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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
明智の手紙、後半部
 私が徳川家を滅ぼす企てを知らされたのは、武田攻めの前後でした。上様から直接聞かされたとき、このお方には信義もなければ、仁義もないと改めて思いました。織田家の忠実な家臣である徳川家を滅ぼすなど、どう考えても畜生にも劣る行ないだと感じました。あれだけ織田家に尽くし、自身の嫡男を殺してでも忠義を貫いた徳川家を葬るとは……背筋が凍る想いでした。

 どうして上様は徳川家を滅ぼそうと考えたのでしょうか? 武田家を滅ぼせば障壁役であり緩衝地域を治めていた彼らが用済みになるから? 父祖以来争っていたことを思い出し、その恨みを晴らすため? それとも信忠さまの直轄地である尾張と財源である津島の領土が近いからでしょうか? 私が理由を訊ねても上様は何も語ってくださらなかったので想像するしかありませんでした。

 しかし最も恐ろしいのは、織田家に尽くしてもこうして滅ぼされてしまうことでした。唐入りのような大事だけではなく、上様の指先一つで簡単に家が滅ぼされてしまう……これでは十五郎が生き残れるとは思えません。親の贔屓目もありますが、十五郎は優秀な跡継ぎですが、気まぐれでこのようなことを行なう上様とは上手くやっていけないと思いました。いえ、優秀ゆえに滅ぼされてしまうのかもしれません。

 だけど私はこれを利用することを思いつきました。人間は自分の策が上手くいっているときに自身が仕掛けられているとは思いませんから、罠にかけることは容易いと判断しました。私は徳川家に全てを話しました。やはりと言うべきか、家康殿は動揺しました。上様にとりなしてほしいと私に願いました。それを断り、私は家康殿に策を授けました。初めは拒絶した家康殿ですが、懇々と説くに連れて協力を約束してくださりました。

 家康殿に上様は武田を滅ぼした後、徳川家の領内を通るはずだから、銭を惜しむことなく整備するようにと言いました。また上様が鷹狩りをするはずだから、快く応じるようにとも言いました。無論、鷹狩りは地形偵察を行なうためのものですので、そんなことをしたら徳川家に攻め込ませやすくなるだろうと文句を言われましたが、それが私の狙いでもありました。

 上様には直前まで私が徳川家を攻めると誤解してもらいたかったのです。そうすれば上様の油断も誘えます。それに徳川家の重臣も安土や京に誘いやすくなるでしょう。上様の計画は、徳川家康殿とその重臣を一網打尽にして殺害し、その軍勢で三河を攻めて一気に徳川家を滅ぼすものでした。もしも家康殿や重臣を殺せば指揮系統が滅茶苦茶となり、残された徳川家は統制を取れずに滅ぼされてしまうでしょう。

 それを私は逆手に取るつもりです。上様は京の本能寺か妙覚寺に少ない軍勢で泊まるでしょう。もしかしたら小姓や侍女だけかもしれません。そう言いきれるのは、上様が徳川家の油断を誘うために仕組むと予想できるからです。現に安土で饗応役を解かれたときに、密談で言われました。その際、怒られる芝居も打ちましたが、それはどうでもいいことです。

 さて。ここまで密に計画を進めていましたが、一人だけ気づいた者が居りました。松永久通です。彼は単身、丹波亀山城に来て私に謀叛する気だろうと言ってきたのです。もはやこれまでと覚悟を決めましたが、なんと久通は協力すると言ってきたのです。何でも数日前に亡くなった父を超えたいと戯言を言っていましたが、少しでも戦力が欲しいところだったのでやむなく認めました。

 ちなみに気づいた理由は、大和国にも軍を発していたからです。中国攻めをしている羽柴殿の援軍という名目だったのですが、流石に梟雄の子、何かを察知したようです。いずれ彼も滅ぼさなければいけないなと心の奥底で思いました。ああ、何とも恐ろしい。上様と同じく、味方を誅殺することを考えるとは……私の性根は腐っているようです。恥ずべきことでした。

 信忠さまのことは徳川家に任せるつもりです。家康殿の饗応役に任されているようですし、私が変事を起こした頃合に殺すつもりらしいです。よっぽどのことがなければ、信忠さまは家康殿の手で殺されることでしょう。それに家康殿はどさくさに紛れて下った穴山殿を殺して甲斐の権益を奪う計画を企てているようですし。まったく、戦国乱世は欺瞞ばかりですね。

 家康殿に東を守っていただき、私は西を防ぐつもりです。それに丹後国の長岡殿も変事の後で書状を送り、加勢してもらうつもりです。縁戚で組下である彼らが協力してくれるのは火を見るより明らかです。事前に知らせる必要もないでしょう。それに大坂に居る娘婿の信澄殿もいずれ協力してくれるでしょう。書状を渡せないのはとても残念ですが、ばれてしまう可能性を考慮しておきます。

 気がかりなのは摂津衆と三男の信孝さまとそれに従っている丹羽殿ですが、なんてことはありません。大和国の松永久通殿――信用なりませんが――が加勢すれば兵力は互角です。それに信孝さまは戦上手とは言えませんしね。丹羽殿も私が指揮すれば倒せるでしょう。何の問題も無く、私は落ち着いて朝廷を掌握し、大義名分を得られるはずです。そもそも度胸もない彼らに兵を動かせるとは思えません。

 しかしながら想定外のことが起こるのも考えなければいけません。だからこそ、私はこの書状をあなたに書いております――雨竜殿。私が言えた義理ではないし、私が頼める立場にないことは重々承知しておりますが、私はあなたを家臣に引き入れたいのです。あなたと共に太平の世を創っていきたいと願っております。これは私の企てが上手くいったときのことです。

 でももし失敗して、私がこの世に居なければ――おこがましいですけど後のことを託したいと思っております。誰もが笑って、誰もが安心して生きられる太平の世を築いてほしいのです。そのために生きてほしいと勝手に思っています。本当に馬鹿なことを言っていると重々分かっております。私が死ねば一族郎党皆殺しに遭うことは想定しておりますので、家族のことは言いません。

 私が望むのは、上様を討って明智家が生き残ることです。そして次に思うのは、海外を攻めることのなく繁栄し続ける日の本なのです。雨竜殿は私を憎むでしょう。恨みもするでしょう。しかし、それでも私について来てほしいのです。

 最後になりますが、この書状は信用できる者に預けるつもりです。おそらく森乱丸殿か、小姓の誰かになると思います。もしも私の生き残った家臣であれば、どうか殺さずに見逃してください。今度、茶を点てますので、飲んでいただきたい。それでは。

明智日向守光秀

雨竜雲之介秀昭殿へ
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