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作者: 真名鶴
2 生物の至上命題
 アスファルトはうだるような暑さでゆらりゆらりとゆがんでいるようにも見えた。陽炎かげろうだとか逃げ水だとか、そういうものが見えそうでもある。
 この町を息苦しいと思い始めたのはいつからだっただろうか。最早思い出すこともできないけれど、何も考えずにこのアスファルトの上を駆ける子供だった頃はただ日々がきらきらしく輝いていたのだろう。彼はどうだったのだろうか。
 ポケットに入れた封書が、その存在を主張するようにかさりと音を鳴らす。
 ――僕が自分の異質さに気付いたのは、小学生の頃だったでしょうか。
 彼の言葉を信じるのならば、彼は僕と共にここを走り抜けた頃には既に、彼曰く『異質』に気付いていたという。ならば彼はここを駆けた時、一体何を思っていたのだろう。
 そんなことを僕が今更思ったところで、意味などないことだけれども。
 解体工事をしているという彼の生家に行く気にはもうなれなかった。別に誰かと彼の思い出話がしたかったわけでもないし、この封書の中身が真実かどうかを知りたいわけでもない。
 どうにも喉が渇いて、ふと目に付いた自動販売機へと足を向けた。がらがらの駐車場の料金設定は一時間百五十円の一日の上限は三百円、誰がこんな設定にしたのか知らないが土地を遊ばせておくよりはいいとでも思ったのだろうか。
 駐車場の一時間分の料金がペットボトルの麦茶一本分、きっと駐車場の売り上げよりもこの自動販売機の売り上げの方があることだろう。
 がこんと音を立てて取り出し口に麦茶が落ちてくる。薄汚れた取り出し口からそれを引っ張り出して、少しためらってからキャップを開けた。
 別にどこで飲んだとしても、同じ名前の麦茶なのだから味に変わりはない。ただどこか美味うまく思えたのは、夏の日差しにあぶられて喉がかわいていたせいだ。
 かつて歩いた道を通れば、アブラゼミがうるさく鳴き騒いでいた。子孫繁栄のために鳴き騒ぎ、その目的が果たされなければそこらでひっくり返って力尽きるもの。ならば最初からその子孫繁栄を果たせぬものは、最初からひっくり返って力尽きるのみと定められてしまっているものか。
 生物の主目的は種の存続であると誰かが言った。ただ細胞分裂を繰り返す単細胞生物でも、命の危機に際しては融合をしてその環境に適応しようとするものがある。抱卵して乗り越えようとするものもある。乗り越えられなければ淘汰とうたされ、生物にとっての至上命題である種の存続は果たされず、やがては絶滅するのだ。
 ならばその種の存続に何一つ寄与きよできないものは、生物として失格であるのか。
 僕はその答えを持っていないし、それを明白な答えにしてはならないと思っている。そもそも生物の中には子を殺すものもある、子を成せぬこともある。けれども確かにそこに存在し足跡を残したものが、何一つとして意味のないものだとは思えない。
 まして人間ともなれば、そんな種の存続だけを掲げて生きているわけでもない。その人の歩みというものはそこに確かに存在し、きっと何一つとして無駄なものなどないのだ。たかだか種の存続という観点のみで語るようなものではなく、ましてその評価だけで何かが損なわれるようなことはない。
 つらりつらりと考えながら歩いて、辿り着いたのはかつて僕も通った小学校だった。以前は校門など開け放たれていたものだし、近所の人が犬の散歩を校庭でしていたものだった。けれどいつからか門は閉ざされて、外の人間は入れないようになっている。
 チャイムが鳴り響き、僕の腹もぐうと音を立てた。朝一で向こうを出てきたというのに、もう昼ご飯時らしい。
 たしかこの近くに喫茶店があったはずだと、僕は記憶を頼りに再び歩き出した。
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