残酷な描写あり
人望と名分
「あなたを信用できるのかどうか。一応、詳しく話を聞かせてちょうだい」
「……あなたが竹中半兵衛ね。噂に違わず、キレ者のようだわ」
半兵衛さんは「ふふん。まあね」と機嫌を良くした。
「しかし、女装癖があるとは聞いていなかった」
「あら。雑賀衆の情報網もたいしたことないわね」
「そんな話はいいから、本題を話せ」
せっかちな正勝の指摘に蛍さんは襟を正した。
「法主さま――顕如さまが石山本願寺を退去したことで雑賀衆も立場を改めなければいけなかった。このまま教如に従って織田家と戦うか。それとも顕如さまに従って降伏するか。議論を重ねた上で、雑賀衆は二つに分かれたの。頭領の孫市さまの派閥と土橋の派閥に」
「あなたの主の孫市は織田家に降伏するほうに賛成なのね」
半兵衛さんの言葉に蛍さんは頷いた。
「元々、頭領は顕如さまに恩義があった。その顕如さまが織田家に従えと言うのなら仕方ないと考えたのよ」
「七千貫で動かなかった男が、恩義で動くのか?」
僕の疑問に「恩義は値千金よ」と冷静に蛍さんは言う。
「事情はある程度分かったが、どういう風に協力しろと言うのだ? わしたちとしては伏兵を退いてもらい、雑賀孫市殿と合流できればいくらでも協力できるが」
秀吉がここで口を開いた。すると蛍さんはやや緊張気味に返答した。
「既に山手側の伏兵は本陣に戻っているわ。あなたたちは安全に紀伊国に入れる――」
「ということは、孫市殿の派閥のほうが少ないのだな」
……いつも思うことだけど、秀吉は人の心理を読むのが上手い。
蛍さんは動揺を隠したつもりだけど、表情に出てしまった。
「秀吉。どういうことなんだ?」
「いくら織田家に攻められているとはいえ、土橋とやらと戦うのに援軍を求める理由など、人数が少ない以外にあるわけなかろう」
「人数が多くても二方面から攻められたら危ういんじゃないか?」
「……雲之介。おぬしはやはり、内政以外はいまいちだな」
溜息を吐く秀吉に少しむっとしながら「説明してくれよ」と答えを求めた。
「孫市殿の派閥が多ければ、土橋が叛くわけなかろう。謀反とは、自分のほうが相手より有利なときにしか起こらん」
「あ……そうだな」
少し考えれば分かることだった。
「それで蛍殿。おぬしの話全てを信じるわけにはいかん。一応、身柄を預からせてもらう」
「仕方ないわ。どうせなら縄で縛る?」
「そこまではしない……と言いたいところだが、縄を打たせてもらう。雑賀衆でも指折りの実力者を自由にさせておくほど、間抜けな話はないからな」
「……どうして実力者だと?」
秀吉は大笑いした。
「わしの情報網を甘く見るな。蛍と小雀という鉄砲の名手が居ることぐらい知っている」
蛍さんは縛られて、そのまま別のところに連れていかれた。
そして秀吉は「どう思う?」と僕たちに訊ねる。
「話は真か否か。おぬしたちの意見を聞きたい」
「うーん。偽計かもしれないし。でもそれなら実力者である蛍ちゃんをみすみす死なせることになるわけで。一人でも戦力が要るときにこんな計略するかしら?」
半兵衛さんの意見に正勝は「俺はなんとなく嘘は言ってない気がするけどよ」と言う。
「本人が騙されているって可能性も否定できない。兄弟、頭領である雑賀孫市に会ったのはお前だけだ。あいつは――そういう計略を使うのか?」
僕は雑賀孫市を思い出す。
格好良さを追及する、利害などどうでもいいと思っている傭兵集団の長。
僕は「使わないと思う」と答えた。
「僕の知る雑賀孫市は、そういう男ではない」
「どういう男か、教えてくれ」
秀吉が興味深そうに訊ねた。
「僕の知る雑賀孫市は自分の生き様を格好良くしたい人間だ。そんな人間は計略を使わない。そして何より格好悪いことはしない」
そう。あいつはそれをやるくらいなら自害するだろう。
「自分の側近を己の計略のために利用して死なせるような格好悪い真似なんて、あの雑賀孫市がするわけがない」
◆◇◆◇
秀吉はその後、先陣の堀秀政殿のところに経緯を話し、山手側の進軍を開始するように頼んだ。
堀殿は本当に信用できるか分からないと言っていたが、秀吉の説得によって渋々承知してくれた。
