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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
筒井の夜襲
「雲之介さん、起きてくれ!」

 乱暴に揺さぶられて無理矢理起こされた。何がなんだか分からないけど、必死な顔で僕の顔を覗きこむ雪之丞に「どうしたんだ?」と訊ねる。

「夜襲だ! 筒井の兵が、本陣に!」
「なんだって!?」

 耳をすませば兵の騒ぐ声がする。どうやらいきなりの夜襲で混乱しているようだ。

「雪之丞、具足を着たか?」
「いや、俺も今起きたばかりで――」

 ゆったりな口調で言葉数の少ない雪之丞が、ここまで早口で喋るのは珍しい。
 ようやく状況を把握した僕は「まずは兵を静めよう」と言う。

「敵兵の数は分からないけど、同士討ちしてしまう可能性がある。まずは将である僕が表に出る」
「危険すぎないか?」

 僕は立ち上がって具足を身に纏いながらにっこりと微笑んだ。

「そのときは雪之丞が守ってくれるだろう?」
「――っ! ああ、もちろんだ!」

 心強い返事に頼もしさを覚える。僕たちの準備が整ったので、陣の外に出る。
 刀や槍を持っている、具足を着ていない足軽たちが僕を見ると、どうしたらいい? と言う顔をした。

「落ち着け! まずは怪しい者がいるか、確認するんだ!」
「あ、怪しい者って、どういう奴ですか?」

 足軽の一人に訊かれて、少し考えて「具足をきちんと着ているものだ」と堂々と言った。

「この混乱の中、具足をきっちり着ている者はいないし、夜襲に備えていた者でも緩ませているはずだ」
「な、なるほど!」
「しかし殺すな。なるべく生け捕りにしろ。敵の人数や狙いを聞きたい」

 この場に居た足軽は三十弱だった。まずは半兵衛さんの陣に向かう。おそらく兵の混乱をいち早く収めているはずだ。

「雲之介さん! あれを見てくれ!」

 雪之丞が指差すところで、きちんと具足を着た足軽が「筒井の兵が攻めてきたぞ!」と騒いでいる。

「五千の兵で攻めてきた! 逃げろ!」

 周りに居る足軽たちは「ご、五千の兵……」とすっかり怯えてしまった。

「慌てるな。まずは僕が行く。雪之丞も来てくれ」
「あ、ああ……」

 僕は騒いでいる足軽に訊ねた。

「五千の兵とは本当か?」

 足軽は「ははっ。まことにございます!」と自信満々に言った。

「そうか。しかしどうしてそれが分かる?」
「へっ?」
「こんなに混乱しているのに、どうして正確な人数を堂々と言えるんだ?」

 呆然とした足軽だったけど、次の瞬間、顔色を変えて刀を抜こうと――

「くっ! この――」

 雪之丞がその足軽の顔面を思いっきり殴った。倒れる足軽の喉元に、素早く刀を向ける雪之丞。

「――くそ!」
「皆の者、この者を縛り上げよ!」

 上手く捕縛できたので、周りを足軽たちに囲ませて、問い詰めることにした。

「お前は筒井の兵だな」
「…………」
「指揮している者の名前は?」
「…………」
「何人で攻めてきた?」
「…………」

 何一つ言わない。不敵な顔でこっちを睨み付けている。

「どうする? 骨の一本でも折るか?」
「そんな野蛮なことはしたくない」

 物騒なことを言う雪之丞を押さえつつ、僕は自分なりの考えを言う。

「おそらく少数で潜入したんだろう。違うか?」
「…………」
「何が狙いだ? これだけの大混乱だ。もう十分引き上げてもいい。しかしどうしてお前はここに留まって、まだ混乱させようとする?」
「…………」
「まさか――この機に乗じて、松永を始末する気か?」

 僕の言葉に顔を少し引きつらせた筒井の兵。

「松永が――危ない! みんな、急いで松永の陣に行くぞ!」

 僕を先頭に、松永の陣に向かう。
 その際、雪之丞は言った。

「松永が狙いなら、助ける必要は――」
「もし松永が死ねば、その責は誰が負う?」
「……それはそうだ」
「雪之丞。もう少し考えたほうがいい」

 やはりと言うべきか、松永の陣の前で殺し合いが繰り広がれていた。
 しかし流石に松永、口では夜襲はないと言いながら、備えはしていたようだ。
 どう加勢したものか、悩んでいると騎馬武者が松永の兵を蹴散らして、陣の中に入る。

「くそ! 雪之丞、行こう!」

 僕は隙を見て、陣の中に入る。

「松永ぁ! これで終わりだ!」

 槍を構えた武士――立派な体格だ――が槍先を松永に向けている。

「ほう。威勢がいいな若造。名乗れ」
「はっ! 俺の名は――」

 名乗りも待たずに、隣にいた雪之丞が、その武士に向かって――突撃した。

「ぬう!」

 素早く反応した武士は雪之丞が抜きながら放った刃を槍の中間で受けた。
 ぎしっと音がして、槍がへし折れる。

「おお、見事!」

 敵は槍を捨てて腰の刀を抜く。そして上段に構える。
 一方の雪之丞はやや下向きに構えて出方を窺っている。
 僕は援護でその者に向かって言う。

「おとなしく降伏しろ! 既にお前の味方は全員殺した!」
「な、なんだと!?」

 はったりだったが、敵は少し動揺したようだった。

「勇士たちを無惨に……許せん!」

 こちらに注目したのを見て、雪之丞は――懐に飛び込んだ。
 見るかぎり、敵のほうが僅かに大きい。離れていては不利だと悟ったのだろう。

「舐めるな小僧!」

 不意打ちの切り上げを半歩下がることで難なく回避する敵の武将。
 なかなかやるようだ。
 松永の本陣に単独で入るだけはある。
 そこからは言葉もなく、刀と刀で斬りあう、殺し合いになった。
 もはや僕には介入できない。

