残酷な描写あり
元服と祝言
藤吉郎の言葉どおり、僕は志乃さんと婚約することになった。
しかしすんなりと祝言を挙げるまで事が運ばなかった。
志乃さんのお父さん――僕にとって義父となる――弥平殿が猛反対したのだった。
「志乃は一人娘だ。婿養子でないと家が断絶してしまう」
確かに考えてみればそうだった。志乃さんは一人娘だし、武家でなくとも家を存続することは大切だろう。
「そうだな。雲之介と志乃の間に産まれた子のうち、次男もしくは娘を名主の跡取りとするのはどうだ?」
藤吉郎がそう提案したけど、産まれるかどうか分からない子に家の存続を懸けるのは難しいとなかなか首を縦に振らない弥平殿。
すると藤吉郎は搦め手を用いた。弥平殿の奥方のお福さんを味方につけたのだ。道理と奥様の両方に説得されたら、頷くしかなかったのだろう。不承不承という感じで折れてくれた。
「本音は一人娘を武家に奪われるのが嫌なんだろうよ」
ふふふと笑う藤吉郎だった。
それからお屋形様の許可をもらうこと、志乃さんの親類縁戚への挨拶回り、祝言の準備、それに並行して雨竜村だけではなく、他の村々の検地などを行なった結果、三ヶ月が過ぎてしまった。
まずは検地のことを話しておこう。
差出によって示された石高より実際の石高が多い場合は、その土地の名主が不正に取っていた証拠になり、逆に少ない場合は領主が不正に多く年貢としてもらっていたとされる。
今回の場合は後者だった。雨竜村だけではなく、近隣の村々は織田家以前の領主に不正に取られていた。
それを聞いたお屋形様は降伏した元領主に厳しい処分を下した。放逐である。元領主一族は尾張国から離れた。その後、お屋形様からいただいた手切れ金のようなものを元手に商売を始め、伊勢国で慎ましく暮らしたらしい。
「検地の結果、納める年貢は少なくなったと弥平たちに知らせよ」
藤吉郎の命令で僕は雨竜村に行く。
すっかり慣れた馬を操りながら、ゆっくりと進む。
その際、小一郎殿も一緒だった。
「雲之介。今更決まったことを蒸し返すようで悪いけど、本当に志乃さんと婚約して良かったのかい?」
「小一郎殿。お気遣いありがとうございます」
善意で言ってくれると分かっていたから、僕もお礼で返す。
「これで良かったんだと思います。僕は志乃さんに対して責任を取らないといけない」
「そういう気持ちで婚約するのは、あまり……」
「武家だって、婚約相手や許婚を選択できない場合があります」
僕はふと、お市さまを思い出した。
あれ以来、一度も会っていなかった。
「それに志乃さんのおかげで近隣の村々の検地が上手くいきました」
「それはそうだね。親類縁戚のほとんどが名主だった。俺も元百姓だけど、こういう血のつながりは恐ろしく感じるよ」
僕はそうは思わない。むしろ記憶と親類縁戚の居ない僕にとっては羨ましい限りだった。
「俺が危惧しているのは雲之介の気持ちじゃなくて、志乃さんの危険性だよ」
「危険性? どういうことですか?」
「いつか、君が志乃さんに殺されてしまうかもしれないということだ」
それは――考え付かなかった。
弥助殿への想いがあるのなら、十分考えられる。
「まあでもそれは考えすぎかな。俺は細かいところが気になってしまう性格なんだ。気にしないでくれ」
「……いえ、ご忠告、ありがとうございます」
はっきり言えば僕が志乃さんに殺されることは半分ぐらい良いと思っている。
もしも僕を殺す人がいるのなら、志乃さんしかいない。
でも半分ぐらい悪いと思うのは、死んでしまったら藤吉郎の役に立てず、志乃さんもその後殺されてしまうということだ。
だから――殺されるのなら藤吉郎と志乃さん、二人に迷惑をかけないようにしなければならない。
僕たちは弥平殿を始めとする名主たちに年貢が少なくなることを伝えた。集められた名主たちはほっとした顔を見せた。そういえば何のために集まるのか、言ってなかったな。
「それで雲之介さま。祝言はいつ挙げられますか?」
志乃さんの縁戚である名主の一人が僕に訊ねる。
僕の代わりに小一郎殿が答えた。
「元服と同時にやる予定だ。まあ今月の末には行なうように手はずは整えている」
今日は今月の頭だから十分に時間がある。
