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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
婦人の如し
 稲葉山城――かの斉藤道三が天下無双の堅城と評していた、あの稲葉山城が、たった十数名で落城した。それが軍略に疎い僕にも途方のない出来事だと分かった。

「ど、どうやって攻め落としたんだ?」
「分からん。詳細は不明だ。今、早馬でお屋形様の使者がこちらに参った」

 藤吉郎にも皆目見当がつかないみたいだ。小一郎殿と小六は一様に信じられないという顔をしていた。

「……それがもし本当ならば、竹中半兵衛という男は大したものだな」

 傍で寝ていた長政さまがぼそりと呟いた。

「雲之介。おぬしはここで休んでおれ。わしたちはこれから稲葉山城に向かう」
「えっ? 何をするつもりなんだ?」
「決まっておろうが。主命が下ったのだ。竹中半兵衛を説得して織田家に従わせろとな」

 そんなこと、できるのだろうか?
 相手は十数人で稲葉山城を攻め取った勇将だ。そんな人物に藤吉郎がいくら弁が立つからと言って、あっさりと応じるんだろうか。
 不安が顔に出ていたのか、藤吉郎は僕に「そんなに心配するな」と優しく声をかけてくれた。

「敵の敵は味方という言葉もある。案外すんなりと従ってくれるかもしれん。それに悪くても精々、門前払いだろう」
「……まあそれなら安心するけど」

 そして藤吉郎は長政さまに膝をついて頼んだ。

「長政さま。雲之介をしばらく佐和山城で休ませてくだされ。何、三日で構いませんから」
「まあいいだろう。拙者たちは小谷城へ戻るが、城主の磯野いそのには伝えておく。直経、急ぐぞ」
「ははっ。竹中半兵衛への対策ですな」
「そうだ。織田家と同盟を結んだ今、無関係とはいくまい」

 そして長政さまは遠藤直経殿の肩を借りて布団から立ち上がった。

「木下殿。そして雲之介殿。また会おうぞ」

 そう言い残して、二人は部屋から去っていった。
 長政さまが部屋を出るやいなや、平伏していた藤吉郎は立ち上がり「よし、行くぞ皆の者!」と急いで部屋から出ようとする。

「清洲で待っておるぞ、雲之介!」
「兄者、急ぐのは分かるが……雲之介、ゆっくりで構わないよ!」
「兄弟、土産ぐらい買ってこいよ!」

 三人は僕に向かって言ってから、そのまま部屋から出てしまった。
 残された僕は布団を被って寝る。
 身体中が痛いし、さっきまで寝ていたのに眠い。
 でも、眠れそうになかった。

「竹中半兵衛……どんな人だろう」

 軍略家でもなく武将でもない、文官の僕でも、興奮が抑えられなかった。
 たった十数人で城を落とす。
 史記に出てくる韓信もしくは張良を想起させるような。
 あるいは三国志の諸葛亮孔明みたいだった。

「一度会ってみたいな……」

 考え続けると眠れそうになかった。
 だけど、考えるのはやめられそうになかった――

 
◆◇◆◇

 
 それから三日後。僕はまだ痛んではいるけど、尾張国まで帰れるくらいの体力がついたので、佐和山城を後にすることにした。
 城に居た間、磯野員昌いそのかずまさ殿には良くしてもらった。何でも長政さまがあんなに生き生きしていたのは初めて見るという。

「若君はご隠居さま――久政さまの言いなりになっているところがあってな。だからだろう、覇気が感じられなかった。しかし雨竜殿と喧嘩したおかげで険が取れた気がする」

 磯野殿は口髭を蓄えた武将らしい顔つきをしていた。そして城主であるのに関わらず、他家の陪臣である僕に頭を下げた。

「ありがとう。浅井家はこれから大きくなるだろう。そなたのおかげだ」

 長政さまも器が大きい人だったけど、磯野殿も同じくらい大きな人だった。

「お礼を言うのはこちらですよ。長政さまのおかげで、僕は前に進めます」
「そう言ってくれるか。話に聞いていたとおりの人だな」

 磯野殿と話していると自分の小ささを思い知らせるようで恥ずかしい気持ちで一杯だった。
 しかしそれは存外、悪い気分じゃなかった。

 磯野殿と城兵に見送られて、僕は佐和山城を去った。
 僕は長政さまとお市さま、二人のことを思う。
 二人がいつまでも幸せに暮らしてほしい。
 そう祈っていた。

 北近江国から美濃国へ入り、尾張国へと向かうのが清洲城への最短距離だ。当然、その経路で帰る。途中の市で志乃への土産と藤吉郎たちへの詫びの品を買う。志乃にはかんざし、藤吉郎たちには地酒だ。ついでに小一郎殿のために薬を買っておく。
 こうして一人きりで旅をするのは、何年ぶりだろうか。天気は快晴。頬に当たる風が心地良い。
 もうすぐ夏の季節となる。酷い暑さにならないといいけど。