しかし進軍を開始しても伏兵が隠れていそうな場所からの攻撃が無く、そのままゆったりと雑賀孫市が篭もっている雑賀城に向かうことができた。
思ったとおりだけど、その分土橋側についた雑賀衆がどれだけ居るのか不安になる。
そして雑賀城の目と鼻の先まで近づいたとき――
「雑賀城、何者かの攻撃を受けています!」
物見から報告が上がった――
「おそらく蛍殿が言っていた土橋の軍勢だろう」
馬上で秀吉が静かに言った。
その横で「舐めやがって……!」と正勝が怒っていた。
「織田家に攻められているのに、派閥争いだと? 馬鹿にしてんのか!」
「きっと、織田家なんて簡単に追い払えると思っているのよ」
半兵衛さんもこれには怒りを感じているようだ。
僕も内心憤りを感じているが、とりあえずどうするか秀吉に指示を仰ぐ。
「どうする秀吉?」
「様子見というわけにはいかん。おそらく土橋の軍勢はわしたちがここまで来ているとは思っておらん――後方から攻撃するぞ!」
まあ結果から言えば土橋の軍勢は本当に予想していなかったみたいで、ほとんど戦わず散り散りに去ってしまった。しかし流石に最強の傭兵集団は格が違った。混乱して逃げるのではなく、統率性のある退却をしていた。
背筋が寒くなる思いをしながら、僕たちは雑賀城に入城した、
蛍さんの縄を解くと彼女は「頭領の元に案内するわ」と僕たち四人を以前相対した部屋に連れて行く。
その部屋には傷の手当をされている雑賀孫市が居た。頭を怪我したみたいで、小雀くんが包帯を巻いている。
「あんたが羽柴家の当主、羽柴秀吉殿だな。助かったぜ。一応礼を言う」
「おぬしが雑賀孫市殿か。怪我は大したことなさそうだな」
孫市は「銃弾が頭に掠ったんだ」と説明した。
「流石の俺も焦ったぜ……それで、俺がしたい話は分かっているよな?」
「ああ。降伏の話だろう?」
孫市は「ああ、そうだ」とあっさりと言う。
「顕如殿が石山本願寺を退去しちまった以上、俺が織田家と戦う意味はないしな」
「あくまでも義理というわけか? 潔いと言えばそれまでだが」
一拍置いた後「おぬしについた雑賀衆は何人居る?」と秀吉は問う。
「土橋よりも少ないと思うが」
「なんだ蛍。そこまで話したのか?」
「いえ、推察されました」
孫市は「あんまり言いたくねえけどよ」と頬を掻きながら言う。
「たった二百だ」
「はあ!? たった一割しかついてこなかったのか!?」
思わず声をあげると「ほとんど浄土真宗の門徒だからなあ」と言い訳がましく孫市は呟いた。
「どれだけ人望が無いんだよ!」
「そりゃあお前のせいでもあるんだぜ? 七千貫を蹴ったことや土橋から守ったことも影響しちまったんだ」
「言いがかりするな!」
蛍さんが「頭領に無礼な口を利くな!」と怒鳴る。
「いや。蛍。雲之介の言うとおりだ。言いがかりだったよ……それに少し残念だったな。こんなに人望がないとは思わなかった」
落ち込む孫市を見ていると可哀想になってきたな。
「まあおぬしの人望などどうでもよい。それよりもやるべきことがあるだろう」
秀吉の容赦の無い言葉に孫市は顔を上げた。
「なんだ? 降伏の手続きか?」
「違う。土橋の一派の討伐よ」
秀吉は続けて言った。
「雑賀衆は寄合だと聞くが、一応の代表者はおぬしだ。その命に従わぬのなら、土橋は謀反人である。ま、名分は立つだろうな」
「……名分なんてもん、役に立つのか?」
これには半兵衛さんが答えた。
「ええ。名分は重要よ。人は自分が正義であると思っていたい生き物なの。誰だって悪者になりたくないわ」
「……女装癖の青瓢箪にしては分かった風じゃねえか」
「……なに? 殺し合いがしたいの?」
殺気立つ部屋。それを正勝が「やめろや面倒くせえ!」と一喝した。
「仲良くしろとは言わねえが、少しは協力しろや!」
「……分かったよ。それで、名分の話だが、どんだけ効果があるんだ?」
秀吉は「効果的にやれば寝返る者も出てくるだろう」と言う。
「それでも一気に争いを抑えられるとは言い切れん」
このとき、僕の頭にある考えが浮かんだ。
信じられないほどの冴えた考えだった。
「じゃあもっと効果的な人物の名分を使おう」
