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作者: 月緋ノア
残酷な描写あり R-15
追放息子の帰還と決意
場面は切り替わり、ブルートへ。
 山吹色の精霊灯籠が微かに揺れ、土埃が舞う。
 土のにおいと、陰気な空気だけが支配する小さな独房に、一人の男が横たわっていた。
 猪頭の大男だ。綺麗に整えられていたはずのスーツは薄汚れてボロボロで、縦長の鼻の穴には血がこびりついている。

「ん……地震か? 揺れているな」

 大男――ブルートは重たい瞼を持ち上げ、ゆっくりと身体を起こした。腹部に走る激痛に顔を顰め、手で押さえながら舌打ちをこぼす。服の裾を持ち上げると、随分とひどいアザになっていた。命に直接関わるわけではないが、痛いものは痛い。

「あいつ……容赦のない仕事だな。くそ」

 ナーネイに打ち込まれた一撃を思い出し、ぼやく。
 あのあとブルートは一時的に意識を取り戻し、その際ナーネイによってリノアが捕まったことを知らされていた。晴れ姿が見れないのは残念ですね、などと一言多く付け加えたナーネイを鼻で笑ったのを覚えている。そして、エリュファンの家から自分が追放されたことも聞かされた。
 それも当然だとブルートは納得している。エリュファンの家に限った話ではないが、ディケムの街では拾い屋が大きな収入源となる。のちにどこへ売れたか、いくらで売れたかによって拾った本人はもちろん、所属する家にルジュお金が入る仕組みなのだ。その仕事を妨害しただけでなく、怪我をさせたとなれば、多数の家に損害を与えることにつながってしまう。

「辛気臭い顔をしてますね、ブルート殿。いえ、今はブルートでしたか」
「ナーネイ……嫌味でも言いに来たかよ」
「いいえ、私たちの商売が上がったりになったのでその報告に。――本題は他にありますが」

 音もなく姿を現した蛇頭の男――ナーネイは諦めの混じった声でそう語った。糸目はまるで笑っているかのように細く、口からは乾いた笑いが漏れている。

「どういうことだ?」
「地下は静かでいいですね。外の騒ぎが嘘のようです。私もできることならば今はここにいたいところですが」
「御託はいい。さっさと話せ」
「ディケムの街が大災禍に襲撃を受けています。大災禍は街のから侵入。真っ直ぐに『会場』を強襲し、現在は街の外へ向かっているようですが、目的は不明なままです」
「大災禍の考えることなんざ最初からわからないだろう?」

 ブルートは鼻を鳴らすと、すうっと険しい顔つきになった。
 揺れは続いているが、徐々に収まりつつあった。

「リノアは無事なのか?」
「ええ、無事が確認されています。とてもじゃない大波乱を起こしてくれたようですが。おかげで我々も忙しくてたまりません」

 ナーネイは涼しい顔をする。
 拾い屋だけでは収入源としては大きいが安定しない。彼らの本業は彼らの住む眠らない街の治安維持を始め、失せ物探しから家事代行など多岐に渡り、便利屋とも呼ばれている。現在の彼らの目下の仕事は死傷者をかき集め、レアンカル教会へと連れていくことであった。

「それで、本題ってのは――エリュファンの家のことか?」
「ええ。追放されたのは承知でしょうが、一応伝えておかねばと思いまして」

 ブルートはナーネイの言葉を聞くまでもなく、想像がついていた。エリュファンの家はにあり、ナーネイがわざわざ伝えに来たとなれば良い知らせでないことは嫌でもわかる。

「全滅したか」
「はい。家も全壊。これは私が直接確認したので間違いありません。住民も酷い損壊でした。こほん、失礼。――ただ、不思議なことが二つ」
「不思議なことだと?」
「ええ。まず一つ、どうやらエリュファンの家を抜けた後、大災禍は被害が最小限となるルートを辿っていったようなのです。何があったのかわかりませんが、戻りもそのルートを使用し、予想された被害よりはかなり軽減されています。それでも、被害が大きいのは間違いありませんが」

 苦笑するナーネイ。糸目が僅かに開いた。

「二つ目はあなたの父上のことです」
「親父?」
「ええ。発見時は衰弱した状態でしたが、まもなく事切れたのです。まるで生命力を使い果たしたかのような最期でした。大災禍によって受けた傷が致命傷ではないのです。肉体を潰されてはいませんでしたし」
「ふむ……回りくどいな。それを伝えに来たってことは、オレをここから出して連れて行こうって腹だろ?」
「そういうことです。来ていただけますね?」

 ガチャリと鉄格子の扉が開かれた。ブルートの背よりも随分と低い扉で、屈まないと出ることができないほどだ。ブルートをここに入れるときはさぞ苦労したことだろう。
 扉を抜けると、ブルートは身体をぐぐっと伸ばした。そして激痛に顔を歪める。

「この借りはそのうち返すからな」
「はは、楽しみにしておきますよ」

 他愛のない会話と笑顔を滲ませながら、二人は地上へと向かった。
 燦々と降り注ぐ日差しに目が眩み、ブルートは目を伏せた。

「これは……ひでぇな」

 ブルートが見渡す限り、そこは瓦礫の山だけが存在していた。至る所からラクリアスの泣き声が聞こえ、死者の多さを物語っている。その陰鬱さを誘発する声を振り払えず、ブルートは歯噛みした。

