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作者: 葛城 隼
残酷な描写あり
第13話 私の毒牙は冷酷でね
僕の理想は、僕らが作る。
「水の致死量は6Lリットルらしい」

 それは昨日、タマキが真秀呂場と遭遇した登校中の朝と、同じ日の夜の出来事。

 白く眩しい人工物の群れにそびえる、ガラス張りの透明なビル。その1階は柔らかな談笑で賑わう赤いソファで囲われたフロア、富裕層の集まる高級レストランだ。
 そんな気品ある人々が集まった場に、若い女性と少女が向かい合わせで座り食事を楽しんでいた。それは以前タマキが遭遇した二人組──。

 1人は、ブロンドヘアーのセミロング──この場に合わせて編み込みに結わいた──に赤みがかった前髪の女性。ルビィ・ニンフェア。彼女はあの時タマキにそう名乗った。
 もう1人は黒みがかった銀髪を一本の三つ編みに結いた、褐色肌の少女。
 それぞれ黒スーツと青いドレスを着て、この場に溶け込んでいた。ルビィは少女に、グラスを持って教示する。

「体重によって個人差はあるが、一日の許容範囲はその量で、短時間でも1Lは危険とされる。が、そもそも人間は一度に200mLミリリットルしか吸収できないそうだ」
「200mLってどれぐらい?」
「コップ1杯ぐらいさ。それをトイレも行かずに一気に5杯、このグラスなら6杯飲んだ量。それがようやく1L。よほどムリに飲まない限りまず至らない。だから怖がることはない」
「怖くない。美味しいものはゆっくり食べたい」
「うん、よく出来ました。しかし、だ。データがある以上、それは確かに起きた事例があったという事でもある。水の死といえば溺死を真っ先にイメージするが、好奇心故の実験か否か、定かではないが確かな『死』が試されたのさ」
「けど水を飲まなければ人は死ぬ」
「まあつまりだな、ティナ。私の言いたい事は、だ。水という生の中枢を担う成分でさえ、死に至らしめるという事だ。日本には『薬も過ぎれば毒』ということわざがあるそうだが、何事にも程度はあるということだな。なんたって死んでしまうのだから。ま、水を暗殺の道具に使おうなどと考える、回りくどい輩はいないと思うがね」
「Check」
 ティナと呼ばれた少女が一言発した。瞬間、嬉々として話していたルビィの目が、しかしその表情は変わることなく、殺意に満ちた冷たい色に変わる。

7 o'clock7時方向
 ティナの目は、変わらずボーっとしたような、どこか虚ろな色であった。ただし大きな変化が一つ。その左目の、青紫の瞳が銀色に変化していたのだ。瞳から水色のハイライトが波紋状に拡がり、青紫は瞳孔の中心と輪郭に移動して下瞼に赤線が引かれている。力強く、目立つデザインだ。

 しかしちょうど、ウェイトレスがピッチャーで水を汲みに来た時。ティナのその顔を一瞥したにも関わらず、気に留めた様子はなかった。その模様が見えていないようだった。

 ティナの言葉を合図に、しかし表情一つ変えることなく、ルビィは何食わぬ様子でおしぼりを右指で摘んだ。手袋を外したその手は銀色の手・・・・だった。その人差し指の先にはほんの少し、水滴が滴っていた。その手で自身の左肩を押さえ、マッサージを始める。滴った人差し指だけを立てて。

「もし水をいっぱい飲ませて、中毒死させようなどとしたら、その絵面は酷く──」
「Shoot」
 一瞬の出来事であった。ルビィの人差し指の周りに黒く小さい玉のようなものが浮遊し、指先の銀が四角形に製鉄され、それに備わった小さい穴から勢いよく、蚊のように細く小さい針が飛び出す。まるで水鉄砲のようだった。見ると銀色の手が欠けていた。
「シュールでマヌケなものになるだろう。では人の感心を呼ぶ暗殺とはなんなのか? そも『死』に、『殺人行為』に美徳はあるのか?」

 それをこなしながらルビィは何でもないように会話を続ける。引き続きルビィの右手を旋回する黒い玉たち。欠けたその手が、みるみる補修され元の形に戻る。そして何事もなかったかのように薄手の手袋を着け直すのだ。

 7時方向、針の打たれた場には1人の男性がいた。ふくよかな腹の、妻を連れ会計をしていたその男性。微細な針が打たれた首に少しの違和感を覚えながらも、気に留めず満足そうに店を後にしていく。

