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作者: 月緋ノア
残酷な描写あり R-15
怪盗と共に夜の空を駆ける
死者を運び終わった彼らは、夜の街へ
 葬列が続く。
 死者の泉は旧市街を抜けた先にあるというのに、旧市街を跨ぐようにしてそれは伸びていた。まるで一つの生き物のように少しずつ、少しずつそれは進む。しかし、進めど進めど列が絶えることはなかった。
 日差しはすでに傾き、空には紅が広がりつつある。
 
 泉というにはかなりの面積を誇る湖然としたそこでは、司祭たるシェイフェルが死者の書――アニュラスに祈りを捧げ続けていた。それを横目に各所の桟橋から次々と投げ込まれる死者たち。それをいちいち泣く者といえばラクリアスくらいのもので、皆が皆どこか義務的にそれを行なっていた。

「死者の書アニュラスよ。魂に刻まれし叡智を掬い上げ、次世代へと紡ぎたまえ。志半ばにして災いに命を奪われし魂たちにどうか導きを」

 法衣を纏いし黒肌の司祭たち。その銀色の双眸が常に微かな光を放っており、その声は高らかに泉へと向けられている。
 死者の泉の水は赤黒い。それは決して傾いたシロスによるものではなく、水そのものが赤いためである。何を由来とした色なのかは定かではないが、この泉の水に触れることは禁じられている。そしてこの泉を回遊する主人こそ。
 ――ざぱあん。
 湖面が大きくうねり、弾けた。それを突き破って姿を現したのは、湖そのものの色よりもさらに濃い赤を宿したであった。形容するのも憚られるほどに悍ましく醜悪な見た目をしている。そしてその大きく開かれた四角い口にはこれでもかというほどの死者が詰め込まれていた。それを空を回遊しながら一思いに平らげ、そしてまた湖に戻っていく。湖面を割った際に水飛沫が方々に飛び散り、死者を運ぶ者たちから悲鳴が上がった。

「あれがアニュラス?」
「ああ。よくもまああんなものを作り出したもんだと思うぜ。ま、仕組みとしちゃあ上手くできてるみたいだが」

 悲鳴よりも少し後方で遠巻きに様子を見ていたリノア一行。リノアの純白のワンピースはすでに赤黒く染まりひどい有様だが、彼女は死者を自らの腕で担ぎ上げていた。最初に死体を見た時からは想像もできないほどに涼しげな顔をしている。葬列に並ぶにつけ、スクラップのようになった死体を散々見る羽目になったのだろう。リノアは目元にだけ疲れを滲ませていた。

「ごめんなさい、リノアさん、アールセンさん。私の分まで運んでもらってしまって」
「いいんだ。嬢ちゃんの細腕にはいくらこんな状態でも重いだろうよ。それに、俺には重さは関係ないからいくらでも運べるしなあ」
「まるでわたしの腕が太いとでもいいたげだな、アールセン」
「聞いたぜ? あのブルートを力技で押し倒したらしいじゃないか。それで細腕とはちょっといただけないな?」

 リノアが肘でアールセンの腹を小突いた。それが偶然いいところに入ったらしく、アールセンがだいぶ険しい顔をしたが、列のど真ん中でうずくまるわけにもいかず進み続けるほかなかった。
 そしてシロスが完全に沈み切る頃に、ようやくリノアたちの番が来た。
 司祭たちに促されるままに、死者を泉に沈める。途端にその姿が見えなくなり、湖面の揺らぎだけが残された。

「呆気ないんだな、死は」

 リノアは呟きながら、水面から視線を外し踵を返した。桟橋を戻り、黒服の葬列を避けて街へと戻るルートへ向かった。その後ろにアールセンとミアベルが続く。そのまま通りの少ない旧市街の裏路地へと抜けると、ようやく三人は一息つくことができた。

