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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
新たな火種
 石山本願寺から顕如たちは退去した。
 しかしこれで摂津国の要地を手に入れられたと思った矢先、またも浄土真宗に占拠されてしまったのだ。

「新しく我らが新しき教派を作る! 仏敵である織田信長を滅ぼすまで!」

 そう宣言したのは、顕如の息子である教如。彼は教団の強硬派を率いて石山本願寺に篭もってしまった。これには顕如もどうしようもなく、後に教如を義絶――親子の縁を切った。

「申し訳ございません。ご隠居さまに合わせる顔がありませぬ……」

 顕如は僕にそう言い残して、紀伊国の鷺森別院さぎのもりべついんに移り住んだ。本当にすまないと思っている表情だった。

 さて。まだ問題は残っていた。加賀国の一向宗である。
 何でも七里頼周――浅井久政さまを死に追いやった悪僧だ――が中心となり、本願寺から独立したらしい。名称は加賀本願寺という。そしてどういうわけか教如と手を組んでしまった。正確に言えば教如が独立を認めたようだ。もちろん、本家の本願寺からは破門を言い渡された。

 上様はこの結果を受けて「手柄を取り損ねたな」と僕に厳しく言う。当然のことなので叱責を甘んじて受け止めた。
 改めて佐久間さまを中心とした石山攻略のための軍団が創られた。その中には松永家も含まれていた。何を仕出かすか分からない松永家が参加することはあまり良くない気もするが、失敗した僕には何も言えなかった。
 というわけで交渉自体は成功だけど、結果から言えば失敗という暗澹たる内容になってしまった。それに関しては挽回するしかない。
 そう決意を新たにして、僕は一度長浜城に戻ることにした。

「そうか。そんなことがあったのか……」

 僕の屋敷に集まった家臣一同。その中で雪隆が呟く。

「しかし殿。その中で分からないことがある」
「なんだい? 何でも聞いてよ」

 島が僕の横の人物を指差す。

「どうして――下間頼廉殿がここに居るのか、ということだ」

 そう。僕の隣には下間頼廉殿が居た。
 彼は座ったまま、少しだけ頭を下げた。

「法主さまのご命令により、雨竜殿の補佐に回るようにとのことです」
「はあ!? 殿さま、それはどういうことですかい?」

 大久保が驚天動地な感じで僕に問う。

「言葉どおりだよ。本願寺殿がせめてもの罪滅ぼしで頼廉殿を預けてくださったんだ」
「そういう経緯なら仕方ないけど……雲之介さん、この人信用できるの?」

 なつめは珍しく言外に反対しているようだ。まあみんな一向宗には良い印象を持っていないみたいだ。

「信用しているし、疑うのは失礼だよ。それに上様と秀吉には許可を得ている」
「まあ、殿がそういうのなら、信じるしかないな」

 島は頼廉殿に頭を下げた。

「失礼なことを言ってすまなかった。許してほしい」

 その言葉に大久保もなつめも雪隆も頭を下げた。

「いや。こちらこそすぐに信用してくれなどと厚かましいことは言えない。疑うのは当然だ」

 渋い声で心の広いことを言う。流石に本願寺で軍事を担当していた人物である。

「それと、頼廉殿から雨竜家の職務について改善案があるらしい。よく聞いてくれ」

 僕の言葉に一同は襟を正す。

「雨竜殿から聞いたが、書類の処理が上手く行かないようだな。大久保殿は慣れているらしいが」
「……まあ否定はしない」

 雪隆の言葉を受けて「書類にも種類がある」と頼廉殿は言う。

「そこで、軍務に関する書類は真柄殿と島殿がやり、内務や財務に関わることは大久保殿がやるのはどうだろうか? そのほうがやりやすいと思うが」

 書類をそう分ける発想が僕にはなかった。何故なら僕は全て処理できるからだ。

「おお! それならなんとかできそうだ!」

 雪隆が嬉しそうに笑った。島も頷いている。

「それなら俺も少しは楽になりますかね?」
「そうだろうね、大久保。君もそのほうがいいだろう?」

 この提案によって雨竜家の政務が格段に効率良くなる。

「島。頼廉殿にいろいろと教えてあげてくれ」
「承知」
「雪隆と大久保は浅野と増田が担当している長浜城周辺の街道整備を手伝ってやってくれ」
「分かった」
「ああ、それと切り引いた木や石はそのまま安土で作っている城の建築材にするように二人に言っておいてくれ」
「へえ。分かりました」
「なつめは石山本願寺の情報を集めてくれ。決して無理をしないこと」
「分かったわ」

