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作者: 京泉
過去の断罪

「さあてっ! いきますかっ!」

 腕捲りをしながらマリアは王都に来て一番最初に植えた「世界樹」の前に立った。
 薬湯茶をグビッとあおり「よっしっ!」と両足に力を込めて大地をしっかりと踏みしめ、全身に気合を入れパンパンと顔を叩く仕草は誰もが想像する儚く、美しく、神々しい「聖女」とは掛け離れている。

 「世界樹」の側に立つマリアの背中は逞しい。

──「聖女」の存在はもっと、こう、乙女の祈り的なものだと思っていた。

 教会に飾られている「聖女」は常に微笑みを湛え、聖母の如く美しい姿勢で祈りを捧げていた。
 それがクリストファーの知る「聖女」であり、この国の者達が抱く「聖女」の像だ。

 だからこそ「聖女」は比較的容姿に優れ、生活に何の心配もない貴族に産まれるとの勘違いを思い込まされていたと、改めてクリストファーは思い込みの罪深さを実感する。

「最大出力です」

 マリアは深呼吸を繰り返した後、両手を「世界樹」に付ける。

 マリアの両手が輝き全身が金色に染まると呼応して「世界樹」が白金色に輝いた。
 枝を伸ばし、葉を揺らした「世界樹」から光の洪水が街中に流れ出しクリストファーは目が眩んだ。

 目を瞑っても押し寄せる光の波は全てを白の世界へと飲み込んだ。





「婚約を破棄されると言うのですかっ!」

 学園の卒業パーティーで叫び声が上がった。
 騒めきの中心にはクリストファーとライラ。
 クリストファー側にゲルガーとフィール、ハイデンが、ライラ側にジルベルトとアーチハルトが付いている構図だ。

「破棄をすると言ってはいない。私達はもっと話し合うべきだ、と言ったのだ」
「クリストファー様がわたくしを疎ましく思っている事など分かっております! それでもわたくしとクリストファー様は国の為の婚約者!国の為の政略結婚でも手を取り合い、歩み寄れるはずですわっ!」
「だから、話し合うべきだと──」
「ええ、ええ、わたくしがどんなにクリストファー様を思っても婚約を破棄されてしまうのですねっ!」

 「どうしてそうなる」とクリストファー達が溜息を吐くとジルベルトとアーチハルトがたたみかけるようにライラを庇い、一層ライラは人の話を聞かず思い込みを暴走させる。
 何度も頭を抱えどうしたら話が出来るのか、どう話せば通じるのかとクリストファーは歩み寄り続けていたのにライラからは歩み寄られる事はいままで一度たりとも無かった。

「それもこれもあの女が悪いんですのよ! クリストファー様は騙されておられるのです! 目をお覚ましください!」
「彼女は何の関係もないだろう。私はライラと話がしたい。君はいつも私と二人で話をする事を避けて──」
「マリアさん! いらっしゃるのでしょう! こちらへおいでなさい!」

 また最後まで話を聞かずライラは半ば絶叫した。
 あの女と呼ばれた彼女はパーティーの隅っこで少ない友人と別れを惜しんでいた。
 自分の名前が呼ばれた事にキョトンとし辺りを見回しているのをジルベルトとアーチハルトに引き摺り出され益々訳が分からないと言った風だった。

「クリストファー様、貴方がマリアさんに騙されていると、これから証明いたしますわ」

 自信満々にマリアを睨むライラに「今日は卒業パーティーだ。気持ちよく卒業させてくれ」とライラに追従していない生徒達は表情を曇らせ、自分達は貴族でもシュナイダー公爵家の令嬢ライラにものを言える立場ではないと口をつぐんだ。

 そう、彼らは気付いた。
 当初、ライラの話を信じ切っていた彼らも卒業の時期になるとマリアへの評価が変化した。
 ライラがマリアに苦言を呈しているのを見かけ耳を傾ければ言っている内容はただの「難癖」だと。

