残酷な描写あり
縁と血
東播磨国を支配下に収めている別所家の謀反。
その原因は――秀吉にあった。
秀吉が農民出身で、卑しい身分だったことは内外問わず有名である。そのせいで武家に侮られたり、蔑まれたりする。
だからこそ、秀吉はそんな連中をものともしなかったし、上を目指そうという上昇志向があった。
出自が良くないことは秀吉の弱みでもあったが、強みでもあったのだ。
しかし――今回はそれが裏目に出てしまった。
秀吉が中国方面の軍団長であることに不満を持った、別所家当主の別所長治は織田家に堂々と謀反を起こした。
彼らが謀反を起こした時期は、悔しいが絶妙である。
播磨国を掌握してそれほど間もない。
敵対する毛利家と宇喜多家に攻め込んでいない。
そして弱っているとはいえ、まだまだ落ちそうにない本願寺が顕在であること。
もしもこの三つの機会が揃っていなければ、容易く謀反を鎮圧できただろう。
時機を見るのに聡いと言えばいいのか。
それともただの偶然だろうか。
判然としないけど、とにかく言えることは。
僕たち羽柴家が窮地に立たされたということだ――
姫路城の評定の間。
僕たち羽柴家と黒田家は軍議を行なっていた。
尼子家は上月城に入城しているので、この場には居ない。書状にて伝えたら『上月城の守りを固める』と返事があった。
しかし場の空気は重い。播磨国の平定が振出に戻ったどころか、それ以上に悪い状況になってしまったからだ。
「落ち込んでも仕方ないから、とにかく別所家を攻め落とすわよ」
前向きなことを言う半兵衛さん。顔色が悪いが言葉や口調は強かった。
「まず別所家の支城を攻め落としながら、本拠地の三木城を包囲する。三木城はなかなかの堅城だからじっくりと攻める――」
床に広げた地図を指し示しながら、半兵衛さんが戦略を説明し出す。
だけどそれに待ったをかける者が居た。
「待ってくれ。三木城を攻める前に、交渉させてくれ」
黒田家当主の黒田官兵衛だった。どこか焦っている様子で、半兵衛さんに言う。
「必ず別所殿を説得してみせる。頼むから、俺に任せてくれ!」
「……官兵衛ちゃん。どうしたの? あなたらしくないわ」
半兵衛さんはすっかり黒田の人格やら能力を把握しているようだった。
だから、不思議に思ったのだろう。
「別所長治が応じるわけないじゃない。そもそも応じるなら最初から背いたりしないわよ」
「……分かっている。だが、それでも無理じゃねえだろ!」
「無理というより無駄よ。時間と効率のね」
別所長治が交渉に応じるわけがない。そんなことは僕ですら分かっている。
松永久秀のような悪人で謀反癖のある男ならば、有利な条件で降伏するだろう。
しかし、農民である秀吉が軍団長であることに怒りを感じて背いた矜持ある大名が、降伏という屈辱を受け入れるだろうか?
答えは否である――
「やってみねえと分からねえって言ってんだろうが! 俺は黒田家当主として行くぞ!」
黒田が席を立つ。それに追従するように、家臣の栗山善助と母里太兵衛が立ち上がる。
何故だか分からないけど、黒田家は当主の行動に異議はないらしい。
「――その程度の軍師なのね。あなたは」
半兵衛さんの冷やかな声。
ぴたりと黒田の足が止まる。
「……てめえ、今なんつった?」
「あら。詳しく言わないと分からないかしら? ……くだらない目先のことしか考えられない、つまらない軍師だって言っているのよ」
黒田の目の色がさっと変わった。
明らかに怒りと殺意を孕んでいた。
「この野郎……!」
黒田が半兵衛さんに近づこうとするのを、その場に居た秀長殿と正勝、そして長政が止めた。
「まあ待てよ黒田。何お前熱くなってんだ?」
正勝が少しだけ呆れた顔で言う。
黒田は三人を睨みつけながら「どけ」と短く言う。
対して、正勝は黒田の肩を掴む。
「口は悪いが冷静なあんたらしくないな。本当に何かあったのか?」
「……………」
黙ってしまった黒田に長政が「言えない事情なのか?」と問う。
「人質……は居ないはずだ。別所家と小寺家にそんなやりとりはないことは確認済みだよ」
秀長殿が代わりに答える。
ますます分からなくなった。
「……志方城は確か、別所家と縁深かったわね」
半兵衛さんが何気なく言う。
今度は黒田の顔色がさっと青ざめた。
黒田家家臣も一様に動揺した。
「な、なんで……」
「十日ほど前、あなたの部屋に訪れたとき、書状を見せたじゃない」
書状? 誰からの書状だ?
