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作者: こむらまこと
第47話 牛鬼と濡女〈四〉
 鬼頭優雅はあっさりと、密漁グループと通じていたことを認めた。
『横須賀に存在する二大勢力のうちの一方が、私に取引を持ちかけてきたのだ』 
 野分のわきとの激しい戦いから一夜。横須賀海上保安部に朝一で乗り込んだ九鬼を前に、鬼頭は平然とした顔でそう言ってのけた。
『断っておくが、捜査側の情報は一切漏らしておらん。辻元? 方法は全て奴に任せていた。まさか、あんな雑な手段を取るとは想像もしていなかったがな』
 そして、臆面もなくこう付け加えのだった。
『情報の一部は得られた。山内だって、高熱で寝込んだくらいで済んだのだろう? 怪我の功名とでも考えておけばよいではないか』
 人間の風上にもおけぬ鬼頭の発言の数々を、九鬼は努めて冷静に受け止めた。この種の人間は、真正面から怒りをぶつけられたところで痛痒など微塵も感じないということを、九鬼はよく理解している。それに、いかなる事情があろうと「鉄拳制裁」は断じて許されない。
 そういうわけで、九鬼は険しい目つきで鬼頭を見つめることにより全ての情報を洗いざらい喋らせると、礼もなしに保安部を後にした。
 公用車のミニバンを運転し、横須賀中央駅で榊原楓さかきばらかえでを拾い上げてから、最初の目的地へまっすぐ向かう。村上かけるは家庭の事情により横須賀を一旦離脱しているため、その交代要員として楓がやってきた形である。
「急に呼び出してすまない」
「こういう仕事いうのは分かってますから。うちも慣れとりますし」
 目的地へ向かう道すがら、九鬼はこれまでの経緯を改めて説明する。少し離れたコインパーキングにミニバンを停めて炎天下の高級住宅街を進む中で、九鬼は楓に対してある指示を出した。
「そないなこと、あちらさんが許してくださりますやろか」
「事情さえ話せば、喜んで協力してくれるだろう」
 そうしてたどり着いたのは、広々とした車庫ガレージや鯉が泳ぐ池、ついでにプールも付いた邸宅だった。周囲をぐるりと塀に囲まれ監視カメラが何台も設置されたこの邸宅は、横須賀の二大勢力のうちの一方、「松越まつこし組」の組長の自宅である。
 そして現在、空調の効いた重厚感溢れる応接室に通された九鬼は、組長の角田豊作を始めとする物騒な目つきをした男たちと向かい合っていた。
「じゃあなんだよ。結局、あの化けモンのタマとれなかったのかよ」
 九鬼の話を聞き終えると、角田がふかふかのソファにふんぞり返ったまま吐き捨てた。
「2日後に再戦する予定だ。その時こそ確実に祓う」
「へっ、どうだか」
 手当が施された九鬼の首に無遠慮な視線を注ぎながら、角田がせせら笑う。
(全員、霊力が渡辺や一之瀬さんと同程度だな。怪異に敏感な人間はこの業界には極端に少ないと聞いたことがあるが、案外本当なのかもしれん)
 人の神経を逆撫でするような角田の態度には特に何も思わず、こちらをめつける男たちを観察しながらそんなことを考えている。
「――へえ、ねえちゃんの実家って神社なのか。じゃあ、巫女さんとかやってたの?」
「神社いうても、ご近所さんしか来おへんような、こじんまりしたところですから」
 強面の男たちが集う殺伐とした応接室に、榊原楓の雅やかな話し声が飛び込んできた。
 切れ長の目に細い眉、きっちりとまとめられた長い黒髪。化粧っ気は薄いものの、言葉遣いや雰囲気から漂う「京らしさ」に惹かれるのか、案内役の若い男は満更でもなさそうな顔で楓と言葉を交わしている。
 楓は案内役の男に自然な笑顔で礼を述べると、角田に一礼してから九鬼の隣に腰かけた。
「それでは、あの牛鬼の事を教えてもらおう。それから、鬼頭との『取引』についても、詳しく聞かせてもらいたいところだな」
 九鬼が、ソファの上で腕と足を組んだまま言い放った。 
「てめえ、何様のつもりだ」
 角田の隣に座った男が、九鬼の尊大な態度に激昂して立ち上がろうとする。しかし、角田は男を諌めた。 
「財津、座れ」
「……はっ」
 絶対権力者の言葉に、男は渋々ながらも元通り席に着く。
(図体がデカイだけじゃねえ。場馴れしてやがる)
 角田とて、九鬼の態度を不快に感じないわけではない。それでも、生き馬の目を抜くような熾烈な世界で組長という地位まで登り詰めた角田の目には、九鬼龍蔵が平々凡々とした一般人などではないことはすぐに分かった。
 それに、怪異やあやかしなどとは縁遠い人生を送ってきた角田としては、楓には妖しさを、九鬼には不気味さを感じているというのも正直なところである。
 角田は咳払いをすると、九鬼をを、順を追って話し始めた。
「こっちじゃあ誰でも知ってる話だが、この横須賀には俺たち松越組の他にもうひとつ、『鷹取会』つう組織が存在する。かれこれ数十年、鷹取の連中とは睨み合いを続けていることになるな――」
