残酷な描写あり
R-15
第百八三話 長平の戦い 八
長平で戦争が長引いていることに、秦王は苛立ちを隠せずにいた。丞相張禄は軍を批判するが、白起は趙を撃破する策を練り、秦王を納得させる。
同年 2月(開戦一年5ヶ月目) 咸陽
秦王は、長平より戦況報告を受け取った。長平の戦況が芳しくないことを、嘆いた。
朝議に参内した臣下の内、文官の大半は、趙との停戦を訴えた。その意見を扇動したのは、文官の頂点である丞相張禄であった。
「そもそも私が提唱した遠交近攻策は、魏と韓を滅ぼし、それを足がかりに天下を統一するというものでした。韓の首都新鄭を包囲しておきながら趙に矛先を向け直すなど、方針の転換もいい所です」
張禄がそこまでいった時、気だるそうに頬杖を突いていた秦王は、上体を起こし、狼の様に尖った目で張禄を睨み出した。
それに気づいた張禄は、しれっと言葉を付け足した。「こんなことを行う軍は……秦王様を蔑ろにしています」
秦王の目は、澄んだ顔で直立をする白起の方へ向いた。
その視線に気づいた白起が堂々と秦王の方へ向き直ると、秦王は目線を逸らした。
張禄は、白起と秦王のあいだにある関係性が、新参者の自分とは桁違いに深いものであることを悟り、ため息が零れた。
秦王は一段落打つかの様に、咳払いをした。
「必要に迫られて趙を攻めることになったが、どういう流れであれ、いつかは戦うことになった相手だ。韓や魏が援軍に来る可能性が低い以上、悪手であったとは思わぬ」
「ご明察にございます」
白起に続き、武官は秦王に向け拱手をした。
「邯鄲を獲れば、秦は方針を戻し、韓や魏を攻める。邯鄲は長平の目と鼻の先である。故に我が軍は長平から撤退はしない。しかし、このまま力押しをするだけでは、芸がない。武安君よ」
「ここに」
「長平を攻略する明確な策を練り、余に上奏せよ。その内容次第で、兵を増援として送ることとする」
「感謝申し上げます。その策は、既に練ってあります」
秦王は高らかに笑った。張禄を指差し、満面の笑みを向けた。張禄は苦笑いをしながら、鬱陶しそうに白起を横目に見た。
「余に、その策を聞かせるのだ」
「御意。まず私自身が長平へ赴き、指揮を執ります。その際、私が赴任したことは一切の秘密とし、趙軍の動揺を誘います。この策を完遂する為には、最低でも二十五万の兵力が必要になります。王齮が寄越した地図や、趙の国力から推定される動員可能兵力に、由来します」
「丞相、武安君のこの策を実行する為に、どうにか兵員を集められぬであろうか」
張禄は秦王の信頼を得る為、白起への鬱陶しさを隠し、健気な丞相を演じる他なかった。
「ございます。秦国中の男三人に一人を徴兵するのです。韓や魏、楚との国境、西方の異民族との境界線の守備兵、並びに囚人をも動員することで、二十万人は動員可能でございます」
「それでは足りぬ。武安君はあと五万人欲しておるのだ」
「しからば、更に民を徴兵するのです。昨年徴兵した際、十七歳であった者も、今は十八歳です。彼らも動員すれば、三万人は徴兵できるでしょう。これで限界です」
「それでは足りぬ。奇才であるそなたならば、あと二万人集められる筈ぞ」
「特例として、国庫から金を出す必要がありますが……。食うに困った子供を、売らせましょう。口減らしの為に殺される子供の命を救うことができます……! それならば、二万人は集まるでしょう」
「よろしい! 流石は丞相である!」
秦王は満足気な表情で、机を叩いた。そして、増兵と白起出陣の為の準備をする様にいい、朝議を終えた。
秦王は、長平より戦況報告を受け取った。長平の戦況が芳しくないことを、嘆いた。
朝議に参内した臣下の内、文官の大半は、趙との停戦を訴えた。その意見を扇動したのは、文官の頂点である丞相張禄であった。
「そもそも私が提唱した遠交近攻策は、魏と韓を滅ぼし、それを足がかりに天下を統一するというものでした。韓の首都新鄭を包囲しておきながら趙に矛先を向け直すなど、方針の転換もいい所です」
張禄がそこまでいった時、気だるそうに頬杖を突いていた秦王は、上体を起こし、狼の様に尖った目で張禄を睨み出した。
それに気づいた張禄は、しれっと言葉を付け足した。「こんなことを行う軍は……秦王様を蔑ろにしています」
秦王の目は、澄んだ顔で直立をする白起の方へ向いた。
その視線に気づいた白起が堂々と秦王の方へ向き直ると、秦王は目線を逸らした。
張禄は、白起と秦王のあいだにある関係性が、新参者の自分とは桁違いに深いものであることを悟り、ため息が零れた。
秦王は一段落打つかの様に、咳払いをした。
「必要に迫られて趙を攻めることになったが、どういう流れであれ、いつかは戦うことになった相手だ。韓や魏が援軍に来る可能性が低い以上、悪手であったとは思わぬ」
「ご明察にございます」
白起に続き、武官は秦王に向け拱手をした。
「邯鄲を獲れば、秦は方針を戻し、韓や魏を攻める。邯鄲は長平の目と鼻の先である。故に我が軍は長平から撤退はしない。しかし、このまま力押しをするだけでは、芸がない。武安君よ」
「ここに」
「長平を攻略する明確な策を練り、余に上奏せよ。その内容次第で、兵を増援として送ることとする」
「感謝申し上げます。その策は、既に練ってあります」
秦王は高らかに笑った。張禄を指差し、満面の笑みを向けた。張禄は苦笑いをしながら、鬱陶しそうに白起を横目に見た。
「余に、その策を聞かせるのだ」
「御意。まず私自身が長平へ赴き、指揮を執ります。その際、私が赴任したことは一切の秘密とし、趙軍の動揺を誘います。この策を完遂する為には、最低でも二十五万の兵力が必要になります。王齮が寄越した地図や、趙の国力から推定される動員可能兵力に、由来します」
「丞相、武安君のこの策を実行する為に、どうにか兵員を集められぬであろうか」
張禄は秦王の信頼を得る為、白起への鬱陶しさを隠し、健気な丞相を演じる他なかった。
「ございます。秦国中の男三人に一人を徴兵するのです。韓や魏、楚との国境、西方の異民族との境界線の守備兵、並びに囚人をも動員することで、二十万人は動員可能でございます」
「それでは足りぬ。武安君はあと五万人欲しておるのだ」
「しからば、更に民を徴兵するのです。昨年徴兵した際、十七歳であった者も、今は十八歳です。彼らも動員すれば、三万人は徴兵できるでしょう。これで限界です」
「それでは足りぬ。奇才であるそなたならば、あと二万人集められる筈ぞ」
「特例として、国庫から金を出す必要がありますが……。食うに困った子供を、売らせましょう。口減らしの為に殺される子供の命を救うことができます……! それならば、二万人は集まるでしょう」
「よろしい! 流石は丞相である!」
秦王は満足気な表情で、机を叩いた。そして、増兵と白起出陣の為の準備をする様にいい、朝議を終えた。