1 故郷を訪ねる
旧友の死の知らせを届けたのは、真っ白な封書であった。几帳面な文字で書かれた宛名に切手が一枚、今時手紙などそうそう来ないというのに、覗き込んだアパートの郵便受けの中にそれが鎮座していた。
裏返して見た差出人の名前は僕にとっては数年ぶりに見るもので、今更何の連絡かと封書を片手に部屋へと戻った。
後でいいやと、そう思ったのだ。だからコンビニで買ったのり弁当を腹の中に詰め込んでから、その封筒の一番上を鋏で切ったのである。
つらつらと並んだ文字は学生の頃と変わりない。ただ流れるように視線はその上を滑り、けれど最後の一文だけがざらりと引っかかる。
さようならと書かれたそれは紛れもなく彼の遺書であり、ただどうしてそんなものを僕のところに彼が送り付けてきたのかとんと分からず仕舞いであった。
だからだろうか。それを手に、彼がずっといたはずの故郷へ向かう電車に飛び乗った。
がたんごとんと電車は走り、窓の外を景色が流れていく。立ち並ぶビルはやがて姿を消して、山間の中を電車が走る。いくつもの田んぼの中にぽつりぽつりと家が建ち、何とも寂しい気分を覚えた。
終点の駅で電車を降りて、懐かしい空気を吸い込んだ。埃っぽい空気に慣れた肺には、澄んだ空気は逆に毒になるのかもしれない。
閉鎖的なこの町が耐えられなくなって、僕は逃げるように就職を決めたものだった。
彼はどうしてこの町に居続けたのだろうか。この遺書に書かれたことが彼の書いた通り『ほんとう』なのだとしたら、彼もまた息が苦しかっただろうに。それとも知られてしまうまでは、彼にとってこの町は気楽な場所であったのか。
自分の真実を誰にも知らせぬまま、この不寛容の中で。偽り続けることが彼にとって幸せだったのならば、それを暴いた誰かが彼を殺したと同義だろう。
「すみません」
駅前の派出所に入り、声をかけた。奥から出てきた警官は暇そうな顔をしていて、ある意味でここは平穏そのものなのかもしれない。
この男か。そんなことを思ったけれど、つとめて顔には出さないようにした。
「どうされましたか」
まだ年若い警官は、見慣れない僕に少しばかり訝し気な視線を向けていた。この狭い田舎の町では隣近所などみんなみんな顔見知りだ。この警官とておおよその人間の顔は知っているのだろう。
こいつは誰だと、そう顔をに書いてある。
「友人から手紙が届きまして、会いに行きたいのです。この住所なのですが」
何でもない他愛もない手紙であるかのように白い封書の差出人を見せた。そこに視線を投げた警官の顔が歪み、けれどその歪みはすぐに消えてしまう。
「……この方なら、一ヶ月前に亡くなりましたよ。この住所の建物は既に、解体工事が始まっています」
「解体工事が?」
「彼が亡くなってすぐに、ご両親もこの町を出られましたので」
ここにいたくなかったのか。
彼は自ら命を絶ち、きっと隣近所にもそれは知られた。あの子は自殺したのだよと人々は囁いて、そんな中に取り残されるのが耐えられなかったのも無理はない。
無理はないけれど、自分たちだけ逃げたのか。自分の子を守ることもせずに。
「そうでしたか」
「遺骨もご両親が持って行かれましたので、お墓もありません。ご案内はできますが」
「いえ、結構です。それでは」
一礼をして、踵を返す。
この住所の場所は知っている。かつて住んだこの町の中を知らないということはないが、かといって逃げた年月の隔絶がないとも言えない。
隣近所の誰かは、今でも僕を見て僕だと認識ができるのだろうか。あの子が帰って来たらしいと話題に上ったところで、きっと僕はその頃にはとうにこの町から去っている。
「あの」
派出所から出ようとした僕の背中を、警官の声が追いかけてくる。
警官と来訪者を隔てるカウンターの向こう、彼はどこか不安げに瞳を揺らして僕を見ていた。罪悪感を抱くのならば最初からしなければ良かったのに、人間というのはどうしようもなく勝手なものだ。
「貴方はその人から、何かを聞いていたり……」
「いいえ」
僕は何も聞いていない。
ただ僕は、彼の書き記した『ほんとう』を読んだだけであって、彼から何も聞いてはいないのだ。そして彼がこの世から去ってしまった今、もう二度と彼から何かを聞くことはない。
「僕はただの旧友です。彼が死んだと聞いた後に手紙を見付けたもので、訪ねてみただけです」
僕は何か嘘を言っているだろうか。