「さてと、ここからは俺の腕の見せ所かね。ここは怪盗らしく裏道を使うとしますか。ではお手を、レディ?」

 アールセンは慣れた手つきでミアベルの手を取ると、ふわりと風に乗って古びた建物の屋上へと乗ってみせた。ミアベルはいまだに慣れない浮遊感に困惑しながらも、かつてない新鮮な体験をこうも連続でしている自分をとても幸運だと思っていた。

「わたしにもできたりしないか……よい、っしょ!」

 リノアが脚に力を入れてジャンプしてみると、彼女が思ったよりも簡単に屋上へと飛び乗ることに成功した。
 試してみただけなんだけれど、と瑠璃色の髪をぐしゃぐしゃと掻き上げ、リノアは困った表情を浮かべる。

「へえ……やっぱりお前さん、怪盗の才能ありだな」
「いや、そんなことを云われても」
「すごいです。私には背伸びしたってできません。あなたのように戦うことだって」
「あなたの役割は戦うことじゃない。時間はあるから、これから探していけばいい」

 はい、と気落ちするミアベルに大丈夫、とリノアは返した。そして一行は空を仰ぎ見た。
 二つのアンウルが旧市街を照らしている。街明かりに遮られることなく自然な光のカーテンが降り注ぐ、穏やかで静かな夜だった。

「ねえ、アールセン」
「どうしたよ?」
「少し休憩しないか、ミアベルも疲れてると思う」
「ああ、構わないぜ」

 こうして殺風景な屋上で三人は座り込み、しばしの休息をとることとしたのだった。食べ物も何もない、ただただ張り詰めていた気を少しの間だけ緩めるためだけの、そんなもの。
 彼らのいる旧市街の向こうでは、あんなことがあったにも関わらず煌々と光が溢れ出していた。

「さてと、これからどうするつもりだい、お二人さんよ」
「私は何も決めていません。でも、お二人について行きたいです」
「わたしは……何で彼らに『わたしのせい』なんて云われたのかを知りたい。だから、あの化け物を追いかけようと思う」
「そうかい。お前さんは俺の相棒だし、巻き込まれてやるとするかね。というわけだが、それでもついてくるかい、ミアベルちゃん?」

 一瞬迷いを見せたが、ミアベルは力強く頷いた。リノアについていくと決めたのは、他でもないミアベルという一人の女性の心だ。だから、どんな場所であろうとその意志を曲げるつもりはなかった。
 ミアベルは一人立ち上がり、屋上からの景色を見渡してため息をついた。
 ここは彼女が生まれ育ち、自分のことは自分でできるように、そして男を悦ばせる術を長年にわたり刷り込まれてきた場所だ。ずっとそのためだけに生きてきた。それだけが正しいことだと、外界からできうる限り遠ざけられて育てられてきた。それが決して間違っていたわけじゃない。でも、違う生き方もできるんじゃないかとリノアが教えてくれたのだ。
 ちらとミアベルがリノアを一瞥すると、リノアと目が合った。リノアは心なしか、嬉しそうな顔をしている。アンウルの明かりに照らし出された薄墨色の肌が、実に美しい。

「ずるいですね」
「うん?」

 首を傾げるリノアにいいえ、と返してミアベルは街へと視線を戻した。強く、まっすぐで純粋、しかも美しい彼女の姿を直視するのはいまだに慣れない。黒々とした太陽にも見える彼女の姿はミアベルにはまだ眩しかった。

「よし、二人とも。そろそろ休憩はやめにして俺のアジトへ行こう。会わせたいやつがいるし、リノアもそんな格好じゃ、様にならないからな」
「お前が着せたんじゃないの?」
「すぐに取り繕えたのがそれってだけだ。今度はもうちょいマシなのを着せてやるよ」
「それは楽しみだ」
 