「馬鹿な……確かに見せたが、少しの間だけだ。それに誰から来たのか、一切言わなかった……」
「それこそ馬鹿ね。書状には必ず送り主の名前が書かれているのよ?」
「あ、あんな一瞬で、覚えていたのか!? 十日前だぞ!?」
半兵衛さんは「気になる名前だったから覚えていたのよ」とあっさり言う。
「半兵衛。なんだその書状とは」
それまでずっと黙っていた秀吉が口を開いた。
半兵衛は「官兵衛ちゃんの義理の父からの書状よ」と答えた。
「志方城の城主、櫛橋伊定。それが官兵衛ちゃんの正室の父よ」
ということはつまり、自分の義父を守るために、別所家と交渉しようとしていたのか。
「気持ちは分からなくもないわ。自分の親戚を守ろうとするのは、当然の行ないよ」
「……だったら行かせてくれよ」
黒田は三人を振り払って、その場にどかりと座る。
三人は半兵衛さんと黒田が対話しやすいようにどいた。
「義父さんは良い人なんだよ。だからあの人は別所家を裏切れねえ。一緒に運命を共にするはずだ」
「まあ良くて切腹。悪くて磔よね」
「賢いあんただからそんくらい分かっているだろう? 後生だから――」
「三木城に行ったら、あなた死ぬわよ?」
半兵衛さんは、ひどく冷たい声音で、言い放った。
まさしく処刑宣告のようだった。
「別所家はもう後には退けない。その覚悟で背いたのだから。使者を殺すぐらいやるでしょうね」
「……そうとは限らないだろ」
半兵衛さんは「いい加減にしなさい!」と堪忍袋の緒が切れたかのように怒りだす。
「あなたを死なせたくないのよ! あなたが義父を思うように! そのくらい読める――」
言葉が唐突に止まった。
ゆっくりと半兵衛さんの身体が曲がり。
そして――激しく血を吐き出した。
「半兵衛さん……? 半兵衛さん!」
すぐ近くに居た僕は、半兵衛さんの身体を支える。
「半兵衛! ――すぐに医者を呼べ!」
秀吉が大声で命じる。
僕は半兵衛さんの背中を擦りながら「大丈夫ですか!?」と問い続ける。
でも半兵衛さんは吐血しながら、黒田だけを見ていた。
呆然と立ち尽くす黒田だけを。
「あなたなら、全てを任せられるのよ……」
その言葉を残して、半兵衛さんは気を失った。
「全てを任せられる……? 何を言って……」
「黒田殿。僕からもお願いします」
なるべく誠意を込めて、黒田に言う。
「義父のことは、諦めてくれ」
「何を――」
「義父を苦しめるつもりがないんなら、関わることはやめろ」
黒田は穴が空くかのように僕を見つめた。
半兵衛さんの身体を抱きながら、僕は続けた。
「別所家を裏切らせずに、忠義の士として死なせてやれ。裏切り者として生きるより、そっちのほうがよっぽど楽だ」
「だが――」
「あなたが下手に交渉して、板ばさみになってしまったら、義父は苦しむだろう」
黒田はなおも諦めようとしなかった。
すると秀吉が黒田に近づいて、頭を下げた。
「すまぬ。わしのせいで、苦しい思いをさせてしまって」
「は、羽柴殿のせいでは――」
「こらえてくれぬか?」
秀吉は黒田の手を取った。
「もしおぬしを死なせてしまったら、小寺家も敵に回ることになる。いやそれ以上に、わしはおぬしという男を無駄に死なせたくない」
「羽柴殿……」
「頼む、このとおりだ」
秀吉の誠意に黒田は――頷いた。
この時点で、黒田は義父を助けることができなくなった。
志方城は秀吉が要請した織田家の援軍に攻め落とされた。
城主の櫛橋伊定は切腹し。
その他の支城も落とされて。
そうした犠牲の果てに、三木城への道は開かれた。
その原因は――秀吉にあった。
秀吉が農民出身で、卑しい身分だったことは内外問わず有名である。そのせいで武家に侮られたり、蔑まれたりする。
だからこそ、秀吉はそんな連中をものともしなかったし、上を目指そうという上昇志向があった。
出自が良くないことは秀吉の弱みでもあったが、強みでもあったのだ。
しかし――今回はそれが裏目に出てしまった。
