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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
人との出会い
 かすみと万福丸を許して三日後。
 長浜城の謁見の間。
 僕は珍しい客人を茶でもてなしていた。

「うむ。やはり雨竜殿の点てる茶は美味しいな」

 天下の大悪人、松永久秀である。彼は満足そうに僕の点てた茶を飲んでいる。

「なかなかのお手前、見事である」
「その言葉を聞けて、嬉しく思います」

 僕の家臣たち――特に恨み骨髄の島は会うべきではないと猛抗議してきたけど、僕は訪ねてきたのだから会うべきだと反対を押し切った。まあ僕を幻術で操ろうとした危険人物に違いないけど――

「ふふふ。やはり度胸がおありだ。わしと二人きりで会ってくれるとは」

 正直、この老人に対して、どんな感情を持てば良いのか分からない。
 恐怖――ではない。
 嫌悪――とも違う。
 尊敬――間違いだ。

 強いて言うのなら、理解不能の四文字が相応しい。人をあっさりと裏切ったり殺したりできるなんて、僕には想像できない。
 そう。理解できないのだ――

「それで、ご用とは?」
「特に用はない。家督を息子の久通に譲ってな。暇で仕方がない」
「……僕はこれでも忙しいのですが」
「知っている。留守居役なのだろう?」

 ふざけているのか真面目なのか、まったく理解できない。

「しばらく会わないうちに、いろいろな変化が貴殿にあったそうだな」
「ええ。かなりありましたね」
「伊勢長島を落とした褒美に、織田家の一門衆になったそうじゃないか。まさか本圀寺で会った少年がそこまで出世するとはな」
「松永殿は大和国の四分の三を支配する大名ではないですか。それと比べたら大した出世ではないです」
「ふふふ。畿内を手中にしていた身からすると落ちぶれたものよ。それに既に隠居している」

 皮肉……ではないな。松永は何の後悔もしていないみたいだ。

「松永殿。あなたに訊きたいことがある」
「なんだ? なんでも訊いてみよ」

 僕は天下の大悪人に問う。
 猿の内政官は松永に問う。

「どうして人は争うんだ?」
「…………」
「自分の大事なものを守るためか? それとも他人のものを奪うためか?」

 松永は――にっこりと微笑んだ。まるで好々爺のように。

「その答えは一つではない。自分の大事なものを守るためであったり、他人のものを奪うためであったりする。自分の権力を高めるためかもしれん。落ちぶれるのが嫌なだけかもしれん。ただ単に殺し合いが好きなだけかもしれん。答えなど――元より求めることは徒労かもしれぬ」

 悪人にしては正論だと思った。
 しかし聞きたい答えではなかった。

「では、松永殿はどうして戦うんだ?」
「それは簡単よ。己がどこまで上り詰められるか、天下に証明するためだ」

 上り詰められるか? 天下に証明?

「わしは立派な出自とは言えぬ。しかしそんなわしでも大和の国主になれた。畿内を差配することができた。天下にわしという人間が居たことを証明できたのだ」
「つまり、それが松永殿の野心と野望の原動力だったのか?」
「ふふふ。そんなわけなかろう。初めは違う。わしは一心不乱に出世するため、必死で戦った。しかし三好家の重臣となったとき、こう思ってしまったのだ」

 松永は手を大きく広げて笑った。

「ああ、こんな簡単に夢は叶ってしまうのか、とな」
「夢……」
「そう。夢だった。偉くなって誰も彼も見返してやるというあまり美しくない夢だ。しかしだ、夢は覚めるもの。そしてまた別の夢を見るようになる。それが人生だ」

 松永が何を言っているのかは分かる。要は現状に満足できない人間なんだ。だから果てしない夢を追う。夢を現実のものとするために、戦い続けている。
 だからこの老人はいずれ謀反を起こす。果てしない夢という名の野心を叶えるために。

「逆に問うが、貴殿は何故、羽柴筑前守に従い続ける? 陪臣に甘んじているのだ?」
「それは……秀吉が好きだからだ」

 躊躇することなく答えた。
 それが当然だと思っていたからだ。

「ほう。筑前守が好きと?」
「ああ。僕は武士の出ではない。松永殿と同じ、出自がよろしくない。幼い頃は死体から武具を引き剥がして売って生計を立てていた、卑しい人間にすぎなかった。そんな僕に道を開かせてくれた大恩人なんだ、秀吉は」

