残酷な描写あり
R-15
最終話
張禄の讒言によって疑心を抱いた秦王は、白起を投獄する。
王齮が送った伝令は咸陽へ向かった。
前線からの報告は、通常はまず初めに国尉の許へ届けられる。しかし秦王は密勅を出しており、門兵は報告を受け取った後、丞相張禄の許へ届けさせた。
張禄は鄭安平の降伏を知り、絶句した。しかし、形振り構ってはいられなかった。
彼は鄭安平の降伏の部分を伏せ、改竄した報告を、秦王へ伝えた。
「関中へ、軍が戻ります。これは謀反です……!」
「真に惨敗を喫したのであれば、直接王の下へ指揮官がやってくるのは普通のことだ。そして余は、その首を刎ねる。軍団が十万人以下であれば、規則通り、函谷関の内側の兵力を充足させるべきであり、その判断も誤ってはいない」
「考えてもみてください。廉頗や楽乗、その他実戦経験が豊富な諸将を差し置いて、無名且つ正体不明の慶舎なる者が、ここまで秦軍を完膚なきまでに叩きのめせる筈がありましょうか! 軍を函谷関の内へ入れる為の、詭弁にございます!」
鬼気迫る張禄の言葉に、秦王の心は揺らいだ。
「軍が戻る前に、武安君を捕らえねばなりません。守備兵は、武安君の手中にあります。外も内も、武安君の手中なのです!」
「なれば、いかようにすべきか」
「まだ時間があります。武安君がこの報告を受け取り、動き出す前に、我々が手を打つのです。兵の指揮系統を独自に明らかにし、懐柔するには、時を要します。その為にも、いまここで、ご決断なさってください!」
悩む秦王に、張禄は縋り付く様に、血走った目で畳み掛けた。そして秦王は、決断した。
「誰か!」
「ここに!」
「武安君を捕らえよ……!」
前256年(昭襄王51年)
関中に入った満身創痍の王齮軍は、国尉白起の命令で解散し、兵は関中を初めとした地域に配属されていった。故郷へ帰ることが出来た者もいれば、妻子を連れて、関中へ移住する者もいた。
秦王は、彼らが白起の一声で牙を向き、咸陽へ襲いかかってくることに怯えていた。
ある日のこと、宮中の回廊にて秦王は、従者に問いかけた。
「張禄からの報告はまだか。余の密勅は、漏れてはいまいか」
「ご心配ありません。もうすぐ、報告が上がると思います」
それなら間もなく、張禄からの報告があった。
「丞相張禄様より、秦王様へ報告です。武安君白起を謀反の疑いで捕縛、投獄致しました」
「……ご苦労。下がれ」
「御意」
秦王は、安堵から深い溜息を吐いた。そして、頭を抱えた。悶々としていた。本当にこれで良かったのか、自問自答し、再び深い溜息を吐いた。
投獄された白起は、無力さから、言葉の一つも出なかった。常勝将軍、無敗の英雄の姿は、そこにはなかった。無造作に敷かれた藁の上に座るのは、窶れきった白髪の老人であった。
自らの手で訓練をし鍛え上げた守備兵により、白起は捕らえられた。謀反人であると思われていると知った時、直感的に、張禄の謀であると悟った。
「鎖を外せぬか。痛むのだ。剣の一つも持たぬ老人には、檻の向こうへ出る怪力はない」
体は自由となり、少しは不快感もなくなった。白起は目を閉じた。冷たい牢の中、どうしてこうなったのか、考えるしかなかった。
せめて妻には離縁状を出すことが出来ればよかったと、そう思った。
それから、朝な夕な、考えるだけの日であった。こんなにも暇な時間というのを、過ごしたことがなかった。
蒙驁と酒を呑みたいと思った。楊摎と兵法を論じたいと思った。張唐や胡傷と女や賭け事について、話し合いたいと思った。
「軍は秦王様の手中に入ったであろうか。楊摎殿は今頃、秦王様の命令で西周を名実共に滅ぼしている頃だろう。私の時代は、遂に終わったのか」
