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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
人の気持ちを決めるな
 全てを語り終えたのは、もう空が白み始めた頃だった。
 晴太郎は俯いたまま何も口出ししなかった。
 かすみは僕の顔をずっと見ていた。
 はるは僕の手を握っていてくれた。
 誰も何も話さない。気まずい中、僕は咳払いして話を続けた。

「僕は晴太郎が悪いとは思えない。志乃だってできる限りのことをしたんだろう」
「……その悪僧は、どうしたの?」

 震える声で問うかすみ。僕は「殺したよ」と短く言った。

「この手で殺した。報いを受けさせたよ」
「そ、そう、なんだ……」

 かすみは明らかに怯えていた。
 悪人だろうが僧侶を殺したんだ。当然のことだと思う。

「晴太郎。僕はお前が苦しんでいることは知っていた」
「…………」
「でも、お前から言うのを待っていた。どうしてか分かるかい?」

 晴太郎は――横に首を振った。

「それはね。僕から言ってしまえば、とても傷つくと分かっていたからだ。一年と半年前は、まだお前は幼かったからね」
「…………」
「しかし自分から言えるようになったのは、強くなったのだと思うよ」

 慰めにもならないことだけど、これが僕にできる精一杯の優しさだった。

「兄さま……どうして、私にも、教えてくれなかったの?」

 かすみは責めるような口調ではなかったけど、晴太郎ははっとして顔をあげた。
 かすみは、静かに涙を流していた。

「……いつか言おうと思っていた。でも言えなかったんだ」
「……どうして? 兄さま」
「かすみだけには、知られたくなかった」

 晴太郎も涙を流しながら言う。

「俺には、かすみしか居なかった。母さまは、俺が殺してしまったから。そして父さまは――」

 晴太郎はここで初めて、僕を責めるような目で見た。

「父さまが一番大切な人を、奪ったのは俺だ。そんな俺なんか、愛される資格なんていない」
「……そんなことはない」

 僕はできる限り穏やかな言葉で諭す。

「僕は晴太郎を愛している。たとえどんなことがあっても――」
「嘘だ! そんなの、嘘に決まっている!」

 晴太郎は立って、僕に近づいて無理矢理立たせるように胸ぐらを掴んだ。

「信じられるかよ! 母さまを殺したのは俺なんだ! いくら僧に脅されたとしても、殺したのは、俺なんだよ! 今でも母さまを刺した感触が残っている! 母さまの最期の表情が目に写っている! 俺は親殺しの大罪人だ!」

 晴太郎は、ずっと苦しんでいたのか。
 どうして、気づかなかったのか。いや、気づかないようにしていたのか。

「父さまだって、俺のことが憎いんだろう!? 嫌いだってそう言えよ! 愛しているとか、信じているとか、全部嘘だって言えよ! 絶対に俺のことを憎んでいるって――」

 そこまで晴太郎が言ったとき、僕は――晴太郎を殴った。
 初めて、晴太郎を殴った。
 畳の上に倒れる晴太郎。
 悲鳴をあげるかすみ。
 はるは動揺をしたけど、何も言わない。

「……僕の気持ちを、勝手に決め付けるなよ、晴太郎」
「…………」

 今度は僕が晴太郎を無理矢理立たせた。
 しっかりと目を合わせる。
 逸らすことなんて、許さない。

「お前が僕をどう思っても構わない。信じなくてもいい。でもな、僕の思いを勝手に決め付けるのは、良くないだろ。お前は――何を恐れているんだ?」
「父さま……許して……」

 晴太郎は怯えていた。悪夢を見た子供のように、震えていた。

「謝るから……もう、そんなこと、言わないから……許して……」
「父さま! もう兄さまを許してあげて!」

 かすみが僕の着物の端を掴んで懇願する。
 僕は晴太郎を放した。

「かすみ。お前もおかしなことを言うね」
「……えっ?」
「僕が許すかどうかじゃない。晴太郎が自分を許せるのかが問題なんだよ」

 すっかり怯えてしまっている晴太郎に、厳しく言う。

「晴太郎。お前は弱い。何故なら母親を守れなかったからだ」
「……と、うさま」
「そして今、僕に対して怯えている。父親から愛されないことに対して恐怖を感じている。だから、弱いんだよ」