 曰く、松越組と鷹取会という横須賀の二大勢力は、この十年ほどは比較的穏やかな均衡を保っていたということである。
 角田は続いて、密漁という「ビジネス」について、何故か得意げな顔になって説明してみせる。
「まあ、お前さんらには言うまでもないことだがな、密漁は俺たちの重要な資金源のひとつだ。体力だけは有り余ってるチンピラ共を海に潜らせて、稼ぎの何割かを組織に納めさせるという寸法よ」
 実際に密漁をするのは、特に組織には属していなかったり、普段は表社会で普通に生活していたりする人間であることも多い。その時の状況や都合に応じて、「看板」として掲げる組織の名前を選んだ上で密漁し、その組織へ上納金を納める。そういうことが、裏社会では当然のように行われている。
 ここまで話したところで、角田の顔から笑みが消えた。
「それがよ、この春から状況が少しずつおかしな事になってきた。まず、チンピラ共が鷹取会の名前ばかりを使うようになった。俺らが密漁の仕事を持ちかけても、鷹取会の方が金払いが良いとか何とか言って、ほとんどが鷹取会に流れていく。似たようなことが密漁以外でも起こり、おかげで俺らの稼ぎはこの数ヶ月でガタ落ちだ」
 角田は忌々しそうに首を振ると、一段と声を低くして話を続ける。
「だがな、こと密漁に関しては、もっと深刻な事態が起きた。俺らが背後バックについた密漁グループの潜水手ダイバーは必ず、海に潜ると戻ってこなくなっちまったんだよ」
 消える人数は1人だったり2人だったりと時と場所によってまちまちだったが、とにかくそういう事が何度か続いたことにより、横須賀の密漁者たちはすっかり松越組を避けるようになってしまった。
「証拠だって? そんなもんねえけど、誰がどう考えたって鷹取会が仕掛けてきたに決まってるだろ。だから俺は部下たちに、鷹取会を徹底的に調べ上げるように命じた。会の内部で、何か大きな変化が起きたのは間違いない。それを掴んで、叩いてやろうと思ったのさ」
 とはいえ、鷹取会の本部を直撃するわけにもいかず、主として鷹取会の取引先や行きつけの店に聞き込みをすることにより、急速な変化の原因を地道に探っていくことになった。
 そうして何日か過ぎたある日のこと、横須賀市内のとある高級料亭の女将から、鷹取会に関する奇妙な証言を得ることになる。
「なんつったっけか……そうだ、サトリだ。その料亭には以前、サトリの父親を持つ霊力の強い仲居がいたらしい。なんでも、鷹取会が料亭を貸し切ったその日のうちに辞めて、地元の相模原に帰っちまったんだと」
 何かあると直感した角田は、部下を元仲居の自宅に向かわせた。小柄でいかにも気弱そうな元仲居の女性は、問われるがままに料亭を急に辞めた理由を話してくれたらしい。
『私、父がサトリなんです。だから、昔から人の感情の流れが手に取るように分かるんですけど、父のようにハッキリとした声が聞こえることはほとんど無いんです。でも、あの日は違いました』
 そう言って、華奢な肩をぶるりと震わせたという。
『先輩たちと一緒にお膳を持って厨房を出たところで、男性の声が頭の中に響いたんです。あんなこと久し振りだったし、もう怖くて怖くて、でも仕事を放り出すわけにもいかないから、なんとかお座敷の前までは行ったのですが……』
 襖の向こう側から、強烈な妖の気配。襖の陰からそっと座敷の中を伺った女性の目が捉えたのは。
「――鷹取会会長・笹倉公平。正確には、笹倉公平の姿をした何かだった。鷹取会は、妖に乗っ取られてたんだよ」
 外見上は完全に人間だったらしいが、抑えきれない禍々しい妖気が座敷中に充満していたと、サトリの半妖である元仲居の女性は恐ろしげな顔で語ったという。
「元仲居の頭の中に響いたのは、その化け物の心の声だったということだ……『ここにいる人間、全員喰いたい』とかなんとか聴こえたらしいぜ」
 角田はローテーブルに置かれたショットグラスを一気に飲み干すと、口を素手で拭ってひと息ついた。
「……この世界の人間はな、まじないなんかには頼らねえ。幽世かくりよだの怪異だの限られた人間にしか感知できない曖昧な存在なんざ、とても背中を預けようなんて思わねえ。だが、敵対組織のカシラが化け物にすげ替わっているとなると、話は別だ」
 角田はソファの背もたれに身体を沈めると、眉間の皺を深くした。
「俺は、呪術師を探すことにした――」
 鷹取会会長の姿をした何かを排除するため、角田は部下たちを通じて何人もの呪術師たちに依頼を持ちかけた。裏社会の人間を名乗っただけで連絡が取れなくなったりもしたが、金払いの良さを積極的にアピールしたところ、ようやくひとりの呪術師が依頼に食いついてきた。
「振り返ると間抜けもいいところだが、俺たちは怪異のことなんざロクに知らないからな。呪術師に金を払いさえすれば万事解決だと、すっかり安心しきっていた。まさか、依頼を途中で投げ出されるとは想像もしてなかったぜ」