 マリアが一人で昼食を取っている姿を見かけ声を掛けようとすればわざわざ監視でもしているのかライラが現れ「残り物だなんて卑しい身分ですのね」と蔑み、勉強を教え合おうと数名でテーブルを囲めば「身分が卑しい者同士、お話が合いますのね」と嫌味が飛んできた。
 酷かったのは季節毎の学園主催パーティーでマリアが大切に着まわしているドレスに赤ワインを溢すではなく真っ正面からぶち撒けた。
そして告げたのは「これでドレスが買い替えられますわね」だ。

 さすがに目に余ると勇気を出しクリストファーに進言したが「私も何度も注意しているんだ⋯⋯」との苦悶の表情を気の毒に思った。
 「困った事に、ライラは全て「善意」だと思い込んでいるんだ」とクリストファーが続けた時にはライラに薄ら寒さと不気味さを感じたものだ。

 何を言われても何をされてもマリアは笑顔を絶やさず受け流していた。
 ジルベルトとアーチハルトに突き飛ばされたマリアの今日のドレスはあの時のワインをかけられたドレス。
 洗っても取れなかった染みを隠す為、自分で染め直して染み隠しに刺繍を入れた薄いピンク色に変わっていた。

「クリストファーよく聞け。この女は未来の王妃の座を狙ってライラを亡き者にしようとしたのだ」
「⋯⋯あり得ないだろう。ジルベルト」
「これが証拠だ」

 しょっぱなから虚言過ぎる。
 証拠だと見せられたのはライラの「ご友人」の証言。
 突き飛ばしただの、飲み物に薬を入れただの⋯⋯。あれだけ身分違いを声高に唱え、下賤の者は近寄るなと常にジルベルトとアーチハルトと共にいるライラにマリアが近付けるわけがなかったし、近付けたのならジルベルトとアーチハルトの落ち度なのではないか。

「わたくしはマリアさんに突き飛ばされ足を挫きました。それをクリストファー様に訴えた時、貴方はマリアさんを庇いましたわ。飲み物に異物があったと訴えても信じてくださいませんでした」

 当たり前だ。
 ライラは勝手に転んだのだ。
 マリアが怪我をした友人に「聖女」の力を使っていた所をライラが見つけ「「聖女」の真似事は辞めなさい!」と言いに行く途中に低い段差で躓いた。
 ライラが飲んだ紅茶をクリストファーも口にした。確かに違和感を感じて調べた紅茶はただ、「傷んでいた」それだけ。

「兄様、僕は見損なったよ。ライラと言う素晴らしい婚約者がいるのに簡単に誑かされるなんて。
この女は男に媚びる尻軽だよ貴族なら誰でも良いんだから。言い寄られた奴は兄様だけじゃ無い」
「⋯⋯何を見たらそうなる」
「気が付かないなんて愚かだな。証言の続きをしっかり読みなよ」

 読み進める証言にはマリアがどこぞの貴族男と話をしていたから始まり、ゲルガーと談笑していた。フィールにプレゼントを貰っていた。ハイデンが食事に誘った。と続く。

「マリアさんに婚約者でもない異性と馴れ馴れしくする節操のなさを何度注意をしても聞き入れてくれませんでしたわ」

 それを言うのなら、クリストファーと言う婚約者がいながら堂々とジルベルトとアーチハルトに口説かれているライラも節操がないのでは無いか。

 どこぞの貴族もゲルガーも友人ならば談笑位はするだろう。フィールのプレゼントはプレゼントではなく嫌がらせで壊れた物を修理していただけでマリアは一切の贈り物を受け取った事が無かった。ハイデンの食事も令嬢達に昼ご飯を駄目にされたマリアに何か食べようと誘ったが、断られた。

「凄い偏った証言ですね」
「おだまりなさいっ。貴女のせいでクリストファー様がわたくしと婚約解消をしようとなさっているのも証拠です!」
「証言だけでは証拠にならんだろう」
「クリストファー様⋯⋯この後に及んでもマリアさんを庇うのですね⋯⋯」

 ジルベルトの腕に縋るライラに苛つきが無かった訳では無い。
 婚約者に信用されていない、頼られていない悔しさの方がクリストファーにはより大きかった。

「⋯⋯良いでしょう。そこまでわたくしを排除なさりたいのですね。⋯⋯婚約の解消を受け入れましょう。
さぞ、嬉しいでしょう? マリアさん。クリストファー様に愛されて幸せになれると。
でも、そうは行かせませんわ。わたくしが何より許せないのは貴女が「聖女」を騙っているからですのよ!」

──何言ってんだーっ!

