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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
隅立雷はためく陣で
 吉川元春は高松城の南西、庚申こうしん山に陣を構えていると忍びの丈吉たちから報告が上がった。僕はまず、高松城の南の堤を壊して進軍が難しくなるように仕組んだ。高松城の湖水は南の街道へと溢れ出した。これでしばらく時が稼げるだろう。

 吉川の兵の進軍がどのように行なわれるかを頼廉が中心となって考えた。結果として吉備津きびつ神社の北を通ると予想された。僕は吉備津神社付近に本陣を構えることにした。

 雨が酷くなっている。これでは鉄砲は使えないだろう。風も強いことから弓矢が遠くに飛ぶとは思えない。槍が中心となる戦になると考えられる。
 とにかく僕は考えられるだけ考えた。

「伏兵を仕掛けましょう。蛙ヶかわずがはなの東に兵を隠せる森と山があります」

 本陣には僕の他に雪隆、島、頼廉、山中殿が居た。
 頼廉の提案に島が「そこだと本陣が危うくないか?」と疑問を呈した。

「なりふり構わずに正面突破されたら殿が危ない」
「今更僕の心配なんてしなくていいよ」
「そういうわけにもいかない。総大将が討ち取られたら士気が落ちて総崩れになる」

 島の言うことはもっともだが……

「しかし、他に伏兵を隠れさせる場所がありません」
「本陣をもっと東にするのは?」
「それでは要所を守れません」

 僕は「危険は承知だが、頼廉の作戦でいこう」と言う。

「いざとなれば本陣から兵を出して、挟撃もできる」
「それでは殿が――」
「もし、僕が討たれたら島が引き継いでくれ」

 島は「なにをおっしゃるか!」と怒鳴った。

「弱気なことを――」
「僕は戦下手だ。というか指揮をあまり執らなかった。まして総大将なんて。だとしたら、生き残る可能性は、君のほうが高い」

 僕は雪隆に言う。

「雪隆。もし僕が死んだら――」
「雲之介さん。縁起が悪いですよ」

 野太刀を抱えながら、雪隆は僕を睨む。

「まあ聞いてくれ。僕が死んだら島が、島が死んだら頼廉が、そして頼廉が死んだら君が指揮を執れ」
「なんだ。俺は最後まで生き残らないといけないのか」
「そういうことになる。君も半兵衛さんの教えを受けている人間だ。僕よりも上手く指揮を取れるだろう」

