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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
穏やかな最期
「松寿丸は――いい奴でした」

 長浜城にある、僕の屋敷。
 暗い表情でそう語るのは、息子の晴太郎。
 傍には妻のはる、浅井家に嫁入りした娘のかすみ、そして少し歩けるようになった雹。
 僕の家族が勢揃いしていた。

「短い間に――随分と仲良くなったんだな」
「ええ。あいつが人質だと思えないほど、明るくて優しくて、向学心も向上心もあって、黒田家の当主に相応しくなろうと努力する、いい奴でした」

 過去形なのが、悲しかった。
 もはや会えないと分かっているのだから、仕方ないけど。

「……竹中さまは、どこに居るんですか?」

 俯いていた顔をすっと上げる。
 澱んだ瞳が僕を見つめる。

「どうしてそんなことを訊く?」

 察しはつく。おそらく半兵衛さんを殺すつもりだろう。
 悲壮に満ちた覚悟を、晴太郎の中に僕は見出す。

「お答えできないのですか?」

 噛み合わない問答。
 だから頷いた。それしかできなかったから。

「兄さま。馬鹿なことを考えないでよ」

 我慢し切れなかったのか、かすみは口を出してしまう。

「松寿丸が死んだのは、悲しいけど……上様の命じたことなんだから」
「じゃあ上様が悪いのか?」
「そ、そうは言わないけど……」

 僕は「責任を問えばきりがない」と二人を制した。

「黒田殿を捕らえたか殺したか分からないけど、そんな目に合わした荒木にも責任がある。黒田殿を裏切った小寺家も悪い。そもそも人質を差し出した黒田殿自身にも責任がないことはない」
「では、父さまは、誰が悪いと思いますか?」

 蒼白な顔で晴太郎は僕に問う。
 僕は何の感情を込めずに言う。

「誰も悪くないさ。強いて言うのなら、子どもを人質にして、叛けば殺すような戦国乱世という時代が悪いんだ」

 晴太郎もかすみも、僕のあまりに酷い言葉に絶句した。
 代わりに雹をあやしていたはるが問う。

「ではお前さまは誰も悪くないと言うのか?」
「そう言っている。半兵衛さんは上様を説得して、できなかったから松寿丸を殺したんだ。実らなかったけど努力はしている」
「では竹中殿に松寿丸の死の責任は無いと?」

 僕は「そもそも、みんなは勘違いしているな」と言う。

「松寿丸は見事に切腹して果てたという。武士としてこれ以上ない死に方をした。誰に恥じ入ることのない立派な死だ。恥辱に塗れた死ではない」
「……父さま、それはあまりに」
「あまりに身勝手と言うのか? 晴太郎、松寿丸を悼む気持ちがよく分かる。喪失感も重々承知している。だから――これ以上、松寿丸の死を汚すな」

 厳しい言い方だけど、そうでも言わないと美濃国の半兵衛さんの居城、菩提山城で静養している彼に迷惑がかかる。

「……分かりました」

 納得していない様子だったけど、無理矢理飲み込んだ晴太郎。
 かすみは静かに涙を流す。まあそのくらいは許そう。

「それで、お前さまは晴太郎殿を説得するために、戦場を離れたのか?」

 はるがぐずり出した雹を抱っこしながら訊いてくる。
 僕は「もちろん他にも用がある」と言った。

「実はこっちが主要な用事だ。はっきり言って避けたい用事だが……」
「どんな用事ですか?」

 晴太郎が催促してくるので、僕はなるべく早口で言う。

「京で僕の祖父に会いに行く」
「……はあ?」
「会わなくちゃいけないんだ」

 僕は目を伏せて、呟く。

「僕の祖父、山科言継さまは、もう永くないらしい」

 
◆◇◆◇

 
 家族から総反対されると思ったが、案外すんなり同意してくれた。

「一度会ってみたいと思っていた。いろんな意味で」

 晴太郎は暗い顔をしていた。

「うん。母さまの代わりに文句言いたいしね」

 かすみは意外と根に持つ性格のようだ。

「山科殿なら知っている。父と親しかったから」

 はるも異存ないようだった。

 ということで数日かけて京へと向かう。
 着くなり山科家の使いの者と合流し、静養しているという屋敷に招かれた。

 僕はどんな顔をして会えばいいのだろう。
 晴太郎とかすみは、まだ見ぬ曽祖父に敵意を持っているようだ。
 はるはさほど憎く思っていないようだけど、良い印象はないだろう。
 翻って僕は何を思えばいい?
 娘のために孫を殺そうとした祖父に何を思えばいい?
 実際に会って見ないと、分からないな……

