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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
滅び行く者たち
 突如戦場に現れた僕たちを摂津衆は不思議そうに見た。彼らとはあまり関わっていなかったから当然と言えば当然だ。しかし顔見知りの池田恒興さまが「あれは味方だ!」と周りを宥めたので攻撃はされなかった。

「おお! 雲之介! お前死んだと聞いていたが、無事だったのか!」

 池田さま自らこちらにやってきて、僕を歓迎してくれた。
 僕は「なんとか生き残れました」と応じた。

「それにしても、こんなに軍勢を連れて……妖術でも使ったのか?」
「あはは。ご冗談を。ただ運が巡っただけです」
「そ、そうか……羽柴殿がお前を犠牲にして戻ってきたと泣いていたぞ」

 秀吉が? それは一体――

「まるで見る者全て同情するような泣きっぷりだった。あれで心を動かされた者も大勢居る」
「そうだったんですか……その秀吉は?」

 池田さまは「信孝さまや丹羽さまと共に本陣に居る」と答えた。

「早く行ってやれ。後の追撃は摂津衆に任せろ」

 僕は言葉に甘えて、本陣へと向かう。
 隅立雷の旗を携えた兵に囲まれながら、堂々と。

 本陣の手前に着くと「雲之介!」と陣から秀吉が出てきた。顔中が涙で覆われていて、不恰好な走り方で、何度も転びながらこちらに駆け寄ってくる。

「秀吉! 無事だったか!?」

 僕は馬から降りて、同じく走り出す。
 本当に無事で良かった!

「雲之介! おぬしが生きておると知って嬉しいぞ!」

 再会した秀吉は僕の手を握った。とても強い。

「いたた……そんなに強く握るなよ!」
「良いではないか! おぬし……本当におぬしはようやった!」

 秀吉は顔を猿のようにくしゃくしゃにして泣き続けた。
 なんだか申し訳なくなる……

「兄弟! やっぱり生きていたか! そうだよな、あんなところで死ぬはずないよな!」

 大声が聞こえる。秀吉の後ろで正勝が大きく手を振っている。
 その隣には秀長殿、長政、そして官兵衛が居る。

「皆も無事だったのか……!」
「ああ。おぬしが刻を稼いでくれたおかげよ!」

 秀吉は改まって言う。

「おぬしには返せないほどの借りができた」
「そ、そんなこと言うなよ。家臣だから当然だろ?」
「おぬしを必ず、大名にしてやる」

 秀吉はいつもの日輪のような笑みを見せた。

「まずは明智を討つ。そして空白地帯となった領地をおぬしにやる」
「…………」
「空手形になってしまうが、必ず実現する」

 僕は「まったく、勝手なことを言う」と溜息を吐く。

「出自の分からない僕が大名? 凄い話だよ」
「百姓の出のわしが大名なのだ。誰にも文句は言わせん」

 秀吉は「さあ。来い」と手招きした。

「おぬしの仲間の元に行こう。元気な姿を見せるのだ。それと今までの経緯を聞かせてもらおう」
 
 
◆◇◆◇
 
 
 僕は本陣で信孝さまと初めて出会った。亡くなった信忠さまからは話を聞いていたが、上様に良く似た方だった。瓜二つとは言わないが、上様の若い頃を思い出す。

「雨竜殿。良くやってくれた。大義である」

 それしか言葉をかけてくれなかった。まあ忙しいから仕方ないだろう。
 それに僕は信孝さまとあまり会話したくなかった。聞くところによると丹羽さまと協力して津田信澄さまを討ったらしい。行雲さまが聞けば悲しむだろう。僕自身悲しかった。あんな優秀な人を討つなんて……

 僕は秀吉と共に明智が篭もっている勝龍寺城を攻めた。官兵衛の作戦で囲師必闕の策が取られた。前に播磨国の福原城を攻めたときに用いた策だ。どんどん兵が脱走していく。
 おそらく夜陰に乗じて逃げるんだろうなと思った。逃げるとしたら近江国の坂本城だ。

「父さま。生きて居られましたか」

 秀晴と再会したのは夜のことだった。まさに望外とも言える状況だった秀晴はいろんな感情を飲み込んで「ご無事で何よりです」と言った。

「しかし、どうやってあの状況を……」
「そうだな。羽柴家の皆に話すから一緒に来なさい」

 僕は秀晴を連れて羽柴家の本陣に入った。
 皆、僕の無事を祝ってくれた。三成が珍しく大泣きしたので清正もつられて泣いた。
 僕が絶体絶命のとき、雑賀衆と九鬼水軍に助けてもらったと話すと秀吉は「ううむ。なんと運が良いものだ……!」と唸った。

「ふひひひ。運が良いだけじゃねえ。今までのことが積み重なった結果がこれなんだ」
「そうだな。雲之介の人徳が成せたことだ」

 官兵衛と長政が真面目に言うものだから「なんか照れるな」と笑った。

「秀吉。これは僕の我が侭なんだけど」
「うん? なんだ?」
「この戦が終わったら毛利家を攻めると思うけど、出雲国を接収したら、尼子勝久殿に授けて大名にしてほしいんだ」

