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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
藤吉郎の祝言
「お久しぶりですね、行雲さま」
「ああ。随分と大きくなったな」

 行雲さまとは堺に行く前に会って以来だった。
 早朝、政秀寺。
 こんな早くに訊ねて迷惑かなと思ったけど、行雲さまはすでに起きていて、本堂で読経をしていた。案内してくれた僧が言うには日が昇る前には起きているらしい。
 僕に気づいた行雲さまはにこりと微笑んで自分の部屋に僕を招いてくれた。

「互いに忙しかったから、再会まで時間がかかったな」
「ええ。行雲さまは外交僧として尾張の統一を支えて――いや、統一したのは行雲さまという見方もできますね」
「それは買いかぶり過ぎだ。兄上の力がなければできぬことよ」

 謙遜する行雲さまだったけど、巷の噂では言葉巧みに丸め込まれた武将や国人衆が多かったとされる。

「それよりも雲之介。おぬしは堺で茶の湯を習ったそうだな」
「ええ。免許皆伝とは言えませんが、それなりに修めました」
「ほう。では今度、披露してもらおう」

 その後は堺での思い出話や日常の話をして、和やかな時間を半刻ほど過ごした。
 本当は話したいことが別にあるのだけど、なかなか切り出せなかった。
 すると――

「ところで、世間話や思い出話をするためにここに来たわけではないだろう?」
「うっ……」

 流石、行雲さま。僕の所作や言動で見抜いてしまったようだ。

「あはは。鋭いですね」
「なんでも話しなさい。人々の悩みを聞くために僧がいるのだから」

 優しい口調で言われてしまったら話さずにはいられなかった。

「実は、今日、僕の主君、木下藤吉郎が祝言を挙げるんです」
「ほう。それはめでたい」
「でも、どう祝えばいいのか、分からないのです。一応、堺で贈り物は買ったのですが」
「どう祝えば……普通におめでとうございますではいけないのか?」

 僕は頬を掻きながら「ありきたりの言葉じゃ良くないかなって」と言う。

「家臣なんだから、特別なことをしなくてはいけないと思うんです」
「それは気負いすぎだ。祝う気持ちがあればそれでいい」
「まあ、そうなんですけど……」
「――何を焦っているんだ?」

 焦り。そう行雲さまに指摘されて僕は焦っていたことを自覚する。

「……最近、僕は藤吉郎の役に立てているのかなって思うんです」
「話に出ていた、小一郎という人のことかな」
「僕よりも気が利いて、兄弟だから気兼ねなくなんでも言えて、絆もある。羨ましく思えます」

 本当は羨望とか嫉妬とかじゃなくて、疎外感を覚えている。でもそんなことは口に出せなかった。
 でも行雲さまは何も言わなくても分かってくれたようだった。

「雲之介。おぬしにはおぬしにしかできないことがある」
「…………」
「いずれ、自分の役目を全うすることがあるだろう」

 行雲さまの優しい言葉に、僕は思わず不安を吐露してしまった。

「僕は藤吉郎の役に立てているのか、よく分からないのです」
「…………」
「武芸は駄目。力仕事も向いていない。戦じゃ怖くて足が竦む。学があるわけでもないし、小一郎殿と比べても目端が利く人間じゃない」

