▼詳細検索を開く
作者: 八城主水
Calling your name
 朝食を終え、入浴や着替え等の身支度を済ませた千歳は母や妹達が外出して静かになった家の自室でベッドに座っていた。時計を見ながら待ち遠しそうに溜め息をつき、ベッドから立ち上がって鏡を見ると目元のクマを指でそっと優しく撫でる。夜更かしなどはしておらず、というより母がそういった事に厳しいので滅多にできない。なので十分な睡眠はとれているはずなのだがとれないクマは不自然なほどに白い肌と相まって他者に不健康な印象を与えている。

「ちゃんと寝てるんだけどなぁ……」

 そうぼやいているところに家のインターホンが鳴り、すぐ部屋を出た千歳が1階の玄関の扉を開けるとそこには女の子が1人立っていた。

「やっほー、千歳ちとせくん」

「……やっほー、椎名しいなさん」

 優しく微笑む少女の名は椎名しいな 佐奈さな、幼馴染みである彼女に挨拶を返すがなにやら不満げに頬を膨らませた。

「むむ、また苗字呼びになってる。いつからそうなっちゃたのかね?」

 確かに小学生だったか中学生だったかまでは下の名前で呼んでいたが、いつからか急に恥ずかしくなって今のように苗字で呼ぶようになってしまった。

「いやぁ……でも椎名さんだって恥ずかしくなる時とかない?」

「なんで?私たち幼馴染みじゃない、恥ずかしがる事はありませんよ♪」

 満面の笑顔で即答され、返す言葉が見つからずもうすぐバスが来てしまうという言葉に千歳は慌てて玄関の鍵を締めると佐奈に手を引かれながら小走りでバス停に向かう。

 紫ヶ丘むらさきがおか駅前のバス停に止まったバスから降りた2人の目の前には超大型のショッピングモールがあり、さらにそこからほんの少し離れた場所ではまた超大型の建物を建てるための工事が行われている。ショッピングモール内には映画館もあり、千歳はこの日公開される映画を観賞するため佐奈から誘われていた。

 題名は『キャプテン・ドラゴン ~日本襲来!キャプテン・ヒュドラ!~』

 ちなみに『キャプテン・ドラゴン』は外国のヒーロー漫画が実写映画化したもので、日本語に訳されたコミックスも販売されている。物語は高校生の少年である『エース』がある日、『龍脈』と呼ばれるエネルギーを習得して街の平和を脅かす悪の怪人と戦うというものである。キャプテン・ドラゴンの龍脈は青い炎で表現されており、千歳が佐奈に読ませてもらったコミックスでもまあまあ必殺技の表現が派手なのだが彼女に誘われて初めて映画を観た時はあまりの映像の派手さに驚いた。

「楽しみー♪」

 るんるんとした雰囲気と表情で佐奈が映画館の椅子に座り、パンフレットを眺めている。そこへ千歳が隣の椅子に座り、売店で買ったポップコーンとジュースを座席のテーブルに置くと彼女は足をパタつかせながらお礼を言った。

