残酷な描写あり
希望たる呪い
「ヲヲ……ヲヲヲヲヲ!!!」
欠けた部位からは新芽が芽吹き再生し、あるいは伸びた蔦が一帯に散らばる己の残骸を引き寄せ結合し、まるで時が巻き戻るかのように修復していく。
「まったく、面倒ね」
「あれだけの手傷を与えていたというのに、しばらく黙らすこともできないか」
霧を吸い、喰らい、化け物の身体はみるみるうちに再生されていく。目の前で得体の知れない化け物に起きる超常現象に、スクートは十字剣を構え細心の注意を払う。
だがその警戒は、却ってスクートの油断を誘うことになってしまう。スクートはすぐ足元の土が、ほんの僅か盛り上がったことに気付くことができなかったのだ。
「――――ぐっ!?」
至近距離で弩に撃ち抜かれたかのような衝撃がスクートを襲う。何事かと視線を下げてみれば腹に二本、胸と肩に一本ずつの根が深々と突き刺さっていた。
「再生中でも仕掛けてこれるのか……!」
黒血を吐きながら目を見開きスクートは驚愕した。
「スクート!? しっかりして!」
「この程度、おれにとってはかすり傷のようなものだ。そんなことより、見ろリーシュ……化け物の左腕を! 気をつけろ、何か仕掛けてくるぞ!」
霧を喰らい再生し続ける化け物の左腕が、元の倍はあろうかという大きさまで肥大化していた。腕はより厚く長く、指は死神の鎌を彷彿させるほどに鋭利な凶器へと変貌していた。
「ヲヲヲヲヲヲッッ――――!!!」
まだ再生半ばの身体で、霧喰らいは無理やり飛び跳ねリーシュへと襲い掛かる。巨大化した腕は、空中にいるリーシュさえも捉えるほどに大きくなっていた。
「そんな大振りがわたしに当るわけがない」
振り下ろされる指鎌のすり抜け、魔法で反撃しようとしたその瞬間であった。霧喰らいが咆哮すると、化け物の頭上の枝がまるで網のごとく伸び広がった。
「リーシュ!」
血を吐きながらスクートは叫ぶ。密集した鋭利な枝が花開くようにどんどん広がっていく。リーシュの機動力であっても、絶対に避けようがないほどの圧倒的な面制圧。
物理的に躱すのは不可能なほどの密度、だが白肌の魔女は眼前に死が迫ってきているにも関わらず、その顔に焦りの二文字はない。
リーシュの左手が紺碧の光を放ち、次の瞬間に彼女の姿は碧い残光を残し消え去っていた。僅かに遅れて枝の槍衾が空をきる。
そして彼のすぐ近くの空間より、紺碧を纏いながらリーシュは現れる。
「氷岩よ、押しつぶせ!」
霧喰らいの頭上に巨大な氷の塊が形成され、リーシュの命と共に重力に身を任せ落下していく。予期せぬ方向からの圧倒的な質量をもろに受け、怪物はなにが起こったのかもわからずに地面へと突っ伏した。
「器用なものだ、まさか移動ではなく回避に使うとは。強大な化け物と戦ったことなどないはずだが……恐ろしいほどに冷静だ」
スクートは呟きながら身体に刺さった根を切り払い、顔色ひとつ変えずに抜いていく。
戦いの経験などほとんどないであろうリーシュ、しかし彼女は一瞬の迷いにすら囚われることなく精錬された戦いを見せる。まさしく神がかった戦いぶりは、まるで人智を超えた何かが干渉しているとさえ感じてしまうほどであった。
「うん? 妙な音が聞こえるわね」
死闘の末、あたりに立ち込める霧も薄まってきたころ。不意にリーシュの耳に異音が飛び込んできた。
「見ろ、リーシュ……樹が霧を出しながら枯れていく」
水がゆっくりと蒸発していくような不可解な音を立てながら、周りに生えている樹々は霧を放出し、そして枯れ朽ちて倒れていく。
霧は氷塊に押しつぶされた霧喰らいの方へと吸い寄せられ、怪物はそれを喰らう。さらにどこからともなく生きた樹が、蠢く大地によって視界の奥より押し寄せる。
「ヲヲヲ!」
やがて砕けた氷を強引に掻き分け、咆哮と共に霧喰らいが姿を見せた。
「ドラゴンよりもよほど厄介な奴だ。これが本物の不死、というわけか」
さすがのスクートも苦々しい表情を隠せなかった。
「……このまま戦い続ければ、残念だけど勝機は皆無ね。だけどこれまでの戦いは無駄ではなかった。見つけたわ、霧喰らいの弱点を」
「なに?」
リーシュの目が見通すかのように細くなる。
際限なく再生を続ける霧喰らい。だが明らかに再生が鈍化している部位があった。
「よく見てスクート、あなたが斬った根と右腕の再生が遅い」
霧喰らいの上半身が急速に再生していくなか、前にスクートが斬った根と右腕の断面から伸びる新芽はようやく元の半分まで育ってきている程度であった。
「言われてみれば、たしかにそうかもしれない」
「無を有に変えることは、古代の秘術を持っても不可能。あれほどの再生能力を白霧で賄っていると仮定したら……」
リーシュの脳内にて、常人の何十倍もの速さで思考が加速していく。
そして、リーシュはひとつの答えをはじき出す。
