【心理学】アドラー心理学ってなによ?【概念入門編】
Adoラーじゃないよ
心理学、という学問をご存知でしょうか?
文字通り『こころのあれこれを科学する学問』ですが、こころなんていう曖昧な概念をどう科学すればいいのか? って感じだよね
たとえばこんな実験。数十人の人をひとつの部屋にあつめて「30分後にテストが始まりますので待機していてください」って言う
みんなして30分後かぁタイクツだなー、なんて感じ始めてるタイミングで突然ヘンな人が扉を空けて部屋に入り、猛烈ダッシュして別の扉から出ていく
その人は『緑のキャップ、赤いシャツ、紫のジーパン、黒縁のめがね』をしていました。部屋にいた人からすれば『なんかヘンな人が通り過ぎた』感。が、その後試験管が入ってきてこう言うの
「さきほど部屋に入って、すぐ出ていった人いますよね? ――じゃあ、あの人の服装と特徴を教えてください」
これは人間の記憶力に関する実験です。決して30分後にやるテストがそれではないのです。
いやいやいきなりなんだよ、ちょっとこころの準備させてくれよ、と感じる方もいるでしょう。けどね、心理学の実験ではこころの準備をさせるのはダメなんです。だってこころの"準備"をさせたら自然な状態のこころを科学できないでしょ?
以上、心理学実験のいち例をご紹介しました。この他ふつーにアンケートとったり実験説明をしたりなんだったりするものもあるので一概には言えませんが、心理学はこころの準備をさせないため、あえてダミーのテスト内容を知らせることもあるよって話
まあこんなイロイロありまして、現代は多くの心理学的知見が増えてそれらをイロイロな方向に活かそうって流れが増えました。教育効率をアップさせる教育心理学、スポーツで高いパフォーマンスを求めるスポーツ心理学、犯罪者のあれこれを暴こうとする犯罪心理学、こころの問題を解決しようと尽力する臨床心理学などがあります
今回は臨床心理学のいちジャンル『アドラー心理学』について書いていこうと思います
:アドラー心理学ってなによ?:
アドラー心理学はオーストリアの心理学者『アルフレッド・アドラー』が開発した概念をまとめたものを指します。実際は『個人心理学(Individual psychology)』なんだけどアドラー心理学のほうが知られてるからそっちのネーミングでやってく
心理学。おそらく知らない方でも『フロイト』とか『ユング』っていう名前は聞いたことがあるでしょう。それにならぶ知名度を誇るのがこの『アドラー』さんです
実はこの3人のなかで心理学者を自称してる人いないのよ。彼らは全員"精神分析学者"です。みんな精神科医で、医者としてこころというより精神の構造を研究してたの
みんな19世紀のヨーロッパで活躍してて、この3人は同じ研究室にいたの。フロイトさんが20歳くらい年上でリーダー的存在。んで彼の研究というか説を受け継いで発展させたのがユングさん。異を唱えて決別し、新たな説を唱えたのがアドラーさんって感じ
アドラー心理学はこころに課題を抱える人にとってはけっこー衝撃的っていうか"劇薬"的な要素がてんこ盛りです。それは『古賀史健・岸見一郎』共著の『嫌われる勇気』にわかりやすくまとめてあるけど、まあわりとキビシイことを言うというか、お悩み相談にきた人を遠慮なくぶちのめすというか――そのへんは著書をお求めいただければわかると思います
青年がどんどんせんn考え方を変革させていく様はけっこーわらえる
世間でもけっこー知られるようになったこのアドラー心理学、いったいどんな心理学なのでしょうか?
