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作者: 桐谷 碧
「チッ!」
 わざと聞こえるように舌打ちしたつもりだったが、目の前で会計をしている中年の女は、世界が自分を中心に動いているのを疑いもしないのだろうか、ゆったりとした動作で財布の小銭を数え始めた。ファストフードの店員は穏やかな表情を崩しもしないで、両手を前に添えてトレーに並べられていく小銭をジッと眺めている。
 今時、現金で会計をする人間が信じられなかった。新型コロナウイルスのまん延で、対人との非接触が推奨されてからは現金でのやり取りは急激に減った、しかしそれ以上にこれだけ行列ができているにも関わらず、まるで急ごうとしないその姿勢はもはや、後続の人間に対する嫌がらせなのではないかと勘ぐるようにまでなっていた。
 愚鈍な人間のために貴重な時間を無駄にするのは業腹だったが、これ以上プレッシャーを与える術がないのがもどかしい。せめて俺が不機嫌である事をなんとか伝えたいと思う自分は性格が捻じ曲がっているのだろう。大丈夫だ、自覚している。
「どっちが勝ってます?」
 仕方なくスマートフォンで野球中継を見ていると、不意に背後から声をかけられた。何事かと思い振り返ると、白いオーバーオールを着た髪の長い女の子が、目元に笑みを浮かべて立っている。思わず少しのけ反った。
「はあ、えっと、引き分けだけど」
 戸惑いながらも途中経過を伝えた。
「引き分けかぁ……」
 女の子は顎に手を当てながら難しい顔をしている。巨人かヤクルトのファンなのだと察したが、自分からは何も言わなかった。
「野球好きなんですね、どっちのファン?」
 女の子が聞いてくる。マスクをしているので分からないが、かなり若そうに見える。おそらく同年代か少し下かも知れない。
「巨人だけど」
「かぁー、巨人かぁ! 私はスワローズファンなんですよ」
「へー」
「次のお客様ー!」
 見知らぬ男にいきなり話しかけてくる女の子に戸惑っていると店員に呼ばれた。あまり関わり合いになりたくないので丁度良い。先程の中年女はいつの間にか会計を済ませていなくなっていた。
 店員にすばやくオーダーを伝えると、スマートフォンで支払いを済ませる。流れるようなスピードでアッという間に次の女の子に順番をまわせた。全員がこれくらいのスピード感で会計を済ませれば、殆ど渋滞しないで済むに違いない。
 渡されたレシートを確認してテイクアウト用のチーズバーガーセットを取りにカウンターへ向かった。商品を受け取り、女の子に軽く手をあげて足早に立ち去ろうとすると、彼女はこちらに駆け寄って来て笑顔を向けた。
「一緒に野球観に行きませんか?」
 それが星野美波との最初の出会いだった。
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