「お前たちも大変だな」
「まあ、その分荒稼ぎできるので生き残った者にとっては喜ばしいことです。まあ、私たちも結構な数をやられたので数日は休む暇もないでしょう」

 首をすくめたナーネイに、ブルートは少しだけ同情した。


 二人が商業街にたどり着いたのは、日が少しだけ傾いた時分だった。
 普段ならば、人間たちの技術を流用した「精霊式トラム」なるものが稼働しているため移動に格別時間はかからないのだが、現在はそれも破壊されている上、瓦礫の散らばった道を行くのは想像以上に時間を要した。
 長い道のりの最中、ブルートは何度もあんぐりと口を開けては呆然としていた。

「中央通りを通ったおかげでその周辺だけが被害にあったのか。というか、どんなサイズの相手が来たんだよ。これで最小限とはな……」
「まさしく山が通り過ぎたような感じでしたよ」
「そうか……山、か」

 そんな会話をしながらしばらく、彼らは目的の場所へとたどり着いた。
 エリュファン家跡地。そこにブルートの父もまた、横たえられていた。

「親父……このマントは、家宝だって言ってたやつじゃないか……どうしてこんなものをしてるんだ?」
「ほう、家宝ですか。興味がありますね。少し調べてみても?」
「あ、ああ。オレは家を見てくる」

 ラクリアスの泣き止まない、家の残骸へとブルートは足を運んだ。
 見る影もなく破壊された中に、ブルートはぺしゃんこになった兄弟と母を見つける。元の顔もわからないくらいにひどく潰され、血液が水溜まりのようになっていた。異様なのは、死体や血液溜まりから植物が群生していることだった。それもあって、ラクリアスの声が大きくなる箇所を探さなければ、家族の姿を見つけられなかっただろう。

「死体や血液を養分にして生えてやがるのか……? 莫迦にしやがって」

 怒りを滲ませ、しかしブルートは強引に植物を取り除こうとはしなかった。これ以上家族を損壊させてしまうことのほうが耐えられなかったのだ。だから歯を食いしばりながら、家族や使用人を一人ずつ拾い集め、丁寧に運び集めた。
 誰一人欠けることなく、全員を集められてしまったことで、ブルートは孤独という実感を得てしまった。そして、あることに思い当たる。

「誰も生きていないなら、オレしか家宝を受け継げねえのか。追い出されたとはいえ、この家の血を継いでるのはオレだけだからな」

 ブルートは確かめるようにこぼした後、よし、と一息入れると記憶を頼りに瓦礫をどけ始めた。大きな瓦礫も何のその、この大男にどかせないものはないのではないかと思うほどに軽々どけていく。

「よかった、崩れてないな。にしても、嫡子でよかったぜ」

 ブルートはエリュファン家の嫡子であった。何事もなければ家督を継いでいたのは彼であり、だからこそ家宝の場所やちょっとした情報も父親によって教えられていた。それが幸いし、こうして家宝を受け継ぐことができるとブルートは苦笑いしながらも喜んだ。
 地下への入り口を開け、ブルートは階段を降りていく。その先には豪奢な扉があり、ブルートの背丈よりも大きかった。それに圧倒されながら、ブルートは扉の取手に手をかけ、ゆっくりと開ける。

「こいつは……」

 息を呑むブルート。
 彼の目に真っ先に飛び込んできたのは、装具だった。絢爛豪華とは言い難い、使い古された装具だ。頭部を守るための兜は猪頭に馴染むデザイン、急所を守るための胸当て、傷だらけの手甲、これまた傷の多くついた脛当てと、全身の装備が揃っていた。

「ふうん、あいつら製か。傷ついちゃいるが、お飾りになっている割には劣化してねえ。しかしなんで親父はマントだけ持って出て行ったんだ?」

 まじまじと装具を見つめながら、ブルートは首をひねるが答えは出てこない。周囲へと視線を動かすと、そちらには豪華な装飾品やら武具などが飾ってあった。
 家宝を見せたり詳細を伝えなかったのは、家督を継ぐ前に余計なことをしないためだろうとブルートは納得している。だが、そのマントが一体何なのか、それが気になって仕方がなかった。

「とりあえず、全身の装備はもらってくか。これなら身につけてりゃ失くしようがないしな。兜はちょいと邪魔だが」

 ぼやいて、ブルートは装具に触れた。直後、雷に打たれたような衝撃がブルートを襲い、彼は目を見開く。それが脳へと到達したとき、ブルートは自分の知らない記憶たちと対面することになった。目まぐるしく切り替わる場面の全てが記憶として刻まれていき、永遠とも取れるほどの時間がブルートの中に押し込められた。

「はん。そういうことか、親父。だからマントなんだな。マントだけだったのは、余裕がなかったからか。それで死んでちゃ世話ないっての、莫迦が」

 ふらつき、頭を抑えて俯くブルートの目尻から一筋だけ滴が滴り落ちた。

「だがよ、親父。エリュファン家はオレの代で断絶だ。悪いな。オレの妻はオレに靡いてくれなさそうだからよ。その代わり、あの大災禍に落とし前をつけさせてやるから許せ」

 強い意志のこもった眼差しで装具を見つめながら、男は拳を強く、強く握りしめた。
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