残酷な描写あり
聖騎士
状況は絶望的であった。
災厄が訪れ、たったの半刻。もうすでに街は壊滅していた。
「……安らかに、眠れ」
炎に囲まれ逃げ場を失った聖騎士が、最後の足掻きでドラゴンに御術を放つも、傷一つ負わすことなく死んだ。
その様子を塔の上から見ていた聖騎士が、祈るように呟く。
これで街に在留していた五人の聖騎士のうち、四人がすでに斃れた。
残る聖騎士は、迎撃塔にて僅かな手勢を率いる彼のみであった。
ドラゴンは人智を超えた存在だ。無策であれば数千、あるいは万を超える軍隊でも敵わない。
縦横無尽に空を駆け巡り、一方的に凄まじい威力の息を吐かれ続けては勝負にすらならないのだ。
戦うにしても、まずはドラゴンの飛行能力を削ぎ、地上へと引きずり落とす必要がある。
しかし、その上で死力を尽くしてなおドラゴンは人の身にはあまる大敵だ。
吐息、大顎、爪、尻尾……小さな山ほどもある巨大な身体。放たれる攻撃は、その全てが一撃必殺。
たとえ大地の上であっても常人であれば命がいくらあっても足りない。
さらに生物の常識を超越したドラゴンは、脳と心臓を破壊されない限り絶命することはない。そしてその黒い竜血は、あらゆる生命を犯す毒となる。
ここまで強大だと、ただの兵や騎士などでは頭数にすらならない。
ゆえに、正教国ジアティールでは聖騎士と呼ばれる竜狩りの戦士たちがいる。
神への祈りによって放たれる御術は、強力なものであればドラゴンの鱗でさえ貫く。
さらに聖騎士は誰もが武の達人だ。御術がなくとも兵士数十人に匹敵する実力を併せ持つ。
この世に生を受けると共に神の教えを叩き込まれ、徹底的に鍛え抜かれ育った正教国の最精鋭。
そんな聖騎士が何人も集うことで、ようやくドラゴンと対等に戦うことができるのだ。
……しかし今回は勝手が違った。
先に逝った聖騎士たちは決して弱かったわけではない。
ドラゴンが強大すぎたのだ。本来であれば、ひとつの聖騎士団が総出で臨まざるを得ないほどに。
単体で街を滅ぼすほどのドラゴンを前に、たかだか五人の聖騎士では文字通りの焼け石に水である。
だがそれでも。残された聖騎士に逃げるという選択肢はなかった。街にはまだ生き残っている者たちがいる。
弱き者の盾が、どうして命惜しさに彼らを見捨てて我先に逃げ出せようか。
一秒でも多く時間を稼ぎ、ひとりでも多くの民を逃がす。罪なき民のためにその身を捧ぐ覚悟は、エストリア家の家訓でもあり男の矜持でもあった。
「マルグ様。四門すべての大弩の準備が整いました、いつでもご指示を」
「……そうか」
兵士長の報告に、マルグと呼ばれた聖騎士はゆっくりと頷いた。
「すまないな、お前たちを助けてやれなくて。挙句の果てにドラゴンとの戦いに巻き込んでしまうとは」
「何をおっしゃいますか、マルグ様。あなたが逃げずに戦うならば、我々も故郷を見捨てて逃げたりはできません。ここに集まった兵はたった十人なれど、みな死ぬ覚悟はできております」
元々この街には二百名ほどの兵士が詰めていた。だがその大半はドラゴンになすすべもなく焼き殺されるか、恐怖に駆られ逃げ出してしまった。
マルグに逃げた兵を咎める気は毛頭なかった。むしろ残って死兵となり戦おうとするほうが稀なのだ。
ひとりひとりが圧倒的な強者である聖騎士であっても、ドラゴンは恐ろしい相手だ。
ならば常人が抱くドラゴンへの恐怖はいったいどれほどか、想像するに難しくない。
その恐怖に抗い、常人の身でありながらドラゴンに相対する彼らの覚悟は、紛うことなき本物だ。
だからこそ、聖騎士は嘆いた。彼らの強き覚悟とは裏腹に、なんと自分は弱いのかと。
「おれに力があれば。聖騎士ならば誰もが使える、御術が使えれば。あのドラゴンを一撃で地上に落とすほどの、御術が使えれば……!」
彼らが死を覚悟することも、この街が炎に沈むこともなかったのに。
自身への怒りとなにもできない無力さに打ちひしがれ、自然と十字剣を持つ手に力がこもっていく。
マルグは生まれて一度も御術を使えたことはない。
だがそれでも聖騎士になれたのは、武の達人ぞろいである聖騎士のなかでも群を抜いて剣の腕がずばぬけていたからだ。
「マルグ様、自分を責めるのはおやめ下さい。どれほどの聖騎士だとしても、あのドラゴンをたったひとりで討てる者などいるとは思えません」
「勝てないとわかって、まだ共に戦ってくれるのか」
「我らとて民の盾です、マルグ様。何も守れず朽ちていくより、役目を果たして壊れるほうがよっぽど有意義だというもの」
兵士長は覗き込むようにスクートの眼を見据える。
「それにあなたの目は、まだ諦めているようには見えません。ならば、我々は僅かでも希望をもって神の元へ逝けます。さあ、マルグ様。あまり時間はありませぬ、ご命令を」
「……最善は尽くす」
せめて地上にさえ落とせれば。この剣が届きさえすれば、僅かに勝機を見出せるかもしれない。
そしてなによりも。死を覚悟して共に戦う兵たちを、絶望させて死なせるわけにはいかない。
勝機が万が一にも満たない戦いであっても、希望を抱かせて逝かせなければ。それがたとえ淡いものであったとしても。
マルグは十字剣を掲げ、これ以上にないほど息を吸い溜める。
「戦鐘を鳴らせ!」
そして腹に溜めた空気を、爆発するかのような気勢として吐き出し命令を下した。