 僕は――晴太郎に言う。

「もちろんそうなってしまった原因は僕にもある。志乃を施薬院で働かせたのは僕だしね。だから、僕も責任を取らないといけない」

 僕は脇に置いていた刀の鞘を抜いた。

「今ここで、お前を殺してあげる」

 かすみの行動はほとんど反射的だった。
 晴太郎の前に出て、身をもって庇ったのだ。

「駄目! そんなの、やめて!」
「……どけ、かすみ」
「兄さまを殺さないでよ! なんで殺すのよ!」

 必死の訴えに僕は「こうなってしまったら、晴太郎はもう駄目だ」と応じた。

「もちろん僕も息子を殺したとなれば、生きていけない。安心しろ。後を追って切腹するよ」
「なんでえ、そうなるのよ! 私はどうするの!」

 僕は「雨竜村で暮らせ」と冷たく言った。

「お前の祖父母の弥平殿もお福さんも受け入れてくれるだろう」
「そんな……はるさん、なんとか言ってよ!」

 はるは――首を振った。

「晴太郎は抗わない限り、もう駄目だろう。私もこれで未亡人か……」
「う、ううう……」

 かすみはもう何も言えずに泣き出してしまった。
 僕は上段に構える――

「かすみ、どいて」

 小さな声。掠れているみたいに、小さな声。

「兄さま……?」
「父さま、お願いします。俺は――死にたくない」

 晴太郎は僕に懇願した。

「……どうしてだ?」
「母さまから、貰った命を、父さまに殺させるわけにはいかない」

 晴太郎は泣きながら言う。

「ましてや、父さまを自害させるわけには、いかないんです……」
「…………」
「俺は、父さまのことが大好きなんです」

 晴太郎は滂沱の涙を流しながら叫んだ。

「かすみだって一人ぼっちにさせるわけにはいかない! 俺は一人だって思っていた! 母さまが死んでから、一人きりだと思い込んでいた! でも違っていた! 俺には父さまとかすみが居る! 俺は一人なんかじゃない! だから――」

 晴太郎は懇願するように頭を伏せた。

「だから、死にたく、ない……」

 ようやく、その言葉が聞けた。

「……その言葉を忘れないように」

 鞘に刀を納めて、呆然としている晴太郎とかすみに言う。

「僕は――お前たちを愛しているんだ。だから殺させないでくれ」
「父さま……」
「僕も志乃が死んだことは悲しい。でも、お前たちを失うことも同じくらい悲しいんだ」

 僕は二人に寄って――抱きしめた。

「もう家族を失いたくないんだ。分かっておくれ」

 二人は――僕に抱きついて泣き続けた。
 はるは離れたところで泣いた。
 ようやく家族がまた一つになれたことを実感した。

 
◆◇◆◇

 
「おっ。雲之介。何か良いことでもあったのか?」

 刻限よりやや遅れて評定の間に着くと、揶揄するように秀吉は言った。

「まあね。久しぶりに良いことがあった。それより、他のみんなは?」

 評定の間には僕と秀吉しか居なかった。秀長殿たちはどうしたんだろうか?

「他の者には外してもらった。実を言うとおぬしに話しておきたいことがあってな」
「うん? なんだい話しておきたいことって」

 秀吉は珍しくそわそわしていた。
 僕の中に不安が募っていく。

「実は……わしには側室が数人居るのを知っているだろう?」
「ああ。そうだね」
「数年前、その一人にわしの子が身ごもり産まれたのだ」

 あまりの衝撃に何も言えなかったけど、しばらくして「お、おめでとう」とだけ言えた。
 秀吉は満足そうに「うむ。おぬしならそう言ってくれると思っていた」と本当かどうか分からないことを言う。

「もうすぐそれなりの歳になるのだが。その、ねねには……」
「……言ってないのか?」

 黙って頷く秀吉に僕は頭を抱えた。
 秀吉はなんと僕に向かって平伏した。

「頼む! ねねにこれから言うから、付き合ってくれ!」
「ふざけるな! 僕は修羅場請負人じゃないんだぞ!」

 一難去ってまた一難。
 まあその後のことは胃が痛くなったので語るまい……
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