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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第三十話 函谷関の戦い 一
 孟嘗君が組織した合従軍を率いる趙将匡章は、函谷関まで迫った。
 秦王は朝廷の主導権争いに勝つため、魏冄の息がかかっていない新米の将軍に主力軍を任せ、自らが総帥として敵を迎え撃つ。
 函谷関 内 秦軍

 斉、韓、魏による合従軍が秦の国門である函谷関に迫ったとき、秦王は函谷関の内側で軍を整列させ、迎え撃つ準備を固めていた。ここまでいくつかの城を奪われ、秦は函谷関以東の領地を放棄し、反撃の機会を伺っていたのである。
「余が総帥となって正解であった。敵がかように少数ならば、余でも討てる。副将として左翼に布陣した司馬昌に期待している。大将軍の嫡子(ちゃくし)として、この戦に貢献してくれるであろう」
「報告! 敵数約二万、我が軍の四分の一にございます!」
「よろしい。函谷関の外にて布陣は済んでいる。戦は今日、始まる……! 余の号令を待て!」


 函谷関 外 合従軍

 合従軍総帥の斉将、匡章(きょうしょう)は、函谷関に広がる王旗を見て、意図せず鼻で笑ってしまった。
「あの若き王は、有能な将軍をさておき、己が軍を率いておるぞ……! 国門を素人に守らせるとは、秦の本質はやはり猿にも劣る蛮族なのか」
 趙将の匡章(きょうしょう)同様に馬上で甲冑を身につけた大勢の兵士らが、笑いだした。
「この私は、恐れ多くも薛公殿より此度の戦の総帥に任じられた。すなわちそれは、過去の戦にて功を立て、数多いる各国の名将を束ねうると判断されたということだ」
 副官は笑いが収まったあと、いった。
「匡章様と渡り合えるのは、今は亡き樗里子贏疾(ちょりしえいしつ)右丞相のみ。この戦、抜かりなく戦えば、秦を討てます……!」
「各々、抜かるな。此度の戦は、並の戦ではないぞ」 


 函谷関 外 秦軍

 陣太鼓が鳴り響いた。主力の中央軍を率いる司馬昌は、左翼の任鄙、右翼の羋戎に指示を出し、騎馬兵を出した。騎馬兵はここ数十年で世界全域へ広まり、その高い機動力は戦局を変える主戦力となっていた。
 騎馬兵主力部隊を率いる羋戎軍は高い練度で、相対する敵左翼の韓将、暴鳶(ぼうえん)の厚い壁を破り、匡章の本陣をめがけ突撃した。
 最も厚い壁同士であった中央軍は、未だに戦力が拮抗していた。中央の敵を右側から挟み撃ちにするのではなく、直接本陣を狙いに行った羋戎に、秦王は怒りを顕にした。
「余が任じた主将の司馬昌をも出し抜くとは……どこまで強欲なのだ貴様! どこまで余を軽んじる!」
「報告! 主力軍が押されております! 左翼の任鄙軍から戦車部隊、弓兵部隊、一部歩兵部隊が援護に入っています。騎馬兵部隊や一部歩兵が敵本陣へ向かい、右翼と合わせ敵本陣を挟み撃ちにする模様!」
「流石は勇将、任鄙将軍だ。判断が適切だな!」

 任鄙軍歩兵部隊の百将となっていた公孫起は、歩兵部隊二千の内の約百名を率いていた。彼は歩兵部隊の一員として、騎馬兵部隊二千を率いている将軍、公孫奭(こうそんせき)の指示で、騎馬兵部隊と連動して敵を包囲していた。
「軍の部隊編成とは臨機応変に動くものなのだな。通常は一部隊の頭でしかないが、このように軍勢が別れれば、最も階級が高く経験が多い将軍が、事実上の指揮官となる。このように瞬時に判断し適切な指示を出す。それこそが人の上に立つ将たる者の資質であり、武勇よりも優先される才覚だ……!」
 公孫起は公孫奭の働きに将としての器を感じていた。そして、放たれる矢が甲冑に刺さり傷を負いながらも、旗を掲げさせ味方を鼓舞しながら、包囲を作るため敵を斬り、部下に指示を出しつづけた。
 徐々に、魏将の公孫犀武(こうそんさいぶ)率いる敵主力が包囲の中で、圧縮される力に耐えられず崩壊。主力の司馬昌軍の兵士の顔が認識できるくらいに、包囲の枠が狭まった。
 公孫奭が「敵主力を破れ!」と檄を飛ばすと、遠くの司馬昌の配下も歓声をあげ、敵を斬り、応える。
「敵を殺せぇぇ!」
 叫ぶ兵士の顔が見えた。その尖った目と大きな体には見覚えがあった。それは巴蜀で会った剛腕の男、驁(ごう)だった。彼の側の兵士は屯長の旗を翻らせていた。驁は前線で戟を振りまわし、敵を投げ倒していた。
 邂逅(かいこう)に喜ぶ公孫起だったが、その顔に笑みはなかった。誰よりも先に、緊急事態を察知したからである。
「匡章の旗が……函谷関の前に……。あの本陣は囮か……!」
匡章(生没年不詳)……戦国時代の斉の武将。匡子、章子、田章とも呼ばれる。三代の斉王に仕えた。

暴鳶(生没年不詳)……戦国時代の韓に仕えた将軍。
韓軍を率い、合従軍として垂沙の戦いに参戦した。

公孫犀武(生没年不詳)……戦国時代の魏の将軍。姓は姫、氏は公孫。別名公孫喜。
魏軍を率い、合従軍として垂沙の戦いに参戦した。

公孫奭(生没年不詳)……戦国時代の秦の政治家。武王、昭襄王の二代に仕えた。
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