秀吉が中国方面の軍団長であることに不満を持った、別所家当主の別所長治は織田家に堂々と謀反を起こした。
彼らが謀反を起こした時期は、悔しいが絶妙である。
播磨国を掌握してそれほど間もない。
敵対する毛利家と宇喜多家に攻め込んでいない。
そして弱っているとはいえ、まだまだ落ちそうにない本願寺が顕在であること。
もしもこの三つの機会が揃っていなければ、容易く謀反を鎮圧できただろう。
時機を見るのに聡いと言えばいいのか。
それともただの偶然だろうか。
判然としないけど、とにかく言えることは。
僕たち羽柴家が窮地に立たされたということだ――
姫路城の評定の間。
僕たち羽柴家と黒田家は軍議を行なっていた。
尼子家は上月城に入城しているので、この場には居ない。書状にて伝えたら『上月城の守りを固める』と返事があった。
しかし場の空気は重い。播磨国の平定が振出に戻ったどころか、それ以上に悪い状況になってしまったからだ。
「落ち込んでも仕方ないから、とにかく別所家を攻め落とすわよ」
前向きなことを言う半兵衛さん。顔色が悪いが言葉や口調は強かった。
「まず別所家の支城を攻め落としながら、本拠地の三木城を包囲する。三木城はなかなかの堅城だからじっくりと攻める――」
床に広げた地図を指し示しながら、半兵衛さんが戦略を説明し出す。
だけどそれに待ったをかける者が居た。
「待ってくれ。三木城を攻める前に、交渉させてくれ」
黒田家当主の黒田官兵衛だった。どこか焦っている様子で、半兵衛さんに言う。
「必ず別所殿を説得してみせる。頼むから、俺に任せてくれ!」
「……官兵衛ちゃん。どうしたの? あなたらしくないわ」
半兵衛さんはすっかり黒田の人格やら能力を把握しているようだった。
だから、不思議に思ったのだろう。
「別所長治が応じるわけないじゃない。そもそも応じるなら最初から背いたりしないわよ」
「……分かっている。だが、それでも無理じゃねえだろ!」
「無理というより無駄よ。時間と効率のね」
別所長治が交渉に応じるわけがない。そんなことは僕ですら分かっている。
松永久秀のような悪人で謀反癖のある男ならば、有利な条件で降伏するだろう。
しかし、農民である秀吉が軍団長であることに怒りを感じて背いた矜持ある大名が、降伏という屈辱を受け入れるだろうか?
答えは否である――
「やってみねえと分からねえって言ってんだろうが! 俺は黒田家当主として行くぞ!」
黒田が席を立つ。それに追従するように、家臣の栗山善助と母里太兵衛が立ち上がる。
何故だか分からないけど、黒田家は当主の行動に異議はないらしい。
「――その程度の軍師なのね。あなたは」
半兵衛さんの冷やかな声。
ぴたりと黒田の足が止まる。
「……てめえ、今なんつった?」
「あら。詳しく言わないと分からないかしら? ……くだらない目先のことしか考えられない、つまらない軍師だって言っているのよ」
黒田の目の色がさっと変わった。
明らかに怒りと殺意を孕んでいた。
「この野郎……!」
黒田が半兵衛さんに近づこうとするのを、その場に居た秀長殿と正勝、そして長政が止めた。
「まあ待てよ黒田。何お前熱くなってんだ?」
正勝が少しだけ呆れた顔で言う。
黒田は三人を睨みつけながら「どけ」と短く言う。
対して、正勝は黒田の肩を掴む。
「口は悪いが冷静なあんたらしくないな。本当に何かあったのか?」
「……………」
黙ってしまった黒田に長政が「言えない事情なのか?」と問う。
「人質……は居ないはずだ。別所家と小寺家にそんなやりとりはないことは確認済みだよ」
秀長殿が代わりに答える。
ますます分からなくなった。
「……志方城は確か、別所家と縁深かったわね」
半兵衛さんが何気なく言う。
今度は黒田の顔色がさっと青ざめた。
黒田家家臣も一様に動揺した。
「な、なんで……」
「十日ほど前、あなたの部屋に訪れたとき、書状を見せたじゃない」
書状? 誰からの書状だ?
