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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
初めてのもてなし
 茶の点てかた。
 茶釜ちゃがまの湯が沸騰し、場が整理された時点で始まる。
 茶入ちゃいれから茶杓ちゃしゃくで抹茶を掬い、茶碗の中に入れる。
 今回は覚慶さまお一人なので量を少なくし、薄茶にする。
 茶杓で抹茶を馴染ませたら、茶碗を置き、茶入の蓋を閉め、その上に茶杓を置く。
 そして茶釜のお湯を柄杓ひしゃくで注ぎ、茶筅ちゃせんでかき混ぜる。
 小手先ではなく、腕全体を使って、丁寧に、大胆に。
 適度に泡立ったら、茶筅を引き上げて、脇に置く。

「――どうぞ」
「うむ。いただく」

 覚慶さまは作法どおりに茶碗を回して、音を立てながら茶を飲む。

「美味しいな。流石に宗易殿の弟子ではある」

 褒めてくれた。そう思った矢先に「しかしまだ半人前なようだな」と指摘された。

「飲みやすいようにと薄く点てたつもりだろうが、貴人を相手にする場合は濃茶が基本だ。既に貴人と理解しているのに関わらず、どうして薄茶にした?」

 覚慶さまは僕を試している。
 もしくは何かを期待している。

「おっしゃるとおり、貴人を相手にする場合は濃茶です」

 僕は覚慶さまに自分のもてなしを語る。

「しかし覚慶さまは自身を貴人扱いされたくないと感じました」
「……何故だ?」
「僕なりの推察ですが――あなたは自分の地位や立ち位置を嫌がっています」

 僕の言葉に覚慶さまは何も言わない。

「兄弟間の贈り物なのに、煩雑なやり方でしかやりとりできない。僕は覚慶さまの兄君がどのような立場なのか、分かりません。でもそんな僕でも、兄弟の絆だけは感じられます」

 井戸茶碗を改めて見る。

「見事なかいらぎ。おそらく名物に等しいのでしょう。これを見ればどれだけ覚慶さまを想っているのかは想像できます。それを煩雑なやり方でも渡したいという心は素晴らしい」
「…………」
「それと薄茶にしたのは理由があります」
「……? まだあるのか?」

 僕は笑顔で言う。

「秋とはいえ、あれだけ笑い、そして喋れば、喉が渇くものです。なので飲みやすく薄めたのです」
「――っ! あっはっはっは! まことそうだな!」

 膝をたたいて覚慶さまは大笑いなされた。

「確かに濃茶は喉に張り付く! うむ、気に入った! 雲之介、宗易に伝えよ!」

 覚慶さまはにやりと笑った。

「客が一人の場合は貴人相手でも薄茶にせよ! 覚慶からの提案だと言え!」
「わ、分かりました!」

 茶道の作法が変わっちゃうけど、いいのかな?
 まあお師匠さまが受け入れなければ、変わらないと思うけど……

「良き茶であった。褒めてつかわす」
「ありがとうございます」

 僕はお師匠さまの言葉を思い出していた。

『技量や名器でもてなすのではなく、心でもてなすのですよ』

 何となく分かったような気がした。

「愉快な子供だ。こんなに愉快なのは久々だ」

 上機嫌になった覚慶さま。そしてこんなことを言い出した。

「では今度は私が茶を点てて進ぜよう」
「本当ですか? ではありがたくいただきます」

 覚慶さまは「遠慮しないのは美徳だぞ」と言って立ち上がった。
 位置を交換して覚慶さまの所作を見る。
 はっきり言って僕よりも手馴れていた。

「覚慶さまは茶をよく点てられるのですか?」
「いや。ここでは私の茶を飲んでくれる者はおらん」

 僕の前に茶碗を差し出す。もう点て終わったのだ。

「考えてみると兄上を除いて、そなたが初めてだな」
「そうですか。僕も覚慶さまが初めてです」
「なんと! これは嬉しいな!」

 僕は差し出された茶を飲む。
 とても爽やかな味がした。
 まるで初めて飲んだときを思い出す。

「一つ相談だが、そなた――雲之介、私の友になってくれぬか?」

 飲み干したとき、覚慶さまが僕に頭を下げた。

「…………」
「頼む。私には友というものがいない。ここに居る連中は身分を気にして、近寄ってくれぬのだ」

 このとき、ようやく気づいた。
 疲れた顔をしていたのは、友達が居なかったからだ。
 もっと言えば孤独に苛まれていたからだ。

「……分かりました」

 そんな孤独なお人を僕はほっとけなかった。

「おお! 感謝いたす!」
「覚慶さま。友達になることに感謝など要りません」

 一瞬、呆然とした覚慶さま。だけどすぐに悪戯っぽい顔になる。

「友ならば『さま』は要らぬだろう?」
「――分かりました。覚慶殿」

 それからいろんなことを語り合った。
 僕の記憶がないことも。
 覚慶殿の日頃の愚痴だとか。
 素性は隠されていたから、分からなかったけど、それはそれでいいと思った。

