残酷な描写あり
忘れたいから働く
本圀寺の変と呼ばれる戦からしばらくして、僕はお屋形様に呼び出された。
本圀寺にある奥の間に向かうとそこには義昭殿、お屋形様、秀吉、そして細川さまが僕を待っていた。
僕が上座にいる義昭殿の前に座ると、その右に居るお屋形様が言葉を発した。
「雲之介。お前を大工奉行に任ずる。村井貞勝と共に公方さまの居城を作れ」
お屋形様の主命に対し、僕は平伏して「承知しました」と淡々と応じた。
秀吉はそんな僕を心配そうに見つめている。
「村井は別の主命で遅れている。半刻もすればお前と合流できるだろう。しかしその前に聞いておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「どのような城を建てる?」
僕は「防御性に優れた城を建てます」とすかさず言った。
「加えて将軍が住むのに相応しい、豪華なものを」
「言葉にするのは容易いがな。何か考えはあるのか?」
以前、角倉了以に聞いた松永久秀の居城、多聞山城のことを思い出した。
「石垣を築いて高さを出します。平地でも攻めにくいようにです」
「普通は山の上に築くものだが」
「京の都から離れるのは何かと問題があります」
多聞山城は今までに無い大胆な発想で作られていると聞いている。
悪人にできたことなんだ。できないわけがない。
前例があれば、定石を外した城を建てることも――可能なはずだ。
「平地で城を築くことが出来れば、今後の城造りの歴史が変わります」
「歴史を変える、か……しかし雲之介。いつ俺が城造りをお前に命ずると知った?」
お屋形様は鋭い目で僕を睨んだ。
「決めたのはつい先ほどだ。お前は知れたはずがない。なのにどうしてだ?」
「……本圀寺が戦で使い物にならなくなったときから、考えていました」
「……なんだと?」
僕はこの場に居る全員に分かりやすく説明した。
「本圀寺が強襲されて、お屋形様が真っ先に考えることは義昭殿の身の安全です。そのためには何をすべきか――安心できる住まいを提供すること」
「…………」
「ですから、命じられても良いように、僕なりにいろいろと考えていました」
戦のことには頭が回らないけど。
こういうことなら得意だった。
それに別のことを考えないと。
あのことを思い出してしまうから。
「……秀吉殿。雲之介を私の家臣に」
「公方さまの申し出だとしても、お断り申す」
義昭殿の頼みをばっさりと断る秀吉。
「なるほど。先を読めるようになったな。ならば二つの課題がなんなのか、分かるか?」
「ええ。一つは三好三人衆や畿内の大名の襲撃に備えて――素早く建てること」
「そうだ。なるべく早く建てろ。そしてもう一つは?」
頭の中でいろいろな考えが巡った。
その中でお屋形様が求めている答えを示す。
「木材などの機材の調達、ですね」
「そうだ。木材の調達から加工するまでに時間がかかる。どうするつもりだ?」
僕はふうっと溜息を吐いて、周りを見渡してから言った。
「本圀寺はこのように内部は無事ですね」
「……まさか、君は本圀寺を使うつもりなのか!?」
細川さまが大声を上げた。思いもしなかったのだろう。
「ええ。ここはもう血に濡れすぎている。寺としては使い物になりません。ならばいっそ、建物を新しく再利用するべきです」
細川さまが何か言いたげだったけど、思い直したように「まあ悪くない策だ」と言ってくれた。
「しかし公方さまはその間、どこに住む?」
「公家のどなたかの屋敷を間借りしてはいかがかな?」
細川さまの問いに答えたのは秀吉だった。
義昭殿はそれに頷いた。不満はないようだ。
「私は問題ないぞ。与一郎」
「かしこまりました」
話はまとまったのを見計らって、お屋形様は言う。
「それでは直ちに築城を始めよ。期待しているぞ」
「ご期待に添えるように努めます」
お屋形様と秀吉が部屋から出た後、義昭殿が「雲之介、そなたに贈り物がある」と木の箱を出した。とても高級そうだ。
「なんですかそれは?」
「開けてみよ。かなり珍しいものだ」
僕は箱を受け取って、紐を外して、中を開けた。
そこには――見たことのない不思議なものがあった。
木でできている。形は横に細長い長方形だった。内側は串のようなものに玉が刺さっていて、それがじゃらじゃらと動く。玉は一つの串に七つあり、仕切りで二つと五つに分かれている。
なんだろう。音が鳴るから楽器だろうか?