 アールセンとリノアが立ち上がり、ミアベルと共に静寂の街を眺めた。
 怪盗の拠点は歓楽街の中でも閑静な裏通りにある。地上を通っていてはいつまでかかるかわからない。黒服たちもまだまだ死者を運ぶのに忙しなくしているため、効率が悪い。
 ふむ、とアールセンは得意げに二人を見た。
 
「二人とも、怪盗に必須なをご存知かな」
「なんですか、それ」

 ミアベルが頭の上に疑問符を浮かべるのを見て、アールセンはいい顔をした。
 何か良からぬことを考えていそうだ、とリノアはじとっとした視線を彼に向ける。しかしそれをしれっと受け流しながら、アールセンが口角を上げた。

「どんな地形でも軽やかに走り抜ける競技のことらしい。特に建物の屋上を飛び移りながら走るんだ。――空を駆けてる気分になれるぜ」
「ふうん。それは楽しそうだ。――やるよ」
「私は……」
「ミアベルちゃんは俺が夜空の旅に招待してあげよう」

 アールセンがひょいとミアベルを持ち上げるのを、少しだけムッとした顔でリノアが見つめる。しかし、異論を唱えることはなかった。今はそれが正しいのだと判断した。それでも彼に頼ってばかりなのだという自覚が、リノアの中にもあった。

「よーし。それじゃあ、しっかりついてこいよ」

 怪盗が風のように駆け出した。少し離れた屋上への跳躍もなんのその、細い縁を辿って次の建物、その次の建物へと移動していく。ふんわりとした風が舞うようなその動作をリノアは見つめ、目を見張る。そして彼が遠くで立ち止まりリノアを振り返るのを確認してから、彼女はよしと気合いを入れた。
 リノアはとん、と建物の縁へと足を乗せる。少しふらつきながらも体勢を整え、足元へと視線を滑らせた。一歩踏み間違えれば落下は避けられない、走るために作られたわけではないそれを見つめ、リノアはにこりと薄く笑った。そして足をゆっくりと踏み出し、屋上の縁をなぞるようにまず歩き始め、次第にスピードに乗っていく。そのまま屋上の端まで到達し、少し先の建物へと狙いを定め、一思いに跳躍した。

「よっ……っと!」

 リノアは空を切り、狙い通りの建物へと軽やかに着地してみせた。先の件もあり、跳べるという自信が彼女にあった。しかし実際に成功してみせると、彼女は胸中より溢れ出す喜びを隠しきれなかった。手をぐっと握り締め、アールセンへと視線を送る。その顔は晴れやかで、アンウルの明かりにも負けないくらいの美しさに満ちていた。

「見込み通りとはいえ、あそこまでこなせるとはなあ」

 安堵のため息とともにアールセンはリノアを見つめ返した。彼女は華麗とまでは言わないが無難に屋上を経由して近づいてくる。その姿を見続けるにつけ、彼の脳裏に浮かんでくる映像があった。
 ともに旅をし、その姿を見てアールセンが学び続けた先代の怪盗の姿だ。名前を踏襲しているわけではないから正確には二代目とはいえない。それは憧れの存在にはまだまだ程遠いと彼が自覚しているからこそ、名乗るには畏れ多かったのだ。
 アールセンは首を振って映像を打ち消す。感傷に浸っている場合ではない。今は目の前で自分を追いかけてくる相棒の姿を目に焼き付けておかねば。

「つくづく人間ってのは風の流れを変えるほどの力を持ってやがるな」
「アールセンさん……?」
「そういえばミアベルちゃんもいい風になったんだったな。リノアと関わってから」

 ミアベルはアールセンの言葉の意味を捉えかねて首を傾げた。わからなくていいんだ、と声を落とすアールセンを見つめ複雑な顔をする。
 交わらない二人の視線をよそに、薄墨色の影が傍に着地した。ふうと息を吐き出す女は息も切らしていなかった。前髪を掻き上げ、彼女は夜空を見上げる。

「どうしたんだ? 早く行こう、二人とも」

 リノアの凛とした声に、二人は頷きを返した。
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