 依頼して2日ほど経ったところで、件の呪術師が突然、ひどく焦ったような声で角田に電話をしてきたという。
「自分の手には余るから降りさせてもらうなどとのたまいやがった。当然、俺はブチ切れてやったさ。前金も払ったっつーのに、今更何を言いやがるんだと」
 しかし、呪術師は電話越しに怒鳴り散らす角田に対して一切怯むことなく、断固とした口調でこう言い返してきた。
『前金は全額返すし、なんなら違約金も払う。その代わり、もう二度と連絡してこないでくれ!』
 それっきり、その呪術師は行方をくらましてしまった。
「金は返してもらったから、まだいいけどよ。結局、一からやり直しだ。それに、苦労して代わりの呪術師を探し出したところで、同じような事にならないとも限らねえ。より確実な手段が無いものかと思わず漏らしたところへ、部下のひとりがある提案をしてきたんだ」
「その提案というのは、もしや海洋怪異対策室を利用するということか?」
「けっ、察しが良くて結構」
 角田は何故か、不快そうな顔で九鬼を見て舌打ちをした。
「横須賀海上保安部の警備救難課長と接触し、密漁に関する情報と引き換えに海洋怪異対策室を引っ張り出すように持ちかけた。あの石頭を説得するのはなかなか骨が折れたが、あちらさんもこの数ヶ月の密漁グループの挙動には不審を持っていたとかで、最終的には何とか首を縦に振らせることに成功したというわけさ」
「その辺の話は、鬼頭から詳しく聞いている」
 九鬼は苦虫を噛み潰したような顔になって、今朝の鬼頭とのやり取りを思い出した。
 密漁という「ビジネス」は、潜水手ダイバーなどの実行犯だけでは成り立たない。密漁した海産物を買い取って市場に流通させる卸売業者や水産加工会社の存在があるからこそ、組織は巨額の収入を手にすることができる。そして、ここが肝心なところだが、そうした卸売業者や水産加工会社を摘発することは、密漁グループを現行犯逮捕すること以上に困難という現実がある。
『――松越組組長が提示した卸売業者や水産加工会社の情報には、摘発に繋がりうる有力なものも含まれていた。それに、三管区海異対の戦力が強力というのは、それなりに有名な話だ。我々と松越組、双方にとって最良の結果になるだろうと判断したまでだよ』
 そうぬけぬけと言ってのけた鬼頭だったが、彼の性格を考えれば、それが正義感からの行動だったとはまず考えられない。
 手柄を得て、自身の実績としたかっただけだろう。それが、鬼頭優雅ゆうがという男である。
 九鬼は、鬼頭の件にはこれ以上は拘らず、角田の説明の中で気になった点について確認することにした。
「ところで、その提案をしてきた部下というのは、どこで海異対のことを知ったんだ? 確かに秘匿しているわけではないが、組織図には載せていないし、海事関係者以外にはほとんど知られていないと思っていたんだが」
「うちも、気になることがあります」
 楓も、あくまで控えめな態度で、角田の表情を伺いながらゆっくりと意見を述べる。
「その部下の方は、海異対うちらが例の呪術師よりも実力があるという確信があったんやないかと、そう思えてなりませんのや。そうでなければ、わざわざ手の込んだことして三浦の海に引っ張り出そうなんて、考えもせえへん気がします」
「同感だ。組長、その部下の男から話を聞くことはできるか?」
 九鬼の問いかけに、角田はすぐには答えなかった。
 妙に重苦しい沈黙が続いた後、ブスっとした顔でこう吐き捨てた。
「消えた」
「消えた?」
「ああ。今朝から、所在が確認できねえ。自宅も確認させてみたが、もぬけの殻だった」
「……」
 九鬼と楓は、顔を見合せた。互いの表情を確認して、再び角田に視線を戻す。
 しばらくして、角田が不気味なほどに穏やかな声で語り始めた。
「俺は、お前さんらの話も踏まえて振り返ってみた。例の部下――田中実という名前だったが、高級料亭の女将に話を聞こうと言い出したのは、その田中だったらしい。元仲居の女の自宅を突き止めたのも、田中だ」
 ちなみに、田中実はヒラの部下ではなく、幹部の一員として組織の事務や雑務を取りまとめる立場にあった。組織に入ったのはほんの数年前だが、その有能さからあっという間に幹部の地位まで登り詰めたという。
「海洋怪異対策室を引っ張り出す理由を作るために、密漁の場所と日程を保安部の警備救難課長と示し合わせたんだが、密漁場所の選定は田中が担当していた。それから、ための潜水手ダイバー探しにも、田中の野郎が関わっていたな」
 角田が、九鬼の顔を見た。
「……これは、なんの根拠も無い、単なる俺の妄想なんだけどよ」
 その顔に、自嘲と挑発が入り交じったような歪んだ笑みを浮かべる。 
「田中の真の目的は化け物退治じゃなくて、あんたのタマだったんじゃねえかって気がしてきたぜ」
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