「それは『そろばん』というものだ」
「そろばん……どこかで聞いたような」
「簡単に言えば計算をしやすくする装置だ。常々、簡単に計算できたら良いと言っていただろう」
計算をしやすくする装置。思い出した。宗二殿から聞いたのだった。しかしどうやって使うのか、判然としない。
「義昭殿。どうやって使うんですか?」
「玉を上下させるのだが、私にも分からん。詳しくは商人が書いてくれた指南書を読んでくれ」
そろばんが入っていた箱の底に紙が挟まっていた。
指南書を読むと、なかなか複雑そうだった。
習得には時間がかかりそうだ。
「ありがとうございます。勉強して使いこなしてみせます」
「うむ。これからも仕事に励んでくれよ」
満足そうに頷く義昭殿。
その様子を細川さまはじっと見つめていた。
それには気づかないふりをした。
それから村井さまと合流して、僕の築城計画を話すと、すぐさま頷いてくれた。
「うん。それがいいね。でも木材も石も足らないから、足利家の御用商人に頼んで調達してもらおう」
村井さまは柔和な表情で言った。文官としてやり手な人物だけど、どこか気の弱そうな雰囲気があった。細目で顔が長いことよりも、そっちのほうが気にかかる。
「商人に払う金は織田家で負担することになったから」
「そうですか。それは助かります」
「それにしても雲之介の考えは柔軟だね。見習いたいよ」
陪臣である僕にお世辞を使っても意味が無いのに。
この人は善人なんだなと思った。
本圀寺の解体作業は昼夜問わず続き、並行して築城も進ませた。
建材の調達と人足の手配、そして築城の監督。目の回る忙しさだった。
眠る暇も無いくらい――忙しくなる。
そうやっていれば、あのことを思い出さずに済む。
月日が経ち、もうすぐ城ができそうな頃。
僕は久々に自分に与えられた屋敷に戻った。
「おう兄弟。久しぶりだな」
「雲之介ちゃん。あなた酷い顔になっているわよ?」
門の前に待ち構えていたのは、正勝と半兵衛さんだった。
「二人とも久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
「お前は全然元気じゃないようだな」
門に寄りかかっていた正勝は身体を起こして、僕の肩を叩いた。
「秀吉さんに聞いたよ」
「何を? ああ、足利家の家臣になったことか。それは一時的なことで――」
「ちげえよ。お前――人を殺したようだな」
聞きたくない言葉をはっきりと言われてしまった。
「雲之介ちゃんのことだから、思いつめているんじゃないかと思って、心配してたわ」
半兵衛さんも聞きたくないことを言ってきた。
「お前、ちゃんと寝ているのか? 酷い隈だぜ?」
「寝ている? いや、あんまり寝ていないけど……」
「……どうして寝ていないの?」
だって、寝たらあのときのこと、夢に見るんだ。
「いいだろう別に。なんだ二人とも。遊びに来たのか? 随分暇なんだな」
苛立って皮肉を言う。
だけど正勝が予想もしないことを言い出した。
「それもちげえよ。お前の家族を連れてきたんだ」
「……家族?」
「もう来てもいいわよ!」
その言葉を合図に。
屋敷から、秀長殿と一緒に――志乃が出てきた。
僕の子ども――すやすや寝ている晴太郎とかすみを抱いて。
能面みたいな無表情でやってきた。
「志乃……」
「……こんな日が来ると思っていたわ」
志乃は真剣な表情で。
僕を気遣うように。
はっきりと言ってくれた。
「あなたは――悪くない」
本圀寺にある奥の間に向かうとそこには義昭殿、お屋形様、秀吉、そして細川さまが僕を待っていた。
僕が上座にいる義昭殿の前に座ると、その右に居るお屋形様が言葉を発した。
「雲之介。お前を大工奉行に任ずる。村井貞勝と共に公方さまの居城を作れ」
お屋形様の主命に対し、僕は平伏して「承知しました」と淡々と応じた。
秀吉はそんな僕を心配そうに見つめている。