一同は安心したように頷き、帰っていった。
「雲之介さま。志乃にお会いになりますか?」
弥平殿がそう言ってくれたので会うことにする。
志乃さんの部屋に行くと、彼女は昼寝をしていた。
布団の上で、姿勢正しく。
「志乃さんは寝ているみたいなので――」
「ああ、それなら俺は帰るよ。兄者に報告もあるし。雲之介は後から帰るといい」
小一郎殿の厚意に甘えてそうすることにした。
だけど寝ている相手に話しかけるわけにもいかない。
僕は胡坐をかいて、起きるのを待った。
志乃さんは幸せそうに寝ていた。
どんな夢を見ているんだろうか。
「だけど、僕が所帯を持つのか」
独り言をぼそりと呟く。
考えたこと、なかった。
もうそんな歳になってたんだ。
少し早く走りすぎたのかもしれない、人生を。
「やすけ……」
ふいに志乃さんが寝言を言った。
そして静かに涙を流す。
僕は起こさないように優しく拭ってあげた。
◆◇◆◇
「な、なんでここに居るのよ!?」
気がつけば僕も胡坐をかいたまま寝てしまっていたようだった。
志乃さんが驚愕の表情をしている。
「うん? ああ、名主たちの集まりがあって、ついでに志乃さんと少し話そうと思ったんだ」
「それなら起こしなさいよ……」
「寝ているところを起こすのは良くないと思って」
志乃さんは不満そうに「もうすぐ夫婦になるんだから遠慮は無用よ」と言う。
先ほどの寝言を思い出しながら「うん。そうだね」と僕は軽く言った。
「もう夕方だけど、どうする? 泊まる?」
「ううん。帰らないといけないから」
「そう……」
「志乃さんと少しでも話せて良かったよ」
そう言うときょとんとした表情を見せる志乃さん。それから少しだけ顔が赤くなった。
「恥ずかしげもなく恥ずかしいこと言わないでよね」
「えっ? ごめん」
「謝ることじゃないけど……」
それから少しだけ話をして、その日は別れた。
志乃さんと話して分かったのは、意外と恥ずかしがり屋だということだった。
◆◇◆◇
そして、元服と祝言の日。
祝言は午後に行なわれる。その前に元服を済ませることにした。
場所は藤吉郎の屋敷。
烏帽子親は藤吉郎だった。
「わしで良かったのか? もっと格上の人間が良いのでは?」
「あはは。藤吉郎らしくないな。僕は藤吉郎なら不満なく満足さ」
そんなやりとりしつつ、僕は元服した。
「それでは新しい名を授ける。まあしかしお屋形様からいただいた雲之介をわしが変えるのは不敬だと思われるので、姓のみ新たに付けることにする」
藤吉郎はにっこりと笑って言う。
「雨竜村の娘を嫁にすることから、今日よりおぬしは『雨竜雲之介』とする」
「雨竜、雲之介……」
「なかなか強そうで格好いいではないか。ねねや小一郎もそう思うだろう?」
傍にいた二人もにこやかに頷いてくれた。
「ありがたく拝領いたします」
「うむ。これから祝言だな。ねね、料理の準備は整っているか?」
「まつ殿にも手伝っていただきました。万端にございます」
それから志乃さんが到着するまで僕たちは穏やかに談笑していた。
「雲之介、嫁をもらう気持ちとはどんなだ? わしも経験しているが、そわそわするものだろう?」
「そうだね。不思議と緊張してきた」
「兄者、煽るようなことは言わないでくれ」
「何を言うか。今だけだぞ? 雲之介がそわそわするのは」
「あんまり楽しまないでくれ。意識すると緊張が高まる」
そして、志乃さんが親類縁戚を伴って、藤吉郎の屋敷に着いた。
志乃さんは白無垢で、化粧をしていて、普段も綺麗だけど、一層美しかった。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
手を合わせて深く頭をさげる志乃さん。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いしましゅ!」
緊張のあまり噛んでしまった。藤吉郎は大笑いしている。他のみんなは笑いを堪えていた。
うう、恥ずかしい……
「ねえ。雲之介。私……綺麗かしら?」
首を傾げて訊ねる志乃さん。その仕草も綺麗だった。
「うん。三国一、綺麗だよ!」
思わずそう言ってしまった。本心だったし、今度は噛まなかった。
すると志乃さんは僕に微笑んだ。