「私はハッキリ『NO』と答える。『死』は平等に、尊重して与えられなくてはならない。ましてや生命を芸術作品のように仕立て上げるなど『死』を冒涜する行為だ。感心を与える暗殺? 死体を辱める行為だ、見え透いた承認欲求だ。そういう見せしめに殺してみせるのは『処刑』と呼ぶ」

 男性が外へ出て、夫婦で並んで歩く。ルビィらからも見える位置だ。ガラス越しにそれが確認できる位置だ。ルビィは合図を送るかのように、右手を握り締める。すると──
「うぐっ……!?」
「……? アナタ、どうかされたの?」
「首っ、首がぁ……! まさか、何故、私がぁぁ……!?」
 男性が口をパクパクと開く。酸素を求める魚のように。首を抑え、口から唾液を堪らず垂れ流している。その間、彼の周囲で何かが飛び回っていた。

『rock!』『rock!』
 1体ではなく、目視できるだけでも数十体。黒い球体に両手を付け、すき間から赤い眼が覗く格子で覆われたような顔。3センチ程度のそれらが男性の周りをウヨウヨと飛び、儀式を始めようかという不気味さを感じさせる。不思議なのは、男性もその妻も飛び回るそれらを一切一瞥しない事だ。見えていないのだ。
『『『DESTROYED!!』』』

 次の瞬間、男性の首から上が弾け飛び、その身に納まる筈のない、太く獰猛な鋼鉄の槍が飛び出す。妻は「ひっ」と短い悲鳴を挙げ、眉間を穂先で穿たれ、ぷらん、と干し肉のように力無く吊るされる。

「しかし、私の毒牙は冷酷でね。割り切らなくては。『死』はあくまで確実に、厳粛に執り行われなければならない。敢えて言うなら、それが私の美徳さ」

 その様子をルビィは一瞥し、静かに自身の哲学を語った。グラスを口にし、透明な水を喉へ流し込む。グラスをそっと置き、ため息を一つついて、彼女は目の前の少女へ一言、断る。

「少し、一服してくる」
「うん、いってらっしゃい」

 確認が取れたルビィは席を外す。残ったティナはナイフを持ち、構わず鶏肉のステーキを手際よく切断していく。からんっ、という音がした。グラスと氷が打ち合う音だ。

「ねえさんなら、タバコ吸いに」
 誰もいない筈の向かいを見つめ、ティナは言葉を投げかけた。ルビィの置いたグラスが無くなっていた。

 そして時は翌日、現在へと戻る。

 *

 朝起きたら、後悔しまくった過去が無かった事になった世界とか、自分の理想が叶った並行世界パラレルワールドになっている。そんな妄想をしたことある人類、一〇〇%説。あると思います。

「僕は変わらず我妻がさい タマキですが……」

 本日は曇天なり。僕は防寒にとタイツを着用し、猫背になって冬の寒風を耐え忍び、朝の道を歩いていた。

「昨日、真秀呂場と遭遇したのはこの辺だったな……。こんなイヌも縮こまって冬眠しそうな寒さでも、アイツ朝のランニングしたのかな」
「ランニング?」
「ほら、一昨日に僕ら自転車で駆け出したでしょ? 制服でなければ余計な荷物も身につけてない。あの時のはまさに早朝のトレーニング、ランニングを習慣にしてるんだと思う」
「なるほど。マメな性格してるのね、彼」
「ね、案外クソマジメなのかもね」
「……あら、否定しなくなったわね」
「えっ、何が?」
「マメな性格ってトコ。真秀呂場をベタ褒めしてるトコも」
「ベタ褒めって程ではないんじゃ。それに僕が……アイツを偏見的に見てただけさ」

 今までまともに取り合おうとしなかった、真秀呂場の事を。アイツは僕の平穏を乱すやかましいヤツだ……いや、それもまた僕がそう思ってただけで……
「……って、なにニヤニヤしてんの!?」
「別にぃ〜? ふふっ、うふふ」
 そんな風に考える僕をヒカリがニヤァ〜と見ていたものだから、僕は腕をブンブンさせてぷんすか怒るのだ。

「おや、誰かと思えば──」
「ポウっ!?」

 突然の襲来、聞き慣れない声に、僕は素っ頓狂な声を挙げた。
 声は大人の女性のものだった。再寧さんのように幼げでなければ、ネルお姉さんのように抜けた風でもない、毅然とした低音ボイス。

 僕は体を向けず、首を横向きに曲げ、珍妙な角度で後方へ振り返る。
「一流シェフじゃないか」

 毛先が内側へカールしたセミロングのブロンドヘアーに、前髪が赤みがかった女性。見上げるそれは頭一つ抜けた背丈であった。
 それから、その背後に隠れている一本三つ編みにした銀髪褐色の少女。こちらは女性のお腹ほどの身長とかなり小柄で幼い。そのコンビは──!