:基本的視点:
アドラーさんは人のこころをいくつかの視点から整理しました。ほんとうはもっとイロイロあるけどとりあえずこれらを押さえときゃはなまるもらえると思います
・目的論
人は自分の目的を遂行するため
"経験や感情"を利用する
・全体論
ひとという個人はそれ以上分解できない
"最小単位"の存在である
・実存主義
無意識や感情に左右されるのではなく
自分の"主体的な意思"によるもの
・現象論
客観的な事実ではなく
"主観的な意味づけ"を重視する
・対人関係
人が抱える問題の10割は"人間関係"である
まずは目的論から。アナタにはトラウマってやつあるかい? ――アドラー心理学じゃそれまるまる否定するんだぜ?
たとえば『子どものころ発表会で大失敗した』という経験から『人前で話すのがニガテになった』という流れ、あると思います。これはなんかしらの原因があってできなくなるということから『原因論』と呼ばれます
対してアドラーさんは「おまえが人前で話したくないから過去の記憶をトラウマとして利用してるだけだよ」と言います
トラウマで苦しんでる人にお前は話せないんじゃなく話したくないだけなんだって言ってるの
もっとシンプルな例。たとえばアナタが『悲しさ』を覚えたとき涙を流すでしょう。しかしそれは悲しいから涙を流したんじゃなく『周囲に自分の悲しさを伝えたい』という意思をもち、それを表現する方法として"悲しいという感情"を利用して涙を流すんです
人がなんらかの行動をとるには『目的』があります。その目的を遂行するため過去の記憶をトラウマとして利用したりするわけ
同情を買いたい、心配してほしい、元気づけてほしい、自分を助けてほしい――そういった目的があるからこそ、人はトラウマに悩み、なんらかのアクションを起こす
周囲からの同情を買いたいのであれば"悲しさ"を利用して泣くでしょう。しかし、たとえば相手を制圧して言うことを聞かせたいのであれば"怒り"を利用して相手に詰め寄るでしょう。わたしはこんなに苦しい思いをしてるのにお前はなんだその態度は! 的な感じにね
自分のトラウマを否定された気持ちになってイヤかもしれませんが、実はこれチャンスでもあるんです。だって『自分が意図して目的を変えれば、自分のこころや行動自体を帰ることができる』というメッセージが含まれているから
上記のようなムーブは得てして『他者を自分の都合のいいようにコントロールする』ことが目的になっています。周囲の同情を買いたい、怒りで相手をコントロールしたい、やさしくしてほしいかまってほしい――他者のこころや行動なんて変えようがないのです。そんなドデカい労力を使うより、いつでもどこでもスパッとコントロールできる『自分自身のこころや行動』を変えたほうがめったくそ楽じゃありませんか?
これをアドラー心理学では『課題の分離』と呼びます。自分がコントロールできる範囲をやる。他者のこころや行動は他者がコントロールすることなんだからどうしようもないじゃん? ってこと。自分は自分でコントロールできる範囲を一生懸命にやっていきましょう
ちょっと長くなったけどこれすっごく大事な概念だから押さえといてください……やば、文字数多いなこれちょっと加速して解説していきます
全体論ってなんだ? ――アドラー心理学は個人心理学とも呼ばれるって書いたよね。これはアドラーさんが「個人はソレ以上分解できない最小単位だ」としたからです
こころは意識、無意識、思考などいろいろあって、それらが独立して対立してるとフロイトは考えました。したしアドラーは『個がそれらの機能を目的達成のため使い分けている』と考えたのです
意識、無意識、思考などはあくまでツールだってこと。意識と無意識が葛藤してる! とか創作物でよく描かれるけどアドラーはそういうの全否定するタイプだからどうぞよろしく(なにが?
これは自動車に見立てるとわかりやすいかな。思考をハンドル、、意識をアクセル、無意識をブレーキとしてアナタという"個人"が運転手になってるイメージ。思考も意識も無意識もそれぞれが意思をもって対抗してるわけじゃなく、アナタという"個"がそれらを操縦してるのです
普段はいい感じの目的に沿って運転できてますが、たとえば『空港の中に突っ込んで乗り回したい!』という突拍子もない目的のための運転に変わったらどうなるでしょう? ――アナタはアナタの目的をしっかりもって運転しましょうね?
