残酷な描写あり
R-15
第四五話 白起、左更へ進む
白起は爵位を上げ、洛陽攻略の任を受ける。
咸陽
白起に洛陽攻めを命じた秦王は、宮殿で酒を呑み、項垂れていた。
「白起がいかに名将であろうとも、周をの都を攻めるという大事を任せるなど、きっと能力不足に終わるであろう。魏冄丞相を罷免させるためのそなたの策に、一献捧げよう」
酒の相手を務めるのは、向寿であった。魏の領土を奪い、函谷関での屈辱を晴らしたあと、彼は秦王からさらに信任されるようになっていた。
「いくら魏冄殿が優秀であろうとも、成人した王から権力を奪い取っている現状は、やはり異常でしょう。私も外戚ではありますが、臣下としての分を弁えています。魏冄殿は……少々、財が多すぎるのです。私は心配しているのです。これではいつか……秦王様に不忠や謀反を疑われても、申し開きできぬのではないかと」
「余は魏冄にそのような疑念をもったことはない。だが……余が王であり魏冄が臣下である以上……若輩ながら、身の程を弁えるように諭さねばならぬのだ」
「ご叡明にございます。朝廷からの外戚の影響力を弱めるためには、魏冄の右腕である白起が周に一蹴され、朝廷で責任を追求されることが必要不可欠なのです」
「そなたは咸陽にて、先の魏攻めでの疲れを癒せ。此度の戦は、見ものだ」
紀元前293年(昭襄王14年) 新城
咸陽からの使者は、白起に詔を伝えた。
「そして、新城を陥した功績に基づき、爵位を左更とする。慎んで、命を受けよ。また後続の秦軍を総帥として率い、洛陽へ上ってこれを征せよ」
「御意!」
従者は将軍白起に楽な姿勢を取っても良いと伝え、それから、詔を渡した。
「白起将軍。この戦いに勝てば、そなたは封地も得られるだろう。そして任地へ赴き、国庫からの俸禄以外にも税収で潤い、英雄として更なる名声も得られるでしょうな」
「金や名声には、さして興味はありません。私はただ功績を上げ、秦の敵を滅ぼし、故郷を奪った者どもへ復讐を果たしたいのです」
「秦ではそなたのような人が、なによりも尊ばれます。左更は、いわずと知れた司馬錯大将軍の爵位と同等であり、一将軍としてではなく、一軍を率いる総帥になれる爵位です。この戦で功績を立ててください。さすれば……あなたの復讐という夢にも、また一歩近づけますぞ」
「精進いたします。敵軍がなん人束になろうと、粉砕し、皆殺しに致します!」
白起の元に、秦の精兵らが集められた。そこには、かつて自らを率いていた将軍である任鄙の姿もあった。彼の配下には、五百主の張唐や胡傷がいた。函谷関で司馬昌戦死後に任鄙軍に編入となった部隊の中には、百将の驁やその故郷からの友人で、同じく百将の摎がいた。
作戦会議にて将軍任鄙は、その経験を生かして副将兼参謀として、攻め方を練った。
「この新城から洛陽へ攻めるならば、伊河を渡河して洛陽まで上るのが最短だ。しかしこの伊闕は、竜門と呼ばれるほどの険しい地形だ。長期戦になるのを見越して関中からの補給面を考慮すれば、予め洛陽攻めを予想して新城に駐屯したのは賢明であったな、白起よ。秦国内から兵や物資を一度関中へ集積し、それを前線拠点のここへ送るのは容易だからな」
秦は領土が縦長の国であり、戦国七雄との国境は、北端は趙、北部は魏、中心部である関中は韓、南部は楚と面していた。俗に東周と呼ばれる国は韓と魏の間にあったため、秦が洛陽へ兵を向けるのならば、この新城は最適の城であった。
白起に洛陽攻めを命じた秦王は、宮殿で酒を呑み、項垂れていた。
「白起がいかに名将であろうとも、周をの都を攻めるという大事を任せるなど、きっと能力不足に終わるであろう。魏冄丞相を罷免させるためのそなたの策に、一献捧げよう」
酒の相手を務めるのは、向寿であった。魏の領土を奪い、函谷関での屈辱を晴らしたあと、彼は秦王からさらに信任されるようになっていた。
「いくら魏冄殿が優秀であろうとも、成人した王から権力を奪い取っている現状は、やはり異常でしょう。私も外戚ではありますが、臣下としての分を弁えています。魏冄殿は……少々、財が多すぎるのです。私は心配しているのです。これではいつか……秦王様に不忠や謀反を疑われても、申し開きできぬのではないかと」
「余は魏冄にそのような疑念をもったことはない。だが……余が王であり魏冄が臣下である以上……若輩ながら、身の程を弁えるように諭さねばならぬのだ」
「ご叡明にございます。朝廷からの外戚の影響力を弱めるためには、魏冄の右腕である白起が周に一蹴され、朝廷で責任を追求されることが必要不可欠なのです」
「そなたは咸陽にて、先の魏攻めでの疲れを癒せ。此度の戦は、見ものだ」
紀元前293年(昭襄王14年) 新城
咸陽からの使者は、白起に詔を伝えた。
「そして、新城を陥した功績に基づき、爵位を左更とする。慎んで、命を受けよ。また後続の秦軍を総帥として率い、洛陽へ上ってこれを征せよ」
「御意!」
従者は将軍白起に楽な姿勢を取っても良いと伝え、それから、詔を渡した。
「白起将軍。この戦いに勝てば、そなたは封地も得られるだろう。そして任地へ赴き、国庫からの俸禄以外にも税収で潤い、英雄として更なる名声も得られるでしょうな」
「金や名声には、さして興味はありません。私はただ功績を上げ、秦の敵を滅ぼし、故郷を奪った者どもへ復讐を果たしたいのです」
「秦ではそなたのような人が、なによりも尊ばれます。左更は、いわずと知れた司馬錯大将軍の爵位と同等であり、一将軍としてではなく、一軍を率いる総帥になれる爵位です。この戦で功績を立ててください。さすれば……あなたの復讐という夢にも、また一歩近づけますぞ」
「精進いたします。敵軍がなん人束になろうと、粉砕し、皆殺しに致します!」
白起の元に、秦の精兵らが集められた。そこには、かつて自らを率いていた将軍である任鄙の姿もあった。彼の配下には、五百主の張唐や胡傷がいた。函谷関で司馬昌戦死後に任鄙軍に編入となった部隊の中には、百将の驁やその故郷からの友人で、同じく百将の摎がいた。
作戦会議にて将軍任鄙は、その経験を生かして副将兼参謀として、攻め方を練った。
「この新城から洛陽へ攻めるならば、伊河を渡河して洛陽まで上るのが最短だ。しかしこの伊闕は、竜門と呼ばれるほどの険しい地形だ。長期戦になるのを見越して関中からの補給面を考慮すれば、予め洛陽攻めを予想して新城に駐屯したのは賢明であったな、白起よ。秦国内から兵や物資を一度関中へ集積し、それを前線拠点のここへ送るのは容易だからな」
秦は領土が縦長の国であり、戦国七雄との国境は、北端は趙、北部は魏、中心部である関中は韓、南部は楚と面していた。俗に東周と呼ばれる国は韓と魏の間にあったため、秦が洛陽へ兵を向けるのならば、この新城は最適の城であった。