残酷な描写あり
かすみの婚姻
本日、晴天及び吉日なり。
この日がとうとう来てしまった……来てほしいような、ほしくないような、非常に複雑な思いが正直なところだ。
はあ……どうにかならないかな……
「お前さま。浮かない顔をするな。かすみに申し訳ないと思わないのか?」
僕の隣に居たはるに注意された。
「男親というのはこういうものだよ」
「それは同情するが、せっかくのハレの舞台だ。しゃきっとしないと」
まあ正しい。はるの言っていることはまさしく正しい。
でも正しいからってそのとおりにできる人間が少ないことも事実な訳で……
「父さま。かすみの準備は整いましたよ。見てやってください」
正装した晴太郎が報告してくれた。
「見たいような、見たくないような……」
「そんなこと言わないでください。とても綺麗ですよ」
「そうだぞ。お前さま」
二人に引っ張られて、かすみが控えている部屋に無理矢理入らされる。
そこには、白無垢を着たかすみが恥ずかしそうに座っていた。
志乃と婚姻したときを思い出す――
「か、かすみ……」
目からぽろぽろと涙が溢れる。
小さい頃から育ててきたかすみが婚姻する。
手元を離れて、一つの家族を作る……
「父さま、泣かないでください……私まで……」
かすみも涙ぐんでしまった。
僕は袖でごしごしと拭う。
「そうだな。みっともなかったな……」
「父さま。似合っている?」
かすみが首を傾げて僕に言う。
返事は決まりきっていた。
「もちろん、似合っているとも! 三国一の自慢の娘だよ。かすみは」
「……ありがとう。父さま」
志乃がこの場に居たら僕以上に泣いていたかな?
それとも僕を情けないと叱るかな?
「婿の従者が来ましたよ。さあ、かすみ。行こう」
晴太郎の先導でかすみはゆっくりと立ち上がり――僕に向かって言う。
「父さま。いろんなことがあったけど、それでも楽しかった」
「ああ。僕もだよ」
「幸せになるね。本当にありがとう」
そうしてかすみは去っていった。
その場に馬鹿みたいに立っていると「お前さま。行こう」とはるが優しく手を添えてくれた。
うん。行かないとな。
晴太郎とはるの三人で長政の屋敷に向かうとそこには懐かしい人たちが居た。
「おお、雲之介。久しぶりだな」
「義昭殿!? それに――」
義昭殿が居ること自体驚くことなのに、その隣に居た三人にもっと驚いた。
「久しいな。雨竜殿」
礼服で義昭殿の隣に居たのは、細川――じゃない、長岡藤孝さまだ。
「妹とは仲良くやっていますか? 雨竜さん」
織田家次期当主、織田信忠さま。
「お前もそんな年齢になったんだなあ」
上様の弟、織田長益さま。
「これはこれは……何のご用ですか?」
「余所余所しいな。聞いたぞ? お前の娘が婚姻するらしいじゃないか、雲よ」
長益さまがにやにや笑っている。
「叔父貴がどこからか聞きつけましてね。俺と元公方さまと長岡殿の四人で冷やかそうって魂胆なんですよ」
「……相変わらず悪趣味ですね」
思わず睨むけど何も応えてないみたいだった。
「一応言っておくが、私は違うからな」
長岡さまが真面目に言った。
「志乃殿の娘の婚姻は是非とも立会いたいと思ってな」
「そういえば、あなたどこかで……」
晴太郎が長岡さまの顔を不思議そうに見ている。
長岡さまはふっと軽く笑った。
「君は晴太郎くんだね。随分と大きくなったものだな」
「……ああ! 与一郎さんだ! 懐かしいなあ!」
そうか。志乃と顔見知りだったのなら晴太郎とかすみのことは知っていて当然か。
「父さま。与一郎さんって……」
「かつての足利家家老、細川藤孝さまだよ。今は長岡藤孝さまだけど」
「そうだったんですか……どうして姓を変えたんですか?」
答えづらいことを素直に訊ねる僕の息子。
「こら。そんなことを聞くな」
「あ、ごめんなさい……」