 いつぞやのバカ舌富豪! 一生会わないと思ってたのに!

「驚いたか、私もだ。まさかこんな所で再会できるとはね」
 2人の服装は、そのいつぞやのパーティ帰りのようなキッチリした装いと違い、垢抜けたごく平凡で、この田舎の住宅街に何処にでもいそうな一般人の格好だ。
 そして……薄い白手袋、このファッションでもしてるんだ。

 なんてチラチラ見ていたら、女の人に全身をじっくり見返され、たじろいでしまう。特に半開きになったカバン、つまりヒカリを見られるのはイヤで思わず隠してしまう。
 出来る限り話したくないけど、ムチャクチャな変人とはいえ一般人相手に『ヒカリ』の正体バレる訳にはいかないし……。ぼ、僕一人でこの会話を乗り切らなくては……!

「……えと、確かルビィ……えと」
「ルビィ・ニンフェア。ファーストネームを覚えててくれて光栄だ」
 爽やかなえがおー。

 なんか勝手に盛り上がってる! 言うべきではなかったかも、せめて関心を別の方向に!
「あっ、あのそっちの女の子の方は、あのっ」
「むっ、紹介していなかったかな。ティナ、挨拶を」

 少女がスゥと出てくる。無表情で寡黙な雰囲気にちょっぴりたじろいけど、ぺこりと頭を下げるその様子には感心した。

「ティナ・ニンフェア。よろしくお願いします」
「あっ、これはこれはご丁寧にスミマ……えっ、あのっ、ファミリーネーム一緒ってことは、姉妹ですか?」
「惜しいな。義理の姉妹さ」
 何一つ惜しくねぇ!
「私はティナを本当の妹のように愛している。家族の絆とは血の繋がりのみを差すのか? そうではない。お互いを思いやる信頼、つまり『愛』こそが家族の絆たらしめる。そう確信してるよ」
 ティナ、無表情でピース。
「はぁ」
 またなんか語ってるよ……。

「とこで、君の料理を再び味わうためにあの店へ足繁く通いたいところだが、私も毎日は行けない身でね」
「はぁ」

 たかが僕の料理にお金払って毎日通う程か! とりあえず今日シフト入ってるのを悟られないようにしよう……。
「そこでお互いの都合を合わせる為に是非とも君のシフトを聞いておきたい。例えば今日の夕方頃であれば、少しの間空いているのだがどうかな?」
「イエッ!? あばっ、ばっ……!」
 オシマイの概念!
「おー、我妻じゃねーか!」

 そこへヒーロー見参! 角刈りの平たい顔族、高校生にしてルビィさんとほぼ同じ背丈の恵まれた体格をしたナイスガイ……?
「あっ、真秀呂場……」
「んだぁ、美人のねーちゃんに絡まれてよォ。羨ましーけどもう登校時間なんだぜぇ? うら、コッチだ」
「あぎゃ!? ちからつよっ……!」
 真秀呂場に肩を引かれる!? しかし危機は脱した。そんな僕の背中にルビィさんは声を飛ばす。

「はっはっ! 面白い友達だねぇ!」
 違います。
「また会おう、我妻 タマキ・・・さん!」
 ……あれ? 僕、うっかりフルネーム名乗ってたか? 特定されないように名乗ってなかったのに!

 一人思考を巡らせていた僕の肩を離し、真秀呂場がヤレヤレと肩を竦める。
「全く。お前ってけっこートラブル体質なワケか?」
「あっ……ゴメン」
「『ゴメン』じゃない、そーゆー時は『ありがとう』だ! ほら、自分で歩け」
「あっ、それヒカリにも言われた……」
 そのヒカリが人形のフリモードを解いて、カバンから顔を出した。フフン、と得意げな顔だ。
「あら。気が合うのかしらね、私ら」
「よー、ヒカリちゃん!」
「ごきげんよう、真秀呂場」
 だからなんでそんな馴染んでるの!