僕に注目が集まる。
そしてその考えを口にした――
「……あなたが竹中半兵衛ね。噂に違わず、キレ者のようだわ」
半兵衛さんは「ふふん。まあね」と機嫌を良くした。
「しかし、女装癖があるとは聞いていなかった」
「あら。雑賀衆の情報網もたいしたことないわね」
「そんな話はいいから、本題を話せ」
せっかちな正勝の指摘に蛍さんは襟を正した。
「法主さま――顕如さまが石山本願寺を退去したことで雑賀衆も立場を改めなければいけなかった。このまま教如に従って織田家と戦うか。それとも顕如さまに従って降伏するか。議論を重ねた上で、雑賀衆は二つに分かれたの。頭領の孫市さまの派閥と土橋の派閥に」
「あなたの主の孫市は織田家に降伏するほうに賛成なのね」
半兵衛さんの言葉に蛍さんは頷いた。
「元々、頭領は顕如さまに恩義があった。その顕如さまが織田家に従えと言うのなら仕方ないと考えたのよ」
「七千貫で動かなかった男が、恩義で動くのか?」
僕の疑問に「恩義は値千金よ」と冷静に蛍さんは言う。
「事情はある程度分かったが、どういう風に協力しろと言うのだ? わしたちとしては伏兵を退いてもらい、雑賀孫市殿と合流できればいくらでも協力できるが」
秀吉がここで口を開いた。すると蛍さんはやや緊張気味に返答した。
「既に山手側の伏兵は本陣に戻っているわ。あなたたちは安全に紀伊国に入れる――」
「ということは、孫市殿の派閥のほうが少ないのだな」
……いつも思うことだけど、秀吉は人の心理を読むのが上手い。
蛍さんは動揺を隠したつもりだけど、表情に出てしまった。
「秀吉。どういうことなんだ?」
「いくら織田家に攻められているとはいえ、土橋とやらと戦うのに援軍を求める理由など、人数が少ない以外にあるわけなかろう」
「人数が多くても二方面から攻められたら危ういんじゃないか?」
「……雲之介。おぬしはやはり、内政以外はいまいちだな」
溜息を吐く秀吉に少しむっとしながら「説明してくれよ」と答えを求めた。
「孫市殿の派閥が多ければ、土橋が叛くわけなかろう。謀反とは、自分のほうが相手より有利なときにしか起こらん」
「あ……そうだな」
少し考えれば分かることだった。
「それで蛍殿。おぬしの話全てを信じるわけにはいかん。一応、身柄を預からせてもらう」
「仕方ないわ。どうせなら縄で縛る?」
「そこまではしない……と言いたいところだが、縄を打たせてもらう。雑賀衆でも指折りの実力者を自由にさせておくほど、間抜けな話はないからな」
「……どうして実力者だと?」
秀吉は大笑いした。
「わしの情報網を甘く見るな。蛍と小雀という鉄砲の名手が居ることぐらい知っている」
蛍さんは縛られて、そのまま別のところに連れていかれた。
そして秀吉は「どう思う?」と僕たちに訊ねる。
「話は真か否か。おぬしたちの意見を聞きたい」
「うーん。偽計かもしれないし。でもそれなら実力者である蛍ちゃんをみすみす死なせることになるわけで。一人でも戦力が要るときにこんな計略するかしら?」
半兵衛さんの意見に正勝は「俺はなんとなく嘘は言ってない気がするけどよ」と言う。
「本人が騙されているって可能性も否定できない。兄弟、頭領である雑賀孫市に会ったのはお前だけだ。あいつは――そういう計略を使うのか?」
僕は雑賀孫市を思い出す。
格好良さを追及する、利害などどうでもいいと思っている傭兵集団の長。
僕は「使わないと思う」と答えた。
「僕の知る雑賀孫市は、そういう男ではない」
「どういう男か、教えてくれ」
秀吉が興味深そうに訊ねた。
「僕の知る雑賀孫市は自分の生き様を格好良くしたい人間だ。そんな人間は計略を使わない。そして何より格好悪いことはしない」
そう。あいつはそれをやるくらいなら自害するだろう。
「自分の側近を己の計略のために利用して死なせるような格好悪い真似なんて、あの雑賀孫市がするわけがない」
◆◇◆◇
秀吉はその後、先陣の堀秀政殿のところに経緯を話し、山手側の進軍を開始するように頼んだ。
堀殿は本当に信用できるか分からないと言っていたが、秀吉の説得によって渋々承知してくれた。