「いや。良いんだ……君の両親がきっかけで変えた。ただそれだけだ」
晴太郎は不思議そうな顔をした。
まあ経緯が分からないと分かんないだろうな。
「そういえば。かすみと婚姻する浅井家の者の名は昭政というではないか。私の名と似ているなあ」
「ああ。僕の名をあげたんです」
「なるほどな。そなたの名を……」
義昭殿が感心していると「義父上、これも縁ですね」と信忠さまは笑った。
それに対してはるが言及した。
「兄上。公方さまを義父と呼ぶと言うことは……」
「そうだ。俺の嫁さんは義父上の娘だ」
そういえば提案してたっけ。
義昭殿は「だからそなたの気持ちは分かるぞ」と笑う。
「大事な娘を盗られるのは、身を切る思いだろうな」
「分かりますか……! 義昭殿……!」
「義理の息子の前でそれ言いますか?」
こうして玄関先で騒いでいると「そろそろ中に入らないか?」と長益さまが提案してきた。
「市には俺たちが来ることを文で知らせていたから、もてなす用意ぐらいはしているだろう」
「根回しがいいですね……まさか、お市さまから情報を貰っていたんですか!?」
「同じ歳の兄妹だからな。ほどほど仲はいいのさ」
ううむ。油断も隙もあったもんじゃないな。
浅井家の中に入ると長政たち一家と秀吉、そしてねねさまが居た。
信忠さまの姿を見ると「これは若様」と秀吉は平伏した。
「わざわざご足労いただき恐悦至極でございます」
「ああ、良いんだ。俺も一応親戚なんだしさ」
少々面子が豪華すぎないかなと今になって思ってしまった。
正面にはやや緊張した面持ちの昭政くんとかすみが座っている。
「それでは、媒酌人を務めます秀吉とねねにてございます。これより婚儀を取り仕切りたいと存じます」
ねねさまの言葉でつつがなく婚姻の儀は終わった。
これで二人は夫婦になった。
二人の幸せそうな顔を見て、また涙が出てきた。
「おいおい雲。泣くなよみっともないな」
「し、失礼しました……」
「いいじゃないですか。長益の叔父貴。親父殿だって隠れて泣いているんだから」
うん? 隠れて泣いている?
信忠さまの言葉に一同は絶句した。
「うん? どうかした?」
「う、上様……婚姻のたびに泣いているんですか? 隠れて?」
「あっ。これ言っちゃ駄目なやつだ」
信忠さまは笑顔で手を合わせた。
「今の口外しないでくださいね。親父にばれたら全員切腹ですから」
全員、なら言うなよ! と思ったけど何も言えなかった。
場が良い感じに凍ったところで、歓談が始まった。
「もうすぐ、秋山信友が守る岩村城攻めるんですけど、秀吉さん手伝ってくれませんか?」
「若様に頼まれては仕方ありませんな。協力いたす」
「おい雲! 兄上が茶器を買ってくれないのだ!」
「それは兄弟の問題ですから……」
「昭政さん。かすみを幸せにしてやってください」
「ああ。もちろんだ! ところで晴太郎は義理の兄になるのか? それとも弟?」
僕は義昭殿の杯に酒を注いだ。
「わざわざ、お疲れ様です」
「構わんよ。それより与一郎がかすみを見て号泣しているが」
「ほっときましょう」
義昭殿は呑み干してから「少し二人で話せないか?」と誘ってくれた。
その場を離れて庭先に向かう。
「それで、何かお話でもあるんですか?」
「将軍を辞しても戦乱は終わらない……しかし元将軍だからこそ、できることがあるのだと思う」
いつになく真剣な表情の義昭殿。
「毛利家に行って降伏させようと思う」
思わず息を飲む――
「義昭殿。それは――」
言いかけた僕を手で制した義昭殿。
真剣な表情をしている。
「ま、できぬだろうな。十中八九。しかし一割でも二割でも可能性があるのなら、それに賭けたい」
「…………」
「信長殿のため、そして婿殿のために一肌脱ぎたいのだ」
そして僕に笑いかけたのだった。
「なあに。心配するな。無事に帰ってきたら茶でもごちそうしてくれ」