 矢継ぎ早に指示を出して「ちょっとはるの様子を見てくる」とその場を後にする。
 もうそろそろ産まれそうな時期だ。

「ああ。任せてくれ。それと少し休んだらどうだ?」
「ありがとう。雪隆。そうさせてもらうよ」

 屋敷の奥の間で布団を敷いて横になっていたはるに会う。
 はるは僕を見るなり「おかえりなさい、お前さま」と微笑む。

「調子はどうかな?」

 座りながら訊ねると「今日は調子良さそうだ」と答えるはる。

「お前さまは大変だったみたいだな。いろいろ聞いた」
「そうなんだ。とても疲れた。でもはるの顔見たら、少し癒されたよ」
「……お前さまは時々、恥ずかしいことを平気で言う」

 照れているようだ。

「晴太郎は、城に居るのか?」
「最近は野山で鉄砲を撃っているみたい。昨日、美味しい猪汁を馳走になった」
「そうか。そこまで上達したのか」

 噂をすれば影なのか、晴太郎が襖を開けて「父さま。帰ってきたんですね」と言う。

「おお。晴太郎。今日は獲物を取って来たのか?」
「ええ。鴨を数羽ほど」

 それから家族水入らずで話した。
 すっかり逞しくなった晴太郎を見て、少しだけ安心できた。

「そうそう。少しまた出かける」

 数刻ほど話したとき、僕はそう切り出した。
 はるは不安そうに「また戦か?」と言う。

「いや、そうじゃない。ちょっと会っておかないといけない人が居て」
「……女じゃないだろうな」
「違うよ。男だよ。明智さまに会いに行くんだ」

 晴太郎は「明智さまって、織田家重臣の明智さまですか?」と不思議そうに言う。

「ああ。身体の調子を崩されてしまったらしい。京で休養を取っているみたいだ」
「どうして父さまが見舞いに行かれるのですか? そんなに親しいのですか?」

 僕は「京の施薬院に居るんだ」とあまり言いたくないことを言う。
 晴太郎はそれ以上何も言えなくなった。

「一応、そこは僕の所有物だからね。そこで治療を受けているのなら、顔を出さないと」
「……分かりました。出立はいつですか?」
「はるのこともあるし、明日行ってすぐに帰るよ」

 本音を言えば見舞いする義理もないのだが、何事にも体面というものがある。
 仕方のないことだ。

 
◆◇◆◇

 
 それから数日後。僕は京に上っていた。
 施薬院に行くと頭に手拭をした女性、明里が出迎えてくれた。

「お久しぶりです。雨竜さん」
「ああ。久しぶりだね。明智さまは居るかな?」

 明里は「ええ。今、ぐっすりと寝ています」と言う。

「そうか。じゃあ今お邪魔するのは止したほうが――」

 そう言ってどこかで時間を潰そうとしたが「雨竜さまですか?」と僕を呼び止める声がした。
 声のするほうを見ると奥に女性が居た。
 髪が長い妙齢の女性。顔に少しだけ痕がある。

「あなたは?」
「明智が妻、煕子ひろこと申します」

 どこか疲れている様子だった。おそらく看病疲れだろう。

「雨竜雲之介秀昭です。明智さまは寝ているとのことで、また時間を改めて参ります」
「いえ。今目覚めたみたいです」
「そうですか。それでは少しだけお話させていただきます」

 僕は煕子さんに案内されて、明智さまが休んでいる部屋に来た。
 明智さまは上体を起こして、ぼうっとしていた。

「お前さま。雨竜さまがお見えになりましたよ」

 煕子さんの言葉で明智さまは虚ろな目で僕を見る。

「雨竜殿……」
「ご無沙汰しております……だいぶ痩せましたね」

 やせたと言うよりやつれたというのが正しい気がする。

「煕子。雨竜殿と二人で話したい」
「……分かりました」

 煕子さんが出て行った後、明智さまは僕に訊ねる。

「……聞きたいことがあります」
「なんでしょうか?」

 今思うと明智さまは怯えている様子だった。
 いや、とてつもなく――恐怖していた。

「塙直政殿の一族が追放になったのは、本当ですか?」
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