 口にすると、自分が情けなくて、とても悲しくなる。

「行雲さま。僕は藤吉郎の家臣でいいのでしょうか?」

 行雲さまは「馬鹿なことを申すな」と叱ってくれた。

「気づいていないかもしれんが、おぬしにはとんでもない力がある。それは藤吉郎殿や小一郎殿も頼りにしているはずだ」
「とんでもない力? それはなんですか?」

 すると行雲さまは意地悪そうに笑って言う。

「いずれ分かる。それに誰かに教えられるものではないわ」

 
◆◇◆◇

 
 煙に巻かれてしまった感じで政秀寺を後にして、長屋に戻ると行列ができていた。小一郎殿が忙しそうに人々の応対をしている。

「小一郎殿。どうしたんですか?」
「おお。雲之介。どうしたもこうしたもないよ。何してたんだ。手伝ってくれよ」
「手伝えって、何をしているんですか?」

 小一郎殿は帳簿から目を離さずに「婚礼の祝いの品だよ!」と悲鳴を上げた。

「兄者の奴、どうやって人脈を広げたのか分からないけど、朝からお祝いの品を届けに大勢の人がやってきたんだ」
「藤吉郎は人気者だからなあ」

 世間では『木綿藤吉郎』と呼ばれている。木綿のように丈夫で何にでも使えるという意味らしい。そういえば、初めて出会ったとき、木綿をたくさん持っていた。

「兄者は祝言で舞い上がってるし、雲之介しか頼れないんだよ」
「分かりました。手伝います」

 婚礼の品の整理が終わったのは結局、祝言ぎりぎりだった。

「雲之介、小一郎。どうした? 随分と疲れているが」

 表の騒ぎが全然耳に入らないほど舞い上がっていた藤吉郎が今更ながら疲れた僕とやつれた小一郎殿に気づいたようだった。

「なんでもない……それより媒酌人の到着だよ」

 僕が指差したところに居たのは、足軽大将の前田さまとその妻まつ殿だった。

「おお! 前田さま! このたびはどうも!」
「何を水臭い! 同じ足軽大将なのだから、利家殿で構わんよ!」

 豪快に笑う前田さま。前田さまはお屋形様の小姓を斬ってしばらく放逐されていたのだけど、桶狭間などの戦に勝手に参戦して手柄を立てて、ようやく復帰したのだ。

「お前さま。そろそろ輿入れですよ」

 まつ殿の言葉に前田さまは「そうか」と返事して席に着く。
 そして入って来たのは、綺麗に化粧したねね殿だった。

「おお! 物凄く綺麗だぞ! ねね!」

 感激する藤吉郎に赤面するねね殿。長屋中に笑いが起きた。

「義姉上、お綺麗ですよ!」

 ねね殿に伴ってきた僕より年下の少年、浅野長吉も囃し立てた。

「長吉! 義姉をからかうものではありません!」
「さて。婚礼の儀をするのだが、雲之介、何か珍しいことをするようだな」

 前田さまが僕に水を向けてくれた。僕は堺で購入した小箱を藤吉郎とねね殿に見せる。

「うん? なんだそのわっかは?」
「南蛮の文化で結婚指輪っていうらしい。夫婦は左手の薬指に嵌めるらしいよ」

 この場にいる全員が珍しそうな顔で指輪を眺めた。

「ほう。しかしわしは六本指なんだが」
「左手って言ったでしょ。ほら、互いに付けてあげて」

 僕の言葉に従って二人は互いの指に指輪を嵌めた。正直合うか分からなかったけど、偶然にもぴったりと合ったようだ。

「ありがとうな、雲之介!」
「ありがとうございます。雲之介さん」

 二人の嬉しそうな顔を見て満足してしまった。

「それでは祝言を始めるぞ!」

 前田さまの言葉で祝言が始まった。時に笑い、時に泣いてしまうような、素敵な祝言だった。
 小一郎殿は料理を運んだり、途中で現れた柴田さまの応対をしたりして、忙しそうだった。
 藤吉郎は幸せそうにねね殿と笑い合っている。
 こんな幸せが続けばいい。
 そう願ってしまった。

 
◆◇◆◇

 
「まあ。祝言ですか。それは楽しそうですね」

 お市さまに呼ばれて、僕は清洲城の一室にやってきた。
 お市さまは手に源五郎さまが堺で買ってきたビードロと呼ばれるガラス細工を持ちながら、僕の話を聞いていた。
 源五郎さまはしばらく前に帰ってきて、今では織田家の家臣たちにお茶を教えている。
 ちなみにビードロは僕からのお土産ということになっていた。後でお礼を言わねば。

「お市さまは祝言に憧れが?」
「そうですね。私も女の子ですから」

 くすくすと笑った後、少しだけ淋しそうな顔をした。

「けれど、私はいずれ顔も名前も知らない人と結婚させられるのでしょう」
「……お市さま」

 そして僕に向かって儚げに言う。

「そのときは笑顔で見送ってくださいね」

 僕は黙って頷いた。それしかできなかった。
 それからしばらく経って、お屋形様から藤吉郎に命令が下った。

「差出と検地を行なう。猿、雨竜村うりゅうむらに行ってやってこい」
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