「けどヒカリちゃんも大変だよなー。ちょー心配しながら生活してんじゃあねーの?」
「ん、まあそうね。けど話に聞いてた変人客は捉えたわ。今度会ったらボコボコにする」
「いいぞーやっちまえー!」
 なんかまた僕を置いて意気投合してる……!
「ほら今もなんか言いたそうにしてるクセして黙ってるしよー」
 真秀呂場の攻撃。
「うべあっ!?」
「ちょっとの図星突かれただけでダメージ」
 ヒカリの攻撃。
「ほぉっ!?」
「そもそも心身ともに貧弱」
 真秀呂場の追撃。
「ひばっ!?」
「色々考えすぎるせいでリアクションも言動もメチャクチャなコミュ症」
 ヒカリの追撃。
「こむ~っ!?」
「「けどそんなトコが~」」
「おもしれ~」「守ってあげたいのよね~」
「全然息合ってねー!」
 ウフフアハハ……
「和むなぁーッ!?」
「「わー」」
 勢いに任せ、ヒカリが入ったカバンを真秀呂場へ押し付け攻撃! ……するも、びみょ〜に遠慮してしまい力が入らず、2人は全く堪えた様子がなかった。僕は肩で息をしながらシブい顔をした。

 そんな僕を見てか、真秀呂場は角刈り頭をボリボリ掻きながら言葉を紡ぐ。
「まー、なんだ。改めて一昨日はさ、ありがとよ。ロボットリンカーヤロウから守ってくれてよ」
「……なにを急に。昨日会ったんだから、その時言えばいいものを、今さら」
「んー、うん、スマン。昨日はオレも、ちと遠慮しちまった。ただ今日は、オメーもなんか馴染んでくれてるし、言っても良いかなって思っただけだヨ」
「なっ……なぁ〜? いや、んなぁ〜?」

 なんだこの拭えぬ違和感は……!? というか真秀呂場ってこんな謙虚なヤツだったのか!? もっとお調子者みたいな感じ出してなかったか!? ホントにクソマジメだったというのか!?

「覚えてっか? オレらおんなじ小学校でさ。オレがしょーもねぇ女子連中にイジめられてたのを、お前が一言『そいつがその気になったらカンタンにやられるクセに』って言ってさ。オレちょっと問題起こしちったけど、おかげで助かったんだよ! って、お前にゃアッサリした事すぎて覚えてねーかもな!」

 あー、そうそう。こーゆー存在しない記憶とか語り出すおかしなヤツだ。

「だからま、少しはお返ししてやらなきゃ気が済まん。さっきの変なねーちゃんにダル絡みされてたのは、そのウチのほんのお礼だ」
「はぁ」
「そんなワケだ! なんか困った事あったらいつでも言ってくれよ! それこそ光の速さで駆けつけてやっからよ!」
 そう言い残し、真秀呂場は先に駆け出して行ってしまった。気づけば校門前であった。
「なんでいちいち一方的なんだ……」
「ねえタマキ。彼はもしかして」
 ヒカリがそのプニっとしたあごに手を置き思案していた。人差し指を一本立て、探るように話す。
「アナタは彼が何かと絡んでくると言っていた。それってつまり、彼はアナタへの恩義からその行動を取っていたのではなくて?」
「ヒカリ。アイツの言ってる事を真に受けちゃダメだよ」
「まー評価がマイナスに戻ってるわっ」
 けどアイツが僕に対して過大評価してるのは確かだよなぁ、理由はどうあれ。それに何度も気にかけてきた事といい、軟化したあの態度といい、それはもしや……。

 タマキ分析中…… 残り1秒
 分析 完了

「アイツ、僕のことが好きなんだな!?」
 Ore love Gasai……
「いやそれこそないわね」
「すみません調子こきました切腹しますこのミシン針で……!」
「チクっとして痛いだけだから、よしなさい」
 とりあえずタマキは深呼吸した。それから自分の自惚れに吐き気を催した。
「ともかく……真秀呂場に加えもかさんとも一悶着あったし、それと天道 ぷらなさんの事も控えてる。これだけあれば何かとイベントが発生するハズ!」

 タマキ、いざ学校へ──!

 何かとイベントが……!
「やっ、タマキ!」
「あっ、みこ……もかさん」
 何かとイベント……。
「よー、恭二ぃ〜」
「今日も来たな彼方!」
 こう、何か……。
「あれからぷらなとはどう?」
「あっ、手術も終わった頃ですよね〜……。返事待ちで……」
 あの……。
「クソっ! 今日も一日を無下に過ごしたっ!!」
「言わんこっちゃない」

 学校が終わった。バイトも終わった。気づけば僕はバイト先のロッカー室であった。

「けど良かったじゃない。少なくとももかは変わらず接してくれるし、真秀呂場もヒマそうなら絡んでくれるわ」
「そして天道さんは返事待ちって〜? いやいやいやいや、結局僕から何も行動を起こせてない! もかさんはなんか来てくれるから受け入れてるだけだし、真秀呂場は友達に囲まれてるし、それに拒絶してきた僕が急に話すようになったら絶対周りから変な目で見られるからイヤだしぃ〜!」
「それよ、その気持ち。自分で何か行動を起こしたいという気持ちを動かせたじゃない。一歩、確実に成長してるわ」
「むぅっ……! ぐっ、むぐぐぐぐ……!」
 僕の中では百歩進んでるつもりなのにぃぃぃぃぃ……!