王翦をもっと、教育したかった。故郷へ戻り、恬や馮勝と、戦のない世の中について夢を語り合いたかった。出来ないことを夢想するしか、出来なかった。
役目がなくなり、自由な時間を手にした。すると、馬に跨り天下を縦横無尽に駆け回った頃が、尚も恋しくなった。
「将兵はやはり、私のことを、長平の一件以来、憎んでいたか。故に私を放免させようとはせぬのだ」
それから白起は、無罪を訴えることもできず、過ぎ行く歳月を虚しく牢の中で過ごした。
前255年(昭襄王52年)
白起が投獄されたことを知った王齮ら諸将や、蒙驁ら友人らは、その無罪を懸命に訴えていた。しかし老獪な秦王は一度抱いた疑念を拭いきれず、白起の派閥に属する軍の人間の意見は、全て無視していた。
秦王は、将軍胡傷に国尉を継がせるも、王稽を初めとした張禄の地盤の人間を軍の中枢に着かせるなどし、軍を白起の独裁から改善させようとした。
白起が助からぬことを悟った蒙驁は、生まれた孫に、白起の友人の名を付けた。それは白起に水で戦わせることを思いつかせることとなった、故郷の友人の名前であった。
「蒙武よ、この子は白起殿の遺志を継ぎ、次世代の英雄となる。白起殿の名前を付ければ、徒党を組んだと思われ、連座させられてしまう。それ故、白起殿の友しか知らぬ、故郷の友の名を付けたのだ」
「親父殿。我ら蒙驁、蒙武、蒙恬の蒙氏三代で、白起殿の志を……継ぎましょうぞ……!」
白起はその年の内に、丞相張禄の命令で自害がいい渡された。謀反人であれば本来、車裂きの刑に処されるのが、通例であった。しかし白起は、過去の功績による秦王の寵愛から、武人としての名誉を尊び、自害となった。
自害する前白起は、叫んだ。
「張禄よ、私はそなたの策で死ぬのではない! 長平の捕虜を殺めた罪を、秦の将兵へ詫びる為死ぬのだ!」
白起は自害し、戦に明け暮れた長い生涯に幕を下ろした。
前線からの報告は、通常はまず初めに国尉の許へ届けられる。しかし秦王は密勅を出しており、門兵は報告を受け取った後、丞相張禄の許へ届けさせた。
張禄は鄭安平の降伏を知り、絶句した。しかし、形振り構ってはいられなかった。
彼は鄭安平の降伏の部分を伏せ、改竄した報告を、秦王へ伝えた。
「関中へ、軍が戻ります。これは謀反です……!」
「真に惨敗を喫したのであれば、直接王の下へ指揮官がやってくるのは普通のことだ。そして余は、その首を刎ねる。軍団が十万人以下であれば、規則通り、函谷関の内側の兵力を充足させるべきであり、その判断も誤ってはいない」
「考えてもみてください。廉頗や楽乗、その他実戦経験が豊富な諸将を差し置いて、無名且つ正体不明の慶舎なる者が、ここまで秦軍を完膚なきまでに叩きのめせる筈がありましょうか! 軍を函谷関の内へ入れる為の、詭弁にございます!」
鬼気迫る張禄の言葉に、秦王の心は揺らいだ。
「軍が戻る前に、武安君を捕らえねばなりません。守備兵は、武安君の手中にあります。外も内も、武安君の手中なのです!」
「なれば、いかようにすべきか」
「まだ時間があります。武安君がこの報告を受け取り、動き出す前に、我々が手を打つのです。兵の指揮系統を独自に明らかにし、懐柔するには、時を要します。その為にも、いまここで、ご決断なさってください!」
悩む秦王に、張禄は縋り付く様に、血走った目で畳み掛けた。そして秦王は、決断した。
「誰か!」
「ここに!」
「武安君を捕らえよ……!」
前256年(昭襄王51年)
関中に入った満身創痍の王齮軍は、国尉白起の命令で解散し、兵は関中を初めとした地域に配属されていった。故郷へ帰ることが出来た者もいれば、妻子を連れて、関中へ移住する者もいた。
