き延びる可能性はごく僅かだという事も理解していた。
 病気に殺されるより自ら命を絶つ方が楽だと、なによりそこには私の、凪沙の意思があると思った。私は凪沙のまま死にたかった。
 あらゆる治療の中で抗がん剤だけは使わなかった。副作用でボロボロになった姿で、最後の夏を迎えたくはない。私にとってその四十日間が生きる意味となり、病魔と戦う力になる。パパとママは私の前では決して泣かなかった。二人の娘を十代で失う悲しみは、子供のいない私には永遠に分からないけれど、残された人間の無力感は少しだけ理解できる。
 
 嘘をついて良かった――。
 
 もしも、あの時。星野凪沙と名乗って海斗くんと恋をしていたら。彼はまた大切な人の死を受け入れなければならなかった。海斗くんの悲しむ姿は見たくないし、幸せになって欲しいと願うなら、あの嘘は結果オーライだったのかも知れない。もちろん、美波を失った海斗くんは絶望するだろう。だけど、死別と成仏では意味合いが違う。私が書いた小説『生々流転』の結末は、成仏して生まれ変わり、新たな命に転生した美波が再び海斗くんと出会い恋をする。そんな救いのあるハッピーエンドは現実には起こらないけれど、残された人生を前向きに生きていく後押しに、少しでもなれたらそれでいい。
 だけどもし。もし、小説みたいに生まれ変われたら。もう一度だけ海斗くんと出会えたら。偽りの仮面を被った凪沙じゃなくて、本当の私を見て欲しい。そんな希望を抱いて命を絶つ事を。神様どうか許してください。

 最後の夏休みが近づくにつれ、私の体調はみるみる回復していき両親と医者を驚かせた。入退院を繰り返して枯れ木の様に細くなった腕や足も、食欲を取り戻した十八歳の体はすぐに元の曲線を取り戻し、丸みを帯びた健康的な顔を洗面鏡が映し出している。
「ママ、今年もお婆ちゃん家に行きたいんだけど……」
 相談するとママは口を真一文字につぐんだ後にふっと息を漏らした。
「お母さんも一緒に泊まるからね」
「うん!」
 何かを察してくれたママは、優しく顔を綻ばせてから私を抱きしめた。強く、どこにも行かないように強く抱きしめてから小刻みに震えた。何も言ってないのに、私には「ごめんね、ごめんね」と繰り返しているように感じて切なくなる。
「ママ、私の事を産んでくれてありがとう」
 今なら分かる、きっとお姉ちゃんも自殺する前にそう思ったに違いない。ママとパパの子供で良かったと、そう思ったに違いない。
 最後の夏休み前日の夜。日本全国、殆どの学生がそうであるように。明日から始まるかけがえのない日々を大きな期待と小さな不安を胸に、眠れない夜を過ごしているのだろう。十八歳になる私も多分に漏れず、その恩恵に預かり、最高の夏休みにするぞと意気込んでいた。そして、実際に私は素晴らしい夏休みを送る事になる。毎日が楽しく充実した、本当に最高の日々を送ることが出来た。私は幸せだった。幸せな家族や友人、恋人と出会えた。それがどんなに奇跡的な事かを私は知っている。感謝している。
 人は誰だって仮面を被って生きている。それは人に好かれる為だったり、人間関係を円滑に進める手段であって、心の中を覗かれない為の防衛本能なのかも知れない。だから、本当の意味で他人に全てを曝け出す事は不可能だし、人に好かれる為に努力した自分を偽りの偽善者と断罪してしまうのは間違いだと思う。
 お姉ちゃんを自殺に追い込んだ浅間は、あの事件から一切SNSを更新しなくなっていた。小さなネットニュースの記事では軽傷で済んだことになっていたけれど、警察が介入して海斗くんが逮捕される心配は杞憂に終わる。私はなんとなく浅間は、彼女はわざと見つかる為に派手な生活をアップしていたんじゃないかと思った。それは懺悔や贖罪に近い自傷行為で、自分を恨む人間に見つけてほしい、後悔しても決して取り戻せない自らの大罪を裁いてほしいと訴えていると、過去の投稿を見て私は感じた。
 本当の自分てなんだろう? ありのままの姿なんて、成長過程で変化していくもので、理想の自分を探していた私はまだ幼かったのだろう。すべてが現実の自分だし、その全てを受け入れるのも自分なのだから。家族を思い、優等生の美波を演じた凪沙も、穏やかな中学生だった凪沙も、虐められた凪沙も、海斗くんに嘘をついた凪沙も。全部が私なんだと気が付いたのはちょっと遅かったけれど、それでも気が付けて良かった。私は星野凪沙だと、気が付けてよかった。
 私たちは小さな海でもがき苦しみ、思い悩み、時に溺れていく。他人から見れば浅く、取るに足らない場所だとしても。本人からすれば、そこは世界のすべてで、命を賭けて護るべき場所なのだから――。
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