 成り行きを見守る誰もが心の中で叫んだ。

 ライラの「ご友人」もそれだけは無いと分かっている。
 マリアは「聖女」の力を見出され学園に入れられた。卒業後は「聖女」として教会に所属する事が決まっている。
 学園には今までの平民に加え貴族との付き合いも多くなるとの意味で社会勉強に来ていた。
 マリアが「聖女」と認められている事を上位貴族、しかも公爵家のライラが知らないはずは無い。

「癒しの力を持つ者は少ない。ライラはその癒しの力を持っている。先日、教会で「聖女」の認定を受けた」
「これがどう言うことか分かるよね? おかしいと思っていたんだよね。「聖女」が平民だって事。
だって「聖女」は貴族にしか産まれないのだから」

 この時の「聖女」に対する認識が誤りだったと知るのは三年経ってからだ。

 この時点では「聖女」は貴族に産まれ、国に一人だと思い込んでいた。「聖女」が自分の為に力を使えない事も知らなかった。
 唯一、「聖女」を知っていたのはマリアだけ。

「ライラ様も「聖女」なのですね」
「事の重大さが分からないなんておかわいそうに。わたくしが「聖女」だと言う事は平民の貴女は「偽物」。「聖女」を騙る罪人なのですよ」
「それはいくらなんでも横暴ですよー。きゃあっ──」

 マリアは突然自由を奪われた。
 シュナイダー公爵家の騎士がパーティー会場に雪崩れ込みマリアを拘束する。

「ライラっ! これはどう言う事だ」
「お忘れですかクリストファー様、「聖女」を騙る事はこの国では重罪ですのよ」
「裁判が行われないで罪に問えるわけが無い」
「お父様に了承を得てますわ。「聖女」を騙る罪は当然。クリストファー様方を誑かし、貴族に楯突いた罪もマリアさんにはございますから」
「横暴だ⋯⋯国王陛下の裁定も無く「冤罪」で人を裁くのか」
「お父様がわたくしが本物の「聖女」だと国王陛下にご説明すれば「冤罪」ではないと分かっていただけますわ」

 ゲルガー達が抵抗するもマリアはシュナイダー公爵家の騎士にパーティー会場から連れ出されてしまった。

「さて、クリストファー様。ご希望通りわたくしは婚約を解消いたします。
わたくしとの婚約がどんな意味を持つのかお分かりにならなかった事、残念ですわ」
「⋯⋯ライラ、君は自分が何をしたのか分からないのか」
「嫌ですわ。分かっておられないのはクリストファー様です。後日、シュナイダー公爵家より婚約解消の手続きがございましょう。では、ご機嫌よう」

 涙を溜めたライラの肩をジルベルトが抱き、その手をアーチハルトが取ると三人だけの世界に入り込まれてしまう。
 何度も見てきた三人の「茶番劇」。

「良くがんばったね私のライラ」
「ジル様⋯⋯わたくし⋯⋯」
「ライラ、僕が付いてるよ。貴女は気高く美しかった。だから泣かないで」
「アーチ⋯⋯」

 三人がパーティー会場から去るとクリストファー達もマリアを追って会場を後にした。
 その後のパーティー会場は祝いの気分も消え去りただ唖然とした卒業生だけが残された。

 クリストファーは国王から卒業パーティーでの出来事を言及され全てライラの思い込みだと説明したが、当時の国王はシュナイダー公爵へ絶対的な信頼を寄せており、クリストファーを女に誑かされた愚か者だと叱責した。
 クリストファーが汚名返上し、名誉挽回をするには国を率いる王子としての自覚を持たねばならない。今は王族である事、王位の継承権はそのままだが、ライラの気持ちを取り戻せなければ王族籍の剥奪と廃嫡だと条件が付けられた。

 後日、ライラの言葉通りクリストファーは婚約を解消され、王宮でシュナイダー公爵家との繋がりを無下にした愚かな王子と疎外されるようになり、マリアはシュナイダー公爵家の判断で罪に問われ「咎人の村」への流刑があっという間に決まった。

