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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
偉大なる父
 朝倉義景は――久政さまが切腹した日のことを語りだした。
 信じて良いのか判然としない話だったけど、それでも聞くしかない。

 久政さまは一乗谷城の評定の間で義景と会見したようだ。そこには筆頭家老の朝倉景鏡あさくらかげあきらを始め、前波吉継まえばよしつぐ富田長繁とだながしげら家臣団も居たらしい。
 敦賀の戦いで戦死した山崎吉家と真柄直隆は国内の一揆の鎮圧でその場には居なかったようだ。

『これは久政殿。遠路はるばる一乗谷まで――』
『ご挨拶はよろしい。さっそくだが本題に入らせてもらおう』

 義景の言葉を遮って、久政さまは話を切り出した。

『足利家の上洛の要請に何故従わぬ?』
『……家中でも意見が分かれている』

 義景は苦い顔でそう答えたらしい。この時点では義景も上洛には消極的だったのだ。
 その理由は、もしも上洛すれば自国の兵を戦にかり出されると思っていたからだ。民を鑑みる内政官としては当然だが、半兵衛さんの言ったとおり、戦国大名としては失格なのだろう。

『もしも上洛せぬのなら、朝倉家は滅ぶぞ』

 その言葉に反応したのは義景ではなく景鏡だった。

『無礼な! 孝景たかかげさま以来五代続いた、名門朝倉家を侮辱するつもりか!』

 それに同調したのは前波と富田だった。

『織田家のような家格の低い者に何ができるか!』
『所詮は田舎大名よ! いずれ武田に滅ぼされるが運命だ!』

 このとき久政さまは失望した顔を見せた。
 それに気づいたのは義景だけだった。

『名門の自負だけで、時勢を乗り切れると思うのは、大間違いだ』
『この期に及んで――』

 思わず立ち上がろうとした景鏡に『待て。客人だぞ』と制したのは義景だった。

『失礼しました。家臣が無礼を働いてしまって』
『……義景殿。貴殿はどう考える? 上洛するのかしないのか』

 義景は慎重に言葉を選んで答えた。

『私は越前国の大名として、民を第一に考えなければならない。他国の争いに出兵するのは、はっきり申し上げてお断りしたい』
『名門だからではなく、民を思ってのことならば、わしが公方さまと信長を説得してみせよう』

 ここで久政さまは妥協案を提示した。

『従うことを条件に、他国への出兵はしない。そう確約させよう。だからまず上洛してくれ』
『そのようなこと……できるのですか?』
『わしの命に代えても、認めさせてやる』

 そして――久政さまは頭を下げた。
 浅井家先代として、堂々とした、誰にも恥じることのない、誠意のある頼みだった。

『頼む。このとおりだ。三代続いた浅井家と朝倉家の絆を断ちたくない』
『久政殿……』

 義景は久政さまの誠実さに心を打たれたらしい。思わず頷きかけた――

『おやおや。それは困りますねえ』

 評定の間の襖ががらりと開いて、そこから兵――いや、僧兵が十数人入ってきた。
 刀を預けていた久政さまは僧兵たちに組み伏せられてしまった。

『な、何者だ!』
『ふふふ。お初にお目にかかります』

 これは義景の印象だけれど、その僧侶は徳が感じられず、まるで枯れ木のようにやせ細っていて、陰険な表情を浮かべていたという。

七里頼周しちりよりちかと申します。以後よろしく』
『なっ! 加賀国の一向宗か! 貴様、どうやってこの城に!』
『堂々と正面の門から、ですねえ。ご協力ありがとうございます。景鏡さん』

 不気味な笑みを浮かべた頼周はそう景鏡に言ったらしい。
 景鏡も同じく笑みを浮かべていた。

『景鏡! どういうことだ!』
『もはやあなたには、国を任せられないということですよ』

 景鏡は笑みをたたえたまま、義景に言う。

『内政官としては優秀かもしれないが、戦国大名としては不適です。これからは私が国政を握る』
『ふざけるな! そのようなことを――』
『そう言える立場ですか?』

 僧兵に刀を突きつけられる義景になす術はなかった。

『ふふふ。いいですねえ。非門徒の絶望する顔は、いつ見ても最高です』

 頼周は舌なめずりしながら義景に告げる。

『あなたの娘は既に攫いました。今頃石山本願寺へ向かっている途中でしょう』
『なんだと!?』
『次期後継者の教如さまと婚姻させます。これで本願寺と朝倉家は同盟国ですね』