「おお、もう遅い時刻だな。今日は寺に泊まるか?」
「いえ。源五郎さまも待っていると思いますので、お暇させていただきます」

 丁重に断ると覚慶殿は淋しそうに「そうか……」と落ち込んだ。

「また会えるか?」
「ええ。縁が合えば、会いましょう」

 門の近くまで見送りに来てくれた。
 他の僧侶も僕たちを見ている。

「覚慶さまがあのように笑われておられる」
「あの子供は何者なんだ?」

 最後に覚慶殿は気になることを言った。

「そういえば、最初に会ったときから思っていたが、そなた以前どこかで会ったことがあるか?」
「いえ。記憶にございませんが……」
「まあそうだろうな。しかしそなたに似ている人を、どこかで見たような……」

 しばらく考えていたけど覚慶殿は顔を振って「まあ気のせいだろう」と結論付けた。

「それでは堺まで気をつけてな」
「覚慶殿も息災で」

 そして門が閉じられて。
 僕と覚慶殿は別れた。

 
◆◇◆◇

 
「おっ。雲。帰ってきたのか」

 堺に帰り、お師匠さまの元へ行こうとすると、家の中で源五郎さまと会った。
 当たり前のように言うものだから「お久しぶりです」とつい言ってしまった。

「そうだな。五日ぶりだ」
「お師匠さまはいずこにいらっしゃいますか?」
「ああ。師匠なら茶室に居る。おつかいの報告でもしてこい」
「分かりました。では後ほど」

 茶室に行くとお師匠さまと宗二殿、そして与一郎さまが居た。

「雲之介さま。首尾はいかがでしたかな」
「はい。覚慶殿にきちんとお届けいたしました」

 覚慶殿という言葉に与一郎さまが反応した。

「ふむ。なかなか親しくなったようだな」
「はい。友となりました」

 正直に言うと、宗二殿以外は驚いたように目を丸くした。
 宗二殿は二人が驚いているのを奇妙に見ていた。

「……あの方は自らの素性を明らかにしなかったのか?」
「えっ? ええ、そうです」
「友になりたいと申したのは、そなたか?」
「いえ、覚慶殿からです」

 与一郎さまは苦笑いした。

「これは……良いこと、なのだろうな」
「弟子が出すぎた真似をして申し訳ございません」

 お師匠さまが頭を下げた。宗二殿も同じく頭を下げた。
 何が何だか分からないが、僕も謝ったほうが良いのだろうか?

「いや。謝ることではない。むしろ感謝している」

 与一郎さまは僕に向かって言った。

「あの方と友になってくれて感謝いたす」
「いえ。僕も仲良くなれて良かったです」

 それからどうもてなしたのかを三人に言う。

「薄茶の件、承知しました。宗二、次の茶会からそういたしましょう」
「よろしいのですか?」
「良きものは取り入れる。それが侘び茶です」

 そして最後にお師匠さまは「下がって良いですよ」と言う。
 僕は一礼してから、茶室を後にした。
 部屋に行くと、書物を斜め読みしている源五郎さまが待っていた。

「おう、雲。門跡殿はどんな人だった?」
「結構俗っぽいお方でした。僧とは思えませんね」
「まあ元は武家だからな」

 僕は荷物を下ろしながら「へえ。そうなんですか」と応じた。
 すると源五郎さまは怪訝な表情で言った。

「なんだ。門跡殿の素性を知らんのか?」
「ええ。知らないです」

 すると呆れた感じで言われた。

「門跡殿は十三代将軍、足利義輝公の弟君だぞ」
「……えっ?」

 僕は、とんでもないお人と、友になってしまったらしい。

 
◆◇◆◇

 
 それからしばらくして。
 修行も一段落ついた春の日。
 僕と源五郎さまはお師匠さまに呼び出された。

「修行は一時中止とさせていただきます」

 毅然とした声で、お師匠さまは僕たちに告げる。

「織田家からの手紙で、今川義元公が上洛のため、近々尾張国に進攻するとのこと。雲之介さまは急いで国元へお帰りくださいませ。源五郎さまはここで保護させていただきます」
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