 流刑が執行された日。「私は大丈夫ですよ」とマリアはいつも通りの笑顔で去っていった。

 己の無力さでマリアを「冤罪」に落としてしまったと、クリストファーはその日から貴族達の作り出す「冤罪」を調べ始め、必ず晴らすと決意した。





「クリストファー様?大丈夫ですか?」

 真っ白な世界から引き戻されたクリストファーは自分が座り込んでいたと気付いた。
 覗き込んでいるマリアはあれだけ派手な事をした後でもケロっとした表情で「どうですか?」とクリストファーに街の様子を見せた。

 そこにあった「世界樹」は姿を消し、代わりに広がるのは一週間前と同じ街の風景。

 朝日に浮かぶ街並みは柔らかい光に包まれていた。

「建物は元通りです。いやー流石の私も、もう魔力空っぽです」

 腰に手を当て薬湯茶を一気飲みしてマリアは「いい仕事をした」と清々しい笑顔だ。

 人々が起き出す前に街を直すと言い出した時には「聖女」の力を貴族達に見せつけてやれば良いのにと友人達が詰め寄った。
 それに対してマリアは「分からない人には何をしても分かってくれませんよ」と笑った。

「実は、村程度なら調整が利くのですが流石の私でもこんな大きな街を、となると手加減出来ないんですよ。失敗したら暴走して、どかーんです」

 マリアはずっと街の地図を見ながら考えていたと言う。
 力を広範囲、それも王都全体に使うには魔力を爆発させるのが手っ取り早いが、調節が出来ない。下手をすると「再生」どころか「破壊」になりかねない。折角クリストファーの評価が「聖女」を連れて来た事で上がったのにマリアが万一の事態をしでかしていまうのは避けたい。
 魔導士達と相談し、出した答えは街の避難所に植えた「世界樹」を経由して「聖女」の力を行き渡らせる事だった。

「いやー成功して良かったです。起きたら街が直っている。みんなビックリですよ。奇跡っぽいじゃないですか」

 目立つやり方より確実な結果を出したかった。
 そう言ってマリアは笑った。

──────────

 王宮の廊下をクリストファーは急いだ。

 寝ている間に起きた「奇跡」に街の人々は喜び、涙した。街は元に戻ったが、亡くした命は戻らない。それでも其々の思いを決意に変えて復興の一歩を自ら歩き出した。
 次に歩き出すのはクリストファーだと区長を始めとした街の人々に送り出され、最後の舞台へと向かっていた。

「遅くなった」
「貴族達も、やっと集まった所だよ」

 騎士団の正装姿のゲルガー、式典用の正装をしたフィール、公爵家の伝統正装姿のハイデン。
 そして「聖女」のマリアはエプロンを外し唯一持っていると言った卒業パーティーで着ていた薄ピンクのシンプルなドレス。

 三年前のあの日が再現された景色だった。

「ドレスはこれしかないので入るかドキドキしましたよ」

 マリアがパンパンと腹部を叩くと笑いが起きる。
 笑えるなら大丈夫だと五人は頷きあった。

 三年前、クリストファーは色恋に溺れた結果「聖女」である婚約者を蔑ろにし、「偽聖女」を庇ったとして王族の資質無しと婚約を解消された。
 マリアはクリストファー達を誑かし「聖女」を騙り、本物の「聖女」を亡き者にしようと画策し、国家に混乱を生じさせたと断罪された。
 ゲルガー、フィール、ハイデンもマリアに誑かされたと糾弾を受けた。

 自分達に掛けられたくだらない「冤罪」に負けず、腐らず、捻くれずにこの日を迎えられたのは頼もしい友人達のおかげだと、クリストファーの目頭が熱くなる。

「さあ、行こう」

 これから自分達は自分達の信じた正義で不幸になる人を作る。
 あの日に不幸にされた自分達だからこそ、自分達の正義と他人の正義の違いは痛感している。それでも、己の正義を信じるなら全てを見届ける責任がある。


 扉が開かれた時、終わりが始まる。
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