「ううむ。なかなかやりますな。貴殿の家臣は」

 いつの間にか僕の隣に来ていた松永。油断ならないな。

「剣の才がありますな。敵方よりも圧倒的に上。勝負ありだ」

 松永の見立てどおり、雪之丞は敵の刀を払いのけて、蹴りを入れて倒れさせた。

「ぐうう!」
「トドメだ――」

 馬乗りになって、喉元を刺そうとする――

「やめるんだ、雪之丞!」

 思わず止める――雪之丞は不思議そうな顔で僕を見る。

「この者には聞かないといけないことがある……縛り上げてくれ」

 僕は近くで何もできずにおろおろしていた松永の兵たちに言った。

「くそ! 殺すなら殺せ!」

 縛られながら決まりきったの台詞を吐く捕らえられた敵将。
 松永は危害が及ばない範囲でにやにやしている。
 その後、混乱が収まった本陣で、敵将を尋問することになった。

「まさかたったの五百で一万の兵たちを混乱させるなんてねえ」

 半兵衛さんは感心したように言う。

「稲葉山城をたった十六人で攻め取った軍師が言うと皮肉に思えるぜ」

 首をこきりと鳴らす正勝。確かにそのとおりだ。

「さて。君は筒井家の家臣で間違いないかな」

 秀長殿は余裕をもって、敵将に訊ねる。

「……筒井家家臣、島清興しまきよおきだ」

 僕たちは顔を見合わせた。その名を聞いたことがなかったからだ。

「無名の若武者にしてやられたのね……」
「おいおい。落ち込むなよ」

 半兵衛さんを慰める正勝。
 しかし、半兵衛さんは化粧をきちんとしているな。まあ落ち着いてからしたんだと思うけど、まさか混乱の最中にしたわけじゃないよな……

「この戦、勝てぬと君も薄々感じているだろう。何故、このような夜襲を?」
「松永さえ討ち取れれば、それで良かったのだ。俺の命などどうでもいい」

 島が秀長殿に返した言葉が、気に入らなかった。
 だからこう言ってしまった。

「筒井家の人間は短絡的なのか?」

 島は僕を睨みつけた。

「今なんと言った?」
「攻める機会ではないのに攻め立て、無謀な夜襲をして、こうして捕らわれている。短絡的としか言いようがないな」

 僕の言葉に本気で腹を立てたらしい。暴れだして「撤回しろ!」と叫ぶ。

「殿の心を知らぬ者め! 叔父の順政じゅんせいさまを殺された恨みを! 何一つ知らん分際で――」
「ああ、知らない。そんな小さい恨みで時勢を誤るような大名なんて知ったことか」

 僕は島と目と目を合わせた。

「ましてや君のような優れた将を、死地に向かわせるような大名なんて、滅べばいいんだ!」
「貴様ぁあああ!」

 島も怒っていたけど、僕も怒っていた。
 もしも五百ではなく、もっと多くの兵で夜襲をかけていたら、勝っていたかもしれない。
 つまり、使い捨てにされたのだ。彼は。

「秀長殿。島の処遇はどうなる?」
「……切腹させるつもりだ」

 僕は首を横に振って、島に言う。

「君、僕の家臣になれ」
「……何を言っているんだ?」

 僕の言っていることをこの場に居る人間には分からなかっただろう。
 捨て駒にされた彼に同情を覚えたことに気づいたのはいないだろう。

「おそらく筒井家は滅ぶ。そしたら松永に復讐なんてできやしない」
「…………」
「だけど織田家に居れば、松永を討つ機会があるかもしれない」
「馬鹿な。松永は従属しているはずだ」
「あの大悪人が、裏切らない保証がどこにある?」

 僕は脇差で縛っていた縄を解き、島に渡した。

「その脇差で切腹してもいい。僕をここで殺してもいい」
「ちょっと! 何言っているのよ、雲之介ちゃん!」

 半兵衛さんの制止する声。
 島も僕の言っていることを図りかねているようだ。

「僕を信じられるかどうか。それだけだ」

 しばらく僕の顔を見つめて、そして脇差を僕に返した。

「……はっきり言って、お前は頭がおかしいのではないか?」
「ふふ。初めて言われたよ」
「信用できん。だがしばらく考えてみる」

 そして正勝に向かって言った。

「縄で縛ってくれ。そのほうが安心するだろう?」

 
◆◇◆◇

 
 夜が明けて、ご嫡男の信忠さまがやってきて。
 城攻めが――行なわれた。
 筒井家は抵抗したけど、多勢に無勢で――
 二日後に落城した。
 燃えゆく城を、島は黙って見ていた。
 泣き言も弱音をも言わず、黙って見ていた。
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