 そして2、3分ほどすると上映時間となり、暗くなった劇場のスクリーンに映像が映し出される。

─────
───


『私の名はキャプテン・ドラゴン!お前たちからこの街を守る者だ!』

 キャプテン・ドラゴンの登場シーンで佐奈の左手が千歳の右手を興奮で握る。

───うわ、柔らかッ!。

『貴様程度の龍脈では俺様には勝てん!』

『龍脈は力の強さではない!龍脈とは─────心の強さだ!』

 キャプテン・ドラゴンとヒュドラの派手な戦闘シーンでも握る。

───あ、ちょっと力強まってきたかな。

『ドラゴン!パアァァンチ!』

 戦闘シーンのラストでキャプテン・ドラゴンが必殺技でヒュドラを倒すところでも握る。骨が軋むような感覚を手から感じる。

───痛い……

─────
───


 エンディングが終わり明るくなった劇場を後にした二人、佐奈は恍惚とした溜め息をつきながらずっと映画の感想を言っている。

「やっぱりカッコイイよねぇ……今回の戦闘シーンすごい派手だったね」

「いつも派手じゃないの?」

「派手さのベクトルが違うのです、そこら辺もわかるように教えたげるからDVD観直そうね♪」

 楽しそうに話している2人の元にサングラスをかけた青年が近寄る、髪の色や背丈からしてどうやら外国人のようだ。

Excuse me失礼.映画は楽しんでもらえただろうか?」

 流暢な日本語でそう話す外国人、彼の声には千歳も佐奈も聞き覚えがあった。

「え、えっと・・・もしかして?」

 『ふふっ』と微笑みながらサングラスを外すと、その外国人はさっきまで二人が観ていた映画の主役『キャプテン・ドラゴン』の役を演じている俳優ダンテ=エヴァンスだった。突然の出会いに佐奈は一瞬固まったが、握手を求めると彼が快諾したので手を洗いに小走りで御手洗に入っていった。

「今日は彼女とデートかい?」

「……いや、彼女ではないです……」

 ”彼女”という言葉に照れ笑いを浮かべる千歳の眼差しを見たダンテが肩をポンと叩き、サムズアップと共にウィンクを決める。

「照れることはないさ、君が彼女をとても大切に思っているのは伝わってくるよ。その気持ちを彼女にも伝えるといい、恋愛において”後悔”はTaboo禁物だからね。特に君たちのような若者にはさ─────」

 御手洗から出てくる佐奈の姿が見えたダンテは千歳の肩から手を離し、2人と握手を交わすとパンフレットにサインを描く。そして”See you againまた会おう”という言葉とサムズアップを残して颯爽とその場を去っていった。

─────
───


 映画と突然の出会いの余韻に浸りながら地元である酒蔵台さかぐらだいへ帰ってきた2人、家が近くなったところで佐奈が千歳に話し掛ける。

「そう言えばさ千歳くん、なんで私のこと苗字で呼ぶようになったわけ?」

「え、あー……し、思春期……?」

「なにそれ、私は前みたいに名前で呼んでほしいな〜」

 微笑みながらも寂しそうな声でほやく彼女の儚げな表情と声色に千歳は胸を締め付けられた。そして立ち止まるとそこには隣同士で建てられた2人の家があり、佐奈は家の門のノブに手をかけると顔を上げて千歳の方を向きニコリと微笑む。

「じゃあまた明日、学校一緒に行こうね……」

 そう言って彼女の表情から笑みが消えたのが見えた千歳は咄嗟に門を閉めようとするその右手首を掴む。突然のことで驚く佐奈に千歳は頬を赤らめながら─────

「また明日……─────」

 佐奈の目を真っ直ぐ見つめ、彼女の名前を呼ぶ。心臓の高鳴りが伝わってしまいそうでするりと握っている手を離した。

「─────ひひ、また明日ね。千歳くん♪」

 満足気な笑みを浮かべながら手を振って佐奈が家の中へ入っていく。力なく振り返していた手を降ろしてすぐ隣の自宅へ歩いている間も、部屋のベッドでしばし寝転んでいる間も千歳の心臓は高鳴ったままだった。

 佐奈と初めて出会ったのはまだ小学校に入学する前の頃、母に連れられた隣の家にいた同い年の女の子に千歳は一目惚れをする。それからは一緒にいたくて遊びに訪れ、最初は恥ずかしがっていたのか遠慮がちだった女の子も段々と明るくまるで兄妹のように仲良くなった。

 それがいつからだろうか彼女に好意を抱いている事を自覚している自分に対して恥ずかしさを覚えてしまっていたのだ。母に相談をしてみた事もあったが『思春期だ』と言われ、誰にでも芽生える感情なのだと思っていた。それが彼女に寂しい思いをさせてしまっていたのだと気づかずに……

 久しぶりに呼んだ佐奈の名前、優しく受け入れてくれた彼女の笑顔を見れた嬉しさを感じながら段々と張り詰めていた心が綻んでいく。そして映画館で偶然出会い、自分にあの一歩を踏み出す勇気をくれたダンテに感謝した。
Twitter