この日がとうとう来てしまった……来てほしいような、ほしくないような、非常に複雑な思いが正直なところだ。
はあ……どうにかならないかな……
「お前さま。浮かない顔をするな。かすみに申し訳ないと思わないのか?」
僕の隣に居たはるに注意された。
「男親というのはこういうものだよ」
「それは同情するが、せっかくのハレの舞台だ。しゃきっとしないと」
まあ正しい。はるの言っていることはまさしく正しい。
でも正しいからってそのとおりにできる人間が少ないことも事実な訳で……
「父さま。かすみの準備は整いましたよ。見てやってください」
正装した晴太郎が報告してくれた。
「見たいような、見たくないような……」
「そんなこと言わないでください。とても綺麗ですよ」
「そうだぞ。お前さま」
二人に引っ張られて、かすみが控えている部屋に無理矢理入らされる。
そこには、白無垢を着たかすみが恥ずかしそうに座っていた。
志乃と婚姻したときを思い出す――
「か、かすみ……」
目からぽろぽろと涙が溢れる。
小さい頃から育ててきたかすみが婚姻する。
手元を離れて、一つの家族を作る……
「父さま、泣かないでください……私まで……」
かすみも涙ぐんでしまった。
僕は袖でごしごしと拭う。
「そうだな。みっともなかったな……」
「父さま。似合っている?」
かすみが首を傾げて僕に言う。
返事は決まりきっていた。
「もちろん、似合っているとも! 三国一の自慢の娘だよ。かすみは」
「……ありがとう。父さま」
志乃がこの場に居たら僕以上に泣いていたかな?
それとも僕を情けないと叱るかな?
「婿の従者が来ましたよ。さあ、かすみ。行こう」
晴太郎の先導でかすみはゆっくりと立ち上がり――僕に向かって言う。
「父さま。いろんなことがあったけど、それでも楽しかった」
「ああ。僕もだよ」
「幸せになるね。本当にありがとう」
そうしてかすみは去っていった。
その場に馬鹿みたいに立っていると「お前さま。行こう」とはるが優しく手を添えてくれた。
うん。行かないとな。
晴太郎とはるの三人で長政の屋敷に向かうとそこには懐かしい人たちが居た。
「おお、雲之介。久しぶりだな」
「義昭殿!? それに――」
義昭殿が居ること自体驚くことなのに、その隣に居た三人にもっと驚いた。
「久しいな。雨竜殿」
礼服で義昭殿の隣に居たのは、細川――じゃない、長岡藤孝さまだ。
「妹とは仲良くやっていますか? 雨竜さん」
織田家次期当主、織田信忠さま。
「お前もそんな年齢になったんだなあ」
上様の弟、織田長益さま。
「これはこれは……何のご用ですか?」
「余所余所しいな。聞いたぞ? お前の娘が婚姻するらしいじゃないか、雲よ」
長益さまがにやにや笑っている。
「叔父貴がどこからか聞きつけましてね。俺と元公方さまと長岡殿の四人で冷やかそうって魂胆なんですよ」
「……相変わらず悪趣味ですね」
思わず睨むけど何も応えてないみたいだった。
「一応言っておくが、私は違うからな」
長岡さまが真面目に言った。
「志乃殿の娘の婚姻は是非とも立会いたいと思ってな」
「そういえば、あなたどこかで……」
晴太郎が長岡さまの顔を不思議そうに見ている。
長岡さまはふっと軽く笑った。
「君は晴太郎くんだね。随分と大きくなったものだな」
「……ああ! 与一郎さんだ! 懐かしいなあ!」
そうか。志乃と顔見知りだったのなら晴太郎とかすみのことは知っていて当然か。
「父さま。与一郎さんって……」
「かつての足利家家老、細川藤孝さまだよ。今は長岡藤孝さまだけど」
「そうだったんですか……どうして姓を変えたんですか?」
答えづらいことを素直に訊ねる僕の息子。
「こら。そんなことを聞くな」
「あ、ごめんなさい……」
「いや。良いんだ……君の両親がきっかけで変えた。ただそれだけだ」