実存主義。コレは行動に関する概念で、目的論で書いたように自分の意思がすべての行動を体現してるってことです
目の前に犬がいたとしましょう。わたしだったら喜んでモフモフするところですが、場合によっては怖くて逃げるというもったいない選択をする方もいるでしょう
なぜ犬がこわくて逃げ出しちゃうのか? それは過去にそういうトラウマが? とかじゃなく『逃げたい』からです
犬が目の前にある。そしてその人は『逃げたい』という意思(目的)をもった。ってことで過去にあった『犬に追いかけられて怖かった』という経験を利用しよう! って寸法です
アナタ自身の主体的な意思で行動が決まります。アナタが『犬を撫でたい』という意思をもったのならなにかと言い訳を用意して「いやぁ~ウチも犬いるんですよー犬好きなんで」とそれっぽい理由をつけて撫でさせてもらう
いや別に理由なんてどうでもいいじゃん、ってお思いの方、はいそうです。これ理由なんて別にどうでもいいんです。だって理由は後付けであって行動は自分がどうしたいかがすべてなのですから
現象論ってなんでしょう? ――人はいろんな経験をします。そのなかで『自分の価値観』が決まってきます
アナタにとって『速い』はどのくらいの速度でしょう?
アナタにとって『広い』はどのくらいの広さでしょう? 横に広がってくイメージをしましたか? それとも365度円球状に膨らんでいくイメージが湧きましたか?
人は客観的事実ではなく主観的な意味づけによってこころが左右されます。アナタがある人を『怖いひと』と感じるのは、その人が怖い人だからではなくアナタが怖いと評価してるからです
その人は怖いひとではありません。だからといって優しいひとでもありません。その人はただただ『ひと』なのです。そこに"どんな"がつくのはアナタの認知次第。つまり、アナタがその人の認識を変えれば『優しいひと』になります
アナタ自身の認識、ちょっとシフトチェンジしてみませんか?
人が抱える問題の10割は"人間関係"であるってのはアドラーさんの名言だと思います
人間は社会を形成する生き物です。社会のなかで生活するってのは遺伝子レベルでインプットされており、人はことばでコミュニケーションして、他者のことをおもんばかったり気を使ったりなんだったりする能力に長けています
が、それは時として"個"のアイデンティティを揺るがす事態に発展しますね。みんなは自分のことをどう思ってるんだろう? あの人に拒絶されたらどうしよう? ――心当たりあるよね?
他者の評価は他者が決めるものです。これは他者の課題であり、アナタが変えられるモノではありません。自分が「すきだ!」と告白するのはアナタ自身の課題。相手が「はい / いいえ」するのは相手の課題なのです
アナタはアナタのベストを尽くしてください
目的論を詳細に書いてって「あ、これ長くなりすぎるヤツだ」と気づいたのでそれ以降ハイスピードで駆け抜けました。とくに最後らへん省略しすぎた感が否めない。まあ書くのは自分の課題、そして「充分だよ」、「少ないよ」、「いいね!」をするのはこの文章を読んでるアナタの課題ということでひとつ
もしもっと詳細ほしいって方いたらコメントでもリクエストでもおねがいします
心理学は100年以上の歴史があります。これまでの研究が積み重なったおかげで人のこころの多くが明らかとなり、現在社会のあちこちでその知見が活かされております
アナタが何気なく購入してしまったその商品、ほんとうにアナタ自身の意思によるものなのでしょうか? ――今回の話とちょっと矛盾してるように見えますが、心理学を駆使すれば他者の行動をある程度操ることも可能です。今後そういった話も紹介できればいいですね
アナタ自身のこころを大切にしましょう。そして他者を尊重して、共同体としてうまくやりくりできる関係を構築できれば最高ですよね
自分自身がこなすべき課題を見極めましょう。他者の評価は他者の課題なので一喜一憂するのはやめましょう。アナタはアナタ。そこに恥ずべき要素はなにもありません
アナタの人生に幸多からんことを