「ありがとう。ちゃんと私を幸せにしてね」
しかしすんなりと祝言を挙げるまで事が運ばなかった。
志乃さんのお父さん――僕にとって義父となる――弥平殿が猛反対したのだった。
「志乃は一人娘だ。婿養子でないと家が断絶してしまう」
確かに考えてみればそうだった。志乃さんは一人娘だし、武家でなくとも家を存続することは大切だろう。
「そうだな。雲之介と志乃の間に産まれた子のうち、次男もしくは娘を名主の跡取りとするのはどうだ?」
藤吉郎がそう提案したけど、産まれるかどうか分からない子に家の存続を懸けるのは難しいとなかなか首を縦に振らない弥平殿。
すると藤吉郎は搦め手を用いた。弥平殿の奥方のお福さんを味方につけたのだ。道理と奥様の両方に説得されたら、頷くしかなかったのだろう。不承不承という感じで折れてくれた。
「本音は一人娘を武家に奪われるのが嫌なんだろうよ」
ふふふと笑う藤吉郎だった。
それからお屋形様の許可をもらうこと、志乃さんの親類縁戚への挨拶回り、祝言の準備、それに並行して雨竜村だけではなく、他の村々の検地などを行なった結果、三ヶ月が過ぎてしまった。
まずは検地のことを話しておこう。
差出によって示された石高より実際の石高が多い場合は、その土地の名主が不正に取っていた証拠になり、逆に少ない場合は領主が不正に多く年貢としてもらっていたとされる。
今回の場合は後者だった。雨竜村だけではなく、近隣の村々は織田家以前の領主に不正に取られていた。
それを聞いたお屋形様は降伏した元領主に厳しい処分を下した。放逐である。元領主一族は尾張国から離れた。その後、お屋形様からいただいた手切れ金のようなものを元手に商売を始め、伊勢国で慎ましく暮らしたらしい。
「検地の結果、納める年貢は少なくなったと弥平たちに知らせよ」
藤吉郎の命令で僕は雨竜村に行く。
すっかり慣れた馬を操りながら、ゆっくりと進む。
その際、小一郎殿も一緒だった。
「雲之介。今更決まったことを蒸し返すようで悪いけど、本当に志乃さんと婚約して良かったのかい?」
「小一郎殿。お気遣いありがとうございます」
善意で言ってくれると分かっていたから、僕もお礼で返す。
「これで良かったんだと思います。僕は志乃さんに対して責任を取らないといけない」
「そういう気持ちで婚約するのは、あまり……」
「武家だって、婚約相手や許婚を選択できない場合があります」
僕はふと、お市さまを思い出した。
あれ以来、一度も会っていなかった。
「それに志乃さんのおかげで近隣の村々の検地が上手くいきました」
「それはそうだね。親類縁戚のほとんどが名主だった。俺も元百姓だけど、こういう血のつながりは恐ろしく感じるよ」
僕はそうは思わない。むしろ記憶と親類縁戚の居ない僕にとっては羨ましい限りだった。
「俺が危惧しているのは雲之介の気持ちじゃなくて、志乃さんの危険性だよ」
「危険性? どういうことですか?」
「いつか、君が志乃さんに殺されてしまうかもしれないということだ」
それは――考え付かなかった。
弥助殿への想いがあるのなら、十分考えられる。
「まあでもそれは考えすぎかな。俺は細かいところが気になってしまう性格なんだ。気にしないでくれ」
「……いえ、ご忠告、ありがとうございます」
はっきり言えば僕が志乃さんに殺されることは半分ぐらい良いと思っている。
もしも僕を殺す人がいるのなら、志乃さんしかいない。
でも半分ぐらい悪いと思うのは、死んでしまったら藤吉郎の役に立てず、志乃さんもその後殺されてしまうということだ。
だから――殺されるのなら藤吉郎と志乃さん、二人に迷惑をかけないようにしなければならない。
僕たちは弥平殿を始めとする名主たちに年貢が少なくなることを伝えた。集められた名主たちはほっとした顔を見せた。そういえば何のために集まるのか、言ってなかったな。
「それで雲之介さま。祝言はいつ挙げられますか?」
志乃さんの縁戚である名主の一人が僕に訊ねる。
僕の代わりに小一郎殿が答えた。
「元服と同時にやる予定だ。まあ今月の末には行なうように手はずは整えている」
今日は今月の頭だから十分に時間がある。
一同は安心したように頷き、帰っていった。