 竹林に囲まれた街道を歩いていると、三人の旅人らしき者が立ち止まっている。一人がうずくまって、二人が介抱している。
 正直厄介事には巻き込まれたくないが、放っておくのも忍びない。それに一本道だからどうしても関わってしまう。
 とりあえず声をかけよう。そう思って近づく。

「もし。大丈夫ですか?」

 近づくとうずくまっているのが女性だと分かった。
 他の旅人の二人がこちらを見た。

 一人は絵に描いたように平凡そうな男。
 もう一人は顔色の悪い女だった。介抱されている女性よりも青白い。
 三人とも僕と同じくらいの年齢だった。

「ああ。気分が優れないみたいで、立てないようです」
「そうですか……そういえば、さきほど薬を買ったのです。使えるものがあればお譲りします」

 僕は小一郎殿に渡すはずだった薬を見せる。

「ふうん。頭痛薬に整腸剤、それから胃薬……だいぶ苦労人なのね、あなたは」

 青白い女性が手早く薬を確認する。そして苦しそうな女性に「これを飲みなさい」と薬を取って竹筒と一緒に差し出す。

「あ、ありがとうございます……」
「もう、しっかりしなさいよね。後もうちょっとで近江国に着くんだから!」
「姉上。ちささんは長旅に慣れてないのですよ!」

 どうやら平凡そうな男と青白い女は姉弟のようだ。そしておそらくちさという女性は平凡そうな男の妻かもしれない。
 それにしても、青白い女は変な感じがする。水色の小袖。髪は長く、整った顔立ち。だけど化粧が濃い。

「……何見てるのよ」

 こちらを見る視線を感じた。青白い女が怪しんでいる。
 いや、怪しんでいるのはこちらもだけど。

「いえ。何も」
「ふうん。まあいいわ。顔のできたての怪我のこととか気になるけど、あたしたちも急がなくちゃいけない――」

 そこまで言った後、急に振り返る女。見ると遥か後方から馬のいななく声が聞こえる。

「しまった! 急ぐわよ、久作きゅうさく!」
「姉上! ちささんが――」
「私のことは構わず、逃げてください……」

 なるほど。追われているのか。
 僕は「早く竹林に隠れて!」と指示した。

「なんとか誤魔化しますから」
「はあ? あなた、どうして――」
「信じるわよ! ちさ、久作!」

 青白い女が素早く従ってくれたおかげで三人は迫ってくる馬に乗った二人の兵士から隠れることができた。

「おい貴様。三人の男女を見なかったか?」

 馬に乗ったまま、鎧を着た兵士の一人が聞いてきた。

「三人の男女?」
「男二人に女一人だ。知らんのか?」

 男二人に女一人? おかしいな……
 僕はよく分からないけど「ああ。それなら半刻前にすれ違いましたよ」と嘘を吐いた。

「本当か!? どこへ向かった?」
「確か越前国へ向かうと話していましたが」

 兵士たちは顔を見合わせた。

「おいどうする? 半刻前ならまだ間に合うか?」
「いや、これ以上他国に居るのは不味い。引き上げよう」

 相談しているときに気づいたけど、二人の鎧には斉藤家の家紋が入っていた。

「邪魔したな」

 そう言って二人の騎馬武者は来た道を帰っていった。

「……もういいですよ」

 姿が見えなくなってから声をかけると、三人が出てきた。

「危なかったわ。まさか追っ手がここまで来るなんて……」

 青白い女が言ったことに疑問を覚える。
 あの兵士が探していたのは男二人に女一人じゃなかったのか?
 もしかして――

「世話をかけたわね。さあ、二人とも、もうひとふんばりよ!」
「だから姉上。ちささんは限界ですって!」

 僕は見るに見かねて「先を行ったところに宿があるから、そこまで同行しましょうか?」と訊ねた。
 すると平凡そうな男は怪しむように僕を見る。

「どういうつもりですか?」

 僕は他意がないことをどうやって示そうか悩んでいると青白い人が「別にいいじゃない」と男をなだめた。

「どうやら敵じゃなさそうだし。きっと親切で言っているんでしょう」
「だけど姉上――」
「あなた、名前は?」

 僕はほとんど反射的に「雨竜雲之介です」と答えてしまった。

「ふうん。嘘じゃないみたいね。いいわ。信用しましょう」
「……あなたのお名前を伺っても?」

 僕の問いに「言えないわね」とにっこりと笑う青白い人。
 ま、追われているのだから当然か。

「じゃあ、別の質問をしていいですか?」
「……なによ?」

 僕は率直に質問した。

「どうして男なのに、そんな格好と言葉遣いをしているんですか?」

 僕の問いに平凡そうな男が「……どうして分かったんだ?」と不思議そうに呟く。
 疑問が確信に変わった。

「馬鹿ね久作。誤魔化すことを覚えなさいよ」
「ああ! しまった!」

 青白い人――男はちさと呼ばれた女性を抱えて、そして言う。

「改めて名乗るわね。あたしの名は重治しげはると言うわ」
「重治?」
「いえ、こっちのほうが知っているかも」

 重治と名乗る、女姿の、女言葉を使う、女顔の男がしたり顔で言う。

「あたし、竹中半兵衛っていうの。よろしくね」
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