 それから山中殿に向かって言った。

「山中殿には二千の兵で本陣を守っていただきたい。各隊が危うくなったら遊軍として助けていただければ――」
「いや。俺は伏兵に加わる」

 山中殿は笑みを浮かべて「守ったり逃げたりするより性に合っている」と言う。

「そちらは誰が伏兵をするんだ?」
「私です」

 頼廉が手を挙げた。

「兵はどのくらいだ?」
「一千が限度ですね」
「そうか。まあ三千もあれば混乱させられるだろう。雨も酷くなっているしな」

 山中殿は僕に向かって「それで構わないか?」と訊ねた。
 でも僕が何を言っても、山中殿の中で決定したことは覆らない気がした。

「……良いのか? とても危険だが」
「はっ。危険なのはどれもこれも同じだろう? 何せ七千で二万の軍勢の足止めをするんだから」

 山中殿は「これも七難八苦のうちだ」と気軽そうに言う。

「ああ。一応雨竜殿に聞いておく」
「なんだろうか?」
「もし俺が死んであんたが生き残ったら、尼子家の再興を託してもいいか?」

 真剣な目と表情だった。
 いや、これは死を覚悟している目だった。

「ああ。秀吉に掛け合おう。約束する」
「……何の迷いも無く、答えてくれたな」

 山中殿は懐から紙を取り出した。
 それを僕に手渡した。

「これは……?」
「ああ。辞世の句だ。『憂き事の 尚この上に 積もれかし 限りある身の 力試さん』さっき考えた」

 これで心残りはないと言わんばかりに、黙って本陣を後にしようにする山中殿。

「――山中殿!」

 その背中に呼びかけた。
 足が止まる山中殿。

「生きて、生きてくれ! 酒を酌み交わそう! あなたの故郷の濁り酒で!」

 山中殿は振り返って――死地に向かうのに、にこやかだった――応じた。

「ああ。今度は何の意図もなく、ただ楽しめる宴にしよう」
 
 
◆◇◆◇
 
 
 山中殿が去った後、頼廉が腰を上げた。

「さてと。行くとしますか」
「頼廉。本当に良いのか? 君は顕如殿の――」

 頼廉は「法主さまに雨竜殿を頼むと言われましたからね」と笑った。

「これもまた巡り合わせですな」
「……ごめん。無理難題に付き合わせて」

 頼廉は「謝りますな」とあくまで優しく言う。

「あなたに付き従ったおかげで、前代未聞の水攻めを見ることができました。それに毎日が楽しかった……」

 すると雪隆が「死ぬなよ頼廉」と小さい声で言う。

「もしかして、辞世の句を用意してないだろうな?」
「拙僧は武家ではありませんからな。それにまだまだ死ぬつもりはありません」

 頼廉は歯を剥きだしにして、まるで威嚇するように笑った。

「さて。毛利家最強と名高い吉川元春と勝負とは。腕がなりますな」
「……僧侶の面構えではないな」

 島が呆れるように笑った。
 雪隆もつられて笑う。

「頼廉。僕は君が客将として来てくれて、本当に助かったと思う」

 僕は頼廉に近づいて、その手を取った。

「教わったことも多い。だからこの戦を生き残って、またいろいろと教えてほしい」
「光栄ですな。無論、そのつもりです」

 頼廉も手を握り返して「あなたと知り合えて良かった」と言う。

「できることなら、あなたと共に、あなたが示した道を歩みたい」
「できるに決まっているだろう」
「……ふふふ。そうですね」

 僕は頼廉と思い出話をして、それから彼は去っていった。
 僕と雪隆と島しかない本陣。

「殿。近くの吉備津神社で祈願したらどうだ?」

 島が不意に妙なことを言い出した。

「こんなときにか?」
「こんなときだからこそだ。吉備津神社は吉備津命という古の武将が祀られている」
「へえ。どんなことをしたんだ?」

 島は真面目に言う。

「鬼退治だ」
「なるほど。確かに二万の兵は鬼と同じくらい怖いな」

 冗談で言った言葉に雪隆は吹き出した。
 島と僕も笑う。

「そうだね。近くだから行ってみるよ」

 僕は神主が逃げ出した神社で兵に囲まれながら参拝した。
 勇気が湧くとか、そんな気はしないが、兵には「これで加護が付いた」と触れ回った。

「吉川など鬼に比べたら恐ろしくもない!」

 そう喚く者も居た。同調する者も居る。
 一体、この中の誰が、何人が生き残るのだろうか――
 
 
◆◇◆◇
 
 
 雨がこの時期にしては珍しく止んだ。
 そんな刻限に――吉川軍が攻めてきた。

 本陣から戦況を窺っているが、どうやら伏兵が成功したと伝令が入った。
 僕が中央に二千の兵を、右翼には一千の兵を雪隆が、左翼には一千の兵を島が従わせている。
 伏兵の効果は甚大であると報告を受けた。流石、百戦錬磨の山中殿と本願寺の軍事最高責任者の頼廉だ。
 隅立雷の旗が立つ本陣に次々と知らせが入る。

「下間さまの部隊、反撃に遭い、後退!」
「同じく山中さまの部隊も後退し、包囲されています!」

 吉川元春は手足のように二万の兵を動かしている。
 僕は「島に適時攻めかかってくれ」と伝令を言い渡す。

「伏兵が囲まれている。すぐに救援してやってくれ」

 伝令はすぐさま走り出す。
 僕も少し出たほうがいいか?
 そう考えたとき、傷だらけの伝令が本陣に飛び込んできた。

「はあ、はあ。ご報告いたします!」

 伝令は目を充血させながら、大声で言う。

「山中さま、敵陣に突撃し――討ち死に!」
「な、なんだと……」
「加えて、下間さまが――」

 聞きたくない。
 でも、聞かねばならない。

「敵の猛攻に遭い、囲まれ、討ち死にいたしました!」

 まるで日の本が猛火に包まれて終わってしまったような感覚だった。

「あ、ああ……」
「ご指示くだされ! 吉川軍が迫ってきますぞ!」

 もはやこれまでか。

「真柄雪隆と島清興に伝えろ。これより吉川軍を防ぐ。連携を保ちつつ、総がかりで攻めろと」

 僕は立ち上がった。
 自棄になったわけではない。
 伏兵を倒したことで油断しているはず。
 そこを突けば、いや突かねば、全滅してしまう。

「志乃。もうすぐ会いに行く」

 僕の呟きは、誰にも聞こえずに、空に溶けていった。
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