 嵌められたことを痛感した義景。そしてこの場に山崎や真柄が居ないことも彼らの謀略だと気づく。

『まさか、一揆の煽動も――』
『無論です。ふふふ。しかしながら、ここであなたに機会を与えましょう』

 頼周は厳しい目つきで言う。

『本願寺と協力して織田家を滅ぼす手立てを講じなさい』
『そ、そのようなこと――』
『可愛らしい娘でしたな。嫁がれたお方は』

 頼周は口元を押さえた。楽しくて仕方がないと言わんばかりだった。

『娘が大事だと思っているのなら――協力しなさい』

 もしも協力しないと言えば、この場で斬られて、娘も悲惨な目に遭う。もはや義景に選択肢はなかった。

『……分かった。協力する』

 これが分岐点だった。

『さて。浅井久政殿。あなたにも協力してもらいますよ。交渉に失敗したと言って、織田家に朝倉家を攻めさせなさい。そして油断しているところを背後から浅井家が強襲するのです。さすれば信長は討ち取れます』

 このとき、久政さまは天を仰いで黙った。

『信長さえ討ち取れれば、後は本願寺が織田家を滅ぼします。浅井家と朝倉家は今までどおり共存できます。さあ、どうしますか?』

 頼周の言葉に久政さまは顔を正面に向けて――

『……断る』

 そう真っ向から断った。

『……理由を訊ねてもよろしいですか? あなたは信長が嫌いだと公言しているはずですが』
『確かにわしは信長が嫌いだ。だがな、殺したいほど嫌ってはおらん』

 久政さまは周りを僧兵に囲まれながらも、堂々と言った。

『そのような卑怯で姑息な取引には応じられぬ。浅井家先代当主としても、浅井長政の父としても。そして嫁いでくれたお市のためにもな』

 頼周は不快な表情をして、それから懐から短刀を久政さまの前に投げ捨てた。

『自害なさい。せめてもの慈悲です。武士らしく切腹して死になさい』

 久政さまは黙って短刀を拾い『介錯はいらぬ』と言って抜いた。

『猿夜叉丸、さらばだ』

 それが最期の言葉だった。

 
◆◇◆◇

 
「これが真相だ。自分の命と娘のために、下ってしまった私と違って、久政殿は、最期まで武士だった」

 話終えても、誰も何も言わなかった。お屋形様も徳川さまも柴田さまも。
 そして猿飛も。

「信長殿。これにて思い残すことはない」
「……そうか。ならばこの場で切腹してもらう」

 無表情のまま、お屋形様は告げた。
 思わず僕は「少しお待ちください!」と言ってしまった。

「なんだ雲之介。俺に意見するのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」

 すると義景は「良いのだ。雲之介とやら」と淋しそうに笑った。

「景鏡に傀儡として操られていたときは、地獄に落ちた心地だった。しかし今は晴れやかな気分だ」
「…………」
「だから、これで良いのだ」

 本当にそれでいいのか? 確かに久政さまの死に関係しているけど、命を奪うほど酷いことをしたのか?
 むしろ人質を取られた被害者じゃないか。

「権六。介錯してやれ」

 お屋形様が柴田さまに命じた――義景は頷いた。

「……気に食わねえなあ」

 怒気を孕んだ、苛立った声をあげたのは、猿飛だった。

「死んでおしまいなんて、許せねえよ」

 足を踏み鳴らして義景に近づいて、胸ぐらを掴む猿飛。

「死んでも、父上は戻らないだろうが」

 今、確かに、父上と言った猿飛。

「父上はあんたと俺を生かすために死んだんだよ。だってそうだろうが。本願寺はいずれ俺たちを殺すつもりだったに決まっている。くそ野郎どもだからよ」
「……長政殿」
「あんたは生きろ。死んで楽になれるなんて思うな」

 猿飛――いや、姿格好は山賊だけど、顔つきは長政さまになっている。

「一生悔やんで暮らせ。それがあんたへの罰だよ。くそったれ」

 胸ぐらを掴んだ手を離すと、義景はその場に尻餅をついた。

「な、長政さま……」

 僕の言葉に猿飛は「俺は長政じゃねえ」と言って振り返った。
 頬を涙が伝っていた。

「俺は猿飛仁助だ。立派に家と矜持を守った浅井久政の息子なんかじゃねえよ」
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