文字通り『こころのあれこれを科学する学問』ですが、こころなんていう曖昧な概念をどう科学すればいいのか? って感じだよね
たとえばこんな実験。数十人の人をひとつの部屋にあつめて「30分後にテストが始まりますので待機していてください」って言う
みんなして30分後かぁタイクツだなー、なんて感じ始めてるタイミングで突然ヘンな人が扉を空けて部屋に入り、猛烈ダッシュして別の扉から出ていく
その人は『緑のキャップ、赤いシャツ、紫のジーパン、黒縁のめがね』をしていました。部屋にいた人からすれば『なんかヘンな人が通り過ぎた』感。が、その後試験管が入ってきてこう言うの
「さきほど部屋に入って、すぐ出ていった人いますよね? ――じゃあ、あの人の服装と特徴を教えてください」
これは人間の記憶力に関する実験です。決して30分後にやるテストがそれではないのです。
いやいやいきなりなんだよ、ちょっとこころの準備させてくれよ、と感じる方もいるでしょう。けどね、心理学の実験ではこころの準備をさせるのはダメなんです。だってこころの"準備"をさせたら自然な状態のこころを科学できないでしょ?
以上、心理学実験のいち例をご紹介しました。この他ふつーにアンケートとったり実験説明をしたりなんだったりするものもあるので一概には言えませんが、心理学はこころの準備をさせないため、あえてダミーのテスト内容を知らせることもあるよって話
まあこんなイロイロありまして、現代は多くの心理学的知見が増えてそれらをイロイロな方向に活かそうって流れが増えました。教育効率をアップさせる教育心理学、スポーツで高いパフォーマンスを求めるスポーツ心理学、犯罪者のあれこれを暴こうとする犯罪心理学、こころの問題を解決しようと尽力する臨床心理学などがあります
今回は臨床心理学のいちジャンル『アドラー心理学』について書いていこうと思います
:アドラー心理学ってなによ?:
アドラー心理学はオーストリアの心理学者『アルフレッド・アドラー』が開発した概念をまとめたものを指します。実際は『個人心理学(Individual psychology)』なんだけどアドラー心理学のほうが知られてるからそっちのネーミングでやってく
心理学。おそらく知らない方でも『フロイト』とか『ユング』っていう名前は聞いたことがあるでしょう。それにならぶ知名度を誇るのがこの『アドラー』さんです
実はこの3人のなかで心理学者を自称してる人いないのよ。彼らは全員"精神分析学者"です。みんな精神科医で、医者としてこころというより精神の構造を研究してたの
みんな19世紀のヨーロッパで活躍してて、この3人は同じ研究室にいたの。フロイトさんが20歳くらい年上でリーダー的存在。んで彼の研究というか説を受け継いで発展させたのがユングさん。異を唱えて決別し、新たな説を唱えたのがアドラーさんって感じ
アドラー心理学はこころに課題を抱える人にとってはけっこー衝撃的っていうか"劇薬"的な要素がてんこ盛りです。それは『古賀史健・岸見一郎』共著の『嫌われる勇気』にわかりやすくまとめてあるけど、まあわりとキビシイことを言うというか、お悩み相談にきた人を遠慮なくぶちのめすというか――そのへんは著書をお求めいただければわかると思います
青年がどんどんせんn考え方を変革させていく様はけっこーわらえる
世間でもけっこー知られるようになったこのアドラー心理学、いったいどんな心理学なのでしょうか?
:基本的視点:
アドラーさんは人のこころをいくつかの視点から整理しました。ほんとうはもっとイロイロあるけどとりあえずこれらを押さえときゃはなまるもらえると思います
・目的論
人は自分の目的を遂行するため
"経験や感情"を利用する
・全体論
ひとという個人はそれ以上分解できない
"最小単位"の存在である
・実存主義
無意識や感情に左右されるのではなく
自分の"主体的な意思"によるもの
・現象論
客観的な事実ではなく
"主観的な意味づけ"を重視する
・対人関係
人が抱える問題の10割は"人間関係"である
まずは目的論から。アナタにはトラウマってやつあるかい? ――アドラー心理学じゃそれまるまる否定するんだぜ?