しかし進軍を開始しても伏兵が隠れていそうな場所からの攻撃が無く、そのままゆったりと雑賀孫市が篭もっている雑賀城に向かうことができた。
思ったとおりだけど、その分土橋側についた雑賀衆がどれだけ居るのか不安になる。
そして雑賀城の目と鼻の先まで近づいたとき――
「雑賀城、何者かの攻撃を受けています!」
物見から報告が上がった――
「おそらく蛍殿が言っていた土橋の軍勢だろう」
馬上で秀吉が静かに言った。
その横で「舐めやがって……!」と正勝が怒っていた。
「織田家に攻められているのに、派閥争いだと? 馬鹿にしてんのか!」
「きっと、織田家なんて簡単に追い払えると思っているのよ」
半兵衛さんもこれには怒りを感じているようだ。
僕も内心憤りを感じているが、とりあえずどうするか秀吉に指示を仰ぐ。
「どうする秀吉?」
「様子見というわけにはいかん。おそらく土橋の軍勢はわしたちがここまで来ているとは思っておらん――後方から攻撃するぞ!」
まあ結果から言えば土橋の軍勢は本当に予想していなかったみたいで、ほとんど戦わず散り散りに去ってしまった。しかし流石に最強の傭兵集団は格が違った。混乱して逃げるのではなく、統率性のある退却をしていた。
背筋が寒くなる思いをしながら、僕たちは雑賀城に入城した、
蛍さんの縄を解くと彼女は「頭領の元に案内するわ」と僕たち四人を以前相対した部屋に連れて行く。
その部屋には傷の手当をされている雑賀孫市が居た。頭を怪我したみたいで、小雀くんが包帯を巻いている。
「あんたが羽柴家の当主、羽柴秀吉殿だな。助かったぜ。一応礼を言う」
「おぬしが雑賀孫市殿か。怪我は大したことなさそうだな」
孫市は「銃弾が頭に掠ったんだ」と説明した。
「流石の俺も焦ったぜ……それで、俺がしたい話は分かっているよな?」
「ああ。降伏の話だろう?」
孫市は「ああ、そうだ」とあっさりと言う。
「顕如殿が石山本願寺を退去しちまった以上、俺が織田家と戦う意味はないしな」
「あくまでも義理というわけか? 潔いと言えばそれまでだが」
一拍置いた後「おぬしについた雑賀衆は何人居る?」と秀吉は問う。
「土橋よりも少ないと思うが」
「なんだ蛍。そこまで話したのか?」
「いえ、推察されました」
孫市は「あんまり言いたくねえけどよ」と頬を掻きながら言う。
「たった二百だ」
「はあ!? たった一割しかついてこなかったのか!?」
思わず声をあげると「ほとんど浄土真宗の門徒だからなあ」と言い訳がましく孫市は呟いた。
「どれだけ人望が無いんだよ!」
「そりゃあお前のせいでもあるんだぜ? 七千貫を蹴ったことや土橋から守ったことも影響しちまったんだ」
「言いがかりするな!」
蛍さんが「頭領に無礼な口を利くな!」と怒鳴る。
「いや。蛍。雲之介の言うとおりだ。言いがかりだったよ……それに少し残念だったな。こんなに人望がないとは思わなかった」
落ち込む孫市を見ていると可哀想になってきたな。
「まあおぬしの人望などどうでもよい。それよりもやるべきことがあるだろう」
秀吉の容赦の無い言葉に孫市は顔を上げた。
「なんだ? 降伏の手続きか?」
「違う。土橋の一派の討伐よ」
秀吉は続けて言った。
「雑賀衆は寄合だと聞くが、一応の代表者はおぬしだ。その命に従わぬのなら、土橋は謀反人である。ま、名分は立つだろうな」
「……名分なんてもん、役に立つのか?」
これには半兵衛さんが答えた。
「ええ。名分は重要よ。人は自分が正義であると思っていたい生き物なの。誰だって悪者になりたくないわ」
「……女装癖の青瓢箪にしては分かった風じゃねえか」
「……なに? 殺し合いがしたいの?」
殺気立つ部屋。それを正勝が「やめろや面倒くせえ!」と一喝した。
「仲良くしろとは言わねえが、少しは協力しろや!」
「……分かったよ。それで、名分の話だが、どんだけ効果があるんだ?」
秀吉は「効果的にやれば寝返る者も出てくるだろう」と言う。
「それでも一気に争いを抑えられるとは言い切れん」
このとき、僕の頭にある考えが浮かんだ。
信じられないほどの冴えた考えだった。
「じゃあもっと効果的な人物の名分を使おう」
僕に注目が集まる。
そしてその考えを口にした――