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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第十六話 命を育む水
 公孫起は鬱憤を晴らすため、屋敷の近くにある畑にいった。そこで鍬を振りながら、農民と他愛のない話をしていた。
 公孫起は街を出て、近くの畑へ来ていた。公孫の家に養子として入る前は、農民として、土いじりをしていた。太陽の下で汗をかきながら鍬(くわ)を振っていると、少しは憂鬱な気も晴れた。
「公孫の旦那、少し茶にしましょうや」
「ようやく体が温まってきたので、もう少し作業をしたい。どうもありがとう」
「働き者だなぁ。あんたみたいな、仕事にやる気のある人がいつもいてくれたら、嬉しいんだがねぇ」
 それでは私の役目がなくなる、と公孫起は少し笑いながらいった。
 公孫起は、義両親が店に出すための野菜を、彼らから買っていた。農民との繋がりを伝って、彼は憂さ晴らしをしていた。
 日が落ちるまで鍬を振るい、その日はお開きということになった。
「ここの野菜で作った羹(あつもの)と、酒です」
「ありがとうございます。ここの野菜は新鮮で、美味い。虫がたくさんかじっているものも多いが、それだけ美味いということなのでしょうな」
「お目が高い。普通は傷のないものを買っていく人が多いが、公孫の旦那はよいものを見極め、買っていかれる。どおりで、あらゆる地で公孫という方の名が轟く訳です」
 公孫起は謙遜するように、微笑みながら、酒を呑んだ。
「農民なのに、他の地の話を聞くことがあるのですか」
「えぇ、この水路は渭水(いすい)に続きます。渭水は、東に
鎬京(こうけい)があり、西には雍城があります。更に西へ行けば、異民族の地が広がっておりますが、商人はそんな所を通って、ものを売り買いしています。それによって色んなもの、話が、この川を通ってこんな畑にまで流れてくるのです。そういう意味でも、水は多くの恵を与えてくれます。水は命の源ですよ」
 雍城はおろか、白家村でさえも、水が豊富にあった。しかし旱魃(かんばつ)は多くの人の命を奪うと、彼は知っている。分かってはいるが、実感はない。ゆえに、手のひらにある酒を見た。少し振ったら、チャポンっと音を立てた。この手のひらに収まる水が人の生き死にに直結するとは、あまり思えなかった。
「ここに実る作物も、この水を飲み成長しています。火のように、いつかはこの水が、戦で多くの人を殺すのでしょうか」
「なぜそう思うのです? 人は治水や灌漑(かんがい)をして川を制御することはできますが、逆に洪水や氾濫のような、天の怒りを御することは叶いません。つまり水の扱いには、限りがあるのです。戦に水を用いるなどとは、とても思えません」
「なんとなく、思っただけです。洪水や氾濫のような水害を行う神のような人が現れれば……。いや、なんでもありません。ひがな一日畑を耕すしかすることのない我々のような農民は、そんな突拍子もないことを考えてしまうのです」
 そういって、農民は恥ずかしさを笑いとばし、酒を呷った。
渭水……黄河の支流の一つで、全長818kmある河川。
陝西省咸陽市の南、西安市の北を流れて黄河中流の潼関で合流。流域の盆地は肥沃な土地であり、関中と呼ばれる。
古代から中世にかけて、中華文明において文化的、経済的に重要な役割を果たした。
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