警官はそれ以上何も言わず、僕はもう一度頭を下げてから派出所を出た。じりじりと焼けつくような夏の日差しが僕を責めていたけれど、僕はあえてそれに焼かれることにした。
裏返して見た差出人の名前は僕にとっては数年ぶりに見るもので、今更何の連絡かと封書を片手に部屋へと戻った。
後でいいやと、そう思ったのだ。だからコンビニで買ったのり弁当を腹の中に詰め込んでから、その封筒の一番上を鋏で切ったのである。
つらつらと並んだ文字は学生の頃と変わりない。ただ流れるように視線はその上を滑り、けれど最後の一文だけがざらりと引っかかる。
さようならと書かれたそれは紛れもなく彼の遺書であり、ただどうしてそんなものを僕のところに彼が送り付けてきたのかとんと分からず仕舞いであった。
だからだろうか。それを手に、彼がずっといたはずの故郷へ向かう電車に飛び乗った。
がたんごとんと電車は走り、窓の外を景色が流れていく。立ち並ぶビルはやがて姿を消して、山間の中を電車が走る。いくつもの田んぼの中にぽつりぽつりと家が建ち、何とも寂しい気分を覚えた。
終点の駅で電車を降りて、懐かしい空気を吸い込んだ。埃っぽい空気に慣れた肺には、澄んだ空気は逆に毒になるのかもしれない。
閉鎖的なこの町が耐えられなくなって、僕は逃げるように就職を決めたものだった。
彼はどうしてこの町に居続けたのだろうか。この遺書に書かれたことが彼の書いた通り『ほんとう』なのだとしたら、彼もまた息が苦しかっただろうに。それとも知られてしまうまでは、彼にとってこの町は気楽な場所であったのか。
自分の真実を誰にも知らせぬまま、この不寛容の中で。偽り続けることが彼にとって幸せだったのならば、それを暴いた誰かが彼を殺したと同義だろう。
「すみません」
駅前の派出所に入り、声をかけた。奥から出てきた警官は暇そうな顔をしていて、ある意味でここは平穏そのものなのかもしれない。
この男か。そんなことを思ったけれど、つとめて顔には出さないようにした。
「どうされましたか」
まだ年若い警官は、見慣れない僕に少しばかり訝し気な視線を向けていた。この狭い田舎の町では隣近所などみんなみんな顔見知りだ。この警官とておおよその人間の顔は知っているのだろう。
こいつは誰だと、そう顔をに書いてある。
「友人から手紙が届きまして、会いに行きたいのです。この住所なのですが」
何でもない他愛もない手紙であるかのように白い封書の差出人を見せた。そこに視線を投げた警官の顔が歪み、けれどその歪みはすぐに消えてしまう。
「……この方なら、一ヶ月前に亡くなりましたよ。この住所の建物は既に、解体工事が始まっています」
「解体工事が?」
「彼が亡くなってすぐに、ご両親もこの町を出られましたので」
ここにいたくなかったのか。
彼は自ら命を絶ち、きっと隣近所にもそれは知られた。あの子は自殺したのだよと人々は囁いて、そんな中に取り残されるのが耐えられなかったのも無理はない。
無理はないけれど、自分たちだけ逃げたのか。自分の子を守ることもせずに。
「そうでしたか」
「遺骨もご両親が持って行かれましたので、お墓もありません。ご案内はできますが」
「いえ、結構です。それでは」
一礼をして、踵を返す。
この住所の場所は知っている。かつて住んだこの町の中を知らないということはないが、かといって逃げた年月の隔絶がないとも言えない。
隣近所の誰かは、今でも僕を見て僕だと認識ができるのだろうか。あの子が帰って来たらしいと話題に上ったところで、きっと僕はその頃にはとうにこの町から去っている。
「あの」
派出所から出ようとした僕の背中を、警官の声が追いかけてくる。
警官と来訪者を隔てるカウンターの向こう、彼はどこか不安げに瞳を揺らして僕を見ていた。罪悪感を抱くのならば最初からしなければ良かったのに、人間というのはどうしようもなく勝手なものだ。
「貴方はその人から、何かを聞いていたり……」
「いいえ」
僕は何も聞いていない。
ただ僕は、彼の書き記した『ほんとう』を読んだだけであって、彼から何も聞いてはいないのだ。そして彼がこの世から去ってしまった今、もう二度と彼から何かを聞くことはない。
「僕はただの旧友です。彼が死んだと聞いた後に手紙を見付けたもので、訪ねてみただけです」
僕は何か嘘を言っているだろうか。
警官はそれ以上何も言わず、僕はもう一度頭を下げてから派出所を出た。じりじりと焼けつくような夏の日差しが僕を責めていたけれど、僕はあえてそれに焼かれることにした。