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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
雲之介、教師になる
「こら! 虎之助寝るな! 市松も佐吉に絡まない!」

 秀吉の命令で子飼いの教師になったのだけど、なかなか上手くいかなかった。雪之丞と桂松は僕の言うことを聞くけど、他の三人は講義すらろくに聞かない。虎之助や市松は講義よりも京からやってきた吉岡一門の師範代が行なう稽古のほうが好きらしい。

 佐吉は佐吉で算術や礼法を既に会得しているから、つまらなそうに僕の講義を聞いているふりをしている。初めて会ったときは素直な子だと思ったけど、どうやらかなりの自信家のようだ。
 本来なら佐吉には高度なことをやらせてあげたいけど、それだと他のみんながついていけないんだよな。

「へん。武功も立てたことがない軟弱なおっさんに教わることなんかねえよ」

 講義を始めて二日経って、虎之助はそんなことを言って講義に出なくなった。市松も同じ気持ちらしく追随した。
 佐吉は一人で勉強すると言って出ていってしまった。

「……いいのか? 三人出て行ってしまったぞ」
「仕方ないよ。僕の力量不足だ」

 講義を始めて三日目の大広間。
 眉を顰める雪之丞に僕は力なく答えた。その様子を桂松は心配そうに見ていた。

「雲之介さんの講義は分かりやすい。あいつらのためになると思うが」
「世辞でも嬉しいよ。でも教わる側にやる気がないとな」

 まあ侮られているんだろうな。半兵衛さんの講義には出ているらしいし。

「そういえば、半兵衛さんの講義で一番成績が良いのは誰だ?」

 雪之丞は黙って桂松を指差した。

「おお。凄いな桂松は」
「……雲之介さんが丁寧に教えてくれたおかげです」
「うん? 聞いたのは半兵衛さんの講義だよ?」
「戦力の分析とか、雲之介さんが教えてくれた算術が役立ちました」

 おお、そうだったのか。しかしそれなら佐吉はどうだろうか?

「佐吉は……軍師には向いてませんね。すぐに裏をかかれてしまう」
「ああ……そんな感じがするな」

 どちらかというと、佐吉は僕と同じ内政官向きだからな。

 ここで僕が考える武将適正を言おう。
 雪之丞、虎之助、市松は猛将と言うべき才能を持っている。
 佐吉は文官で桂松は軍師に適正がある。
 この五人で一番優秀なのは、実を言うと桂松だったりする。目立つことを嫌う性格だから、積極性がないのが残念だけど、将来は一軍を率いる武将として活躍できるだろう。

「そういえば、明日から長政の息子の万福丸が講義に加わる。二人とも優しくするように」
「分かった。そうする」
「どんな子なんでしょうか?」

 
◆◇◆◇

 
 次の日。やって来た万福丸は開口一番「非才ながらよろしくお願いします」と丁寧にお辞儀をして大広間に入ってきた。

「ああ。万福丸か。とりあえず雪之丞――髪の長い子の左に座ってくれ」
「はい。分かりました」

 万福丸は雪之丞の隣に座る。父親に似ていてしっかりとした子供だ。
 歳は桂松と同じくらい。少々太っているが器量人であることは一目瞭然だ。顔は長政によく似ている。

「雲之介さん。子飼いの方々は私を入れて六人と聞いていましたが」
「三人は僕の講義を聞きたくないらしい。仕方ないからほっとくことにした」

 それを聞いた万福丸は「それは失礼ですよ!」と立ち上がった。

「父上の記憶を取り戻してくれた、雲之介さんが侮られるなんて!」
「いや、僕の講義が面白くないから……」
「許せません! 雪之丞さん! それと……」
「よ、桂松です……」
「桂松さん! 三人で一緒に行きましょう! 引きずってでも連れてくるんです!」

 うわあ。大変なことになったぞ。
 止めようとした矢先、同調したのは雪之丞だった。

「そうだな。俺の主君が馬鹿にされるのは腹が立つ」

 そして右隣に居た桂松を無理矢理立たせて「行くぞ」と短く言った。

「よく言ってくださった! 行きましょうぞ!」

 三人は勢い良く――桂松は違っていたけど――出て行ってしまった。
 ぽつんと残される僕。

「仕方ないな。普段の仕事を片付けよう」

 時間が経ったら来るだろう。そう思って仕事場に行こうとした矢先だった。

「あれ? 誰もいないのですか?」

 大広間に入ってきたのは、侍女を引き連れたねねさまだった。

「ねねさま。お久しぶりです」
「お久しぶりです。子飼いはどこに居ますか?」

 僕は正直に事情を話した。するとねねさまは「それは雲之介さんが悪いですよ」と苦言を言ってきた。

「虎之助や市松、佐吉のわがままを許すから、あなたは舐められるのです」
「それは分かりますが――」
「分かっていたら、子供たちが居なくなることはありませんよ」
「恥ずかしいと思います――」
「恥と思っているなら追いかけなさい」
「えっ。今から――」
「今すぐです。殿から受けた命令なのでしょう? きちんとやりなさい」