晴太郎は不思議そうな顔をした。
まあ経緯が分からないと分かんないだろうな。
「そういえば。かすみと婚姻する浅井家の者の名は昭政というではないか。私の名と似ているなあ」
「ああ。僕の名をあげたんです」
「なるほどな。そなたの名を……」
義昭殿が感心していると「義父上、これも縁ですね」と信忠さまは笑った。
それに対してはるが言及した。
「兄上。公方さまを義父と呼ぶと言うことは……」
「そうだ。俺の嫁さんは義父上の娘だ」
そういえば提案してたっけ。
義昭殿は「だからそなたの気持ちは分かるぞ」と笑う。
「大事な娘を盗られるのは、身を切る思いだろうな」
「分かりますか……! 義昭殿……!」
「義理の息子の前でそれ言いますか?」
こうして玄関先で騒いでいると「そろそろ中に入らないか?」と長益さまが提案してきた。
「市には俺たちが来ることを文で知らせていたから、もてなす用意ぐらいはしているだろう」
「根回しがいいですね……まさか、お市さまから情報を貰っていたんですか!?」
「同じ歳の兄妹だからな。ほどほど仲はいいのさ」
ううむ。油断も隙もあったもんじゃないな。
浅井家の中に入ると長政たち一家と秀吉、そしてねねさまが居た。
信忠さまの姿を見ると「これは若様」と秀吉は平伏した。
「わざわざご足労いただき恐悦至極でございます」
「ああ、良いんだ。俺も一応親戚なんだしさ」
少々面子が豪華すぎないかなと今になって思ってしまった。
正面にはやや緊張した面持ちの昭政くんとかすみが座っている。
「それでは、媒酌人を務めます秀吉とねねにてございます。これより婚儀を取り仕切りたいと存じます」
ねねさまの言葉でつつがなく婚姻の儀は終わった。
これで二人は夫婦になった。
二人の幸せそうな顔を見て、また涙が出てきた。
「おいおい雲。泣くなよみっともないな」
「し、失礼しました……」
「いいじゃないですか。長益の叔父貴。親父殿だって隠れて泣いているんだから」
うん? 隠れて泣いている?
信忠さまの言葉に一同は絶句した。
「うん? どうかした?」
「う、上様……婚姻のたびに泣いているんですか? 隠れて?」
「あっ。これ言っちゃ駄目なやつだ」
信忠さまは笑顔で手を合わせた。
「今の口外しないでくださいね。親父にばれたら全員切腹ですから」
全員、なら言うなよ! と思ったけど何も言えなかった。
場が良い感じに凍ったところで、歓談が始まった。
「もうすぐ、秋山信友が守る岩村城攻めるんですけど、秀吉さん手伝ってくれませんか?」
「若様に頼まれては仕方ありませんな。協力いたす」
「おい雲! 兄上が茶器を買ってくれないのだ!」
「それは兄弟の問題ですから……」
「昭政さん。かすみを幸せにしてやってください」
「ああ。もちろんだ! ところで晴太郎は義理の兄になるのか? それとも弟?」
僕は義昭殿の杯に酒を注いだ。
「わざわざ、お疲れ様です」
「構わんよ。それより与一郎がかすみを見て号泣しているが」
「ほっときましょう」
義昭殿は呑み干してから「少し二人で話せないか?」と誘ってくれた。
その場を離れて庭先に向かう。
「それで、何かお話でもあるんですか?」
「将軍を辞しても戦乱は終わらない……しかし元将軍だからこそ、できることがあるのだと思う」
いつになく真剣な表情の義昭殿。
「毛利家に行って降伏させようと思う」
思わず息を飲む――
「義昭殿。それは――」
言いかけた僕を手で制した義昭殿。
真剣な表情をしている。
「ま、できぬだろうな。十中八九。しかし一割でも二割でも可能性があるのなら、それに賭けたい」
「…………」
「信長殿のため、そして婿殿のために一肌脱ぎたいのだ」
そして僕に笑いかけたのだった。
「なあに。心配するな。無事に帰ってきたら茶でもごちそうしてくれ」