「雲之介さま。志乃にお会いになりますか?」
弥平殿がそう言ってくれたので会うことにする。
志乃さんの部屋に行くと、彼女は昼寝をしていた。
布団の上で、姿勢正しく。
「志乃さんは寝ているみたいなので――」
「ああ、それなら俺は帰るよ。兄者に報告もあるし。雲之介は後から帰るといい」
小一郎殿の厚意に甘えてそうすることにした。
だけど寝ている相手に話しかけるわけにもいかない。
僕は胡坐をかいて、起きるのを待った。
志乃さんは幸せそうに寝ていた。
どんな夢を見ているんだろうか。
「だけど、僕が所帯を持つのか」
独り言をぼそりと呟く。
考えたこと、なかった。
もうそんな歳になってたんだ。
少し早く走りすぎたのかもしれない、人生を。
「やすけ……」
ふいに志乃さんが寝言を言った。
そして静かに涙を流す。
僕は起こさないように優しく拭ってあげた。
◆◇◆◇
「な、なんでここに居るのよ!?」
気がつけば僕も胡坐をかいたまま寝てしまっていたようだった。
志乃さんが驚愕の表情をしている。
「うん? ああ、名主たちの集まりがあって、ついでに志乃さんと少し話そうと思ったんだ」
「それなら起こしなさいよ……」
「寝ているところを起こすのは良くないと思って」
志乃さんは不満そうに「もうすぐ夫婦になるんだから遠慮は無用よ」と言う。
先ほどの寝言を思い出しながら「うん。そうだね」と僕は軽く言った。
「もう夕方だけど、どうする? 泊まる?」
「ううん。帰らないといけないから」
「そう……」
「志乃さんと少しでも話せて良かったよ」
そう言うときょとんとした表情を見せる志乃さん。それから少しだけ顔が赤くなった。
「恥ずかしげもなく恥ずかしいこと言わないでよね」
「えっ? ごめん」
「謝ることじゃないけど……」
それから少しだけ話をして、その日は別れた。
志乃さんと話して分かったのは、意外と恥ずかしがり屋だということだった。
◆◇◆◇
そして、元服と祝言の日。
祝言は午後に行なわれる。その前に元服を済ませることにした。
場所は藤吉郎の屋敷。
烏帽子親は藤吉郎だった。
「わしで良かったのか? もっと格上の人間が良いのでは?」
「あはは。藤吉郎らしくないな。僕は藤吉郎なら不満なく満足さ」
そんなやりとりしつつ、僕は元服した。
「それでは新しい名を授ける。まあしかしお屋形様からいただいた雲之介をわしが変えるのは不敬だと思われるので、姓のみ新たに付けることにする」
藤吉郎はにっこりと笑って言う。
「雨竜村の娘を嫁にすることから、今日よりおぬしは『雨竜雲之介』とする」
「雨竜、雲之介……」
「なかなか強そうで格好いいではないか。ねねや小一郎もそう思うだろう?」
傍にいた二人もにこやかに頷いてくれた。
「ありがたく拝領いたします」
「うむ。これから祝言だな。ねね、料理の準備は整っているか?」
「まつ殿にも手伝っていただきました。万端にございます」
それから志乃さんが到着するまで僕たちは穏やかに談笑していた。
「雲之介、嫁をもらう気持ちとはどんなだ? わしも経験しているが、そわそわするものだろう?」
「そうだね。不思議と緊張してきた」
「兄者、煽るようなことは言わないでくれ」
「何を言うか。今だけだぞ? 雲之介がそわそわするのは」
「あんまり楽しまないでくれ。意識すると緊張が高まる」
そして、志乃さんが親類縁戚を伴って、藤吉郎の屋敷に着いた。
志乃さんは白無垢で、化粧をしていて、普段も綺麗だけど、一層美しかった。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
手を合わせて深く頭をさげる志乃さん。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いしましゅ!」
緊張のあまり噛んでしまった。藤吉郎は大笑いしている。他のみんなは笑いを堪えていた。
うう、恥ずかしい……
「ねえ。雲之介。私……綺麗かしら?」
首を傾げて訊ねる志乃さん。その仕草も綺麗だった。
「うん。三国一、綺麗だよ!」
思わずそう言ってしまった。本心だったし、今度は噛まなかった。
すると志乃さんは僕に微笑んだ。
「ありがとう。ちゃんと私を幸せにしてね」