「村井は別の主命で遅れている。半刻もすればお前と合流できるだろう。しかしその前に聞いておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「どのような城を建てる?」
僕は「防御性に優れた城を建てます」とすかさず言った。
「加えて将軍が住むのに相応しい、豪華なものを」
「言葉にするのは容易いがな。何か考えはあるのか?」
以前、角倉了以に聞いた松永久秀の居城、多聞山城のことを思い出した。
「石垣を築いて高さを出します。平地でも攻めにくいようにです」
「普通は山の上に築くものだが」
「京の都から離れるのは何かと問題があります」
多聞山城は今までに無い大胆な発想で作られていると聞いている。
悪人にできたことなんだ。できないわけがない。
前例があれば、定石を外した城を建てることも――可能なはずだ。
「平地で城を築くことが出来れば、今後の城造りの歴史が変わります」
「歴史を変える、か……しかし雲之介。いつ俺が城造りをお前に命ずると知った?」
お屋形様は鋭い目で僕を睨んだ。
「決めたのはつい先ほどだ。お前は知れたはずがない。なのにどうしてだ?」
「……本圀寺が戦で使い物にならなくなったときから、考えていました」
「……なんだと?」
僕はこの場に居る全員に分かりやすく説明した。
「本圀寺が強襲されて、お屋形様が真っ先に考えることは義昭殿の身の安全です。そのためには何をすべきか――安心できる住まいを提供すること」
「…………」
「ですから、命じられても良いように、僕なりにいろいろと考えていました」
戦のことには頭が回らないけど。
こういうことなら得意だった。
それに別のことを考えないと。
あのことを思い出してしまうから。
「……秀吉殿。雲之介を私の家臣に」
「公方さまの申し出だとしても、お断り申す」
義昭殿の頼みをばっさりと断る秀吉。
「なるほど。先を読めるようになったな。ならば二つの課題がなんなのか、分かるか?」
「ええ。一つは三好三人衆や畿内の大名の襲撃に備えて――素早く建てること」
「そうだ。なるべく早く建てろ。そしてもう一つは?」
頭の中でいろいろな考えが巡った。
その中でお屋形様が求めている答えを示す。
「木材などの機材の調達、ですね」
「そうだ。木材の調達から加工するまでに時間がかかる。どうするつもりだ?」
僕はふうっと溜息を吐いて、周りを見渡してから言った。
「本圀寺はこのように内部は無事ですね」
「……まさか、君は本圀寺を使うつもりなのか!?」
細川さまが大声を上げた。思いもしなかったのだろう。
「ええ。ここはもう血に濡れすぎている。寺としては使い物になりません。ならばいっそ、建物を新しく再利用するべきです」
細川さまが何か言いたげだったけど、思い直したように「まあ悪くない策だ」と言ってくれた。
「しかし公方さまはその間、どこに住む?」
「公家のどなたかの屋敷を間借りしてはいかがかな?」
細川さまの問いに答えたのは秀吉だった。
義昭殿はそれに頷いた。不満はないようだ。
「私は問題ないぞ。与一郎」
「かしこまりました」
話はまとまったのを見計らって、お屋形様は言う。
「それでは直ちに築城を始めよ。期待しているぞ」
「ご期待に添えるように努めます」
お屋形様と秀吉が部屋から出た後、義昭殿が「雲之介、そなたに贈り物がある」と木の箱を出した。とても高級そうだ。
「なんですかそれは?」
「開けてみよ。かなり珍しいものだ」
僕は箱を受け取って、紐を外して、中を開けた。
そこには――見たことのない不思議なものがあった。
木でできている。形は横に細長い長方形だった。内側は串のようなものに玉が刺さっていて、それがじゃらじゃらと動く。玉は一つの串に七つあり、仕切りで二つと五つに分かれている。
なんだろう。音が鳴るから楽器だろうか?