たとえば『子どものころ発表会で大失敗した』という経験から『人前で話すのがニガテになった』という流れ、あると思います。これはなんかしらの原因があってできなくなるということから『原因論』と呼ばれます
対してアドラーさんは「おまえが人前で話したくないから過去の記憶をトラウマとして利用してるだけだよ」と言います
トラウマで苦しんでる人にお前は話せないんじゃなく話したくないだけなんだって言ってるの
もっとシンプルな例。たとえばアナタが『悲しさ』を覚えたとき涙を流すでしょう。しかしそれは悲しいから涙を流したんじゃなく『周囲に自分の悲しさを伝えたい』という意思をもち、それを表現する方法として"悲しいという感情"を利用して涙を流すんです
人がなんらかの行動をとるには『目的』があります。その目的を遂行するため過去の記憶をトラウマとして利用したりするわけ
同情を買いたい、心配してほしい、元気づけてほしい、自分を助けてほしい――そういった目的があるからこそ、人はトラウマに悩み、なんらかのアクションを起こす
周囲からの同情を買いたいのであれば"悲しさ"を利用して泣くでしょう。しかし、たとえば相手を制圧して言うことを聞かせたいのであれば"怒り"を利用して相手に詰め寄るでしょう。わたしはこんなに苦しい思いをしてるのにお前はなんだその態度は! 的な感じにね
自分のトラウマを否定された気持ちになってイヤかもしれませんが、実はこれチャンスでもあるんです。だって『自分が意図して目的を変えれば、自分のこころや行動自体を帰ることができる』というメッセージが含まれているから
上記のようなムーブは得てして『他者を自分の都合のいいようにコントロールする』ことが目的になっています。周囲の同情を買いたい、怒りで相手をコントロールしたい、やさしくしてほしいかまってほしい――他者のこころや行動なんて変えようがないのです。そんなドデカい労力を使うより、いつでもどこでもスパッとコントロールできる『自分自身のこころや行動』を変えたほうがめったくそ楽じゃありませんか?
これをアドラー心理学では『課題の分離』と呼びます。自分がコントロールできる範囲をやる。他者のこころや行動は他者がコントロールすることなんだからどうしようもないじゃん? ってこと。自分は自分でコントロールできる範囲を一生懸命にやっていきましょう
ちょっと長くなったけどこれすっごく大事な概念だから押さえといてください……やば、文字数多いなこれちょっと加速して解説していきます
全体論ってなんだ? ――アドラー心理学は個人心理学とも呼ばれるって書いたよね。これはアドラーさんが「個人はソレ以上分解できない最小単位だ」としたからです
こころは意識、無意識、思考などいろいろあって、それらが独立して対立してるとフロイトは考えました。したしアドラーは『個がそれらの機能を目的達成のため使い分けている』と考えたのです
意識、無意識、思考などはあくまでツールだってこと。意識と無意識が葛藤してる! とか創作物でよく描かれるけどアドラーはそういうの全否定するタイプだからどうぞよろしく(なにが?
これは自動車に見立てるとわかりやすいかな。思考をハンドル、、意識をアクセル、無意識をブレーキとしてアナタという"個人"が運転手になってるイメージ。思考も意識も無意識もそれぞれが意思をもって対抗してるわけじゃなく、アナタという"個"がそれらを操縦してるのです
普段はいい感じの目的に沿って運転できてますが、たとえば『空港の中に突っ込んで乗り回したい!』という突拍子もない目的のための運転に変わったらどうなるでしょう? ――アナタはアナタの目的をしっかりもって運転しましょうね?
