残酷な描写あり
R-15
第百七九話 長平の戦い 四
秦軍は自軍の士気低下を防ぐ為、再び攻勢に出る。
秦王は落ち着いた顔で、茶を啜った。秦王は白起へ目配せし、再度、茶を飲むように進めた。
白起は茶を啜った。想像していたよりも、甘いなと思った。
「長平では音沙汰がないが、知らせがないのは良い知らせと捉えるか、それとも、嵐の前の静けさと捉えるか。余は楽観というものが苦手でな。予想は常に悪くしておく癖がある」
「つまり長平で、良からぬことが起こるとお考えなのですか」
「そうだ。余には、長平で啖呵を切る秦兵の声が聞こえる。五万の兵で突撃を行い、敗戦をするのではないかと考えている」
「なに故、そう思われるのですか」
「武安君は、占いは嫌いか」
「勝敗を占うというのは、数百年も前から続く習わしです。しかしそれはいい方を変えれば、古い事柄であり、信じるには値しません。兵法は常に進化し、過去の戦績を正しく読み解き、実践して糧とし、自らの力としていくものです」
「そなたを、孫子や呉子と戦わせてみたい。歴史は常に進み、塗り替えられているのだからな」
「なに故占いなどを、信じたのですか」
秦王は庭の池へ目をやり、水面に映る魚の背を眺めた。
「不動のものというのもある。占いは古くなったのではなく、兵法の礎となったのだ。古きを訪ねて新しきを知るというであろう」
白起は、そういわれ、途端に胸騒ぎに襲われた。
それは、新鄭を包囲していた時と同じ感覚であった。あの時も、悪い予感が的中した。こんな胸騒ぎを覚えたのは、張禄が丞相となった時が初めてであった。
蔡沢の言葉が、脳裏に過ぎった。
「大丈夫か武安君よ。甘い茶は好みではなかったか?」
「いえ、いただきます。美味しゅうございます」
白起は慌てて、茶を飲み干した。
同年 8月(開戦11ヶ月目) 長平
王齮はこれ以上の士気低下を防ぐ為、守備軍二万を残した兵力五万で、砦の穴を突くべく、攻勢に出た。
しかし此度の攻勢は前回と同様の手法で行われており、廉頗に手の内を晒した状態で行ったに等しかった。
廉頗は邯鄲より援軍として派遣された精鋭を含めた五万の兵力で、それを迎え撃った。
両軍は激戦を行い、激しい損害を出した。
秦軍は三万以上を討たれ、瓦解した。楊摎将軍、司馬靳将軍が撤退を指揮し、なんとか全滅だけは避けて本陣まで撤退した。
王齮は罷免されることを覚悟しながら、咸陽へ戦況報告を行った。しかし返答は、増援と武具兵糧の補給を経て、長平で継戦せよというものであった。
王翦は、秦王の勅令に不満を抱いた。咸陽にいる白起の判断も、その勅令に含まれているのではないかと、そう思った。
「武安君殿はなにを考えているのだ……!」
王翦は、我慢ならない程に腹が立った。やり場のない怒りは、次回の戦で晴らすしかない。それが、道理が通じない西方の蛮族を相手に戦い抜いてきた彼が学んだ、摂理であった。
「次はやらかさない。必ず……誰よりも武功を立ててやる。そして将軍となり……王齮を出し抜いてやる……!」
白起は茶を啜った。想像していたよりも、甘いなと思った。
「長平では音沙汰がないが、知らせがないのは良い知らせと捉えるか、それとも、嵐の前の静けさと捉えるか。余は楽観というものが苦手でな。予想は常に悪くしておく癖がある」
「つまり長平で、良からぬことが起こるとお考えなのですか」
「そうだ。余には、長平で啖呵を切る秦兵の声が聞こえる。五万の兵で突撃を行い、敗戦をするのではないかと考えている」
「なに故、そう思われるのですか」
「武安君は、占いは嫌いか」
「勝敗を占うというのは、数百年も前から続く習わしです。しかしそれはいい方を変えれば、古い事柄であり、信じるには値しません。兵法は常に進化し、過去の戦績を正しく読み解き、実践して糧とし、自らの力としていくものです」
「そなたを、孫子や呉子と戦わせてみたい。歴史は常に進み、塗り替えられているのだからな」
「なに故占いなどを、信じたのですか」
秦王は庭の池へ目をやり、水面に映る魚の背を眺めた。
「不動のものというのもある。占いは古くなったのではなく、兵法の礎となったのだ。古きを訪ねて新しきを知るというであろう」
白起は、そういわれ、途端に胸騒ぎに襲われた。
それは、新鄭を包囲していた時と同じ感覚であった。あの時も、悪い予感が的中した。こんな胸騒ぎを覚えたのは、張禄が丞相となった時が初めてであった。
蔡沢の言葉が、脳裏に過ぎった。
「大丈夫か武安君よ。甘い茶は好みではなかったか?」
「いえ、いただきます。美味しゅうございます」
白起は慌てて、茶を飲み干した。
同年 8月(開戦11ヶ月目) 長平
王齮はこれ以上の士気低下を防ぐ為、守備軍二万を残した兵力五万で、砦の穴を突くべく、攻勢に出た。
しかし此度の攻勢は前回と同様の手法で行われており、廉頗に手の内を晒した状態で行ったに等しかった。
廉頗は邯鄲より援軍として派遣された精鋭を含めた五万の兵力で、それを迎え撃った。
両軍は激戦を行い、激しい損害を出した。
秦軍は三万以上を討たれ、瓦解した。楊摎将軍、司馬靳将軍が撤退を指揮し、なんとか全滅だけは避けて本陣まで撤退した。
王齮は罷免されることを覚悟しながら、咸陽へ戦況報告を行った。しかし返答は、増援と武具兵糧の補給を経て、長平で継戦せよというものであった。
王翦は、秦王の勅令に不満を抱いた。咸陽にいる白起の判断も、その勅令に含まれているのではないかと、そう思った。
「武安君殿はなにを考えているのだ……!」
王翦は、我慢ならない程に腹が立った。やり場のない怒りは、次回の戦で晴らすしかない。それが、道理が通じない西方の蛮族を相手に戦い抜いてきた彼が学んだ、摂理であった。
「次はやらかさない。必ず……誰よりも武功を立ててやる。そして将軍となり……王齮を出し抜いてやる……!」