 なるほど。志乃や市が言うことを聞いたのが分かる迫力だった。声を荒げていないのに、恐ろしいと思ってしまった。

「分かりました。今すぐ向かいます」

 ねねさまに一礼して、早足で大広間を出る。視線が痛かった。
 長浜城の中を歩いているとばったり浅野長吉に出会った。
 浅野長吉はねねさまの親戚の子で、文官として長浜城で働いている。とても優秀な人物だ。見た目は穏やかそうで、どことなくねねさまに似ている。

「雲之介さま。どうかなさいましたか?」
「ああ。浅野か。実は――」

 二度目となる事情を話すとは浅野は大笑いした。

「あはは。『猿の内政官』と呼ばれるあなたにも苦手なことがあったんですね」
「僕だって人間だ。苦手なことぐらいあるさ。というよりなんだい『猿の内政官』って」
「ご存じないんですか? あなたの異名ですよ。市井の間でそう呼ばれています」

 ううむ。意外としっくりくるなあ。

「猿って秀吉のことだろう? よく広まったな」
「そりゃあ我が殿は……いえ、これ以上は言えませんね」

 そしてまた大笑いする浅野。本当によく笑う若者だ。

「そうだ。子飼いたちはどこに行った?」
「ああ、六人で城を出ましたよ。今どこに居るのは知りませんが」

 六人で城を出て行った? どうしてだろう?
 嫌な予感がした。僕は浅野に礼を言って、その場を後にした。

 念のために最近召抱えた鉄砲鍛冶、国友善兵衛くにともぜんべえが作った最新式の鉄砲を持っていくことにした。
 馬に乗って子飼いたちを探しに外へ行く。琵琶湖の近くに作られた長浜城は天然の水堀で結構な守りになっていた。もしかしたら水堀で溺れているかもしれない。

「なあ。六人連れの子供たちを見なかったか?」

 長浜の町。来訪者は必ずここを通るであろう目抜き通りで、領民の一人に訊ねた。

「あれ? 雨竜さまじゃないですか? 子供をお探しで?」

 領民がきょとんとした顔で僕を見る。僕のことを知っているらしい。

「ああ。知らないか?」
「なんか知りませんが、槍を持って熊退治に行くとか……」

 熊退治!? 子供だけで!?

「なんだと!? それで、どこに向かった!」
「伊吹山の方角へ向かいましたよ」
「そうか……! ありがとうな!」

 僕は領民に礼を述べて、東へと向かった。
 何がどうなって、熊退治をすることになったんだ?
 訳が分からない!

 
◆◇◆◇

 
 子供の足だからすぐに追いつくと思っていたけど、なかなか見つからなかった。
 とうとう伊吹山近くまで来てしまった。日も暮れだしている。

「雪之丞! 虎之助! 市松! 佐吉! 桂松! 万福丸!」

 皆の名前を呼ぶけど、返事がない。
 山の中に入る。ここらは地元の猟師も近づかない場所だ。

「くそ! 誰かいないのか!」

 一人愚痴る。このままでは子飼いたちの身が危ない――

「うわあああああああああああ!」

 戻ろうとしたとき、聞き覚えのある声がした。
 桂松だ!

「桂松! どこ居るんだ!」

 馬を走らせる。明らかに悲鳴だった。
 このとき、自分の身の安全は考えなかった。

「助けて! 誰か助けて!」

 桂松の声を頼りに向かうと、子飼いたちが居た。
 だけど無事じゃない。
 熊が子飼いたちを襲おうとしている!

「ぐおおおおおおおおおおおお!」

 子飼いたちは全員、木の上に居る。その木を揺らして、熊は彼らを食おうとしている。
 僕は馬を降りて、火薬を鉄砲に詰めて、熊に向けた。
 もっと近づかなければ、当たらない……慎重に歩く。

「があああああああああああああ!」
「嫌だ! 死にたくない!」
「誰か助けて!」

 子飼いたちは口々に泣き叫ぶ。唯一泣いていないのは雪之丞だけだった。

「みんな。聞いてくれ」

 雪之丞の声が僕に届く。

「俺が囮になるから逃げろ」
「馬鹿言うなよ! なんでお前が――」

 虎之助が食ってかかるけど「俺は年上だからな」と呟く。

「年下が死ぬのは嫌なんだ」
「でもよ……」
「熊が居なくなったら、すぐに行け」

 そう言って木から飛び降りる雪之丞。
 馬鹿! 自己犠牲にもほどがある!

「……来い」

 雪之丞は刀を抜いた。

「雪之丞!」

 叫んだのは市松だった。

「――――」

 雪之丞は何かを呟いた。
 襲い掛かる熊。もはや逃げられない!
 くそ。この距離で当たるかどうか……!

「雪之丞、伏せろ!」

 僕の言葉に反応して、雪之丞は伏せた。
 そして鳴り響く銃声。

 
◆◇◆◇

 
 結果として、熊はその場に倒れた。胴体に命中したが、心臓に当たったかは分からない。

「ふう。無茶をするな。雪之丞」

 どっと疲れが出たけど、これで安心だ。
 雪之丞は呆然としている。

「どうしてここが?」
「君たちの声が聞こえてね。間に合ってよかった」

 雪之丞の頭をぽんと叩いた。

「皆を守るためとはいえ、無茶は――」
「危ない!」

 誰の声かは分からなかった。
 振り向くと熊が居た。
 そして僕目がけて、爪を振るった――
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