「馬鹿な……確かに見せたが、少しの間だけだ。それに誰から来たのか、一切言わなかった……」
「それこそ馬鹿ね。書状には必ず送り主の名前が書かれているのよ?」
「あ、あんな一瞬で、覚えていたのか!? 十日前だぞ!?」
半兵衛さんは「気になる名前だったから覚えていたのよ」とあっさり言う。
「半兵衛。なんだその書状とは」
それまでずっと黙っていた秀吉が口を開いた。
半兵衛は「官兵衛ちゃんの義理の父からの書状よ」と答えた。
「志方城の城主、櫛橋伊定。それが官兵衛ちゃんの正室の父よ」
ということはつまり、自分の義父を守るために、別所家と交渉しようとしていたのか。
「気持ちは分からなくもないわ。自分の親戚を守ろうとするのは、当然の行ないよ」
「……だったら行かせてくれよ」
黒田は三人を振り払って、その場にどかりと座る。
三人は半兵衛さんと黒田が対話しやすいようにどいた。
「義父さんは良い人なんだよ。だからあの人は別所家を裏切れねえ。一緒に運命を共にするはずだ」
「まあ良くて切腹。悪くて磔よね」
「賢いあんただからそんくらい分かっているだろう? 後生だから――」
「三木城に行ったら、あなた死ぬわよ?」
半兵衛さんは、ひどく冷たい声音で、言い放った。
まさしく処刑宣告のようだった。
「別所家はもう後には退けない。その覚悟で背いたのだから。使者を殺すぐらいやるでしょうね」
「……そうとは限らないだろ」
半兵衛さんは「いい加減にしなさい!」と堪忍袋の緒が切れたかのように怒りだす。
「あなたを死なせたくないのよ! あなたが義父を思うように! そのくらい読める――」
言葉が唐突に止まった。
ゆっくりと半兵衛さんの身体が曲がり。
そして――激しく血を吐き出した。
「半兵衛さん……? 半兵衛さん!」
すぐ近くに居た僕は、半兵衛さんの身体を支える。
「半兵衛! ――すぐに医者を呼べ!」
秀吉が大声で命じる。
僕は半兵衛さんの背中を擦りながら「大丈夫ですか!?」と問い続ける。
でも半兵衛さんは吐血しながら、黒田だけを見ていた。
呆然と立ち尽くす黒田だけを。
「あなたなら、全てを任せられるのよ……」
その言葉を残して、半兵衛さんは気を失った。
「全てを任せられる……? 何を言って……」
「黒田殿。僕からもお願いします」
なるべく誠意を込めて、黒田に言う。
「義父のことは、諦めてくれ」
「何を――」
「義父を苦しめるつもりがないんなら、関わることはやめろ」
黒田は穴が空くかのように僕を見つめた。
半兵衛さんの身体を抱きながら、僕は続けた。
「別所家を裏切らせずに、忠義の士として死なせてやれ。裏切り者として生きるより、そっちのほうがよっぽど楽だ」
「だが――」
「あなたが下手に交渉して、板ばさみになってしまったら、義父は苦しむだろう」
黒田はなおも諦めようとしなかった。
すると秀吉が黒田に近づいて、頭を下げた。
「すまぬ。わしのせいで、苦しい思いをさせてしまって」
「は、羽柴殿のせいでは――」
「こらえてくれぬか?」
秀吉は黒田の手を取った。
「もしおぬしを死なせてしまったら、小寺家も敵に回ることになる。いやそれ以上に、わしはおぬしという男を無駄に死なせたくない」
「羽柴殿……」
「頼む、このとおりだ」
秀吉の誠意に黒田は――頷いた。
この時点で、黒田は義父を助けることができなくなった。
志方城は秀吉が要請した織田家の援軍に攻め落とされた。
城主の櫛橋伊定は切腹し。
その他の支城も落とされて。
そうした犠牲の果てに、三木城への道は開かれた。