 秀長殿が「それはとんでもない我が侭だな」と正直に言った。

「それは山中殿に対する恩義のためかい?」
「そうです。そうでないと彼は浮かばれない」

 秀吉はしばらく悩んで「まあいいだろう」と最後には頷いてくれた。

「出雲国になるかどうかは分からんが、尼子家を再興させることは約束しよう」
「ありがとう」
「おぬしの頼みだからな。聞かぬわけにはいかぬ」

 笑い合う僕たち。本陣の外が騒がしくなったことには気づかなかった。

「ご報告します!」

 外から伝令の大きな声がする。

「何があった?」
「明智光秀並びに重臣たちが勝龍寺城を捨て、坂本城に向かった模様です!」

 さっと秀吉は立ち上がった。

「皆の者、各々の兵を率いて明智を探せ。そして必ず討つのだ」

 僕らは頷いた。
 ようやく決着となるのか。
 
 
◆◇◆◇
 
 
 結果として、僕たちは明智を討つことができなかった。
 いや、素直な言い方をすれば先を越されてしまったんだ。

小栗栖おぐるす村の長兵衛なるものが、明智光秀の首級を挙げました」

 静かに入った報告。
 最期は落ち武者狩りで、討たれるなんて。
 天下を騒がせた謀叛人としては呆気なさ過ぎる……

「そうか……」

 秀吉はそれだけしか言わなかった。
 明智とは織田家重臣として競い合い、時には協力した仲だったから、何とも言えない複雑な思いがあるのだろう。

 秀吉は捕らえた明智家家臣、斎藤利三と松永家当主の松永久通と会うと言い出した。僕はそれに付き合うことにした。
 縄で縛られた二人だったけど、堂々と僕たちを見据えていた。
 斎藤は眼光鋭い男で、実直な人柄が窺える。
 久通は松永久秀に似ていて、油断ならない感じがした。

「どうして謀叛を起こしたのか、聞かせてもらおう」

 秀吉の言葉に二人とも答えない。
 多分、拷問されようが、答えることはないだろう。

「斎藤殿。一つだけ聞かせてくれ」

 秀吉は柔らかな表情で言う。

「明智は……明智殿は、後悔はなかったのか?」

 少しだけ斎藤は反応した。

「上様には自身を取り立ててくれた恩義があったはずだ。同じくらい恐怖もあったのは間違いないだろうが、それでも謀叛を起こして、後悔はなかったのか?」

 別に責めている口調ではなかった。
 ただ虚しい気持ちがありありと出ていた。

「人間、恩義がどうでも良くなる瞬間はあるだろう。しかし謀叛を起こして、後悔はしたはずだ。そうでないと、明智殿は、畜生に劣る――」
「……ああ。殿は後悔していた」

 斎藤が口を開いた。

「謀叛を起こすことで太平の世が遠ざかることを危惧していた。己では上様を超えることができぬとも思っていた。後悔がないわけがない」
「では何故――」
「言えぬ。それだけは口が裂けても言えぬ」

 斎藤の言葉に秀吉は頷いた。

「そうか。すまないな」

 そして今度は久通に訊ねる。

「稀代の梟雄、松永久秀もこれでおしまいだな。何か言うことはないか?」
「……おしまいだと? 笑わせる」

 久通は僕たちを嘲笑うように言う。

「父上は謀叛が始まる二週間前に亡くなった」
「……なんだと?」
「今回、謀叛に加担したのは、俺の判断よ」

 久通は笑いながら言う。

「父上を超えるために、謀叛に加担したのだ! 結果はどうだ? 天下人を殺した! ははは! 父上を屈服させた者をこの俺が殺したのだ!」
「ま、まさか、明智殿を唆したのは――」
「それは俺ではない。後押ししたのは俺だがな」

 秀吉は嫌悪感を込めて、久通を睨んだ。

「くだらぬ父への劣等感で……!」
「そのくだらぬものこそ、俺は必要だったのだ!」

 久通は突然「雨竜雲之介秀昭殿はあんたか?」と僕を見つめる。

「ああ。僕がそうだ」
「あんたに贈り物をやろう。俺の懐の文を見ろ」

 秀吉は目配せして、兵に久通を改めさせた。
 出てきた文を読む。

「…………」
「父上の遺言だ。あの名物はあんたにくれてやる。精々大切に使え」

 書かれていたのは、平蜘蛛の隠し場所だった。
 どうして僕に譲るのだろうか?

 二人は京に連れて行かれた。
 六条河原で磔にされて死んだ。

 娘婿の明智秀満――三宅弥平次殿だ――は坂本城にて篭城していたが、勝ち目がないと知ると宝物を差し出してから、一族と共に自刃した。
 明智の嫡男、明智光慶は丹波亀山城に篭もったけど、結局は自刃した。

 こうして明智光秀の謀叛は失敗に終わり。
 おそらく彼が守りたかったものは全て無くなってしまった――
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