「バイト中も怖いくらい何も起きなかったし……」
「それも良い事よ。心配でずぅ~っと聞き耳を立てて損したわ」
「それはそれでヤバい……。ま、まあ、ルビィさんが来て変な熱弁するよりいいんだけど? 良かったって、ルビィさんに限らず何も異常事態は起きなかったんだから。裏方最高! 平和村だ! あっ、平和村って人狼ゲームの用語で僕みたいな友達いないヤツには縁の無い単語なんですけどね~……ふへっ、ふへへへっ……」
「う~ん、何が起きてもネガティブに走っていくわね」

 ロッカー室の硬いフローリングに膝をついた僕。その僕をヨシヨシするヒカリ。
「ほら、もう帰りましょ?」
「うん……」

 外は雨模様だった。シャワーのような小粒の雨。折りたたみ傘を開いて、曇天に向けて差す。普段は気にしないバッグも、ヒカリが入っているので気を遣い、身に寄せ傘の中に入れて雨を遮る。
「生憎の雨ね。誕生して初めての雨だけど、何か考えさせられるわ」
「考えさせられるぅ……?」
「……そんなに引っかかりのある言い方だったかしら」
「いや、あの、別に文句があったというわけじゃ……!」

 まあ、雨だから少し考え方が変わるのはあるかも。普段は人の目が多い大通りで帰るけど、早く帰りたいが為に近道を行きたいというか。

 我妻家からバイト先である『ムムス』へは、大まかに2通りの道がある。直角の大通りを往く方法か、住宅街を突っ切るほぼ真っ直ぐ道だ。完全な直線とはいかないからそれほど早くはないけど、田舎特有の放置された廃工場や廃ビルといった廃墟施設が散見されて、僕は何だかお気に入りだ。雨だとより雰囲気も出て味がある。

「あらタマキ、来たのと違う道ね?」
「あっ、大通りの方が良かったのなら……」
「そうじゃないわ、純粋な疑問。この先に何があるのかって」
「あっ、タダの近道と住宅街と廃墟」
「ふぅん?」

 あれ〜? 心の中で解説してた時のがちゃんと説明できてたぞ〜?
「あら、何か見えてきたわね。アレがその廃墟かしら?」
「あっ、うん。なんか寂れた感じが、どことなく親近感を覚えるんだ。雨の夜だとこうして仄暗さがあるけど、晴れの昼だとまたおもむきが違って感じられるんだ」
「へぇ、良いわね。今度行ってみたいわ」
「へへっ、うへへ……」
 話を引き出すの上手いなぁ……。ホントに僕の心から生えたモノリンカーなのか? このコミュ強っぷり……。いやリンカーは能力者の願望って言ってたっけ?

「むっ。タマキ、アナタ以外にも廃墟マニアがいるみたいね」
「いっ!?」
 気づけば住宅街からも離れ、廃ビルと倉庫の並ぶコンクリート地帯に来ていた。瓦礫が転がり、元は何だったのかも判らない、人が隠れられるほどの大きなコンクリートの破片が辺りに点在する。

 僕はまさかこんな所に人がいるとは思わず、猫背の背中をより丸めて身構えた。それから、コンクリート片から現れ出た影に小さく声を挙げる。
「あっ、真秀呂場……?」
 真秀呂場 恭二である。驚いたのは人がいたからだけじゃない。一目見て分かるただならぬ様子であった。小雨とはいえ、この雨の中で傘も差していなかった。息を切らしていた。何よりリンカーである『フラッシュマン』を身にまとっていた。明らかに、臨戦態勢であった。

 真秀呂場がこっちの存在に気づく。仮面の下から見開いた目を覗かせる。
「我妻、逃げろっ!!」
 声を荒らげて呼びかけた真秀呂場。僕が少しピクっと驚いたそのほんのわずかの時間であった。

 真秀呂場のリンカーである『フラッシュマン』は、アーマー状のヒーロースーツである。その鋼鉄製の厚い装甲が、空気が破裂する音と、強烈な衝撃音を伴い、左肩パーツが砕かれた──。

「……え?」
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