 松永は興味深そうに笑った。存外爽やかな笑みだった。

「ではもし、会っていたのがわしだったら従っていたか?」
「それは分からない。でもそうだな……松永殿は筒井家攻めのとき、僕に幻術を使って思考と思想を変えようとした。もしかしたら僕はその状態になってしまっていたのかもしれない」
「あっさりと認めるのだな。なるほど、筑前守は運がいい」
「運が良いだけじゃないよ」

 僕はあっさりと否定した。
 松永は眉をひそめた。

「では、どういうことだ?」
「松永殿に問うけど、何の才覚も見せなかった幼い頃の僕を――あなたは拾うか?」

 その言葉に松永は何も言えなくなった。

「きちんと面倒を見て、仕事も与えて、家族との安らぎを与えられたか?」
「……認識を改めよう。筑前守はお人よしだったのだな」
「ええ。とびっきりのね。僕は常日頃から優しいと言われるけど――秀吉は本当にお人よしなんだ」

 それが今でも秀吉に従っている理由。そして織田家の陪臣で居る理由なんだ。

「しかしだ。そんな筑前守も越前国では酷いことをしているではないか」
「それは聞いているよ。今、越前国は一向宗にとって地獄だろうね」

 織田家による大虐殺が行なわれていると聞いている。いわゆる根切りだ。
 しかし僕には止める権利もなければ権限もない。

「それについては何か意見はないか?」
「……慈悲を与えるのは伊勢長島だけで十分だよ」

 本当は叫びたくなるくらい嫌だった。
 人を殺すことは本当に嫌だ。
 まるで殺されるために、死ぬために生きているようなものじゃないか。

「貴殿の考えていることは表情で分かる。戦国乱世で生きるには優しすぎる男だな」
「…………」
「そういえば、前妻が延暦寺の僧兵に殺されたと聞く」
「……よく知っているね」
「延暦寺の焼き討ちは貴殿にとって復讐だった。そう捉えても構わぬか?」

 黙って頷くと「それが戦乱の本質よ」と松永は笑った。

「一笑に付すような愚かしい理由で、人は狂気に陥る」
「…………」
「前妻殿がどういう経緯で死んだのかは知らん。だが出会ったことを後悔していないか? 嫌な殺しと復讐をしてしまったのだぞ?」

 にやにや笑う松永に「それこそ一笑に付すというものだ」と言う。

「僕は志乃と出会って、後悔したことはない。人と人との出会いはそんな単純なものではない」
「……ほう。聞かせてもらおうか」
「人と出会い、関わり、そして別れることは決して良いことばかりではなく、悪いこともあるだろう。しかし、そこに喜びがないとは思えない。僕は志乃と一緒に居て幸せだった」

 そうだ。未だに遺髪を持っていることもその理由だ。

「二人で過ごした日々や子供たちが生まれて四人になった嬉しさは、かけがえのないものだ。確かに死別したことは悲しいさ。不幸かもしれない。だけど――」

 僕は松永の目を見据えて言う。

「人と人との出会いは、なかったことにはならないんだ」

 そう。決してそうはならない。

「志乃は料理を作ってくれた。とても美味しくてたまらなかった。志乃は僕が危険な目に遭うと悲しんでくれた。申し訳ないほどに泣いてくれた。志乃は僕を怒ってくれた。ご飯抜きや一言も口を利いてくれないときは流石に困ったけど」

 様々な思い出がある。語りきれないほどの思い出が心にある。

「志乃と出会ったことはなかったことにはならないし、志乃は確かに居たことは決して覆らないんだ。志乃は僕の妻だった。それは絶対に忘れない。だから志乃は今でも僕の中で生きている」

 それを聞いた松永は笑みを止めて、それから吐き捨てるように言う。

「くだらん。死んだ人間は死んだままだ。生き続けるなど幻想に過ぎん」

 松永とは相容れないのは分かっていたが、ここまで異なると清々しい。

「いずれ貴殿も手に入れるぞ。わしは狙ったものは手に入れたくなるのだ」
「こんな僕を所望とはね……褒め言葉として受け取っておこう」

 そして最後に松永は言う。

「貴殿はわしの想像もつかないほど、高みに行くだろう。それが羨ましくあるな」

 
◆◇◆◇

 
 松永が帰って、僕は彼のことを考える。
 やはり恐怖も嫌悪も尊敬もできない。
 理解できない魔のような存在だ。

「雲之介さん、大丈夫か?」
「殿、何かされたのか?」

 雪隆と島が心配そうに僕を見た。
 安心させるように僕は微笑んだ。

「ああ。平気だよ。幻術は使われなかったようだ」

 その次の日、越前国攻めの戦果が報告された。
 一向宗門徒が五万人殺されて。
 越前国は織田家のものとなった――
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