秦王は、彼らが白起の一声で牙を向き、咸陽へ襲いかかってくることに怯えていた。
ある日のこと、宮中の回廊にて秦王は、従者に問いかけた。
「張禄からの報告はまだか。余の密勅は、漏れてはいまいか」
「ご心配ありません。もうすぐ、報告が上がると思います」
それなら間もなく、張禄からの報告があった。
「丞相張禄様より、秦王様へ報告です。武安君白起を謀反の疑いで捕縛、投獄致しました」
「……ご苦労。下がれ」
「御意」
秦王は、安堵から深い溜息を吐いた。そして、頭を抱えた。悶々としていた。本当にこれで良かったのか、自問自答し、再び深い溜息を吐いた。
投獄された白起は、無力さから、言葉の一つも出なかった。常勝将軍、無敗の英雄の姿は、そこにはなかった。無造作に敷かれた藁の上に座るのは、窶れきった白髪の老人であった。
自らの手で訓練をし鍛え上げた守備兵により、白起は捕らえられた。謀反人であると思われていると知った時、直感的に、張禄の謀であると悟った。
「鎖を外せぬか。痛むのだ。剣の一つも持たぬ老人には、檻の向こうへ出る怪力はない」
体は自由となり、少しは不快感もなくなった。白起は目を閉じた。冷たい牢の中、どうしてこうなったのか、考えるしかなかった。
せめて妻には離縁状を出すことが出来ればよかったと、そう思った。
それから、朝な夕な、考えるだけの日であった。こんなにも暇な時間というのを、過ごしたことがなかった。
蒙驁と酒を呑みたいと思った。楊摎と兵法を論じたいと思った。張唐や胡傷と女や賭け事について、話し合いたいと思った。
「軍は秦王様の手中に入ったであろうか。楊摎殿は今頃、秦王様の命令で西周を名実共に滅ぼしている頃だろう。私の時代は、遂に終わったのか」
王翦をもっと、教育したかった。故郷へ戻り、恬や馮勝と、戦のない世の中について夢を語り合いたかった。出来ないことを夢想するしか、出来なかった。
役目がなくなり、自由な時間を手にした。すると、馬に跨り天下を縦横無尽に駆け回った頃が、尚も恋しくなった。
「将兵はやはり、私のことを、長平の一件以来、憎んでいたか。故に私を放免させようとはせぬのだ」
それから白起は、無罪を訴えることもできず、過ぎ行く歳月を虚しく牢の中で過ごした。
前255年(昭襄王52年)
白起が投獄されたことを知った王齮ら諸将や、蒙驁ら友人らは、その無罪を懸命に訴えていた。しかし老獪な秦王は一度抱いた疑念を拭いきれず、白起の派閥に属する軍の人間の意見は、全て無視していた。
秦王は、将軍胡傷に国尉を継がせるも、王稽を初めとした張禄の地盤の人間を軍の中枢に着かせるなどし、軍を白起の独裁から改善させようとした。
白起が助からぬことを悟った蒙驁は、生まれた孫に、白起の友人の名を付けた。それは白起に水で戦わせることを思いつかせることとなった、故郷の友人の名前であった。
「蒙武よ、この子は白起殿の遺志を継ぎ、次世代の英雄となる。白起殿の名前を付ければ、徒党を組んだと思われ、連座させられてしまう。それ故、白起殿の友しか知らぬ、故郷の友の名を付けたのだ」
「親父殿。我ら蒙驁、蒙武、蒙恬の蒙氏三代で、白起殿の志を……継ぎましょうぞ……!」
白起はその年の内に、丞相張禄の命令で自害がいい渡された。謀反人であれば本来、車裂きの刑に処されるのが、通例であった。しかし白起は、過去の功績による秦王の寵愛から、武人としての名誉を尊び、自害となった。
自害する前白起は、叫んだ。
「張禄よ、私はそなたの策で死ぬのではない! 長平の捕虜を殺めた罪を、秦の将兵へ詫びる為死ぬのだ!」
白起は自害し、戦に明け暮れた長い生涯に幕を下ろした。