「それは『そろばん』というものだ」
「そろばん……どこかで聞いたような」
「簡単に言えば計算をしやすくする装置だ。常々、簡単に計算できたら良いと言っていただろう」
計算をしやすくする装置。思い出した。宗二殿から聞いたのだった。しかしどうやって使うのか、判然としない。
「義昭殿。どうやって使うんですか?」
「玉を上下させるのだが、私にも分からん。詳しくは商人が書いてくれた指南書を読んでくれ」
そろばんが入っていた箱の底に紙が挟まっていた。
指南書を読むと、なかなか複雑そうだった。
習得には時間がかかりそうだ。
「ありがとうございます。勉強して使いこなしてみせます」
「うむ。これからも仕事に励んでくれよ」
満足そうに頷く義昭殿。
その様子を細川さまはじっと見つめていた。
それには気づかないふりをした。
それから村井さまと合流して、僕の築城計画を話すと、すぐさま頷いてくれた。
「うん。それがいいね。でも木材も石も足らないから、足利家の御用商人に頼んで調達してもらおう」
村井さまは柔和な表情で言った。文官としてやり手な人物だけど、どこか気の弱そうな雰囲気があった。細目で顔が長いことよりも、そっちのほうが気にかかる。
「商人に払う金は織田家で負担することになったから」
「そうですか。それは助かります」
「それにしても雲之介の考えは柔軟だね。見習いたいよ」
陪臣である僕にお世辞を使っても意味が無いのに。
この人は善人なんだなと思った。
本圀寺の解体作業は昼夜問わず続き、並行して築城も進ませた。
建材の調達と人足の手配、そして築城の監督。目の回る忙しさだった。
眠る暇も無いくらい――忙しくなる。
そうやっていれば、あのことを思い出さずに済む。
月日が経ち、もうすぐ城ができそうな頃。
僕は久々に自分に与えられた屋敷に戻った。
「おう兄弟。久しぶりだな」
「雲之介ちゃん。あなた酷い顔になっているわよ?」
門の前に待ち構えていたのは、正勝と半兵衛さんだった。
「二人とも久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
「お前は全然元気じゃないようだな」
門に寄りかかっていた正勝は身体を起こして、僕の肩を叩いた。
「秀吉さんに聞いたよ」
「何を? ああ、足利家の家臣になったことか。それは一時的なことで――」
「ちげえよ。お前――人を殺したようだな」
聞きたくない言葉をはっきりと言われてしまった。
「雲之介ちゃんのことだから、思いつめているんじゃないかと思って、心配してたわ」
半兵衛さんも聞きたくないことを言ってきた。
「お前、ちゃんと寝ているのか? 酷い隈だぜ?」
「寝ている? いや、あんまり寝ていないけど……」
「……どうして寝ていないの?」
だって、寝たらあのときのこと、夢に見るんだ。
「いいだろう別に。なんだ二人とも。遊びに来たのか? 随分暇なんだな」
苛立って皮肉を言う。
だけど正勝が予想もしないことを言い出した。
「それもちげえよ。お前の家族を連れてきたんだ」
「……家族?」
「もう来てもいいわよ!」
その言葉を合図に。
屋敷から、秀長殿と一緒に――志乃が出てきた。
僕の子ども――すやすや寝ている晴太郎とかすみを抱いて。
能面みたいな無表情でやってきた。
「志乃……」
「……こんな日が来ると思っていたわ」
志乃は真剣な表情で。
僕を気遣うように。
はっきりと言ってくれた。
「あなたは――悪くない」