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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
足掻き
 良い知らせと最悪の知らせが同時に舞い込んできた。

 まずは良い知らせから話そう。
 以前手取川で戦い、織田家が敗北してしまった上杉家当主、上杉謙信が病死したという。
 死因はよく分かっていない――いやそれはどうでもいいことだ。
 このことで織田家が有利になることは間違いなかった。軍神と崇められるほどの英傑が亡くなったのだ。もし上杉謙信が存命だったら、おそらく北陸から上洛し、畿内を脅かされていただろう。
 しかし、その危機は無くなった。まさに九死に一生を得たと言える。

 それに他にも利益があった。
 上杉家の後継者争い――上杉景勝と上杉景虎、二人の養子が跡目を争っているらしい。
 できることなら、景勝が勝つことが望ましい。これは黒田に教えてもらったのだが、もし景虎が上杉家当主となれば織田家を危ぶませるほどの大勢力になるのだ。

 というのも、景虎は元々北条家から人質として送られている。つまり、北条家の現当主北条氏政の弟だ。また、武田家と北条家は婚姻による同盟を結んでいる。
 もし景虎が上杉家を継いでしまったら――上杉家、北条家、武田家の強力な三国同盟が結ばれてしまう。
 だから織田家とすれば景勝が家督を継げば問題ないのだ。そうすれば北条家と上杉家は手切れとなり、武田家とも同盟を結びづらくなる。

 まあいろいろ言ってみたものの、どうなるかは予測できないし、今は上杉家の領地を削れる好機でしかない。それに北陸方面の軍団長は柴田さまなのだ。織田家にとっては喜ばしいことだが、羽柴家にとっては直接的な利益はない。
 だからこそ、最良ではなく良い知らせなのだ。

 では最悪の知らせとは何か?
 ――毛利家と宇喜多家が上月城に攻め入ったことである。

「雲之介。宇喜多直家という男は、信用できるか?」
「できないよ」

 秀吉の問いに僕は即答した。
 苦笑しながら「優しいおぬしにそこまで言わせる男なのだな」と秀吉は言う。

「織田家に従うことが最善であるとか、利益が大きいとか。そういうことでしか物事を計れない、打算だけの大名だよ。忠義も恐怖もありはしない」
「ふむ。では上手くすればこちらに寝返ると?」
「寝返ってもいつ叛かれるか分からないよ? それでもいいのか?」

 秀吉は面倒といった風に伸びをした。

「だがまあ、目の前の光景に比べたら、いつ裏切られても構わないから、こちらの味方についてほしいがな」

 目の前の光景――高倉山に陣をはり、外に出た僕たちは、上月城を包囲されているのが見えていた。
 ぐるりと囲まれた城。河口には村上水軍と思われる船があり、陸には総勢三万の兵があらゆる道を塞いでいた。

「三木城攻めもあるというのに、厄介なことだ……」
「この場に半兵衛さんが居たら良かったのに」
「居ない者に頼っても仕方あるまい。それに官兵衛が居るではないか」

 居ることは居るけど、こちらは一万しかいないのに、いかに天才軍師といえども、難しい相談ではないだろうか?

「頼りの援軍は皆、三木城に向かってしまった……わしたちはこうして呆然と見るしかないのか?」

 秀吉は飄々としているけど、内心は熱い男だ。
 現に今、血が滲むほど唇を噛んでいる。

「……上様は、三木城の攻略を優先した。つまり上月城は、尼子家は、捨て駒にされたのか?」

 言いたくないことを言ってしまった。
 言わずとも良いことを、言ってしまった。

「なあ雲之介。わしは少しばかり、調子に乗っていたのかもしれんな」

 いつもは自信家のくせに、しみじみと後悔するようなことを言うものだから「何弱気になっているんだよ」と怒る。

「別所家の裏切りもそうだが、わしは案外、嫌われ者なのかもな」
「それは秀吉を知らないからだ。というか人たらしのくせにそんなことを言うな」

 なおも弱音を吐こうとしたとき、本陣から黒田が出てきた。

「羽柴殿。荒木村重殿が援軍としてきたぞ」
「おおそうか! して兵はいかほどだ?」

 黒田は無表情のまま「一千だ」と伝えた。

「……たったの一千? ま、真か?」
「間違いない。なんでも本願寺と別所家の守りのため、これしか出せないと……」

 期待していたわけではないけど、実際に現実を突きつけられると、きついものがある。

「……上様に援軍を頼もう」

 顔が険しい。しかしそれ以外に取るべき手段が無いのも事実だ。
 敵の将は毛利家の両川、吉川元春と小早川隆景なのだから。
 宇喜多家は弟の忠家らしい。直家でないのが不幸中の幸いだろう。