実存主義。コレは行動に関する概念で、目的論で書いたように自分の意思がすべての行動を体現してるってことです
目の前に犬がいたとしましょう。わたしだったら喜んでモフモフするところですが、場合によっては怖くて逃げるというもったいない選択をする方もいるでしょう
なぜ犬がこわくて逃げ出しちゃうのか? それは過去にそういうトラウマが? とかじゃなく『逃げたい』からです
犬が目の前にある。そしてその人は『逃げたい』という意思(目的)をもった。ってことで過去にあった『犬に追いかけられて怖かった』という経験を利用しよう! って寸法です
アナタ自身の主体的な意思で行動が決まります。アナタが『犬を撫でたい』という意思をもったのならなにかと言い訳を用意して「いやぁ~ウチも犬いるんですよー犬好きなんで」とそれっぽい理由をつけて撫でさせてもらう
いや別に理由なんてどうでもいいじゃん、ってお思いの方、はいそうです。これ理由なんて別にどうでもいいんです。だって理由は後付けであって行動は自分がどうしたいかがすべてなのですから
現象論ってなんでしょう? ――人はいろんな経験をします。そのなかで『自分の価値観』が決まってきます
アナタにとって『速い』はどのくらいの速度でしょう?
アナタにとって『広い』はどのくらいの広さでしょう? 横に広がってくイメージをしましたか? それとも365度円球状に膨らんでいくイメージが湧きましたか?
人は客観的事実ではなく主観的な意味づけによってこころが左右されます。アナタがある人を『怖いひと』と感じるのは、その人が怖い人だからではなくアナタが怖いと評価してるからです
その人は怖いひとではありません。だからといって優しいひとでもありません。その人はただただ『ひと』なのです。そこに"どんな"がつくのはアナタの認知次第。つまり、アナタがその人の認識を変えれば『優しいひと』になります
アナタ自身の認識、ちょっとシフトチェンジしてみませんか?
人が抱える問題の10割は"人間関係"であるってのはアドラーさんの名言だと思います
人間は社会を形成する生き物です。社会のなかで生活するってのは遺伝子レベルでインプットされており、人はことばでコミュニケーションして、他者のことをおもんばかったり気を使ったりなんだったりする能力に長けています
が、それは時として"個"のアイデンティティを揺るがす事態に発展しますね。みんなは自分のことをどう思ってるんだろう? あの人に拒絶されたらどうしよう? ――心当たりあるよね?
他者の評価は他者が決めるものです。これは他者の課題であり、アナタが変えられるモノではありません。自分が「すきだ!」と告白するのはアナタ自身の課題。相手が「はい / いいえ」するのは相手の課題なのです
アナタはアナタのベストを尽くしてください
目的論を詳細に書いてって「あ、これ長くなりすぎるヤツだ」と気づいたのでそれ以降ハイスピードで駆け抜けました。とくに最後らへん省略しすぎた感が否めない。まあ書くのは自分の課題、そして「充分だよ」、「少ないよ」、「いいね!」をするのはこの文章を読んでるアナタの課題ということでひとつ
もしもっと詳細ほしいって方いたらコメントでもリクエストでもおねがいします
心理学は100年以上の歴史があります。これまでの研究が積み重なったおかげで人のこころの多くが明らかとなり、現在社会のあちこちでその知見が活かされております
アナタが何気なく購入してしまったその商品、ほんとうにアナタ自身の意思によるものなのでしょうか? ――今回の話とちょっと矛盾してるように見えますが、心理学を駆使すれば他者の行動をある程度操ることも可能です。今後そういった話も紹介できればいいですね
アナタ自身のこころを大切にしましょう。そして他者を尊重して、共同体としてうまくやりくりできる関係を構築できれば最高ですよね
自分自身がこなすべき課題を見極めましょう。他者の評価は他者の課題なので一喜一憂するのはやめましょう。アナタはアナタ。そこに恥ずべき要素はなにもありません
アナタの人生に幸多からんことを