 案内された屋敷の門をくぐると、言継さまによく似た中年の男が立っていた。
 公家の普段着である狩衣を着ていることから、それなりの地位に居ることは分かる。

「ようこそ。歓迎するよ」
「あなたは……?」
「ああ。紹介が遅れたね。私は山科言経。君の伯父だ」

 一言一言区切るように喋る、変わった人だなというのが第一印象だった。
 この人が書状を出したのだな。

「父上は奥の間に居る。さっそく会ってくれ」

 こちらの紹介もまだなのに、さっさと終わらせてくれと言わんばかりに、くるりと後ろを向いて、歩き出す言経さま。
 晴太郎とかすみがあからさまに不機嫌な表情へと変わった。

「言継さまの病態は、いかがですか?」

 廊下を歩きながら問うと「かなり悪い」と短く言われた。

「年を越えられたら御の字だ」
「そうですか……」
「あらかじめ言っておくが。父上にあまり同情しないでほしい」

 奥の襖の前に立つ言経さま。
 同情? 訳が分からない……

「同情、ですか?」
「ああ。ああなったのは自業自得だ。私は妹の巴が嫌いではなかった」

 思わぬ言葉に僕たちは何も言えなくなった。
 そして続けて言経さまは言う。

「あの様になったのは。因果応報だ。廻り巡ってああなったんだ」
「…………」
「中に入ってくれ」

 襖が開かれた。
 言継さまは高価と思われる寝具と布団の上に居た。

「……言継さま」

 上半身だけを起こして、ゆっくりと僕を見る言継さま。
 口元が涎で汚れている――

「……あんたは、誰だ?」

 思わず、足を止める。

「新しい使用人か? いや武士っぽいな……」
「……雨竜雲之介秀昭です」

 名乗れば分かるだろうと思ったけどますます首を傾げた。

「はて。誰じゃったかの?」

 晴太郎が、言経さまに訊ねる。

「……呆けているんですか?」
「ああ。私の顔すら思い出せない」

 僕はゆっくりと言継さまに近づく――

「うん? 何か変なこと言ったかの?」
「僕は、あなたの孫です」
「おおそうか。武田殿がお会いになると?」
「……巴の息子です」
「尾張の大うつけ殿がここまで領土を広げるとはな! こうしては居れん! さっそく会わねば!」

 ああ、この人はもう駄目だ。
 今と昔が混在して、何も分かっていない。
 僕は身振り手振りをする言継さまの手を取った。

「もう、良いんですよ。少し休まれてください」
「……? そうか、もうわしは休んでいいのか」

 通じたようで、ゆっくりと布団に横たわる。
 手は離さなかった。

「なあ、聞いてくれるか?」
「何をですか?」
「わしの孫のことだ」

 僕が誰だか分からないのに、突然話題に出してきた。

「可哀想なことをした。毎日後悔している。わしは鬼だ。娘のために孫を殺したのだ」
「…………」
「許されないだろう。地獄に落ちるだろう。ああ、巴、すまなかった」

 口から涎を流し、目からも涙を零す言継さま。
 必死になって僕に言い続ける。

「わしは救われなくていい。でもあの孫が幸せであってほしいのだ……」

 僕は握っていた手の力を強くした。

「大丈夫。あなたの孫はきっと幸せになりますよ」

 口に出たのは、気遣いの言葉だった。

「それにあなたのことは恨んでなんかいません。そりゃあ知ったときは怒りましたけどね。もう何とも思っていませんよ」
「……本当か?」
「ええ。見てください。その孫の家族です」

 後ろに立っている僕の家族を見せる。
 晴太郎は真顔で立っていて。
 かすみは少し泣いていて。
 はるは雹を抱いていて。
 雹は無邪気にはしゃいでいた。

「そうか。孫は、幸せなんだな」

 満足そうに笑う言継さま。

「ええ。ですから、もうお休みになってください」

 言継さまは、そのまま目を閉じた。

「君は、優しいな……」
「…………」
「ありがとう」

 そして眠ってしまった言継さま。
 ゆっくり手を離した。

「意外だな。君は父上を恨んでいると思っていたが」

 言経さまが何の感情を込めずに言う。

「こんな様子を見せられて、恨み言を言えるのは、もはや人ではなく、鬼ですよ」
「君はそれだけの理由があると思うがな」

 言経さまは最後にこう言った。

「君は嫌がるだろうが私と山科家は君を支持する。公家関係で何かあればすぐに頼ってほしい。君が望むかどうかは知らないが。頭の片隅にでも置いてくれ」

 そして正座をして、僕に頭を下げた。

「父上に代わって謝罪する。すまなかった。そして父上に代わって感謝する。ありがとう。これで穏やかに父上は死ねるだろう」

 これで良かったのだと思う。
 そう信じたい。
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