「官兵衛。どうにかして敵の包囲を破り、物資を届けることはできぬか?」
「決死隊を作り、一点集中してやっても、あの包囲を潜り抜けて上月城には……」

 無理だろうと最後まで言わなかった。
 秀吉は疲れた様子で「そうか……」と呟いた。

「立場は違うが、尼子殿は織田家に、山中殿は、尼子家に忠義を尽くす忠臣だ」
「…………」
「できれば助けてやりたかったのだが」

 諦めたことを言うなと言いたかったけど。
 この時点で僕にも分かっていた。
 上月城が落城し、二人は命を落とすと――

 
◆◇◆◇

 
 織田家の援軍は、来なかった。
 畿内で洪水が起きたのだ。
 天災に人は敵わない。たとえ数多くの国を従わせる大名だとしても。

 それでも諦め切れなかった。
 何とか助けようと思った。
 あまり良い思い出はないけど、それでも一緒に戦う仲間なのだから。

 数日後、僕は安土城の館に居た。
 上様に援軍を送ってもらうためだ。
 どうにかできないことをどうにかしてもらおうと足掻いていたのだ。

「諦めよ。上月城は――見捨てる」

 開口一番に上様は言った。
 いつになく暗い顔をしている。

「…………」
「内政官だとしても、上月城を見捨てる他ないと分かっているだろう」

 言葉が無かった。
 一つ一つの言葉が、胸に突き刺さる。

「し、しかし――」
「尼子や山中に情でも移ったか? 貴様は――悲しいほど優しいな」

 呆れたように吐き捨てる上様。
 僕は平伏したまま、動けなかった。

「下がれ。そして猿に伝えよ。上月城を見捨てろとな」
「…………」
「――下がれというのが、分からんのか!」

 上様の怒りが、僕の頭から足の先まで、突き抜ける。

「俺とて助けたい気持ちは山々だ! できぬことをいつまでも悩むな!」

 僕は顔を上げた。
 上様の顔をじっと見る。
 怒りで染まった上様を――見る。

「なんだその目は――抉ってやろうか?」
「恐れながら、上様にお訊ねしたいことがございます」

 怯まずに堂々と言う。
 怒りを買わないことはできないけど、きちんと自分の言いたいことは言わせて貰う。

「尼子家の降伏をお許し願いたい」
「…………」
「せめて、命だけでも。彼らに生き恥をかかせることになったとしても。僕は生きていてほしいから」

 上様は立ち上がり、僕の前に来た。

「それは貴様の自己満足だ。分かっているのか?」
「分かっています」
「……信行のときと同じ目をしよって」

 溜息を吐いて――僕の顔を足蹴した。
 後ろに倒れ込む僕に上様は言い放った。

「貴様の好きにしろ! もしそれであやつらが織田家の敵になれば、貴様の目を抉る! 真のことが見えぬ目など不要だ!」
「……それこそ、好きにして構いませぬ」

 口元の血を拭いながら、姿勢を正して、僕は言う。

「許可をくださり、ありがとうございます」
「……このうつけが!」

 上様はその場を去ってしまった。
 小姓たちは上様の怒りのせいで、動けない。唯一動けた森乱丸くんは、ハッとして小姓たちに指示を出す。

「……大丈夫ですか? 雨竜殿」

 指示を出し終えた乱丸くんが僕の元にやってくる。

「ははは。怒られてしまった……」
「斬られてもおかしくなかったですよ?」
「まあね……」

 しばらく休んでから、僕は早馬で上月城を目指す。
 落城してしまわぬうちに知らせなければ……!
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