「霧を放出し樹が枯れたとなれば、霧は変換された生命の力そのもの。だから生命を喰らう黒血が、奴の再生を阻害している……そう考えるべきね」
霧喰らいの力は、あきれるほど強力なものであった。巨大な森ひとつの命、それが霧喰らいの命と同義ということなのだから。
「つまり、奴を削り殺すのは無理ということだな」
「ええ。でも状況は好転したわ。スクート……あなたの血が、未来を拓く鍵となる」
スクートは深く頷くと、十字剣の根本を掴み、鞘を走らせるかのように引き抜いた。
真っ黒な泥のような血が、漆黒の十字剣をどろりと覆う。その出で立ちは、剣に封じられた呪いが湧き出しているかと思わせるほどに、おぞましい。
「数奇な因果だな、他者を蝕む呪いが、このように役に立つなんて」
「物は使いようよ、スクート。さあ、あれを黙らせて……わたし達の家に帰りましょう」
「ああ。さっさと終わらせよう」
黒血を纏った十字剣で、霧喰らいが再生できなくなるまで斬り刻む。容易ではないが、白霧を使いきらせる方法よりはずっとましだ。
そしてもう一度やり直す……人としての生を。
今度はありのままの自分で、リーシュと共に。
決意をあらたに、スクートとリーシュは霧喰らいに引導を渡そうと構える。
「ホー、ホー」
だがまるで水を差すかのように、どこからともなく梟の鳴き声が響き渡る。
「……なんだ、この鳴き声は。間の悪いことだ」
「まあ、それは否定しないわ。でも、スクート。この戦い……勝ったわよ」
「なに?」
「思わぬ援軍が来たわ」
「援軍?」
言葉の意味を図りかねて、スクートは懐疑的な視線をリーシュに送る。彼女に上を見るように促され空を仰ぐと、二羽のふくろうが鳴きながら円を描くかのように飛び回っていた。
「まさか惑いの森でわたし達の場所を特定できるなんて。さすがはわたしが唯一認めている魔女ね」
感心したようにリーシュが呟いたそのとき。ふくろう達が散開したかと思うと、霧しか見えぬ空より燃え盛るいくつもの火球が霧喰らいに向かって降り注ぐ。
「ヲヲヲ――――!?」
着弾と同時に爆発した火球は無数の火の粉を飛ばし、霧喰らいの身体の節々に引火し燃え広がっていく。痛みも恐れも知らぬはずの化け物であるが、燃やされることを拒むかのようにあたふたともがき出す。
「よっと!」
スクートとリーシュの前に、ひとりの男が掛け声と共に降ってきた。まるで羽が地面に落ちるかのように軽やかに着地すると、男は右手に小剣を、左手に鞘を持ち霧喰らいに向かって悠然と構える。
「お前は……!」
その姿をスクートは忘れもしない。このミスティアという狭い世界に身をおきながら、自身と並び立つほどの実力を持つ剣士、ベルングロッサのフレドーを。
「また会えて嬉しいぞ、スクート! まさか一緒に戦う日が来るなんてな、しかもその相手が霧喰らいとは心が踊るなぁ!!」
「何を前にしているのかわかっているのかお前は!? とても正気とは思えん……」
霧喰らいほどの化け物を前に、恐れを抱くどころかフレドーは笑っていた。戦いを心の底から楽しむような、狂気が入り混じった笑顔だった。
「まったく、兄さんったら。待ちきれずにあんな高所から飛び降りるなんて」
ため息を吐きながら箒にまたがりゆるやかに降りてきたのは、フレドーの妹であるナタリアであった。
「リーシュ。やっぱり貴方はむちゃくちゃ。意味がわからない、なんで霧喰らいと戦うことになったの? しかもその男と一緒に。死にたがりなの?」
目を細めまるで説教のような口調でナタリアはリーシュに詰め寄る。有無を言わせぬ物言いであるが、しかしその程度でリーシュが尻込みするわけがなかった。
「これには谷よりも深い理由があるのよ、ナタリア。詳しいことは後で話すから、まずはあれを倒さないと」
「霧喰らいは不死、倒すことなんてできない。誰かを囮にして逃げるべき。どれほど偉大な強力な魔法使いでも、あの化け物を打ち倒すことはできなかった」
リーシュは無邪気に含み笑う。
「であれば、今日この日。伝説を創りましょう。この四人で、このわたし達で」
リーシュの宣言に、フレドーは声をあげて笑い、ナタリアは目頭を抑え頭を横に振る。
「ずいぶんと賑やかになったものだ」
そしてスクートは、その伝説の成就はまもなく訪れると信じてやまなかった。十字剣を上段に構え、フレドーの真横に並び立つ。
「いい目になったな。恐れを知らない戦士の目だ。少し前までは、死んだ魚のような目をしていたというのに」
「……リーシュが生きる意味を教えてくれた。おれはいま、おれの意志でここに立っている」
「ふっ、そうか。事が済んだら酒を飲み交わそう。お前とは良い友になれそうだ」
「ああ」
クロスフォードの主従と、ベルングロッサの兄妹。ミスティア最強の四人は、死を知らぬ怪物を討ち倒さんと戦いの火蓋を落とす――――。